マリア視点(再)
アザリアの街門で、あの幼い(ように見える)少女――タツヤが、衛兵たちに「魔女の疑いあり」として連行されていく姿を、私はただ見送ることしかできなかった。傭兵ギルドの登録があるというだけで私は解放されたが、それはタツヤを見捨てることと同義だったかもしれない。私の言葉は、騎士たちには届かなかった。
(私の力が足りなかったばかりに…あの子を危険な目に…)
後悔と自己嫌悪が、鉛のように私の胸にのしかかる。タツヤは確かに奇妙な力(あの鉄の箱や、何もないところから物を取り出す能力)を持っていた。だが、彼女の瞳には、魔女が持つという邪悪さなど微塵も感じられなかった。むしろ、怯え、戸惑い、そして必死に生きようとしているように見えた。
アザリアの騎士団が、吸血鬼や魔女の持つ「特別な力」を血眼になって探しているという黒い噂は、私の耳にも入っていた。もしタツヤが、彼らの言う「魔女」として扱われ、その力を悪用されでもしたら…。考えるだけでぞっとする。
私はすぐに冒険者ギルドに駆け込み、馴染みの情報屋や元同僚たちにタツヤの件を話し、何とか助け出す手立てはないかと奔走した。しかし、領主や騎士団が絡んでいるとなれば、ギルドも表立っては動けない。無力感だけが募った。
タツヤのことが気掛かりで街の様子を探っていた矢先だった。偶然、街の乗り合い馬車の発着所で、フードを目深に被ったタツヤらしき少女が、慌てた様子でリベル行きの馬車に乗り込むのを見かけたのだ。
「タツヤ!?」
思わず叫び、駆け寄ろうとしたが、馬車は既に出発してしまっていた。彼女は…自力で脱出したのか? それとも、何か別の事情が?
私の中に、わずかな希望と、そして大きな疑問が湧き上がった。なぜ私から逃げるように? 私は決して彼女を敵視などしていなかったはずだ。一体、アザリアで何があったというのだろう?
迷っている暇はなかった。私もすぐに次のリベル行きの馬車に乗り込み、タツヤの後を追った。馬車に揺られながら、私はずっと考えていた。彼女に会って、まず何を言うべきか。アザリアでのことを謝るべきか。それとも、なぜ一人で? と問いただすべきか。分からない。ただ、彼女を一人にしてはおけない、という強い思いだけがあった。
***
リベルの街は、アザリアよりもずっと大きく、そして雑多な活気に満ちていた。様々な種族が入り乱れ、喧騒と熱気が渦巻いている。こんな人混みの中で、フードを被った小柄な少女一人を見つけ出すのは、干し草の山から針を探すようなものだった。
私は手当たり次第に、宿屋という宿屋に聞き込みをし、市場を歩き回り、時には裏通りの情報屋にもわずかな金を握らせてタツヤの情報を求めた。「金色の髪に、黒い瞳の、少し変わった身なりの少女を見なかったか?」と。しかし、得られるのは曖昧な目撃情報か、あるいは「そんな子供はいくらでもいる」という素気ない返事ばかり。
日は傾き、街は夕闇に包まれ始めていた。焦りと疲労で、足が棒のようだ。タツヤは一体どこへ…? あの子は、この広くて危険な街で、一人でどうしているのだろうか?
諦めかけて、人気の少ない倉庫街の路地裏に迷い込み、壁に寄りかかって一息つこうとした、その時だった。
私の視界の隅に、見慣れた――いや、見間違えるはずもない、白いシルエットが飛び込んできた。
「……!!」
路地裏の奥、少し開けた場所に、それはあった。あの奇妙な、しかし今は懐かしくさえ感じる、タツヤの「鉄の箱」――キャンピングカーだ! 間違いない!
