17th.ウェルガンス
その英雄は、自分の生きたいように生きる。
旅の途中、好みの女を見つけたらすぐに口説くような男だけれども、不思議と人に嫌われない。
女好きで、男には心底興味ないと豪語する彼だが、目の前で困っている者がいれば、それは関係なく老若男女問わず救い続ける。
所々、発言は下品で蔑みの目を向けられても気にしない。
現実に居れば、きっとこういう人間は好かれないだろう――創作の中であるからこそ、その性格は活きる。
ディセルがこの英雄のようになれと言った――正直、こんな男になって周りの人間は自分に対して関心を向けるか? そう問われると否と答えるしかない。
下品で、怠け者。
だが、ディセルが言っているのはきっと「やる時は皆の想像を超える動きを見せる男になれ」ということだろう。
この英雄に、レオはいつしか惹かれていた、憧れていた、この人のようになりたいと心底思った。
神より選定されし異界の勇者が発した言葉の中には「我以外皆我師」という言葉がある。その言葉に倣う。
人間としての威厳を捨てたような人間である両親は最高の反面教師だ。
ディセルとウェルガンスを最高の師と崇めよう――「愉快に生きろ」「自暴自棄になるな」とディセルは言った。
胸を張って女を褒めろ、倒れても屈するな――ウェルガンスは言った。
――読み終わった本を閉じる。
寝具に体を預ける。
瞑った目を開ける。
「ディセルさん。俺…………屈しないよ」
レオは、そう誓った。
* * *
数年、学院を休んでいたわけでは無いのに、教室の扉の取っ手部分に手を掛けるのが凄く久し振りに感じる。
学院に通う時間帯としては、早いくらいの時間帯――妙に今日は目覚めが良くて、こんな時間に来てしまった。
小鳥の囀り、風が木の葉を揺らす音――毎日聞いていたその自然音を、レオは数年ぶりに聞いたような錯覚を覚えた。
自分の中で色々なことが昨晩の間に起こったからか? あの本に影響を受けて、自分の中で人に対する整理がついて、価値観が変わった事にも由来するか?
自分の性格は多分、変わらない――元から女の子のことは好きだ。殴ろうと思ったことなど無いし、母親以外の女性に嫌悪感などほとんど抱いたことはない。多少、態度に苛立ちを覚えることはある。それは仕方ない。人間だもの。だがそれ以上は今までに一度もない。
人一倍、女の子のことが好きな自信がある。体の線、日常的な仕草。
自慰だってよくする。それが女好きと関連するかどうかは分からないが、女好きという部類では英雄ウェルガンスに匹敵すると言っても過言ではない、気がする。
そんなことを思いながら、レオは教室の扉を開いた。
こんな時間帯だというのに、生徒の数は意外にも十を超える数が来ていた。
自分が一番乗りかと思っていた矢先だったので、少し落胆するも自分の席の方へと赴く。教室に居る生徒のほとんどはあまり関わったことのない生徒たちだったが、今日は妙に彼ら彼女らの視線が自分に集まってくる。
「?」
全員、真面目な性格をした勤勉な生徒たち。
可もなく不可もなく、少しだけ不真面目な態度を取る自分――もしかして、自分に同じく彼らも久し振りな感じがしているのか? そう思うと親近感が湧いた。
だが、その理由が自分に似たような理由でないことはすぐに分かった。
自分の席に置かれた花瓶が、その理由だったのだ。
周りを見れば、全員が目を逸らす。誰の仕業だとかはどうでもいい。
花瓶に活けられているのはベッテラという名前の花だ。死者を弔う際に墓に添えるのによく選定される花――冒険者が殉職した際にも、ギルド建物内によく置いてある。縁起の悪い花だ。
縁起の悪い花、なのだが自分としては嫌いじゃない――単純に奇麗な花だから。
気障なことを言うならばその花言葉は「死者への弔い」であり、裏を返せば「来世では幸せに生きろよ」というような意味合いにも取れる。前向きだ、前向きに捉えていこう。
口には出さず、花瓶を持って後ろの棚の上、隅の方に置く。
(ベッテラって確か値段的には高めだったはずだが……凝った事をするなぁ)
そんなことを思いながら鞄を机の横に掛ける。
「!」
机に、落書き。
人の死を嘲笑うような内容ばかりの内容だ。地獄に落ちて獄卒に嬲り殺しにされろといった内容の事も書いてある。酷い内容だ。
