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権力者

次に達也が目を覚ました時、すぐ目の前にあったのは、すやすやと穏やかな寝息を立てるリリアの顔だった。昨夜の騒動が嘘のように、その寝顔は幼く、無垢に見える。キャンピングカーの窓からは、アザリアとは違う、どこか異国の雰囲気を持つ建物の屋根や、活気のある朝の気配が差し込んでいる。ここはもう、自由都市リベルなのだ。


達也はリリアを起こさないように、そっと彼女の腕の中から抜け出そうとした。しかし、達也が身じろぎした気配で、リリアはゆっくりと目を開けた。赤い瞳が、まだ少し眠そうに達也を捉える。


「ん……おはよう……」

その声には、いつものようなからかう響きはなかった。むしろ、少しだけ気遣うような、穏やかな響きがある。


「……おはよう」達也も、少し戸惑いながら挨拶を返した。


リリアはゆっくりと体を起こし、寝癖のついた銀髪を手櫛で整えながら、達也の顔をじっと見た。そして、少しだけ躊躇うように口を開いた。

「…あのさ。昨日は、その……ごめんね。ちょっと、調子に乗りすぎたかも。シャワーの時とか…あと、変なこと言って、怖がらせちゃったみたいだし……」


意外な言葉だった。リリアが謝るなんて。達也は驚いてリリアの顔を見た。彼女は少しバツが悪そうな、照れたような表情で視線を逸らしている。


(こいつ…謝れるんだ…)

その事実は、達也のリリアに対する見方を少しだけ変えた。


「…いや、別に…。俺の方こそ、なんか、叫んだりして悪かった…」達也も、ぎこちなくではあるが、そう返した。


少しだけ、ほんの少しだけ、二人の間の張り詰めていた空気が和らいだ気がした。


リリアは「そっか」と小さく頷くと、気を取り直したように言った。

「それで、このリベルで、今日はどうする? 昨夜話してたみたいに、まずは商人としてやってみるための準備でもする?」

リリアは、昨夜達也が語った目標について、話を振ってきた。


達也は頷いた。以前アザリアで宿の女将にアドバイスをもらい、リリアの告白を聞いて、改めて考えたのだ。

「ああ。まずは、この街で少しお金を稼がないといけないからな。女将さんに教えてもらった商業ギルドってところにも行ってみたいし、その前に、このリベルの街のことももっと知りたい。物価とか、どこに何があるのかとか。…アンタは? 何か調べたいことがあるって言ってたけど」


リリアは少し遠い目をして、「そうだね。私も、ちょっと昔の知り合いの痕跡とか、そういうのをね…。まあ、それはそれとして、まずはお互い、この街での生活基盤を整えないとね」と言った。「宿はどうする? この『家』(キャンピングカー)は便利だけど、いつまでもって訳にもいかないだろうし」


「それもそうだな…」達也も頷く。「まずは安宿を探すか、それとも日銭を稼いでからにするか…」


キャンピングカーの中で一日の行動について相談した達也とリリアは、早速リベルの街へと繰り出した。キャンピングカーは人目につかない路地裏にアイテムボックスで隠し、達也は昨日買ったばかりの質素な旅装束、リリアもフードを目深に被り、できるだけ目立たないように気をつけながら。


自由都市リベルの街並みは、アザリアとは全く違っていた。道行く人々の活気もさることながら、その多様性に達也は目を見張った。人間だけでなく、尖った耳を持つエルフ、背の低い頑丈そうなドワーフ、獣の耳や尻尾を持つ亜人など、様々な種族が当たり前のように共存している。建物の様式も統一感がなく、新旧様々なデザインのものが混在し、良くも悪くも自由で、少し混沌としたエネルギーに満ちている。


「すごいな…本当に色んな奴がいる…」

「でしょ? ここはそういう街だから。良くも悪くも、ね」リリアが隣で呟く。


達也はスマホの翻訳アプリ(カメラ機能)を使いながら、店の看板や貼り紙を読み、市場を覗いて物価を確かめたり、人々の会話(これは不思議と日本語で聞こえる)に耳を傾けたりして、情報収集に努めた。リリアも時折、達也にこの街のルールや注意点を教えてくれる。


