遅刻寸前
「ふ、普通じゃねえええええええええ!!!!!」
達也の絶叫が、静かな朝のキャンピングカーの中に響き渡った。リリアはそんな達也の反応を、腹を抱える勢いでケラケラと笑っている。達也は真っ赤な顔でリリアを睨みつけ、何か言い返そうとするが、羞恥心と怒りで言葉にならない。
そんな騒動の最中、ふと達也は窓の外の明るさに気づいた。太陽は既に結構高く昇っており、昨夜到着した時とは明らかに村の様子が違う。家々からは煙が立ち上り、鶏の鳴き声や、遠くで人の話し声も聞こえる。
(やばいっ! もう結構時間が経ってるんじゃないか!? あの御者、朝早くに出るって言ってたぞ!)
この世界には時計という便利なものはない。時間の感覚は、太陽の位置や人々の活動具合で判断するしかないのだ。達也は一気に血の気が引いた。
「うわっ! もうこんな時間か!? 馬車! 遅れる!」
達也はリリアとの(一方的な)言い争いを完全に中断し、ベッドから飛び起きた。顔を洗う時間も、寝癖を直す余裕もない。慌てて自分の寝床(リクライニングさせた運転席の毛布など)を適当に畳み、身支度(といっても服を着ているだけだが)を最低限整える。
「えー? もう行くのー? 朝ごはんとか食べないのー?」
リリアはまだベッドの上でくつろいだ様子で、のんびりと言っている。
「朝ごはん!? 食べてる時間なんてないだろ! アンタも早く準備しろ! 置いてかれても知らないぞ!」
達也はリリアを急かし、自分はキャンピングカーをアイテムボックスに収納する準備を始める(これもリリアの前では堂々とできないので、少し手間取る)。
リリアは「ちぇー」と少し不満そうな顔をしたが、達也の剣幕に押されたのか、あるいは自分も乗り遅れるのは困ると判断したのか、ようやくベッドから起き上がり、ゆっくりと(達也にはそう見えた)準備を始めた。
「ほら、行くぞ!」
なんとかキャンピングカーを収納し終えた達也は、まだ準備が終わらないリリアの手を半ば強引に引っ張り、馬車の発着場所へと小走りで向かった。
発着所に着くと、案の定、馬車はまさに出発しようとしているところだった。御者が手綱を握り、他の乗客は既に全員乗り込んでいる。
「おーい! 嬢ちゃんたち! 何やってたんだ! 置いてくところだったぞ! 早く乗った乗った!」
御者に少し怒鳴られながらも、二人はなんとか馬車に駆け込んだ。
「はぁ…はぁ…ま、間に合った…」
達也は息を切らせながら、空いている席を探そうとした。しかし、リリアはそんな達也を気にも留めず、さっさと昨日と同じ達也の隣の席にストンと座ってしまった。他の席もほとんど埋まっている。
(……やっぱりこうなるのかよ…)
達也は深いため息をつき、諦めてリリアの隣に腰を下ろした。
ガタン、と大きな音を立てて馬車は動き出す。達也は朝の衝撃的な出来事で心身ともに疲れ果て、隣に座るリリアへの警戒心と苛立ち、そして言いようのない疲労感を抱えたまま、再び街道の揺れに身を任せるしかなかった。リリアはそんな達也の様子を盗み見ては、隣で何食わぬ顔で鼻歌でも歌いそうな雰囲気を醸し出している。
波乱万丈の朝を経て、達也とリリアの奇妙な旅は、こうして再び始まったのだった。
馬車に揺られることしばし。達也は隣に座るリリアの存在を意識しないように努めていたが、朝の出来事(特にキス!)がフラッシュバックしてしまい、なかなか落ち着けない。しかし、このまま気まずい状態を続けていても仕方がないし、何よりこの吸血鬼少女から情報を引き出さなければ、今後の生存もおぼつかない。
(…くそっ、仕方ない)
達也は意を決し、隣のリリアに、ぎこちなく話しかけた。
「…なあ、リリア。さっきは…その、悪かった。ちょっと、取り乱して…」
リリアは窓の外を見ていたが、達也の声にゆっくりと顔を向け、赤い瞳を少し丸くした。そして、すぐにニッと悪戯っぽく笑う。
「ん? なあに? やっと私とまともに話す気になった? それとも、朝の『おはようのキス』のお礼?」
「ち、違うわ!///」達也は反射的に顔を赤くして否定する。「そうじゃなくて…えっと…リベルのこととか、もう少し聞きたいなって…」
「なーんだ、つまんないの」リリアは少し口を尖らせたが、「まあ、いいけど。リベルはねー、アザリアとは全然雰囲気が違うよ。もっと自由で、ごちゃごちゃしてて、色んな種族が…」
リリアがリベルの街について話し始めた、その時だった。馬車が街道を走り始めてから、二時間ほど経った頃だろうか。近くの席に座っていた商人風の男二人組が、ひそひそと交わす会話が、達也とリリアの耳にも届いてきた。
「おい、聞いたか? 昨日アザリアの街門で、魔女が出たっていう噂だぜ」
「ああ、聞いた聞いた! なんでも、鉄でできた奇妙な箱を操る、幼い娘だったとか…」
「―――っ!!」
達也はその会話に、全身の血の気が引くのを感じた。間違いない、自分たちのことだ。アザリアを出てまだ半日も経っていないのに、もうこんなところにまで噂が広まっているのか!?
隣のリリアもその会話に気づき、ピクリと眉をひそめた。
商人たちの噂話は続く。
「衛兵たちが血眼になって、その魔女とやらを探してるらしいな」
「しかし、妙な話だよな。ここ何十年も、魔女が表立って何か悪さをしたなんて話は聞かないのに…」
「ああ。それなのに、アザリアの騎士団やら領主様やらが、なんで今回に限って、そんなに必死になって魔女を探してるんだ? まるで、何か別の目的でもあるみたいじゃないか…」
「だよなぁ。もしかしたら、『魔女が出た』なんてのは口実で、何か他のヤバいことでも隠してるんじゃないのかねぇ…」
その不穏な会話の内容に、達也は背筋が凍る思いだった。ただの魔女狩りではない? 何か別の理由があって、自分は追われている(かもしれない)?
達也は不安げな表情で、隣のリリアを見た。リリアもまた、その赤い瞳に何かを考え込むような、あるいは達也の様子を探るような複雑な色を浮かべて、達也を見返していた。
なぜアザリア政府は、そこまでして「魔女(達也)」を探しているのか?
ただの偶然か、それとも達也の持つ何か(アイテムボックス? キャンピングカー? あるいは達也自身?)に、彼らが気づいているというのか?
馬車の中の空気は、再び重く、不穏なものへと変わっていた。




