モンスターがいなくても
地面にへたり込んだまま動けない達也を尻目に、マリアは素振りを終え、剣を鞘に納めた。そして、丘の上から街道の方角を眺め、今日の天候を確認する。空は雲一つなく晴れ渡り、昨日までの雨が嘘のように空気は澄んでいる。風もほとんどない、絶好の旅日和と言えた。
「よし、タツヤ。いつまでも寝ているな。出発するぞ」
マリアは達也に声をかけ、先にキャンピングカーへと向かった。達也は全身の筋肉痛(特に腕!)と疲労感、そして未だに残る気まずさを感じながら、のろのろと立ち上がり、マリアの後を追った。
車内に戻り、達也は運転席に座る。シートに置いたクッションの位置を調整し、ハンドルを握る手に力を込めた。(…行くしかないか、アザリア)
マリアは既に助手席に座り、窓の外に鋭い視線を向けていた。その姿は完全に「護衛モード」に入っている。
「準備はいいか?」マリアが短く尋ねる。
「…ああ」達也は頷き、エンジンをかけた。安定したエンジン音が響き、サブバッテリーも満タンに近い。ホワイトガソリンもまだ余裕があるはずだ。
達也はコンパスで北東の方角を再確認し、ゆっくりとキャンピングカーを発進させ、丘を下って再び街道へと合流した。
「今日は天気が良いな」
街道を走り始めてすぐ、マリアがぽつりと呟いた。
「ああ、そうだな。昨日とは大違いだ」達也も同意する。
すると、マリアは少し表情を引き締め、達也に忠告するように言った。
「こういう日は、気を引き締める必要がある」
「え? なんでだ? 天気が良い方が旅しやすいだろ?」達也はきょとんとして聞き返した。
「馬鹿者。天気が良く、風もない日は、盗賊どもが活動しやすい日でもあるんだ」マリアは呆れたように言った。「雨や強風の日は奴らも身を潜めていることが多いが、今日のような日は絶好の稼ぎ時だからな。街道沿いの森や岩陰に潜んで、獲物を待っている可能性が高い」
「と、盗賊!?」達也の背筋に、新たな緊張が走った。魔物だけでなく、人間による危険もあるのか。
「ああ。特に、君のその奇妙で目立つ『車』は、奴らにとっては格好の標的に見えるだろう。金目の物を積んでいると思われても不思議はない」マリアは厳しい目で前方を見据えながら言った。「私がいるからには簡単に襲わせはしないが、君も油断するな。常に周囲に気を配り、何か異変があればすぐに私に知らせろ。いいな?」
「わ、分かった…」
達也はゴクリと唾を飲み込み、ハンドルを握る手にさらに力を込めた。快適なドライブとは程遠い、新たな脅威への警戒。晴れ渡った青空とは裏腹に、達也の心には暗い影が差し始めていた。
揺れは相変わらずひどいが、キャンピングカーは街道を北へ向かう。盗賊の影に怯えつつ、達也とマリアの奇妙なアザリアへの旅は、こうして本格的に始まったのだった。
盗賊への警戒を続けながら、達也とマリアを乗せたキャンピングカーは街道を北へ進んでいた。マリアからアザリアの街について聞いてから、おそらく数日が経過していただろうか。街道沿いの景色も少しずつ変わり始め、時折、遠くに畑や小さな集落らしきものが見えるようになってきた。アザリアの街が近いことを示しているのかもしれない。達也の運転も、マリアの厳しい(?)指導の甲斐あってか、あるいは単に慣れか、以前よりは多少スムーズになっていた。
「この辺りまで来れば、アザリアまであと半日といったところか…」マリアが前方の丘を指さしながら言った。「あの丘を越えれば、街の尖塔が見えてくるはずだ」
「やっと着くのか…長かったな」達也は安堵の息をつき、少しだけアクセルを緩めた。
その時だった。丘の頂上に差し掛かり、前方が開けた瞬間、二人は信じられない光景を目にする。
街道の少し先、開けた場所で、一台の質素な幌馬車が数人の薄汚れた身なりの男たちに取り囲まれていた。男たちは剣や斧を手に持ち、馬車の御者台にいる商人風の男と、荷台で怯える女性と子供に向かって脅しつけている。盗賊だ!