(知性の欠片もない……)
この学年内で女子がどういう文字を書くかは分かっている。少し角が丸みを帯びているなど、男子のように殴り書きっぽさが無いのが特徴的で、女子の方が男子よりも達筆で奇麗な字を書く。
全員の字体を記憶してるわけでは無いが、この机の落書きが男子たちによる落書きなのは明白だ。字が汚いし、所々字も間違っている。「馬鹿」という文字を見て、自分の事を言っているのか、とつい思ってしまう。
(いや、止めだ止め……昨晩誓っただろ。これを機に、学ぶんだ)
我以外皆我師と。
「ん……?」
消した跡がある。ほのかに魔力すらも感じる――擦れている部分を見るに、恐らく消した人物は最初雑巾で消そうとしたのだろうが、魔法による落書きだと気付いて浄化魔法で以て消すことにしたのだろう。
浄化魔法で落書きを消した後に、再び男子が落書きをするという行為を繰り返す――落書きをする際にはきっと色着魔法を使ったのだろう。簡単で、初等教育で習う魔法だ。普通雑巾では消えない。手にも付着したりしないし、厄介なことに魔法による清掃方法でしか消えない。
擦れている部分があるのは、授業中に鉛筆で自分がした落書きの部分だろう――その落書きを見られたことが少しだけ恥ずかしい。
(俺……浄化魔法とか使えないんだよなぁ……どうしよう)
雷の属性魔力を用いる魔法を主に使用し、そこを鍛えてきた弊害――他の属性魔力系統の魔法の魔術理論など、初歩的なもの以外覚えていない。
(まぁ……そのままにしとくか)
浄化魔法は、かなり高度な魔法だ。
汚れだとかは勿論、病気に対する治療にも使える。そんな高度な魔法を使える人など限られるはずだが……。
(先生がやってくれたのかな)
だが、こういう慈善的なことを自分にやってくれる教師など心当たりがない。大半の教師は虐めを見て見ぬ振り、一日だけとはいえ学校をずる休みする生徒の事など庇う可能性は無に等しい。
酷い言い回しだけれど、この学院では上級生の虐めを「早く済ませて授業に戻りなさい」のみの言葉で済ませる教師が殆どで、虐めを止める教師を見たことが無いと一月前に学院集会で虐めの被害を受けた生徒より聞いた。それに対する校長の返答は「防止に努める」の一言だけだった。
「ま、いっか」
この一言は便利だ。
英雄ウェルガンスもこの言葉をよく使っていた。蔑まれた時も、振られた時も、この言葉を使えば何でも許せる気がして、本当にどうでもよくなれる。
(今日は、何の依頼を熟そうかな?)
学院内でのことは、もう考えない。
そう心に決めて、レオは他の生徒たちが探知できない程度に魔力を抑えて魔法の自己特訓に励んだ。
探知魔法の自己特訓に励むこと十分ほどして、ソフィアとエヴァが入ってきた。
「おはようソフィアさん、エヴァさん。今日も早いですね!」
先に来ていた女子生徒の一人が二人に話し掛けた。
「貴女の方がいつも早いでしょ? 褒められるべきは貴女だと思うけど……」
ソフィアがそう返すと、女子生徒は褒められたことが余程嬉しかったのか、体をくねくねとさせながら照れ始めた。
その後すぐに、二人がこちらに視線を送るのを魔法により探知した。
この時間帯に来ているのが珍しかったのか? それとも別の理由か。
視線に気付いてない振りをしていると、ソフィアがこちらの方に寄ってくる。
「そっ……ソフィアさん。私、お二方にちょっとだけ勉強を……」
それを制止するかのように女子生徒が声を張るが、ソフィアは止まらない。
彼女の席は自分とは遠い場所のはずだ。こっちに来る理由が分からない。
正直に言って、昨晩あれほど大粒の涙を流したのもあって、今日はあまり話したくない、恥ずかしい気持ちでいっぱいなのだ。何せ彼女は自分の意中の……。
「おはよう」
狸寝入りをするか、それとも素直に返事をするかで悩む。
しかし、素直に返さなかったら印象も悪いと思い「おはよう」と返した。
今まで、学院内で彼女に話し掛けることなど無かった故に、かなりびっくりしている。自分の席に来てまで「おはよう」なんて挨拶をしにくるとは物好きなのか? と感じていると、ソフィアの視線が机の方に向いていることに気付いた。
「……あ、あぁ、これは誰かが落書きしたやつで……」
自分が落書きしたところもあるが、それは割愛しておく。
