フライパン売ってみた
ズキンッ!
まるで頭蓋骨の内側から巨大な鐘でも打ち鳴らされているかのような、強烈な頭痛で、達也は呻きながら目を覚ました。そこは、自由都市リベルの少し入り組んだ路地裏に佇む、古びた木造の宿屋「静かなる梟亭」の一室。昨日、マリアとリリアに論破(?)され、結局三人で泊まることになった、屋根裏に近い簡素な部屋だ。木の壁の隙間からは、リベルの街の朝の喧騒――市場へ向かう人々のざわめきや、どこかの工房から聞こえる槌の音――が微かに響いてくる。
胃がムカムカと気持ち悪く、口の中はカラカラに乾いている。昨夜の記憶は、居酒屋でエールをがぶ飲みし始めたあたりから非常に曖昧だが、自分がとんでもない醜態を晒したであろうことだけは、嫌というほど理解できた。
(うぅ……頭痛い……気持ち悪い……最悪だ……二度と酒なんか飲むか……この部屋、昨日より狭く感じる……)
おそるおそる目を開けると、ベッドのすぐそばに、腕を組んだマリアと、なぜかニヤニヤしているリリアが立っており、なんとも言えない、哀れみと呆れが7:3くらいで混じったような目で、こちらを見下ろしていた。部屋の小さな窓から差し込む朝日が、二人の背後から後光のように見えて、達也には今の自分の状況がますます惨めに感じられた。
「……ようやくお目覚めかな、タツヤ。気分はどうだ? と言っても、その顔色を見れば聞くまでもなさそうだが」マリアが、深いため息と共に言った。
「いやー、昨夜のタツヤちゃん、本当にすごかったねー! まるで壊れた踊り人形みたいにふにゃふにゃになってさー、『俺は吸血鬼じゃないんだー! 信じてくれー!』とか叫んでたと思ったら、急に『リリアお姉ちゃーん、だっこー』って甘えてきたりして! あははは、思い出すだけで笑えるー!」リリアが腹を抱えて笑い転げている。
「~~~~~っ!!!!」
リリアの追い打ちの言葉に、達也は昨夜の断片的な記憶が蘇り、羞恥心で顔から火が出そうになった。もういっそ、このまま記憶喪失のフリをしてしまいたい。彼は毛布を頭まで深く被り、現実から逃避しようとした。
「ほらほら、いつまでも寝てないで。水でも飲んだらどうだ?」
マリアが呆れながらも、テーブルの上の水差しとコップを指さす。達也はのろのろと起き上がり、震える手で水を飲み、マリアが薬草を煎じてくれた(らしい)苦いお茶を飲んで、しばらく安静にしていた。
ようやく昼近くになり、頭痛と吐き気が少しだけマシになってきた頃、達也は意を決したようにベッドから起き上がり、まだ少し痛む頭を押さえながら言った。
「……もう大丈夫だ。商業ギルドに登録もしたんだし、いつまでもこうしてるわけにはいかない。今日は……稼ぎに行くぞ!」
昨夜の醜態を少しでも挽回したい、という思いもあったのかもしれない。
その言葉に、マリアとリリアは顔を見合わせた。
「おいおい、タツヤ、まだ本調子じゃないだろう? 無理は禁物だ。私も一緒に行く。護衛が必要だろう」マリアが心配そうに言う。
「えー、私も行く行くー! タツヤちゃん一人じゃ、また変な酔っ払いに絡まれちゃうかもしれないしー? 面白いものも見れるかもしれないしね!」リリアも当然のように同行を申し出る。
しかし、達也は(これ以上二人に迷惑はかけられない、そして少しでも一人で何かを成し遂げたいという見栄もあって)首を横に振った。
「いや、いい。俺一人で行ってくる。昨日は本当に迷惑かけたし…それに、俺だっていつまでも子供扱いされるのはごめんだ。もう子供じゃないんだからな!」
少しふらつきながらも、達也は精一杯強がって見せた。
だが、その言葉を聞いた瞬間、マリアとリリアは、同時に、そして盛大にため息をついた。
「タツヤ……」マリアが諭すように言う。「君のその姿(金髪黒目の、どう見ても十代前半の少女の体)を見て、誰が子供じゃないと思うんだ? しかも、昨夜あれだけ見事に酔いつぶれて、介抱されたのを忘れたとは言わせんぞ!」
「そうだよー!」リリアも追い打ちをかける。「そのちっちゃくて可愛い体で、『子供じゃない』なんて言っても、全然説得力ないんだからねー! むしろ、『私は迷子の子供です、悪い人に攫ってください』って言ってるようなもんだよ!」
「「子供だろうがっ!!/子供でしょっ!!」」
マリアとリリアからの、あまりにも正論すぎるツッコミに、達也は「うぐっ…」と完全に言葉を失い、俯くしかなかった。見た目も、昨夜の醜態も、子供扱いされて当然だ。
結局、達也は深いため息をつき、渋々ながらも二人の同行を認めた。
「…分かったよ! 一緒に来ればいいんだろ! でもな、絶対に足手まといになるなよ! 特にリリア、アンタは勝手なことするな!」
「はーい、りょうかーい」リリアは楽しそうに返事をする。マリアは「当然だ」と頷いた。
三人はまず、宿の「静かなる梟亭」のカウンターへ向かった。達也は少し気まずい思いをしながらも、エルフの主人に昨夜からの宿代(マリアとリリアの分も含む)を銀貨と銅貨で支払った。主人は静かにそれを受け取り、「またのお越しを」とだけ言った。
