指示されるの苦手かも
少女の体での運転は、想像以上に困難だった。アクセルやブレーキの感覚も、視界も、ハンドルの重さも、全てがしっくりこない。これでアザリアまで無事にたどり着けるだろうか? 達也の心に、大きな不安がよぎる。
(…くそっ、一人じゃキツいか、やっぱり…)
マリアの提案――護衛と報酬――が、先ほどよりもずっと魅力的に思えてきた。背に腹は代えられない。達也は小さく舌打ちし(マリアには聞こえないように)、観念したように息をついた。
「…分かったよ」
達也はぶっきらぼうに言った。
「アンタの提案、受け入れる。アザリアまで、だろ? この車で連れて行ってやる。その代わり、護衛はしっかりやってもらうぞ。報酬も、きっちり払ってもらうからな」
達也の返答に、マリアは少しだけ目を丸くしたが、すぐに傭兵らしい顔つきに戻って頷いた。
「契約成立だな。約束は守る。それで、いつ出発するんだ?」
「すぐだ。まずは方角を確かめないと…」
達也はそう言うと、マリアに不審がられないようにこっそりと意識を集中させ、異世界通販を開いた。「方位磁石…コンパス…あった」
手頃な値段(1,500円)の、登山用オイル式コンパスを購入し、アイテムボックスから取り出す。手のひらに収まる、見慣れた道具だ。
「よし、じゃあ行くぞ」達也は運転席に座り直し、シートに通販でついでに買ったクッションを置いて、少しでも運転しやすくなるように調整した。「マリア、アンタは助手席に乗ってくれ。道中は周囲の見張りを頼む。アザリアは北東だったな?」
「ああ、そうだ」マリアは頷き、助手席に移りこんできた。その際にチラリと達也の手元にあるコンパスを見たが、それが何なのかは分からないようだった。彼女はシートに座ると、すぐに窓の外に鋭い視線を向け、警戒態勢に入った。
達也はコンパスで北東の方角を確認し、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
ブロロロ…
キャンピングカーは、再び草原の上を走り始める。
やはり運転はしづらい。草原は平坦に見えても意外と起伏があり、ぬかるんでいる場所もある。達也はハンドルにしがみつくようにして、慎重に車を進めた。速度はほとんど歩くのと変わらないくらいだ。
「おい、タツヤ、右前方に大きな岩があるぞ、避けろ」
「そこの窪み、水が溜まっている。浅そうだが念のため迂回した方がいい」
助手席のマリアが、的確に指示を出してくる。傭兵としての経験が、地形の把握や危険予測に役立っているようだ。達也は内心で舌打ちしつつも、その指示に従ってハンドルを切る。
ぎこちない運転を続けていると、いつの間にか、あれほど強く降っていた雨が上がっていた。厚い雲の切れ間から、久しぶりに太陽の光が差し込み、濡れた草原をキラキラと輝かせる。視界が一気に開け、広大な草原のパノラマが広がった。
雨上がりの澄んだ空気の中、小さなキャンピングカーは、不安定な運転の少女と、腕利きの(しかし同乗者を怪しんでいる)傭兵を乗せて、未知の目的地アザリアへと向かう、奇妙な旅を始めたのだった。
雨上がりの草原を、キャンピングカーはゆっくりと進んでいく。達也はハンドルにしがみつき、慣れない運転に悪戦苦闘していた。助手席のマリアは黙って前方を注視し、時折「右に寄れ」「少し速度を落とせ」と短い指示を出すだけだ。
エンジン音と、ぬかるんだ地面をタイヤが進む音。そして、マリアの低い声。それだけが響く車内は、正直言ってかなり気まずく、そして単調だった。
(なんか…気まずいな。それに、静かすぎて逆に落ち着かない…)
達也は気分転換と、この重苦しい雰囲気を少しでも変えたいという思いから、あることを思いついた。異世界に来る前、長距離ドライブ用にSDカードにお気に入りの音楽データを大量に入れてあったはずだ。
運転に支障が出ないように気をつけながら、達也はダッシュボードに設置されたカーナビの画面に手を伸ばし、タッチパネルを操作し始めた。
「おい、タツヤ。何をやってるんだ? 前を見て運転しろ、危ないぞ」
助手席から、すぐにマリアの咎めるような声が飛んできた。
「わかってるよ。ちょっと気分転換だ」
達也は短く答え、オーディオ機能のメニューを開き、保存されている音楽データのリストから、アップテンポで明るい雰囲気のJ-POPのプレイリストを選択した。そして、再生ボタンをタップする。
次の瞬間。
♪~~~!
