パックル
達也の「特製ふわふわホットケーキ」の評判は、まるでリベルの街を吹き抜ける風のように、あっという間に広まっていった。甘い香りに誘われた子供たちを皮切りに、その美味しさを聞きつけた人々が次から次へと訪れ、達也の小さな露店の前には、途切れることのない長い行列ができていた。
「すみません、もう一枚!」「こっちも追加で!」「持ち帰り用に包んでくれ!」
達也は嬉しい悲鳴を上げながら、汗だくになってホットケーキを焼き続けた。リリアは持ち前の明るさと愛嬌で客を呼び込み、注文をさばき、時には行列の整理までこなしている。マリアは、その屈強な見た目だけで十分な用心棒の役割を果たしつつ、達也の調理補助や皿洗いなど、細々とした仕事を手伝ってくれていた。三人の連携は、まだぎこちないながらも、確かな熱気と活気を生み出していた。
しかし、そんな熱狂も永遠には続かない。
「お客さーん! 本当に申し訳ありません! 用意していた材料が、全部なくなってしまいましたー!」
夕暮れが迫る頃、ついに小麦粉も卵もミルクも、そして特製の蜜やソースも底をつき、達也はまだ並んでいる大勢の客たちに向かって、深々と頭を下げて謝罪した。
「えー! もう終わりー!?」「明日もやるのかい!?」「絶対また来るからね!」
客たちは口々に残念がりながらも、多くは「明日はもっと早く来るぞ!」と、明日への期待を口にして去っていった。
「「「はぁぁぁーーーーー疲れたーーーー!!」」」
最後の客を見送り、三人は同時にその場にへたり込んだ。しかし、その表情は疲労感と共に、大きな達成感と喜びに満ち溢れている。
今日の売上を三人で数えると、銅貨と銀貨が文字通り山盛りになっており、昨日衛兵長に売ったフライパンの利益を遥かに上回る額になっていた。
「やったー! 大成功だね、タツヤちゃん!」リリアが達也に抱きつく。
「ああ…まさか、こんなに売れるとはな…」達也も興奮を隠せない。
「君の料理の腕は本物だな、タツヤ」マリアも、珍しく素直な称賛の言葉を口にした。
三人が喜びを分かち合い、さて店じまいを始めようか、としたその時だった。
「おい、そこの小娘ども。なかなか良い商売をしていたじゃねえか」
下卑た、ねっとりとした声が響いた。見ると、先ほどまで少し離れた場所からこちらの様子を窺っていた、見るからに柄の悪い、でっぷりと太った商人風の男が、薄ら笑いを浮かべながら数人の手下らしき屈強な男たちを連れて、ゆっくりと近づいてくるところだった。
「俺たちにも、その『ほっとけーき』とかいうのを、味見させてみろや。もちろん、タダでな。このリベルで新参者が商売するんなら、まずは俺様たちみたいな『顔役』に挨拶代わりってもんが必要だろうが、あぁん?」
男は明らかに因縁をつけてきていた。その目は、達也が持っているであろう売上金と、そしてリリアの美しい容姿に向けられている。
達也は一瞬怯んだが、今日の成功で少しだけ自信をつけていたこともあり、毅然とした態度で(内心はバックバクだったが)言い返した。
「申し訳ありませんが、もう材料が全部切れてしまって、何もお出しできないんです。それに、タダでお渡しすることはできません。うちはちゃんとした値段で…」
「あぁ!? このガキ、俺様の言うことが聞けねえってのか!?」
達也の言葉を遮り、商人は顔を真っ赤にして激怒した。「ちょっとばかし儲けたからって、調子に乗りやがって! 少し灸を据えて、このリベルの厳しさを教えてやる必要があるようだな! おい、お前ら、やっちまえ!」
男が手下たちに顎でしゃくると、屈強な男たちがニヤニヤしながら達也に迫ってきた。
(や、やばい…!)達也は思わず後ずさる。
しかし、その達也の前に、二つの影が立ちはだかった。リリアとマリアだ。
「あらあら、みっともないわねぇ、いい大人が寄ってたかって子供をいじめるなんて」
リリアは、いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべながらも、その赤い瞳を妖しく光らせ、周囲にひんやりとした吸血鬼としての威圧感を放ち始めた。「この子に指一本でも触れてごらんなさい? あなたたちのその汚い血、一滴残らず吸い尽くしてあげるわよ?」
「無益な争いは好まんが」マリアも、静かに、しかし有無を言わせぬ迫力で剣の柄に手をかけた。「この子たちに危害を加えるというならば、容赦はしない。私の剣の錆にしてやろうか?」
その低い声と鋭い眼光は、歴戦の傭兵だけが持つ凄みを帯びている。
リリアの放つ人ならざる者の威圧感と、マリアの歴戦の戦士としての殺気。その二つを同時に浴びて、商人風の男とその手下たちは、一瞬で顔面蒼白になった。
(こ、こいつら…ただの女子供じゃねえ…! ヤバい奴らだ!)
