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エール

テーブルに叩きつけられた自分の腕を見つめ、達也は深い溜息をついた。昨日の朝、あれほど軽々とベッドを持ち上げた怪力は、今の自分には欠片も残っていないようだ。ただの非力な少女に戻ってしまっている。


「…やっぱり、全然力なんて出ないじゃないか…昨日の朝の、あの馬鹿力は一体なんだったんだよ…」


マリアは「やはり一時的なものだったようだな」と納得したように頷き、リリアは「タツヤちゃん、やっぱり私が守ってあげないとダメだねー!」とケラケラ笑っている。


達也はそんな二人を(主にリリアを)ジロリと睨みつけながら自分の体の不可解な変化について、必死に頭を働かせていた。

(昨日の朝は、確かに力があった。そして、見た目も少し大人びていた。でも、今朝起きたら、体は元の中学生くらいの姿に戻っていて、力もなくなっている…体が元の大きさに戻ったから? それとも、マリアの血を吸って得た力が、一時的なものだったから…? 飲んだ量が少なかったとか…?)


「……なあ」達也はおそるおそる、自分の考えを口にした。「俺の力のことなんだけど…もしかしたら、だけどさ…」


マリアとリリアが、興味深そうに達也の言葉の続きを待っている。


「今朝、俺の体がまた元の姿に戻ってたじゃないか? だから、あの変な力も、体の大きさが元に戻ったのと一緒に消えちゃったんじゃないかと思うんだ…。それに、昨日の満月の日の朝か。マリアの血を飲んで、その後、俺の体が大きくなって力が出たってことは…その、血を吸って、その力を使ったから、その反動でまた元に戻った、とか…? あと、飲んだ血の量も、コップに一杯分くらいで、そんなに多くなかっただろ? もしかしたら、少ない量だったから、力の効果も一時的だったのかなって…」


達也のその言葉に、リリアが「ふーん、タツヤちゃんなりに色々考えてるんだねー」と感心したように言った。

「確かにね、私たち吸血鬼の力って、摂取した血の質とか量に、結構左右されることはあるよ。私も、こないだの満月は、あなたが持ってきてくれたあの美味しいコーヒーのおかげで、いつもよりずーっと楽に乗り切れたしね! 本当に助かったよ、ありがと!」

リリアは悪戯っぽくウィンクする。満月を無事に乗り越えた彼女は、すっかりいつもの明るく元気な調子を取り戻していた。


「それに、急激に大きな力を得た後は、体がそれに慣れるまで不安定になったり、反動で消耗したりすることも珍しくない。まだまだ、あなたの体は謎だらけだねぇ」


マリアも頷く。「リリアの言う通りかもしれんな。君の体は、まだ変化の途上にあるのかもしれない。急に大きな力を得て、また元に戻る…というのは、確かに負担が大きいだろう。今は無理をせず、自分の体の声に耳を傾けることが大事だ」


リリアとマリアの言葉は、達也の推測を完全に裏付けるものではなかったが、少なくとも的外れではないかもしれない、と思わせるものだった。自分の体が、血という外部からのエネルギーや、月の満ち欠けによって大きく左右される。その事実に、達也は改めて言いようのない嫌悪感と、そして自分の体がどうなってしまうのかという深い不安を感じた。


(俺の体は…これからどうなるんだ…? 満月は終わったはずなのに、この力の不安定さは…? やっぱり、マリアの血を飲んだことが、何か決定的な変化を引き起こしたのか…?)


解決しない謎、次から次へと湧き出てくる新たな疑問。達也は、目の前でマリアとリリアが今後の金策について真剣に(あるいは楽しそうに)話し合っているのを、どこか上の空で聞いていた。自分の体のこと、力のことを考えると、頭がパンクしそうだ。


(…あーもう、どうでもいいや! 考えても分かんないことは、考えても仕方ない!)


