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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

マスクの下は

作者: 扇鈴千鶴

 SNSで知り合った男と今日、初めて逢う。

 名前は恭介さん。

 アニメとフィギュアが好きという共通の話題で盛り上がり、お互い情報交換したり、感想を言い合ったりして、仲良くなった。


 一週間前、恭介さんの方から今度逢わないかと誘われて、逢う事になった。

 待ち合わせ場所で顔がわかるようにと、お互い写メで自分の顔を送った。


 恭介さんが送ってくれた写メは、茶髪に染めたお洒落に気を使っている感じの、カッコイイ雰囲気だった。


『だった』と言うのは、彼の顔が大きなマスクで隠されていたから。

 でも唯一見える目元は、きちんと手入れされた眉毛にきりっとしていて、それだけでカッコイイと思わせた。


 まあもしマスクの下がブサイクでも、私は恭介さんと友人として付き合うつもりだったし、構わなかった。


 指定された場所で待っていると、


「ごめん、待った?」


 男のその声は甘くて、自分の大好きな声優とそっくりでドキッとした。

 声がした方に振り向けば、写メで見た恭介さんがいた。だが、その顔はやっぱりマスクで隠されている。


「あ、ううん全然。いま来たとこ」


 彼の問いに返事をしたら、


「よかった。少し遅れちゃったから、待たせちゃったかと思った」


 そう言って瞳を笑ませた。


 やばい……この声はやばい……ドキドキする……。


「行こうか」


「あ、うん」


 彼と並んで歩き出す。


「今日もマスクしているんですね。花粉症ですか?」


 恭介さんと歩きながら、話をする。


「ああ、花粉症じゃないよ。三年前に事故で顔に大きな傷が残ってね、目立つからマスクしているんだ」


「あ、そうだったんですか……すみません、嫌な事を聞いちゃって」


「いやいや、気にしないで。よく聞かれるから」


 瞳を細めた事で、笑ってくれているとわかる。

 ああでもマスクが無かったら、その甘い声が籠もらずにクリアに聞こえるのになぁ。


「あの思ったんですけど、恭介さんの声って声優の杜氏真人(とうじまさと)さんの声に、そっくりですよね」


 杜氏真人はいま大人気の声優だ。いま放送しているアニメ番組では、主役、準レギュラーと合わせて4つもやっている売れっ子声優。


「そうだね。自分ではわからないけど、色んな人に言われるよ」


 だからね……と恭介さんが区切って、


「真理子ちゃん、その声優好きだって聞いてたし、実際に逢った時にびっくりさせようと思ったんだ」


 そう言って、ふふっと笑った。


 彼が話す度、まるで杜氏真人さんと話しているみたいで、嬉しくて緊張する。


「もう、さっきからドキドキしっぱなしですよ」


「そう? だったらびっくり大成功だ」


 そう明るく話す彼を見て、私は笑った。


 恭介さんと話していると、前から自転車が来て「危ないよ」と、彼が私の肩を抱いて、自分の横に避難させる。


 そうして「大丈夫?」と私を気遣ってくれた。


「……平気です、ありがとうございます」


 私は赤くなりながら、答えた。


SNSで話していた時も気遣いの出来る人だと思ったけど、こういうのを自然にやってのける人はなかなかいないだろう。


 やがて目的地に着いた。

 今日は、アニメグッズの専門店で有名な所に、行く事にしていた。


 お店に着いてからも彼は、さらりと気遣いをして見せた。


 高い場所にある物を取ってくれるのはもちろん、棚に無い商品の在庫を聞いてくれたり、欲しい物を探し出せない私にすぐ探し出してくれたり、テキパキと行動に移してやってくれる。


 お店に来ていた何人ものお客さんが「あの人の声、杜氏真人にそっくり!」と、恭介さんの事をチラチラ見て目立って恥ずかしかったけど、そんな彼といるのは私なんだ、という嬉しさの方が勝った。