それにしても、意外だった。いつも視線が合うのは自分の視線が影響しているのだろうが、今回はこちらに視線を向けるどころかこちらに来るとは……正直、意中の相手が近くにいるというだけで心臓がはち切れそうなのだから急に近づかないでほしい。
変な汗が出てくるのを感じながら、ちょっとだけ落書きを隠す。
横に目線を向けて気付いたが、先程ソフィアを制止しようとした女子生徒が慌てた様子でいた。
(あ、成程……)
きっと、自分を庇うとその人物も虐められるという状況に陥るのだろうか。
(お子様だな……)
人の子とは言えないけれども、ディセルという人物に会ってから色々な場面で余裕を感じられるようになってからある程度の嫌がらせに対してそう思えるようにはなっていた。
「先生には自分で報告するから、その……」
何て呼べばいいのか迷う。
「シンシフォードさん――は気にしなくていいよ」
淡々と、そう言った。
本音を言えば、教師に言っても無駄なので言わない。それ以上を言うならば「面倒臭い」が更なる本音。これから同じような落書きをされることを考慮し、浄化魔法を付与された魔道具でも買っておく。それが最善。
うんうんと頷いている中で、ソフィアの方はと言えば、なかなかレオの席から離れようとしない。嬉しいのはうれしいのだが、なんだか落ち着かない。
目は泳ぎ、机の下では指遊びをする。
「な、なにか……?」
目の前の異性の情緒が掴めない。
いつも冷静で理性的な雰囲気を持つ彼女が今だけ、印象が違う。
こちらの顔色を窺っている? いや、そんな感じではない。だとすればなんだ? だが、目線はこちらの顔を向いているし、よくわからないが、聞いてみることにする。
「ど、どうしたので?」
緊張のあまり、口調がおかしくなってしまったが声も裏返らず自分にしては良く話せている。
心の中でその事実に喜ぶのも束の間、ソフィアの表情が怪しい事に気が付いて、その喜びも心配に変わった。
彼女の様子がおかしい。机の落書きと自分の顔に視線を交互に……?
「えっと……」
「……こんなに」
「え?」
「こんなに沢山、酷いことを書かれて悲しくなったりは……しないの?」
「死ね」「消えろ」「陰湿野郎」――自分の腕に隠れていない部分だけでもその文字の羅列がずらりと書かれている。
そのことを憂いてくれているのか。
机に乗せていた腕を退かせば、まるで寄せ書きのように悪口が掛かれている。文字の書き方がそれぞれ違うことから、大半の男子が書いているのだろう。それを見て、ソフィアの顔が不快そうな表情になる。
「悲しく……はないよ」
所詮、落書きだ。
直接に言えない、直接手が出せない、教師に見つかることを恐れている。この学校に入ってまだ数ヶ月、ここの教師がどういう教育方針でやっているかも詳細に分かっていない生徒たちは、教師の目の前で暴行を下した際の罰則を恐れている――あくまでそれは推測だが、こんなことで悲しむようなら冒険者という職業などに勤めていない。
罰則が無いと分かれば、暴力に手を染めるのは目に見えているが……。
(正直、この手の悪口、暴言には慣れちゃってるんだよな)
家を出る前によく両親より言われ続けた言葉だ。
それをソフィアに言う必要はないが……。
「でもまあ、先生には怒られそうだね。学校の机な訳だし」
「消すの、手伝おうか?」
「えっ?」
急な優しい言葉に、驚いてしまった。
彼女が優しいことは知ってる。だけどそれがこちらに向くとは思っていなかった。
「そ……れは嬉しいんだけど」
横の方に視線を移すと、ソフィアの後姿を心配そうに見やる女子生徒が居た。
「そうしたら、虐めに巻き込まれるよ」という言葉が喉元まできたけれど、それを出すことはなく、そのまま返す言葉を考える。だが、言葉を選んでいれば妙な間が出来てよろしくない。
「気持ちだけでいいよ。先生には自分から訳を話すから」
「……本当に?」
妙に引き下がらない――他の生徒たちに申し出を断られた時はあっさりと引き下がるのに。
好きな人が話しかけてくれるのは非常に嬉しい。良い香りがするし、愚息は反応している。だけど今は少しばかり都合が悪いのでは、と思う。
「うん」
「………………」
ソフィアが押し黙ってしまった。