半ばヤケクソになった達也は、目の前でマリアとリリアが美味そうに飲んでいるエールのジョッキに目をやった。琥珀色の液体、豊かな泡…。


「……おっさん」達也は近くを通りかかった店の主人に声をかけた。「俺にも、そいつらと同じ『エール』ってやつ、一杯くれ」


「タツヤ!? 何を言ってるんだ、君はまだ子供だろう!? 酒なんて飲んで大丈夫なのか!?」

マリアが驚いて、本気で心配そうな顔で達也を止めようとする。


「えー? タツヤちゃんもエール飲むのー? 面白いじゃーん!」リリアは興味津々といった顔だが、その赤い瞳の奥は「大丈夫なの、この子?」と少しだけ心配しているようにも見えた。「でも、その小さな体で、エールは結構キツいと思うけど~?」


「うるさいな、二人とも!」達也は自棄っぱちに言い放った。「俺はもう、ガキ扱いされるのはうんざりなんだよ! (元の世界ではとっくに成人してたんだぞ、これでも!)…まあ、ちょっとくらい味見するだけなら大丈夫だろ!」

本当は味見どころか、現実逃避のために浴びるように飲みたい気分だったが、それはおくびにも出さない。


マリアはまだ何か言いたそうだったが、達也の妙な剣幕と、リリアの「まあまあ、一杯くらいなら…ね?」という無責任な(?)とりなしに、渋々引き下がった。


やがて、木のジョッキになみなみと注がれたエールが、達也の前に置かれた。豊かな泡がこんもりと盛り上がり、麦芽とホップの、フルーティーで香ばしい香りが鼻孔をくすぐる。

(ああ…この匂い…元の世界で好きだった、地ビールに似てるかも…)

達也はゴクリと喉を鳴らし、ジョッキを手に取った。


恐る恐る一口、その琥珀色の液体を口に含む。

瞬間、口の中に広がったのは、弱い炭酸の心地よい刺激と、麦芽の芳醇な甘みとしっかりとしたコク、そして後から追いかけてくるホップの爽やかで華やかな苦味!

それは、前世で飲んでいた様々なクラフトビールの中でも、特に好きだった味わいに、驚くほど近かった! いや、もっとこう、手作り感のある、素朴で力強い、それでいて深みのある味わいかもしれない。


(う……うまいっ……!! これ、めちゃくちゃうまいじゃないか!!!)


達也は、異世界で初めて出会った、心から「美味い」と思える故郷の味に近い飲み物に、感動で打ち震えた。精神的な渇きを癒すように、彼はジョッキを傾け、一気に、そしてがぶがぶと、そのエールを飲み干してしまった!


「ぷはーっ! うめえ! おっさん、おかわり!!」

一杯目を瞬く間に空にした達也は、完全にタガが外れたように叫んだ。


「お、おい、タツヤ! さすがに飲みすぎだ! もうやめておけ!」マリアが慌てて制止する。

「わー、タツヤちゃん、顔真っ赤だよー? 本当に大丈夫~?」リリアもさすがに少し顔を引きつらせている。


しかし、久々のアルコールと、現実から逃避したいという強烈な欲求、そして何よりエールの美味さに、今の達也はもう止まらなかった。

「へーきへーき! 俺は酒強いんだよ、昔っからな! このくらいじゃ酔わないって!」

呂律が怪しくなり始めていることにも気づかず、達也は二杯目、三杯目と、まるで水でも飲むかのようにエールを煽り続けた。


その結果は、当然ながら悲惨なものだった。

三杯目を飲み干す頃には、達也の視界はぐにゃぐにゃと歪み始め、頭はガンガンと警鐘を鳴らし、胃の奥からは不快なものがこみ上げてきていた。

(あれ…? なんか…おかしい……? 世界が…回ってる……?)

元の世界の感覚で飲んでしまったが、少女の小さな体はアルコールの分解能力が著しく低かったのか、あるいはこの異世界のエールが想像以上に強かったのか。達也は完全に、そして見事に、悪酔いしてしまっていた。


「うっぷ……き、きもちわる……」

達也はテーブルに突っ伏し、呻き声を上げた。

「マリアぁ……リリアぁ……なんか、ぐるぐるするぅ……たすけてぇ……」

完全に幼児退行したかのような、情けない声で助けを求める。


「だから言わんこっちゃない!」マリアは深いため息をつき、呆れながらも達也の背中をさすってやる。

「あーあ、タツヤちゃん、完全に出来上がっちゃってるねー」リリアは面白そうにその様子を眺めていた。「これは介抱が大変そうだ」


その後、達也は「俺は吸血鬼なんかじゃなーい!」と泣き上戸になったかと思えば、「騎士団なんて怖くなーい!」と大声で叫び、しまいにはリリアに「お姉ちゃーん」と絡み始める始末。完全に醜態を晒しきった。


結局、これ以上店に迷惑はかけられないと判断したマリアとリリアによって、泥酔してぐでんぐでんになった達也は、両脇から抱えられるようにして宿へと引きずられていくことになった。リベルの賑やかな夜の喧騒が、達也の意識の底で遠ざかっていく…。

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