 お店を出て、そろそろお腹が空いてきた私は、マスクをしている恭介さんとどうするか話す。


「やっぱり、マスク外すのは嫌ですか?」


「そうだね。かなり酷い傷だから、人に見られたくないんだ」


 そう言って、恭介さんはマスクを触る。

 余程酷い傷跡なんだろう。一緒にアニメグッズを見て回ってる最中も、ズレてしまってないか心配するように、何度も彼はマスクに触れていた。


「そうですよね……あ、じゃあ今日はここで解散しましょうか? 結構時間も経っちゃいましたし」


 アニメグッズのお店は3階建てのビル丸ごとそのお店だったので、全てのフロアを隅々まで見ていて3時間も経ってしまっていた。

 でも二人とも、アニメ好きだから苦ではなかったけど。


「ごめんね、真理子ちゃん」


 謝る恭介さんに、


「いいえ大丈夫です。今日は恭介さんと逢えて楽しかったです」


 そう言って私は微笑んだ。


「気遣ってくれてありがとう、真理子ちゃん。ぼくも楽しかったよ」


 彼は嬉しそうな声をして言う。


 あ~、やっぱりこの声は甘くて素敵だなぁ……


 だらしなく口を開けてしまいそうなのを我慢しつつ、その日はそこで恭介さんと別れた。




 そのあとも私は恭介さんと度々逢って、映画を観たりお店を見て回ったりして、一緒に過ごした。


 でも決してマスクは外そうとはせず、一緒にファミレスやファーストフードに入っても、彼は食べようとしなかった。


「なんか、私だけ食べちゃって申し訳ないです……恭介さん、お腹空いてないですか?」


「大丈夫だよ。初めて逢った時は、ぼくのせいで帰る事になったし、それからは家でしっかり食べてから来てるから」


 ゆっくり食べて、と笑ってくれた。




 ある日、恭介さんの家に呼ばれて、彼が手料理を振る舞ってくれた。

 華やかなお皿に、綺麗に盛り付けられたナポリタンは美味しい。

 おかわりをした私に、「気に入ってよかった」と、彼がふふっと笑う。


「恭介さんもお腹空いてるでしょ? 私、食べてる所を見ませんから食べて下さい」


「いや、ぼくはいいよ」


 そう言う彼のお腹は、ぐうぅ~と鳴る。


「ほら、お腹も鳴ってますし、遠慮せず食べて下さい。ね?」


 私が言えば恭介さんは「ありがとう」と言って、お皿に自分の分をよそう。


「じゃあ食べさせてもらうけど、ぼくの顔は絶対、見ないでね」


 頷いた私は、後ろを向く。


 ごそごそ動く気配がして、カチャカチャとフォークを動かす音がする。





 いま振り返ったら、恭介さんの素顔がわかる。


 見たい欲求が頭を過ぎるけど……見ないでと言われて見た時、昔話や神話の主人公がどんな目に遭ったか……それを思うと見られなかった。


 まあ見た途端、日本神話のイザナミのように、優しい恭介さんが怒って私を殺そうとする、なんて事はないだろうけど。きっといまの関係は、終わってしまうと思う。


 もしかしたら、素顔を見られた恭介さんが傷ついて、私と逢ってくれなくなるかもしれないし。


 こんなに話が合って楽しくて、気遣いがしっかり出来る人は、私の周りの男性にはいない。


 何よりも『杜氏真人』にそっくりなこの声を、聞けなくなるのが嫌だった。


 それからは、お腹が空いたら恭介さんの家に行き、彼と一緒にご飯を食べた。


 もちろん、私は恭介さんが食べる姿を見ないようにして。


 向かい合ってご飯を食べられないのは淋しいけど、それ以外は気にならなかった。


 彼の家で過ごす事も多くなり、アニメキャラのグッズを見せてもらって、DVDを見ては「このシーンはいいよね」と、楽しく話して時間はあっという間に過ぎていく。


 恭介さんと逢うのが楽しくて、別れる時は辛かったほど。


 なので、恭介さんが私に触れてきた時も、抵抗はしなかった。むしろ受け入れて、私も彼に縋りついた。


 マスクを外そうとしない恭介さんに、


「目を瞑って絶対見ないから」


 と約束すると、


「わかったよ。絶対見ないでね。顔にも触らないで」


 と言い、私が目を瞑ったあと、マスクを外した。


「傷跡の感触がわかるのが嫌だから」と言って、彼はキスをしてこなかった。


 一体どんなに酷い傷跡なんだろうか……と考えたが、私は見たいのを耐えた。


