死へと誘う罠
神に祈る時間は十分にある。
もう一度チャンスを下さいと祈りを捧げ、どうか無事に帰らせて下さいと願うと、
『キシュ……』
神が微笑む事は無かったが、魔虫が鳴いた。
争う気が削がれただけなら食事に戻っただろうが、一触即発の緊張感は食欲すらも奪ってしまっていた。
もう一匹の魔虫は『グチュグチュ』と食事を続けるが、その姿を見ても食欲が沸かない魔虫は、暇潰しといわんばかりに、周囲をキョロキョロと見渡し始める。
(ふざけているのか!?)
事態は刻々と悪い方へと傾いていく。
今、この街道に目に付くものといえば周りにある木々では無い、この馬車だ。
周りに鹿でも、熊でも何でも良いからいれば、魔虫の気もそっちに向いたかもしれないが、
『ガリ…ガリ……』
魔虫の目に映るのは馬車。
大きなカマを馬車に引っ掛けると、前の窓から顔を覗かせて中を覗き込む。
(落ち着くんだ…落ち着け……!!)
老人は、中に自分がいる事がバレないように、壁に張り付いて息を殺す。
枯れた木になったつもりで、息を細々と吸っては吐く。
早く興味を失えと、早くどこかへ行けと思っていると、
『バッバッバッバッ!!!!!!』
「…………っ!?」
魔虫が激しく羽をバタつかせた。
耳を震わせる不快な音に、つい声が漏れてしまいそうになったが、 体が緊張で硬直していたお陰で、声を出さずに済む。
『バッバッバッバッ!!!!!!バッバッバッバッ!!!!!!』
「…………っ!?」
まるで猫が、隠れているネズミを探すように壁を『ガリガリ』とするように、魔中も、馬車の中から何か飛び出して来ないかと、羽をバタつかせる。
執拗に繰り返される羽のバタつき。
普通の獣なら、この恐怖の音に耐えられずに表馬車から飛び出してしまうかもしれないが、人間は獣ではない。
人間には知恵がある。
この恐怖の音に耐え切れずに逃げ出せば、死ぬ事を分かっているから、どれだけ心臓が口から飛び出しそうになろうとも、決して馬車から飛び出さない。