手伝おうとしたことを断られてそんなに悲しくなるものか? 虐めに巻き込まれる可能性があることを考慮していない? それとも虐めの事実を知らない? 彼女が虐めを受ける未来を創造するのはそれほど難しくない。
虐めの首謀者は教室内で最近悪目立ちしているジベンという名前の男子生徒だ。ボサボサの茶色い髪、緑の瞳の鋭い目付き、他人より少し体格がしっかりしていて、ソフィアやエヴァ以外の生徒が媚び諂ってくることに味を占め、調子に乗っているのが問題で、噂程度しか知らないが、女子生徒何人かにはもう手を出しているとも聞いた。
教師の目が届かない場所で他の男子生徒を恐喝し、金品を巻き上げる小物らしい行動を取る。教師陣が何もしてこないと知るや堂々と非行に走ることは目に見える。
思い返せば、横に居る女子生徒はこの前、彼の餌食にされていたような気がする――「放課後、美術学準備室に来い」と言われていたような。冷静に考えれば、そこできっと色々されたに違いない。
「あの……」
色々と考えている中、ソフィアが口を開いた。
「昨晩、貴方が大人の方と話しているのを見てしまって……」
唐突に、そんなことを言われた。
言われるまでもなく、気付いていた――泣いている所を見られたのは少し恥ずかしいが。
「ごめんなさい」
「えっ……」
頭を下げられた。
「以前、冒険者という職業を「辞めた方がいい」って言ったの、覚えてる?」
「あー…………うん」
父親に金銭を奪われた晩の時の事を言っているのだろう。
「貴方は、冒険者という仕事で大切なことを勉強してるんだよね。それを……「辞めた方がいい」なんて言って、ごめんなさい」
謝らなくても良かったのに、なんて返すのは良くないのだろう。
だけど、人に謝られたことなんてほとんどなかった故に、なんて返せばいいのか分からない。「気にしてないよ」は違うかも? 嗚呼、好きな子が相手だから発する言葉を色々と考えてしまう。
「えぇっとぉ…………いいよ?」
この返しで合ってるのか不安になる。
「怒らないの……?」
怒られると思っていたのか、少し不安気な表情での上目遣いをこちらに向けてきた。
あまりの可愛さに笑みが引き攣る。いつもは可愛いというよりかは美人という感じなのに、今ばかりはただただひたすら可愛い。ばっと顔を外の方に振り返り、ニヤニヤとした顔を隠す。
ソフィアは大真面目に謝っているのだ、謝られる側が真面目にしなくてどうする。
ふとももを思いっきり抓り、ニヤニヤとした顔を戻す。そして、ソフィアの方へと顔を向ける。
(カァーーーーーーッッ!! まずいどうしよう好きだ!!)
まず性格が良い、その次に顔が好みだ。さらさらの髪に、ふんわりとした良い香り。
何故こんなに良い香りがするのだろう。校則では香水は禁じられているから、まず彼女が香水を付けていることはあり得ないだろう。
(いかん、冷静になるんだ。英雄ウェルガンスは女の子から良い香りが発せられた時は冷静に対処して――なかったな。デレデレしていたと記述があったな……参考にならない)
ふぅ……と一息付く。
「冒険者は、命を落とす可能性だってある。危険だというのは、間違いじゃないし……シンシフォード――さんが言うのも無理はない……んじゃないかな。だから、その……気にしてない。寧ろ、心配してくれてありがとう」
命を落とす――だから魔物討伐の依頼即ち任務は報酬金額が高価なのだ。
高価な報酬を得られる。家から出たくて、親に勝てる力が欲しくて、冒険者という職業を始めた。
最初は大怪我もしたが、回復魔法を得意とするディセルが近くに居たからこそ今を生きていられる。今ではディセルの教えもあり魔力も圧倒的に上手く扱えるようになった。
「この落書きに関しても、何て言うか……机の柄だと思えば、なんてことはないよ。過激で独創的な趣向の……だから、まあいいさ。怒るほどの事じゃないとして、気にしないで」
余裕だ、余裕を見せる――実際なんてことはない。ソフィアがどう思うかはさて置いて、話を終わらせた。
そろそろジベンが登校してくる時間帯だし、隣でずっとこちらを見ている女子生徒も心配している。何なら、他の生徒たちからも視線が集まっている――大勢を相手に人間関係を拗らせるのは良くない。
「もうそろそろ……俺から離れた方が――――――」