しばらく街を歩き回り、二人は目的の一つである商業ギルドの建物を見つけ出した。想像していたよりは立派な石造りの建物だ。緊張しながら中へ入ると、多くの商人らしき人々で賑わっていた。


達也は受付カウンターへ行き、少し背伸びをしながら「あの、商売を始めたいんですけど…」と告げた。受付の女性は達也の幼い姿に少し驚いた顔をしたが、特に詮索することなく、淡々と手続きについて説明してくれた。

「はいはい、新規の登録ですね。こちらの登録用紙にお名前と性別を記入して、登録料の銅貨50枚を添えて提出してください。簡単な審査の後、問題なければ仮の鑑札を発行しますよ」

女性は一枚の羊皮紙のような用紙と、インク壺、そして先が尖ったペン(羽根ペンではなく、葦か何かで作ったペンだろうか)をカウンターに置いた。


達也は用紙を受け取り、項目を見た。(名前…と、性別か。スマホの翻訳があれば読めるな)そう思い、ペンを手に取り、インクをつけて自分の名前を書こうとした。しかし…


「あ……」


手が止まる。そうだ、この世界の文字を読むことはできても、書いたことなんて一度もないのだ。見慣れない文字の形を、どうやって書けばいいのか全く分からない。見よう見まねで書けるようなものでもない。


(しまった…! 書けないんだった、俺!)

達也は内心で激しく焦った。どうしよう、ここで「書けません」なんて言ったら、それこそ怪しまれてしまう…。


達也がペンを持ったまま困って固まっていると、隣で一部始終を見ていたリリアが、やれやれといった風に小さなため息をついた。

「もう、仕方ないなぁ。見てられないよ。ほら、貸してごらん」

リリアは達也から用紙とペンを、なかばひったくるように受け取った。そして、「で? 名前はなんていうの? 性別は女の子で間違いないんだよね?」と小声で、しかし確認するように尋ねてきた。


「え? あ…ああ。名前はシバ・タツヤ。性別は…女で頼む」

達也が答えると、リリアは「ふーん、『タツヤ』ね。女の子なのに面白い名前」と小さく呟きながら、ペンにインクをつけ、達筆とは言えないまでも、この世界の文字を淀みなくスラスラと用紙に書き込んでいく。達也は、自分が全くできないことをリリアがいとも簡単にやってのけるのを見て、少し悔しいような、そして情けないような複雑な気持ちになった。


リリアが書き終えた用紙と、達也がアイテムボックスから出した銅貨50枚を受付に提出する。受付の女性は、リリアが代筆したことについて特に何も言わず(子供の代わりに保護者や付き添いが書くのは珍しくないのかもしれない)、「はい、確かに承りました。少々お待ちくださいね」とだけ言って、用紙を持って奥へと引っ込んだ。


(…結局、またこいつに助けられたのか…)

達也は、自分の不便さ、知らなさにもどかしさを感じながら、仮の商人鑑札が発行されるのを、リリアの隣で待つしかなかった。


ほどなくして受付の女性が戻ってきて、「はい、お待たせしました。こちらが仮商人鑑札です。正式な鑑札は後日発行されますので、また取りに来てくださいね」と、小さな木の札を達也に手渡した。これで達也は、形だけとはいえ、リベルで商売をするための第一歩を踏み出したことになる。


商業ギルドの建物の外へ出ると、達也は達成感よりも疲労感の方が大きかった。しかし、ここで立ち止まっているわけにもいかない。

「よし、次は…」達也は次の目的地を考えた。「冒険者ギルドってやつにも行ってみないか? アザリアで別れたマリアのこと、何か分かるかもしれないし、それに、ギルドなら色々な情報が集まってるんだろ?」