 視界を閉じると、恭介さんの肌の感触と声だけが感じられて、杜氏真人さん演じる大好きなキャラクターに抱かれているようで、凄く幸せだった。


 行為が終わると、恭介さんはまたマスクをつけた。

 一緒にベッドで眠る時も、必ずつけた。


 彼と関係を重ねる内にだんだんと、私はどんな顔の男に抱かれているんだろうか……という興味が強くなってきた。


 だから、恭介さんの家にお泊まりしたその日、


 一人ふと目を覚ました私は、隣りで眠るマスクをした彼の顔を、見てしまおうと思った。


 恭介さんは、微かな寝息を立てて眠っている。


 大丈夫だ……ちょっと見るだけだし……もし万が一、彼が起きてしまったとしても、息苦しそうだったからと言えばいい……


 私は、いままで恭介さんの怒った所なんて見た事なかったし、怒ったとしても謝れば許してくれると考えた。


 彼のマスクに触れる。


 静かな室内の中、心臓がバクバクして緊張する。


 私は恭介さんを愛してるし、どんなに酷い傷跡だろうが、受け入れるつもりだ。そうしたら彼の不安も、拭えるかもしれない。


 マスクを少しだけ摘まむ。

 あとはずらしてしまえば、恭介さんの素顔が見られる。


 だが、勇気が出ない。


 あの約束を破った、物語の主人公たちの結末を思う。どうしよう……どうしよう……











「取らないの?」


「ひっ……!」



 ふいに聞こえた声に、身体がビクッと跳ね上がる。

 見れば恭介さんが瞳を開けて、こちらを見つめていた。その目は無機質で、感情が読み取れない。慌ててマスクから手を離す。



「ごごごごめんなさい!!」


 ベッドから身体を起こす恭介さんに謝ると、


「そんなに見たい? ぼくのマスクの下……」


 そう言って私をじろりと見る。声も氷のように冷たい。いつもと違う雰囲気に、気圧される。怖い……


「……じゃあ見せてあげようか?」


 私は、首を横に振った。激しく振った。


「なんで? 見たいんでしょ?」


 首を傾げて私を見るその瞳は、どんどん瞳孔が開き真っ黒になる。


「ほら……いま取って見せるよ」


 そう言って、マスクに手をかけようとした恭介さんに、


「ままま待って!! 取らないで!!」


 私は慌ててその手を抑えた。そうして必死に、彼に謝る。


「本当にごめんなさい! 恭介さんの嫌がる事してごめんなさい……っ!!」


 彼の狂気めいた瞳が怖くて、目を瞑って泣きながら言った。


 そしたら恭介さんは、


「いいよ、そんなに謝らないで」


 いつもの優しい甘い声に戻っていて、彼の顔を見る。瞳を細めてふふっと笑う、いつもの恭介さんだ。


「ぼくは見せたくないけど……真理子ちゃんが見たいなら、見せてあげるよ」


 いつもの調子の恭介さんに、


「本当に……?」


 心が揺らぐ。


「うん、ぼくは見せたくないけど……ね」


 どうする? と尋ねる恭介さん……

 私は……私は……






「い……いいです。見ません。恭介さんは嫌なんですから」


 と断り、誘惑を断ち切った。私は、あの主人公たちにはなりたくない。


「そう」




 そのあとは恭介さんはいつも通りで、さっき感じた雰囲気が嘘のようだった。


 なので私は安心して、まだ真夜中の時間、彼とベッドで眠りについた。


 だがその日から恭介さんは私に、マスクの下の顔を見せようか? と、頻繁に尋ねるようになった。


 私はもう、あんな恭介さんを見たくなかったし、その度に断っていたけど、見たい衝動は常にあった。


 すると彼は、行為中にも私を誘うようになる。


 いつものように、甘い声にうっとりしながら目を瞑って感じ入っていると、恭介さんは言った。


「真理子ちゃん……いま瞳を開けたら見れるよ?……開けないの?……真理子、開けて見たら……?」


 私は熱に浮かされながら、必死で抵抗する。

 こうなってくると逆に恭介さんは、見せたいんじゃないかと思えてくる。

 あんなに見ないでと言っていたのに……


「真理子ちゃん……真理子」


 その甘い声にゾクゾクする。その声に釣られて、瞳を開けそうになった。

 それをなんとか耐える私。開けたら怖い事が起きる。私はこの生活を、失う事になってしまう……!