教室の扉がガラッと音を立てて開き、エヴァが入ってきた。
そして、彼女もまたソフィアと同じようにして近づいてくる――嘘でしょ、という表情をレオとその横、ソフィアの背後に居る女子生徒が見せた。
圧倒的なまでの容姿を誇る美女二人が自分を囲んでいる状況に、混乱する。
「ちょっと…………お手洗いに行ってきてもいい?」
実は超我慢してた。ある意味では事実の口述をしながら、逃げる。
良い香りを発する眉目秀麗、傾国の美女が二人だ。自分の情緒も愚息もおかしくなる――それと、二人に囲まれている状況をジベンに見られでもしたら虐めが悪化しそうだった。
噂をすれば何とやら、と首謀者とすれ違う。
相も変わらず、取り巻きを引き連れて顎を上げて堂々とした態度――睨まれたが目線を逸らして便所へと入った。
――とりあえず、落ち着くことには成功した。
教室に戻ると、机の落書きが消されていた。
(もしかして、ジベンの取り巻きの中に浄化魔法が使える生徒が居るのか……? 凄いな……)
かなりの高難易度の魔法。それを使えるとあらば取り巻きの方が魔法技術面で優れているのか――というのは建前。多分、ソフィアとエヴァのどちらかが使えるのだろう。
二人が授業中、教師に隠れてこっそりと低出力で魔法技術の鍛錬をしているのは目撃している。自分と同じことをする人間が他に居たのかと当時は印象的だった。日常的にそういった事、即ち四六時中の魔法技術鍛錬をしているのとしていないのとでは熟練度に大きく差が出る――当たり前の事だが、そこに低出力での鍛錬を加えると魔力の操作で更に差が出る為、将来的なもので言えば雲泥の差と言えるか。
消されているどころか、新品同様にまで奇麗になった机をそっと触る。
(優しいな…………好きだ)
単純だろうか? 男なのだからしょうがない。
優しくされた――それだけで男というのは「自分の事が好きなのかな」とか勘違いして、意識し始めてしまって、好きになってしまう。そういう生き物なのだ。男というものは。
ジベンは二人に優しくされたことはないにしろ、悪い奴は女子に人気なのだと勘違いする自分とは全く別の型の男子だと言える。彼に慰み者にされた女子の事も「いやだ」と言ってもそれが建前であると思い込んでいるのだろう。今も暗い表情を見せる女子の胸を無理矢理に鷲掴みして、ソフィアとエヴァの方に見せつけている。
あの自信に満ちた表情はアレだ――俺と付き合えば、お前らの胸もこうして揉みしだいてやるよ……女はこうされるのがいいんだろ? という表情だ。二人は勉強中で気付いていないのが情けない。
「オイッ!! 何見てんだテメェッッ!!」
「えっ」
見てたのは間違いないが、特に敵意などは無かった。それなのにジベンは女子の筆記用具入れを掴み、投げてくる。
筋肉に物を言わせた大雑把な投げ方をしたせいで中身がバラバラに飛んでいく。
(あ――――)
繰り出し鉛筆がソフィアの方に飛んでいく。金属製の物だから刺さるとかなり痛いだろう。
「…………」
瞬時、空中に散った全ての文具に『帰磁』という魔法を付与する。そして布製の物に『中磁』という魔法を付与すれば、『中磁』を付与された裳のに向かって『帰磁』を付与された物質が集まる。
(女の子を守るためだ。犠牲を赦せ俺の鞄…………)
繰り出し鉛筆といった尖った文具がトトトッと音を立てて先端部分が鞄に突き刺さり、字消し等尖っていないものは鞄にくっ付いたままと不思議な光景が机の横に広がっていた。
『帰磁』は手の届かない場所にある物質に磁気を付与することのできる魔法だ。その代わりに出力が低い。それを補い『中磁』に込める魔力を多めにする――『中磁』は対象物に触れないと付与できない。この魔法と『着磁』は討伐依頼でお世話になった。『着磁』は金属以外の物に磁気を付与できるという点が『帰磁』との違いだ。
「なっ――――幽霊か……?」
ジベンが口をあんぐりと開けて戦慄していた。
『勁』を用いての瞬間的な動きでの『帰磁』と『中磁』の付与。これを成すのにどれだけの訓練をしたか……。
「何笑ってんだテメェッッ!!」
教室内が修羅場になる――ついにはこちらに向かってきては殴ってきた。
やがて馬乗りになり、それがより過激になってくる。
「落ち着い――――――」
「黙れ!!」