「ちっ! やはり出たか!」マリアが舌打ちし、腰の剣の柄に手をかける。
達也も一瞬、恐怖で体が竦んだ。だが、怯える女性と子供の姿を見て、ここで見過ごすわけにはいかないと思った。マリアが飛び出す前に、達也は咄嗟に行動を起こした。
(これならどうだ!?)
達也はキャンピングカーのハンドル中央にある、クラクションのマークを思い切り手のひらで叩いた!
プァァァァーーーーーーーーン!!!
静かな草原に、けたたましく、そして異世界の人々にとっては聞いたこともないであろう、金属的で大音量の警告音が鳴り響いた!
突然の轟音に、馬車を取り囲んでいた盗賊たちはもちろん、襲われていた商人一家、そして馬までもが一斉にビクッと体を震わせ、音の発生源である奇妙な箱――キャンピングカー――に注目した。盗賊たちの動きが一瞬止まる。
「今だ!タツヤ、援護しろ! 車はここに停めておけ!」
その隙を逃さず、マリアは助手席のドアを蹴るように開けて飛び出した。抜き放った剣が朝日にキラリと光る。達也は言われた通りにキャンピングカーを急停止させ、ハザードランプを点滅させた(これも異世界では威嚇になるかもしれない)。
マリアは手練れの傭兵だ。あっという間に盗賊の一人に斬りかかり、その鋭い剣閃で相手の体勢を崩す。他の盗賊たちが慌ててマリアに応戦しようとするが、達也が断続的に鳴らすクラクションの異様な音と、見たこともないキャンピングカーの存在が彼らの動揺を誘い、連携を乱しているようだった。
「な、なんだあの箱は!? あの音は!?」
「くそっ、傭兵か! 面倒な!」
マリアは一人で数人の盗賊を相手にしながらも、巧みな剣さばきで致命傷を避け、確実に相手を牽制していく。馬車の商人も、震えながらも護身用の棍棒か何かで必死に応戦している。
しばらくの間、マリアの剣戟の音と、盗賊たちの怒声、そしてキャンピングカーの断続的なクラクションが入り混じる、奇妙な攻防戦が続いた。
(マリア、強いけど、さすがに数が…! このままじゃ!)
達也がクラクションを鳴らしながらも、焦りを感じ始めたその時だった。
パカラッ、パカラッ!
街道のアザリア方面から、複数の馬の蹄の音が急速に近づいてくる。そして、丘の上に姿を現したのは、揃いの軽鎧に身を包み、槍や剣を携えた数騎の騎馬武者たちだった。胸にはアザリアの紋章らしきものが刻まれている。アザリアの騎士団(あるいは都市衛兵)だ!
「何事だ! 街道で騒ぎを起こす者は誰か! 盗賊か!」
隊長らしき騎士が鋭い声を張り上げる。
その声と、武装した騎士たちの姿を見て、盗賊たちの顔色が変わった。
「ちっ、衛兵だ! ずらかるぞ!」
リーダー格の男が叫ぶと、盗賊たちは蜘蛛の子を散らすように、街道脇の茂みや森へと逃げていった。
騎士たちは深追いはせず、馬車の商人一家の無事を確認し、そして、剣を納めて佇むマリアと、異様な音(今は鳴り止んでいる)を発していた奇妙な金属の箱、そしてその運転席に座る少女(達也)に、怪訝そうな視線を向けた。
「…そこの者たち、一体何があったのだ? そして、その奇妙な乗り物は…?」
盗賊は追い払ったものの、今度は騎士たちへの対応という、新たな問題が達也とマリアの前に立ちふさがった。