 そんな日々を過ごしながら、月日が経っていった。






 今日は仕事の前に、恭介さんの家に寄っていた。

 彼が借りてきたアニメ映画を観ながら、原作とアニメの違いを話して、談笑しつつ楽しむ。


 恭介さんと話すのはやっぱり楽しい。私が紅茶を飲み終えたら、すぐ気づいて、お茶のお代わりどう? と、淹れてくれる。


 顔の話題以外だったら、彼は普段通り優しいので、私はあのままずっと恭介さんとの関係を続けていた。





 映画がクライマックスになり集中していたら、


「真理子……」


 その声に呼ばれてキスされた。







…………キス?




 視界いっぱいに彼の瞳が映るから、私は確かにキスされているはずだ。


 でもこの感触は……なんだろう。マスクを外している事はわかる。布の感じじゃなかったから。


 とにかく硬いのだ。ふつう唇同士をくっつけているのだから、柔らかくないか?


 この硬い感触は一体……


 恭介さんが私の顔からゆっくりと離れていき、徐々に彼の顔の全体像がわかる……。





「あ、あ、あああァァァ……」


 喉から声が引き絞られていく。


「見ちゃったね、真理子ちゃん……」


 その顔は、その顔は……






 見た途端に理解した。硬いと思ったのは、彼の剥き出した歯だったのだ。


 唇が無く、醜く引き攣れた皮膚は、頬骨の下までめくれ上がっていた。


 だからその顔の下半分は、中の筋肉がありありと見えた。まるで人体模型のようだったけど、顔の上半分は皮膚のついたちゃんとした人間の顔だったから、そのグロテスクさは際立った。




「とうとう見~ちゃっ、たぁ~♪♪」


 恭介さんが、あははあはっと笑い声を上げる。

 あの日よりもっとひどい彼の狂気に、身体が震え出す。


 怖い……怖い……でもその顔から目が離せない……


「見ないでって言ったよね? あれ? 聞いてる? 怖くて動けないみたいだね♪」


「あっ、あっ……あァァ……」


 逃げろ、逃げろと脳が危険信号を出す。ここにいてはいけない。


「あははは、あはっ、約束破った真理子ちゃんには、死んでもらいまぁ~すっ♪」


 彼が私にのしかかり馬乗りになる。やだやだやだ……まだ死にたくないっ。


 必死に恐怖でもつれる舌を動かし話す。


「ま、ま、待っ……わた私っ……きょ、恭すけさ……の約束、や、や、破ってなっ……」


 顎がガクガクしてうまく話せない。


「見たんだから、破ってるよ?」


 首を傾げて言う。


「だ、だだだって、恭……け、さん、じ、自分からマスクっ……外してみ、み、み見せた……っ」


 恐怖で涙がボロボロ零れる。


「関係ないよ♪ぼくの見たら駄目って言う約束破ったのにはかわりないんだから」


 にいぃっと口が笑いの形に歪み、その瞳には愉悦が満ちていて、私の首をゆっくり絞めていく。


「あ、あっ、ひど……い。しに……た……くないっ……」


 ハアハアと犬のような息をしながら、興奮している彼が舌を出す。


「うえっ……がぁっ……は……っ」


 苦しい、苦しい。強くなっていく首の締め付け。

 なんで、なんでこんな目に……っ


「いつ見るかとワクワクしてたけど、真理子ちゃんは意外にしぶとかったね♪」


 ふふっと笑い、楽しそうな彼。


 私は約束を守ったのに……

 こんな結末はあんまりじゃないか……っ



「じゃあね、真理子ちゃん……」






 こうして私は殺された。






終?









 はっ……!


 ばちっと目を開けた私は、自分の置かれている状態がわからなかった。


 私、死んだんじゃ……


 あの首を絞められる感触も、意識が遠のく感覚も、目を覚ました今でも思い出せる……


「んん……っ」


 寝返りを打つ恭介さんに気付き、喉の奥で短い悲鳴が出た。


 彼が隣りで眠っている。とにかく逃げなくては……!