喧嘩の好きな男子生徒たちが「もっとやれ」と騒ぎ出す。ソフィアとエヴァは心底不快そうな目を向けながらジベンを止めようとしたが、止まらない。
どこかで似たような道具を見た――爆竹だ。異界より選定された勇者が作ったとかいう代物。一度火を付けたら爆発音を発し、それが鳴り続ける。そんな印象だ。
数ある命の取り合いをしてきた自分にとって、殴る蹴るだけの行為をしてくるジベンなど脅威ではない。やり返そうとすればやり返せる。彼が加えてくる暴力の数倍ほどの威力の打撃を繰り出すこともできる。
――レオ。自分の怒りに任せて、ただ拳を振るって黙らせようってのは、格好の悪い生き方だ。
ディセルの言葉が脳裏に過る。
口の中に血の味が広がっていく。口の端から垂れているのか、ソフィアとエヴァの表情が変わって、ジベンを無理矢理にでも引きはがそうとしていた。
「うるせぇ!!」
「ッッ!?」
ソフィアがジベンの肘打ちを鳩尾に喰らい、後ろへと後退する。
ソフィアが少しうずくまり苦しそうな様子に周りの女子がそれを見て心配の声を掛けた。
その事実だけでも、レオが苛立ちを覚えるには十分な要素だったが、ジベンがそれを更にか臆させる。
「……はっ! お前、前髪で目元見えなくて陰湿そうなのを変えてやるよ……」
鋏を持ってこい、と他の生徒に指示を出した。
そしてレオの前髪を掴む。
「前髪バッサリと切れば、お前の印象も少しは変わ――――――――」
露わになった苛立ちに吊り上がる琥珀色の瞳。それを見てジベンが動きをぴたりと止めた。
動きを止めた理由はそれだけじゃない――額に残る大きな傷跡に、驚かされたからでもある。
それを見られるのが嫌だった――だから前髪で隠していた。
父親に瓶で殴られて出来た傷。一番忘れたい過去。
「やめろ――――見るな乱暴餓鬼」
レオがジベンを睨みつける。
たったそれだけでジベンは冷や汗を流した。
鋏を持ってきた生徒にそれを受け取るも、鋏を持つ手が震えていた。
数秒の間が開いた後、ジベンの二の腕にレオが手を添える。
そして、バチンッと大きな音を立てて電撃が走った。
「痛ッッ!?」
馬乗りの状態からジベンが後退した。
「だ、大丈夫? 血が…………」
真っ先にエヴァがレオの心配をし、水現魔法で湿らせた手布でもって口元の血を拭く。
まるで宥められたように感じて、レオが「だ、大丈夫……大丈夫だから……」と断ろうとするも、彼女に加えソフィアまでもがものすごく心配そうな表情を浮かべていたため、断ることを止めにした。
その優しさで益々二人の事が好きになりそうなレオに対し、二の腕を抑えたジベンが情けなく叫ぶ。
「お前……調子乗ってんじゃねえぞ!! 生身の俺に対して魔法なんか使ってきやがって卑怯だと思わねえのか!? 女二人に守られてよォ!!」
『触電』による静電気の出力は魔力をどれだけ使ったかで変わる。人体に影響のない程度にまで抑えて放った。
先日にエヴァに使った魔法と一緒だ――エヴァの時にはちょっと痛いくらいにまで抑えたものだが、ジベンにはその数倍の痛みを与えたのがいけなかったのか、ジベンの逆鱗に触れたらしい。
だが最初に手を出したのはジベンだ。こちらとしては無抵抗だったし、ソフィアとエヴァが止めるまでは満足するまで殴らせてやろうという魂胆だった。
人の怒りはそこまで持続的なものではないし、時期治まるだろうと思っていたのに。
前髪の内側より、ジベンをじっと見る。
「なっ…………なんだよっ!? 文句でもあんのか!?」
「………………ジベン君は、注目されないと生きていけないのかな」
淡々とそう返したレオに、ソフィアとエヴァは目を丸くし、ジベンは次第に顔を赤くする。
矜持を傷つけられることを嫌うジベンには効果的な言葉だったらしい。言われた本人はわなわなと震えだし、彼からは歯軋り音が聞こえてくる。
「覚えてろよ」という言葉と共に、ジベンが教室を出た。
――虐めはそこで終わったわけでは無かった。
だけど、ソフィアとエヴァとの距離が目に見えて縮まったのは、そこからだったと思う。
最初、レオ君の瞳の色を黒色だとか書いてましたが、最近「前髪で隠れてんだからあんまり見えなくね」と気付いてその趣旨が書かれた話を改稿しています。なのでレオ君の瞳の色は琥珀色でお願いします。
 




