またまた一息
時速40km近くで街道を進むキャンピングカー。しかし、その代償である激しい揺れは、達也とマリアの双方に大きな負担を与えていた。
「くそっ、これじゃハンドル取られる…! まともに運転できん!」
達也は悲鳴に近い声を上げながら、速度を時速20km程度まで落とした。揺れはいくぶんマシになったが、それでも車内はガタゴトと揺れ続け、快適とは程遠い。アザリアまでの道のりが果てしなく遠く感じられた。
しばらくそんな状態で進んでいると、助手席のマリアが少し青い顔で口を開いた。
「タツヤ、すまないが…少し、休憩させてくれないか。この揺れは、思った以上に体にこたえる。それに、私の体調もまだ万全ではないようだ」
彼女の声には、確かな疲労の色が滲んでいた。達也自身も、慣れない運転と揺れでかなり疲弊していたため、その提案に異論はなかった。
「ああ、そうだな。ちょうどいい場所を探して停めよう」
達也は街道から少し外れた、小高い丘の上にある平らな場所を見つけ、そこにキャンピングカーを停めた。エンジンを止めると、ようやく車内は静寂を取り戻す。ネット接続も再び切れた。
「ふう…」達也は大きく息をつき、運転席のシートに深くもたれかかった。「休憩ついでに、何か軽いものでも作るか。さっきのカップラーメンだけじゃ足りないだろ?」
マリアは少し驚いた顔をしたが、「…もらえるなら、ありがたい」と素直に頷いた。
達也は再び後部の収納からカセットコンロを取り出し、今度はフライパンを用意した。そして、アイテムボックスから取り出したのは、ホットケーキミックスの袋、卵(割れないようにケースに入れてあった)、そして牛乳(これも通販で買った長期保存可能なもの)。
マリアは、達也がまた見慣れない材料(特に白い粉)を取り出して何かを始めたのを、興味津々に見守っている。達也はボウルにホットケーキミックスと卵、牛乳を入れて手際よくかき混ぜ、生地を作った。
「今度は何を作る気だ? またあの奇妙な保存食か?」
「まあ、似たようなもんかな。甘いけどな」
達也はそう答えながら、カセットコンロでフライパンを熱し、油を薄く引く。そして、お玉で生地をすくい、フライパンの上に丸く流し込んだ。ジューッという音と共に、甘い香りが車内にふわりと漂い始める。
プツプツと気泡が出てきたら、達也はフライ返しで器用にホットケーキをひっくり返す。見事なきつね色の焼き色がついている。マリアは「おお…」と小さく感嘆の声を漏らした。
数分後、ふっくらと焼きあがったホットケーキが数枚、皿の上に重ねられた。達也は仕上げに、通販で入手したメープルシロップのボトルを取り出し、ホットケーキの上にとろりとかける。
「ほらよ、ホットケーキだ。これも熱いから気をつけろ」
達也は皿とフォークをマリアに手渡した。
マリアは、黄金色のシロップがかかった、見たこともないふわふわの円盤を、不思議そうに眺めている。甘い香りに誘われるように、フォークで小さく切り分け、おそるおそる口に運んだ。
「……っ!?」
次の瞬間、マリアの目が、カップラーメンの時以上に大きく見開かれた。
「んんっ…!? あ、甘い! そして、なんだこの…雲のように軽い食感は!? 口の中で溶けるようだ…! この黄金色の蜜も、濃厚な甘さで…美味い!」
マリアは再び目を輝かせ、夢中でホットケーキを食べ進める。傭兵とは思えない、無邪気な喜びようだ。
「君は…その、『かっぷらーめん』とやらもそうだったが、料理も得意なのか? それとも、これも君の一族の…『きぎょうひみつ』とやらか?」
ホットケーキを頬張りながら、マリアは純粋な好奇心(と、わずかな疑念)の目で達也に尋ねた。
「まあ、料理は嫌いじゃないだけだ」達也は少し照れたように答え、自分用のホットケーキを焼き始めた。
甘い香りと、マリアの嬉しそうな(そして少し探るような)視線。休憩時間の思いつきで作ったホットケーキは、またしても二人の間に奇妙な空気と、新たな問いを生み出していた。
美味しいホットケーキで満たされ、しばしの休息を取った二人。達也はふと、キャンピングカーのサブバッテリーの残量計に目をやった。先ほどまで街道を走っていたおかげか、走行充電が効いたようで、メーターの針は満タンに近い位置を指している。
「お、結構充電できたな」
これで、エンジンを止めてもある程度の時間は照明や他の電装品が使えそうだ。
窓の外を見ると、日は既に西の地平線に傾きかけており、空は茜色と濃紺のグラデーションに染まり始めていた。雨は完全に上がっているが、空気はひんやりとしている。
「なあ、マリア」達也は後部座席のマリアに声をかけた。「もう結構暗くなってきたし、この車の調子もまだ完全に信用できるわけじゃない。それに、俺の運転じゃ夜の街道は危ないだろうし…今日はもう、この辺りで野営にしないか?」