 一体いつから夢だったのかわからないまま、服を身に付けバッグを持ち、急いで恭介さんの家を出た。


 バクバクと心臓が鳴る。

 少しでも早く彼の家から離れたくて、小走りで夜の街を歩いた。

 もしかしたら、すぐ後ろから迫って来ているかもしれない……

 自宅に着くまでは安心出来なかった。


 我が家に辿り着き鍵を掛けた所で、やっと一息つけた。


 携帯を取り出し、画面を見る。


 あまりにも夢がリアル過ぎて、何ヶ月も月日が経っている感じがした。だから、今が何日か知りたくて確認する。


 3月31日?……確か、そうだ……恭介さんの家にお泊まりした日だ。

 彼と一緒にベッドで愛し合って寝た。

 どうもそのあとから夢だったようだ。


 つまり、私が初めて彼のマスクを外そうとした時から夢だったらしい。


「怖い彼は、全部ゆめ……」


 力が抜けて、ぺたんと床に座り込んだ。


 何も怖い事はない。あれは全て夢で、優しい恭介さんのままなんだから……


 そう思おうとした。


 だが、あの夢が生々し過ぎた。

 私の彼に対する疑惑が消えない。


 夢みたいな事はないにしろ、おかしくないか?

 愛し合う恋人にも見せられない傷跡って……


 今まで考えないようにしてきた問題が、止まらなくなった。


 杜氏真人さんにそっくりな声が聞けたら幸せだからいいと、ずっと考えないようにしてきたけど……SNSで知り合ったばかりの男と逢い、恋仲になって軽はずみ過ぎたのではないだろうか。


 あの夢を見た事で私は、自分の考え方に危機感を感じたのだ。


 私は本当に、彼の全てを知っていると言えるのか?

 夢の中のように彼が豹変する事が、今後も無いと言い切れるだろうか?