キャンピングカーのドアや天井付近に埋め込まれたスピーカーから、クリアで迫力のある音楽が突然流れ出した! 女性ボーカルの明るい歌声、軽快なドラムのリズム、キラキラしたシンセサイザーの音色。
「なっ…!?!?」
助手席のマリアが、文字通り飛び上がらんばかりに驚いた。体を硬直させ、目を白黒させながら、キョロキョロと車内を見回している。
「な、なんだ!? この音は!? どこから聞こえてくるのだ!? 壁の中から声が…!? 幻聴か!? それとも何かの魔術か!?」
マリアは完全にパニックを起こしていた。無理もない。彼女の世界の「音楽」といえば、吟遊詩人がリュートを奏でて歌うものや、祭りでの笛や太鼓の音くらいだろう。こんな風に、どこからともなく大音量で、しかも様々な楽器の音が複雑に絡み合ったクリアな音(しかも歌声入り)が響き渡るなど、想像もつかない現象のはずだ。
達也はマリアのあまりの驚きぶりに、少し面白くなりながら(そして、しまった、やりすぎたか、とも思いながら)説明した。
「ああ、落ち着けって。これは『音楽』だよ。気分転換にちょうどいいだろ?」
「おんがく…? これが? 詩人が歌うのとは全く違うではないか! まるで…まるでたくさんの楽器と歌い手が、この箱の中に同時にいるかのようだ!」マリアはスピーカーのある方を指さしながら叫ぶ。「それに、なぜ壁の中から音が…!?」
「ああ、それは『スピーカー』っていう仕組みでな…」と言いかけて、達也は口をつぐんだ。説明できるわけがない。「まあ、そういうもんだと納得してくれ。悪いもんじゃないだろ?」
マリアはまだ混乱と興奮が収まらない様子で、音楽が流れてくるスピーカーと達也を交互に見ている。しかし、しばらく音楽を聞いているうちに、その表情に変化が見られ始めた。最初は警戒と困惑だけだったのが、次第に未知のメロディーやリズムに対する好奇心のようなものが浮かび上がってくる。アップテンポな曲の、明るく楽しい雰囲気に、無意識のうちに心が惹きつけられているのかもしれない。
「……不思議だ」マリアはぽつりと呟いた。「こんな音は初めて聞くが…なんだか、気分が高揚するような…妙な感覚だ」
車内の雰囲気は、音楽が流れ始めたことで一変した。気まずい沈黙は消え、代わりに現代日本のポップミュージックが鳴り響いている。それは異世界の草原にはあまりにもミスマッチだったが、マリアの心に何らかの変化をもたらしたようだった。そして同時に、達也に対する疑念――やはりこいつは普通じゃない、何か特別な力を持っている――を、さらに深めることにもなっただろうが。
カーナビから流れる現代日本のポップミュージック。それをBGMに、達也は方位磁石が示す北東へ向けて、ひたすらキャンピングカーを走らせた。運転のしづらさにはまだ慣れないが、少しずつコツを掴み始めてはいた。助手席のマリアは、時折音楽に耳を傾けながらも、傭兵としての役目を忘れず、鋭い視線で周囲を警戒し続けている。
単調な草原の景色が続くかと思われたが、しばらく進むうちに、草の丈が低くなり、地面が固く締まっている場所が増えてきた。そして、遠くに轍のような筋が見え始める。
「おい、タツヤ!」不意にマリアが声を上げ、前方を指さした。「あれを見ろ! 道だ!」
マリアが指す方向には、これまでの獣道とは明らかに違う、比較的幅の広い土の道が地平線に向かって伸びていた。マリアが言っていた南北に走る主要街道に違いない。
「よし…!」
達也は慎重にハンドルを操作し、キャンピングカーを街道に乗せた。踏み固められた土の道は、草原と比べると格段に走りやすい。
「これなら、もう少しスピードを出せるな」
達也は少しアクセルを踏み込んだ。エンジンの回転数が上がり、キャンピングカーはぐんぐんと速度を上げていく。メーターを見ると、時速40km近く出ていた。さっきまでノロノロと進んでいたのが嘘のようなスピード感だ。
しかし、速度が上がったことで、新たな問題が発生した。
ガタガタッ! ゴトゴトッ! グラグラッ!
「うおっ、すげえ揺れる!」
街道といっても、現代の舗装された道路ではない。表面はデコボコで、石もたくさん転がっている。速度を上げたことで、その凹凸をダイレクトに拾い、車体は上下左右に激しく揺さぶられた。まるで嵐の中の小舟のようだ。
「な、なんだこの速さは!? 私が乗ったどの馬車よりも速いぞ!」助手席のマリアも、これまでに経験したことのない速度と激しい揺れに、体を強張らせて叫んだ。「し、しかし、揺れがひどい…! 内臓が飛び出そうだ!」
彼女は必死に座席の端にしがみついている。それでも、流れ続ける未知の「おんがく」と相まって、その表情には驚きと興奮、そして少しの不安が入り混じっていた。
達也もハンドルをしっかりと握りしめ、揺れと格闘しながら運転を続ける。視線は前方へ向けつつも、内心では(これでアザリアまで持つのか…?)と新たな不安を感じていた。
それでも、街道に出たことで目的地への道筋は明確になった。揺れる車内で、現代音楽を鳴らしながら、達也とマリアを乗せた奇妙なキャンピングカーは、一路、北のアザリアを目指して土煙を上げて進み始めた。