「あった…! こんなところに…!」
喜びと安堵で、思わず声が漏れた。私は駆け寄り、キャンピングカーのドアに手をかけた。しかし、鍵がかかっているのか、開かない。窓から中を覗いてみるが、人の気配は感じられなかった。
(タツヤは…どこへ行ったんだ? でも、これがあるということは、必ずここに戻ってくるはずだ)
私はそう確信した。他に手がかりもない。私はキャンピングカーの裏側の物陰に身を潜め、ここでタツヤが戻ってくるのを、辛抱強く待つことに決めた。彼女に会って、まず謝りたい。そして、何があったのかを聞き、もし彼女が望むなら、今度こそ力になりたい。
月が昇り、夜風が冷たく頬を撫でる。私はただじっと、その時を待っていた。
タツヤを待つと決めたものの、夜は長く、そしてリベルの街外れの夜風は思った以上に冷たかった。私はキャンピングカーの裏側の物陰に身を潜め、ひたすら息を殺して待ち続けた。しかし、いつまで経ってもタツヤが戻ってくる気配はない。アザリアからの強行軍と、リベルでの捜索の疲労が、じわじわと私の意識を奪っていく。
(タツヤ…本当に、ここに戻ってくるのだろうか…)
不安と睡魔がせめぎ合う中、私はいつしか、冷たい壁に寄りかかったまま、深い眠りに落ちてしまっていた。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
ふと、微かな水の音で、私の意識は急速に覚醒した。
チャプ…シャワシャワ……。
それは、ただの水音ではない。どこかで聞き覚えのある、勢いよく水が流れ落ちるような音。そうだ、これは…アザリアの近くで、タツヤが使っていたあの奇妙な「水浴び」の音に似ている!
(まさか…!?)
私は跳ねるように立ち上がり、音のする方…キャンピングカーの表側へと、抜き足差し足で慎重に回り込んだ。
そして、息をのんだ。
月明かりと、キャンピングカーの窓から漏れるわずかな光に照らされて、湯気を立てながら水を浴びている少女の姿があった。間違いない、タツヤだ。彼女は気持ちよさそうに目を閉じ、流れ落ちるお湯に身を任せている。
(こんな時間に…一人で水浴びなんて…やはりあの子はどこか常識が…)
呆れと安堵が入り混じったような気持ちで彼女を見つめていた、その時。
タツヤがふと顔を上げ、月を見上げたのか、その顔が月光に照らし出された。
「―――っ!?」
私は自分の目を疑った。そして、全身の血が凍りつくような感覚に襲われた。
タツヤの瞳。以前見た時は、確かに東方の国では珍しいと言われる、深い黒曜石のような黒い瞳だったはずだ。しかし、今、月光の下でその瞳は、明らかに違う色をしていた。
それは、まるで燃えるような、血のように鮮やかな赤。
月光を反射して、妖しく、そしてどこか恐ろしいほどに美しく輝いている。
(な…なんだ、あの瞳は……!? あの時の達也とは、まるで別人じゃないか…! この、吸い込まれそうなほど深い赤…これは……まさか……!?)
私の脳裏に、古い伝承や、ギルドで囁かれる禁忌の噂がよぎる。人ならざる者、夜を支配する者、そして…血を糧とする者。
私は無意識のうちに、腰の剣の柄に手を伸ばしていた。全身の神経が警戒を告げている。目の前にいるのは、私が知っている「タツヤ」なのか? それとも、何かに成り代わられてしまったのか? あるいは、彼女自身が、私にも隠していた本性を現したというのか?
混乱と恐怖が私の心を支配しようとする。しかし、同時に、アザリアで見せた彼女の怯えた表情や、助けてくれた時の必死さ、そして私を追いかけてリベルまで来た(ように見えた)健気さが、私の判断を鈍らせる。
「…タツヤ…?」
私は、自分でも驚くほどか細く、震えた声で、彼女の名前を呼んだ。
シャワーの音にかき消されそうな、小さな声。しかし、タツヤはそれに気づいたようだった。彼女は驚いたように振り返り、その真っ赤な瞳が、はっきりと私を捉えた。
「マ…リア…!?」
驚きに見開かれた、間違いなくタツヤの声。しかし、その瞳は…。
(ああ…やはり、見間違いではない…)
私は、目の前の信じられない光景に、立ち尽くすしかなかった。
「タツヤ……あなた……その瞳の色……一体、どうしたというんだ…? なぜ、そんな……そんな、熟れた柘榴のように、真っ赤なルビーのような瞳になってしまったんだ…? それではまるで……まるで、本物の……」
言葉が、続かなかった。「吸血鬼」という言葉が、喉の奥でつかえて出てこない。
私が知っているタツヤは、どこへ行ってしまったのだろうか。目の前にいる、赤い瞳の少女は、本当に私が心配し、探し求めていたタツヤなのだろうか。
私の心は、深い苦悩と、言いようのない恐怖に包まれていた。