「ひっ…! お、覚えてろよ! この借りは必ず返してもらうからな!」
太った商人は情けない声を上げると、手下たちと共に蜘蛛の子を散らすように慌てて逃げ去っていった。
「…ふぅ。行った行った」リリアはつまらなそうに肩をすくめる。
「やれやれだ。やはり、目立つとこういう輩も寄ってくるか」マリアも剣から手を離し、ため息をついた。
「……リリア、マリア…ありがとう…! 本当に、助かったよ…!」
達也は、震えを抑えながら、二人に心からの感謝を伝えた。もし一人だったら、どうなっていたか分からない。
***
露店を急いでたたみ、三人は安全なキャンピングカーの中へと戻った。外はもうすっかり暗くなっている。
「はぁー、今日は本当に色々あったなぁ…」達也はベッドにどっかりと座り込み、今日の出来事を振り返った。
「でも、ホットケーキは大成功だったね! 明日もやるんでしょ?」リリアは興奮冷めやらぬ様子だ。
「ああ。だが、マリアの言う通り、やはり目立つと面倒な連中も寄ってくる。もう少し安全な場所で売るか、あるいは…護衛を強化するか…」マリアは真剣な顔で言う。
「リリアが言ってた『顔役』って人に、一度相談してみるのも手かもしれないな…」達也も考える。
「そうだねぇ。あの人なら、場所の確保とか、厄介払いくらいはしてくれるかも。もちろん、タダじゃないけど」
今日の成功と、そして新たな課題。それを乗り越えたことで、三人の間には、以前よりもずっと強い絆が生まれているように感じられた。達也は、リリアとマリアという頼もしい仲間がいることを、改めて心強く思った。
「それにしても…」リリアがふと、何かを思い出したように言った。「満月はもう終わったけど、やっぱりちょっとしたことでイライラしやすくて困るのよねー、私。タツヤちゃんも、早く自分の力のコントロール、覚えないとね?」
彼女は意味ありげに達也を見た。
達也は、自分の体の謎と、これから向き合わなければならない困難を思い、小さくため息をつく。しかし、今は一人ではない。
「コントロールって…ああ、そうだな」
彼は、隣にいる二人の仲間を見つめ、力強く頷いた。
「よし、今日はもう宿には戻らず、このキャンピングカーの中で過ごそう。その方が安全だし、お金も浮く」達也が提案すると、二人も頷いた。
テーブルを囲み、まずは今日の売上の分配だ。達也はまず、今日の材料費や通販での道具代などを計算し、それを差し引いた純利益を出す。そして、リリアとマリアに、「今日の協力への感謝だ」と言って、それぞれに銀貨数枚ずつの報酬を手渡した。
「えー! こんなに貰っちゃっていいのー? やったー! これで甘いものいっぱい買える!」リリアは大喜びだ。
「いや、タツヤ。私は護衛として当然のことをしたまでだが…」マリアは少し遠慮したが、達也が「いいから受け取ってくれ。これからも頼りにしてるんだから」と言うと、最終的には「…分かった。ありがたく頂戴する」と受け取った。
残ったお金は、今後のキッチンカー計画の運転資金、三人の生活費、そして緊急時のための予備費として、達也がアイテムボックスで厳重に管理することになった。
作戦会議も一段落し、時計は既に夜遅くを指していた。
「ふぅ…さすがに疲れたな…」達也が言うと、リリアが「お腹すいたー!」と声を上げる。
「今日はもう、俺も料理する気力ないから、これでいいか…」
達也はアイテムボックスから、3種類の違う味のカップ麺を取り出した。醤油、味噌、そしてシーフード。
カセットコンロでお湯を沸かし、三人で熱々のカップ麺をすする。リリアは「こっちの味も美味しい! あなたの故郷には、こんなにたくさんの種類の食べ物があるの!?」と目を輝かせ、マリアも、今度は特に訝しがるでもなく、慣れた手つきでフォーク(達也が用意した)を手に取り、一口スープを飲んだ。「…ふむ。この味噌とかいう味も、なかなかどうして…悪くないな。体が温まるし、保存食としては上出来だ」と、以前よりも素直にその味を受け入れているようだ。空腹も手伝っているのかもしれない。
カップ麺を食べながら、三人は明日の計画について話し始めた。
「やっぱり、今日の場所はもう使えないよな…衛兵には顔を覚えられちゃったし」と達也。
「そう?別にあの人たちはタツヤちゃんの料理を楽しんでだだけのように気がするけど」
「いっそ、リベルの三大市場のどれかに殴り込みかけちゃうとか?」リリアが無茶なことを言う。
「いや、それはさすがに…」達也が苦笑した、その時だった。
マリアが、ふと思い出したように、真剣な顔で口を開いた。
「…そういえば、タツヤ。今日、君の露店に絡んできた、あの太った商人だが…」
「ん? ああ、いたな、そんな奴。リリアとマリアのおかげで追い払えたけど」
「あれは…」マリアは少し言い淀んだ後、重々しく告げた。「このリベルの表通りで、日用品店や雑貨屋を何軒も手広く経営している、『パックル商会』の三男坊だ。道楽者で、素行が悪いことでも界隈では有名だが、何せ親がこの街の商業ギルドでもそれなりの力を持っている有力者だからな。あまり事を荒立てない方がいい相手ではあったんだが…」
「…………え?」
マリアの言葉を聞いた瞬間、達也の顔からサッと血の気が引いた。
(パ、パックル商会の…ドラ息子…!? う、嘘だろ!? 俺、ただのチンピラだと思って、結構強気に断っちゃったぞ!? しかも、その後リリアとマリアが脅して追い払ったし…!)
背筋に冷たい汗が流れる。せっかく大金を手に入れ、これからの計画に胸を躍らせていたというのに、とんでもない相手に目をつけられてしまったかもしれない。
「へえー、あのデブ、そんな大物の息子だったんだ。それで調子に乗ってたわけね。まあ、私たちにかかれば関係ないけどねー」リリアは全く反省する様子もなく、むしろ面白がっている。
「笑い事じゃないだろ!」達也は青ざめた顔で叫んだ。「ど、どうしよう…明日、同じ場所で商売なんてしたら、絶対仕返しに来るぞ…!」
せっかく掴んだ成功の糸口が、一瞬にして暗雲に覆われたような気がした。達也は、テーブルの上の食べかけのカップ麺を前に、ただただ頭を抱えるしかなかった。