宿を出て、リベルの朝の空気を吸い込みながら、達也は二人に今日の計画を説明し始めた。
「今日は、まず街の外れで、これを試しに売ってみようと思うんだ」
達也はアイテムボックスから(マリアとリリアには、荷物袋から取り出したように見せかけながら)一枚のフライパンを取り出して見せた。それは、元の世界ではごく一般的な、黒いテフロン加工が施された、軽量なアルミ製のフライパンだった。
「ライターや胡椒もいいけど、もっと実用的な調理器具なら、安定して需要があるかもしれないだろ? その後、市場の様子をもう少し詳しく見て、それから商業ギルドにもう一度顔を出して、正式な商売のやり方とか聞いてみようと思ってる」
「ほう、今度は鍋か。確かに、料理をする者には必要だな」マリアは感心したように頷く。
「へえー、その黒くてツルツルした鍋、なんだかカッコいいね! 私たちの世界の鉄鍋とは全然違う!」リリアは興味津々にフライパンを覗き込んでいる。
三人は、以前ライターを売った、街の外れにある少し開けた草地へと向かった。そこなら人通りもそれほど多くなく、衛兵の目も届きにくいだろう。達也は再びブルーシートを地面に広げ、通販で購入しておいたテフロン加工のフライパン(大小いくつかのサイズを用意していた)を数点、丁寧に並べた。
最初のうちは、やはり誰も足を止めなかった。ただの鉄鍋(に見えるだろう)を、幼い少女が売っているだけでは、興味を引かないのかもしれない。
「うーん、やっぱり何かしないとダメか…」
達也はカセットコンロと卵(これも通販だ)を取り出すと、フライパンを火にかけ、少量の油を引いた(ほとんど引かなくてもいいのだが、アピールのためだ)。そして、卵を割り入れた。
ジュウウ…という音と共に、卵がフライパンの上を滑るように焼けていく。全く焦げ付く様子がない。達也はそれを木のヘラで軽々とひっくり返し、見事な目玉焼きを作って見せた。
「ほら、このフライパンなら、油も少しで済むし、卵だってこんなに綺麗に、くっつかずに焼けるんだ! 後片付けも簡単だぞ!」
その魔法のような調理風景に、遠巻きに見ていた数人の通行人(主婦らしき女性や、屋台の主人らしき男など)が、驚いたように近づいてきた。
「な、なんだ今の!? 全然焦げ付いてないじゃないか!」
「この黒い表面は何なんだ? 魔法のコーティングでもしてあるのか!?」
「それに、この鍋、持ってみてもいいかい? …うわっ! 見た目よりずっと軽いな!」
達也は「これは俺の故郷の特別な技術で作られてて…」と説明しつつ、値段(少し高めの銀貨2枚に設定した)を告げる。最初は値段に躊躇していた人々も、その性能と軽さに納得し、一人、また一人とフライパンを購入していった。「これなら毎日の料理が楽になりそうだ!」「うちの店の鉄鍋は重くて大変だったんだ!」と、評判も上々のようだ。
達也が「さあさあ、見てってよ! このフライパンがあれば、料理の腕が上がること間違いなし!」なんて、少し調子に乗って声を張り上げ始めた、その時だった。
「ほう、これはまた見慣れぬ鍋を売っているな、嬢ちゃん。なかなか面白い形をしているじゃないか。少し見せてもらってもいいかな?」
比較的穏やかな、しかしどこか威厳のある声と共に、数人の武装した男たちが、達也の小さな露店に興味深そうに近づいてきた。彼らが身に着けているのは、この自由都市リベルの衛兵の制服であり、胸にはリベルの紋章が誇らしげに輝いている。どうやら、巡回中に、少し人だかりができていた達也の露店と、その見慣れない商品に気づいたようだ。
その先頭に立つ、隊長らしき少し強面の(しかし、目の奥に好奇の色を浮かべた)衛兵は、達也が売っている黒いフライパンを興味深そうに一つ手に取った。そして、その予想外の軽さに「おっと」と小さく声を漏らし、何度か重さを確かめるように上下させたり、滑らかな黒い表面を指で撫でたりしている。
「この鍋、面白いな」衛兵の隊長は感心したように言った。「一体何の素材でできているんだい? 見たこともないほど軽くて、この黒い表面も実に不思議だ。何か特別なカラクリでもあるのかね? それとも、どこか遠い東方の国の珍しい品物かな?」
そして、彼は少しだけ表情を引き締め、職務上の確認といった口調で付け加えた。
「リベルの街で物を売るには、品物によっては商業ギルドの許可が必要になる場合もあるからね。念のため、どういった品物なのか、そしてお嬢ちゃんたちが何者なのか、少し聞かせてもらえると助かるのだが」
その口調は、高圧的な詰問というよりは、純粋な好奇心と、衛兵としての最低限の確認といった雰囲気だった。しかし、相手は武装した衛兵であることに変わりはない。達也は顔が少し引きつり、どう答えるべきか言葉を探す。隣にいたリリアとマリアも、警戒を完全に解いたわけではないが、アザリアの衛兵たちとは違う雰囲気を感じ取り、じっと相手の様子をうかがっている。