しかし、その言葉を聞いた瞬間、隣を歩いていたリリアの顔色が変わった。

「待って! 冒険者ギルドはやめておいた方がいい! 絶対に!」

リリアは達也の腕を掴み、真剣な、そして強い警告の色を目に浮かべて制止した。


「え? な、なんでだよ? リベルは自由な街なんだろ? アザリアみたいに、魔女だってだけで騒ぎになったりはしないんじゃないのか?」達也は少し混乱して聞き返した。


「確かに、リベルはアザリアみたいに、魔女や亜人だからってすぐに討伐隊が飛んでくるような野蛮な場所じゃないわ。そこは『自由都市』の看板に偽りはない」リリアは頷いた。「でもね、だからこそ厄介な危険もあるのよ」

彼女は周囲を素早く見回し、人気のない路地へ達也を少し引き込むと、声を潜めて説明した。

「冒険者ギルドの受付には、ほとんどの場合、『照会の水晶』っていう魔道具があるの 、あれに不用意に近づくと、その人の持っている特別な力とか、種族的な特性とか、おおよその素性が、ギルドの職員や、場合によってはその場にいる他の誰かに、かなり詳しく知られてしまうことがあるの」


「それが…どうしてダメなんだ? 別に悪いことしてるわけじゃ…」


「甘い!」リリアは達也の言葉を遮った。「もし、あなたが本当に希少な吸血鬼だったり、あんな家みたいな巨大な箱を仕舞える規格外のアイテムボックス(空間収納能力)持ちだってことが公になったらどうなると思う? この自由都市リベルにはね、表向きの自由の裏で、力や金を持つ大商人とか、没落したけど権力だけは手放さない貴族崩れとか、ギルドの上層部とか…そういう連中がたくさんいるのよ!」

リリアの声には、強い嫌悪感がこもっている。

「彼らはそういう『利用価値のある特別な力』を持つ人間を放っておかないわ。最初は良い条件で『協力』を求めてくるかもしれないけど、一度目をつけられたら最後。断ればあらゆる手を使って懐柔しようとしたり、場合によっては無理やりどこかに囲い込んだり、非合法な実験の研究対象にしようとしたり…! 結局、自由なんて完全になくなって、彼らの都合のいい道具にされるだけ。そんなの、アザリアで魔女狩りに遭うより、ある意味もっと惨めかもしれないわよ!」


「利用…される…自由がなくなる…」達也はその可能性に、討伐とは違う、じっとりと背筋を這い上がるような嫌な恐怖を感じた。自由を求めてきたはずのリベルで、能力がバレたが最後、別の形で自由を奪われるかもしれないのだ。


しかし、すぐに疑問が湧く。「でも、アンタは冒険者のカード、持ってたじゃないか! 休憩所で見せたやつ! あれはどうしたんだ? 水晶は大丈夫だったのか?」


達也の指摘に、リリアは一瞬バツが悪そうな顔をして視線を泳がせたが、すぐに悪戯っぽく笑って白状した。

「あー……あれね。うふふ」

彼女は声をさらに潜め、達也にだけ聞こえるように囁いた。

「あれはね、その……『とある筋』から特別に融通してもらった、すごーく巧妙に作られた偽造カードなんだよね。ちゃんと魔力も込められてて、並の照会の水晶なら鑑定をすり抜けられる特別製なの。普通の吸血鬼や、ましてや魔女なんて疑われてる人が、真正面から冒険者ギルドに登録するなんて、まず不可能だよ」


「ぎ、偽造カード!?」達也は呆れてリリアを見た。思った以上に裏のある少女だ(中身の年齢は知らないが)


「ま、そういうわけだから、冒険者ギルドには近づかないこと。いいね? あなたのその特別な力が公になったら、面倒でタチの悪い連中に目をつけられて、せっかく来たこのリベルでの自由が、あっという間になくなっちゃうかもしれないんだから」リリアは念を押すように言った。


(自由が…なくなる…)

達也はリリアの言葉を反芻し、冒険者ギルドへ行くという考えをきっぱりと捨てた。偽造カードのことには呆れたが、リリアのこの忠告は、今の自分にとって命綱になり得るほど重要だと理解できた。この自由都市には、自由ゆえの落とし穴があるのだ。

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