マリアも窓の外に視線を移し、空の色を見て頷いた。
「そうだな。街道からは少し外れているが、ここは小高い丘の上で見晴らしも悪くない。夜間の襲撃にも気づきやすいだろう。ここで夜を明かすのが賢明だ」
そして、傭兵らしく付け加えた。
「見張りは交代でやるか? それとも、君のその…カラクリ箱は、夜でも安全なのか?」
「ああ、まあ、中にいれば大丈夫だと思うが…」達也は曖昧に答えつつ、
ノートパソコンを開く、マリアの話を聞きながら、達也はノートパソコンのメモ帳機能にキーワードを打ち込んでいた。アザリア。職人ギルド。冒険者ギルド。治安。危険。これから向かう街の具体的な情報が得られたことは大きな収穫だった。(ついでにアザリアへの正確なルートをネットで検索してみたが、当然ながら、この異世界の詳細な地図データなど存在するはずもなく、表示されたのは元の世界の一般的な地形図のようなものだけで、ほとんど役には立たなかった。)同時に、その街で自分がどう立ち回るべきか、気を引き締めなければならないことも理解した。
外はすっかり闇に包まれ、窓の外は漆黒だ。雨上がりのためか、虫の声もあまり聞こえない。達也は、「さて、そろそろ本格的に休む準備をするか。この手持ちのランタンは、バッテリー節約のために消しておくか」と言って、テーブルの上に置いていたポータブルLEDランタンのスイッチを切った。
しかし、車内が暗闇に包まれることはなかった。キャンピングカーにもともと備え付けられている天井のLED照明が、室内を十分に明るく照らしている。走行充電でサブバッテリーが回復したおかげで、電力にはまだ余裕がありそうだ。マリアはこの車内の明るさにも、内心では驚いているのかもしれないが、もはやいちいち反応するのも疲れたのかもしれない。
「それで、見張りはどうする?交代で行うか?」明るい車内で、マリアが達也に尋ねた。
達也は少し考えた。マリアはまだ本調子ではないだろうし、このキャンピングカーの中は、おそらく外の魔物に対してはかなり安全なはずだ。アイテムボックス持ちだと半ばバレている手前、下手にマリアに警戒心を煽るよりは、安心させた方が得策かもしれない。
「いや…」達也は答えた。「この車の中にいれば、多分、魔物の心配はないと思う。アンタも今日は疲れただろうし、しっかり休んだ方がいい。見張りは…まあ、俺が起きている間はしておくよ。何かあったらすぐに起こすからさ」
それを聞いて、マリアは少し意外そうな顔をしたが、特に反論はせず
「…そうか。なら、言葉に甘えさせてもらおう」
マリアはそう言うと、ベッドに体を横たえる準備を始めた。
達也はキャンピングカーのエンジンを切り、車内はしんとした静寂に包まれた。先ほどまでのエンジン音はなくなり、今は壁際からコォォ…と静かな音を立てて温かい空気を送り出すFFヒーター(燃料式暖房)の作動音と、マリアの衣擦れの音だけが聞こえる。室内灯はサブバッテリーからの電力で明るく灯っている。(サブバッテリーの残量は走行充電でかなり回復したが、無駄遣いは禁物だな…)達也はそう思いながら、運転席でノートパソコンに向き直った。
明るい室内灯の下、彼がカタカタとキーボードを叩いて開いていたのは、シンプルなテキストエディタの画面だった。(エンジンを切っているので、例の不思議なネット接続はもちろん使えない)。達也は今日一日…いや、この異世界に飛ばされてからの目まぐるしい出来事を、記憶が新しいうちに記録し、整理しようとしていたのだ。
(マリアとの遭遇、傭兵、アザリア、街道、エンストの原因は結局ガス欠?、ホワイトガソリン、アイテムボックス疑惑、魔術師疑惑…そして、TS転生。情報量が多すぎる…)
頭の中を整理するように、キーワードを打ち込み、起こった出来事の時系列、マリアから得た断片的な情報、そして自分の持つ秘密(アイテムボックス、通販、異世界人、元男性であること)について、忘れないように書き留めていく。
特に、マリアにアイテムボックス持ちだと確信されたこと、そして「貴族に狙われる」という彼女の警告は、達也の心に重くのしかかっていた。
(これからどうする? マリアの提案通り、アザリアへ行くのが一番現実的か? でも、あの街も治安が良いとは言えないらしいし、俺のこの力は隠し通せるのか…? マリアは信用できるのか…?)
カタカタ、カタカタ…。キーボードを叩く音と、FFヒーターの静かな作動音だけが、明るく暖かい車内に響く。マリアが完全に寝息を立て始めたのを横目に、達也は自分の状況を客観視し、今後の道筋を考えようと、ひたすら思考と記録を続けていた。異世界の夜は、現代の利器を使って孤独な自己対話を試みる少年の、静かな葛藤と共に更けていく。