 私は恭介さんに対する不安が次々と出て、止まらなくなった。





 だから私は、恭介さんとの関係を一方的に切った。


 彼と逢わないように辛いけど、アニメのお店や試写会、イベント関連には行かないようにした。


 彼は私の家を知らなかったし、自宅に来られる心配は無かった。


 SNSには相変わらず、恭介さんからのメールが届いていた。一応見ると、



『仕事が忙しいの? 大丈夫?』


『今日、キミの好きなアニメの限定品を手に入れたから、今度逢った時に渡すね』


『お仕事お疲れさま。またきみの都合が合う日に、逢えるといいな』


 こんな風に彼はこまめにメールを、送ってくれた。

 突然何も言わずに連絡を絶った私に、こんなにも気遣ってくれる……


 胸が痛くなった。


 それでも私は、彼へメールするのを我慢した。恭介さんと逢ったら最後、また彼の魅力に捕まりそうだから。


 あの甘い声を聞いたら駄目だ。それがわかっているから、電話が掛かってきても出なかった。




 3ヶ月が経ったある日、恭介さんからこんなメールが届いた。



『今度、逢えないかな? マスクの下の顔、見せてあげるよ』



 その文面を見ただけで、背筋がぞわっとした。


 彼の優しい気遣いのメールに、ぐらぐらしていた心が凍る。


 夢と同じ……

 彼の方から誘ってきた……。




 私は携帯の画面を切った。






 恭介さんと連絡を絶って半年が過ぎた。


 あのメールを最後に、彼からの連絡も途絶えて、SNS上に恭介さんの名前を見る事もなくなった。


 杜氏真人さんにそっくりな声が、生で聞けなくなったのは淋しいけど、これで良かったんだと自分を納得させる。


 ただの夢に怯えて逃げ出すなんて、怖がりで小心者な自分らしいし。


 私はアニメや漫画の主人公たちみたいには、なれないんだから。 

 勇気と好奇心と冒険心に溢れる彼らは、新しい世界を切り拓くけど、その分痛みや苦しみ、怖い目に遭う。


 危険で物騒な世の中になったんだし、これぐらい慎重な方がいいんだ……


 自分の考えに答えを出すと、私は仕事に取りかかった。






 そして今日は、友人と駅構内の売店で待ち合わせ。


 時間に余裕を持って家を出たから、待ち合わせ場所にはまだ友人の姿はないようだ。


 ふう……と息をつき、周りを何気なく見る。


 駅構内の丸い支柱に寄り掛かる人達は、みんな人待ち顔だ。




 そして、早足に過ぎて行く人々を見ていたら、見つけてしまった。

 やはり、顔全体を覆う大きなマスクは目立っていて……



 彼、恭介さんだとすぐにわかった。


 私の視線に気付き、彼がこちらを見る。そうして確認すると、静かに私の方へ歩き出した。


 私に気付いた彼が近づいて来る。『逃げろ』と言う脳の指令を裏切って、私の足は動かない。

 そうこうしている内に、彼は私の目の前に立った。


「久しぶりだね。元気にしてた?」


 相変わらずのマスクの中、私の大好きな声が籠もって耳に届く。


「急に連絡取れなくなったし、心配したよ」


 そう言う彼は、前と変わらない。

……そうだ、怖がる事は無い。あれは夢の中の出来事で、それに怯えて逃げ出した私の方がおかしいんだ。

 大丈夫、大丈夫……



「ごめんなさい……」


 私が謝ると彼は、


「まあ、元気そうで安心したよ」


 と、気遣ってくれた。


 やっぱり、彼は優しいままなんじゃないか……あんな夢を見たからって怖がるなんて……


 そう思って見上げれば……






 そこにあるのは、無機質な感情の読めない瞳だった。私は固まってしまった。


「きみはぼくの『マスクの下は見ないで』って約束、見たい欲求を我慢して守ってくれたね」


 彼が私の目の前で右手を上げ、指切りの形にして小指を曲げたり立てたりする。


「昔話や神話にあるように、人は駄目だと言われればやってしまうのに……きみが楽園のイヴだったら、蛇の誘惑にも勝って、林檎を食べなかったかも」


 彼はメトロノームのように、人差し指を左右に動かす。


「それにぼくが、マスクの下を見せるってメールした時も、誘いに乗って来なかったよね。正直びっくりしたよ」


 そこまで我慢出来た子はいないからね。 と言って、ふふっと笑う。

 いつもの彼の笑い方なのに、背筋がゾクッとした。


 私達の周りを、人々が忙しなく通り過ぎていく。


「まあ、だからきみにはご褒美として、見逃してあげる事にしよう」


 ポンっと肩を叩かれ、ビクッと身体が跳ねる。


 そうして彼は後ろを向き、さよならを告げて私から離れて行く。

 その場に固まった私の前で、彼はある女性の後ろで立ち止まり言う。


「ごめん、待った?」と。


 あの丸い支柱で人を待っていた一人だった。

 振り返った女性が、頬を染めて彼に「全然です」と返し、「杜氏真人さんの声にそっくり!」と、彼と初めて逢った時の私と同じ反応をする。


「優子ちゃん、その声優好きって聞いてたし、逢った時にびっくりさせようと思ってたんだ」


 と、彼がふふっと笑った。


 そうしてチラリと、私に寄越した彼の瞳に凍り付いた。


 同じだった。


 あの瞳だ。


 夢で見た彼と同じ愉悦に満ちた瞳。

 きっとマスクの下は、悦びに歪んでいる事だろう。私の身体は、ぶるぶると震えた。


 次のターゲットは彼女なんだ。

 わかったけど、それを教えてあげる事は出来ない。そんな邪魔をしたら、せっかく見逃してもらえたのに、自分は彼に何をされるか……


 彼は彼女に視線を戻し、歩いて行く。






 結局、恭介さんは何者なのか。

 夢で見た化け物だったのか、それともまた別の何かなのか……。


 どちらにせよ、あの瞳は尋常じゃなかった。


 もし、彼のマスクの下を見てしまったら、私はどうなっていたのか……


 未だにモヤモヤした思いは残っている。やはり我慢せずに、彼のマスクを外して見てしまえば良かったかもしれないという思いもある。

 そうすれば、彼の隠す顔がわかり、本当に傷跡か、はたまた夢で見たグロテスクな風貌か知れたのに……と。


 だがそしたら私は彼に、約束を破った罰を受けていたかもしれないのだ。


 イザナミの姿を見たイザナギのように……


 林檎を食べた楽園のイヴのように……



 これで良かったんだ。


 私は約束を守った事で、自分を守る事が出来たんだから……

 よく言うじゃないか……

 好奇心は猫をも殺す。って……





 そう言い聞かせて今はただ、彼と連れ立って歩いて行く彼女の無事を祈った。








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