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元人形少女は神様と行く!  作者: 餠丸
2章〜強欲〜
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15th.久し振り


 広大な地下空間に、レオ一行は開いた口が塞がらない状態だった。

 レオが知覚していた通り、その広大な空間には天才たちが自らの極めた術を駆使して隠蔽を成立させるための仕掛け即ち魔術、陣術が壁等に組み込まれていたのだ。

 レオの推測は正しかった――そして、この地下空間があることを感知できたことに誇りさえも感じる。

 誰かに自慢したい気持ちをぐっと堪え、レオはセリカに頭を下げて礼を言うと同時に応戦しようとした非礼を詫びた。

 それを見て「意外」と口にしたのはシエラだ。


「レオ、なんだか……学校に居た時と雰囲気が変わったね」


 誰に向けても魅了しかねないその笑顔に、レオはさっと視線を外して「そうかな」と返す。

 助平は未だ直っていないし、変わったと言えば貴族息女たちに女性関係の何たるかの価値観を変えられたことぐらいか?


「大人になったって感じがする」


 予想外の言葉だった。

 大人になったとは一体? と思ったが、素直に受け取ることにする。


「本当かな」


 自分よりも長い、永い時間を生きているシエラの方がずっと大人のはずで、お世辞だと思っておこうと考えても、心底嬉しくて、何故だか世界の全てに認められたような気がして、自信がついた。


「それに、凄い筋肉が付いたね。学校じゃ「筋肉なんて、付けたって変わるのは見かけだけさ」なんて言っちゃってたのに、逞しくなったな~」


 何でも見抜くシエラに、レオはそろそろ褒めるのを止めてくれと逃げる羽目になった。

 こんなに褒められたことなどない彼は気恥ずかしさに耐えられなくなったわけだ。


「私より、ずっと凄いや!」


 照れ臭さに顔を歪めるレオに、シエラの称賛が止まらない。

 彼女は大学校の頃より人の事をよく褒めていたりしていたが、さらに拍車がかかった気がする。何か、人に対する見方が変わったかのような……どうでもいいか、とレオは真っ赤になった顔をゴシゴシと拭って誤魔化すようにセリカに女性たちに部屋を与えてほしいと頼み込む。


「勿論、良いわよ!」


 先程と比べて、セリカの態度が格段に柔らかいものに変わっている。

 この地下空間に入ってすぐの頃は辺りのきつい女性だった。理由は自分が女性を連れているのが娼館へ連れて行っている途中だと思ったらしく、きつい態度を取ってしまったと弁明されている。

 自分の事をセリカに教えたのはシエラとスティーだ。

 シエラはレオに話し掛け、スティーに関してはレオの連れてきた女性たちに部屋の案内をしている。


「シエラ様たちが外套を被ってて、しかも男に感じたからびっくりしたよ。あれ、もしかして神器ってやつ? 神器とか初めて見た」

「えー嘘だ。レオたちにも見せたことあるよ?」

「え、身に覚えがない……」

「まあ、何もないように日常的に使ってたから、神器だとは思わなかったのかな」

「なにそれ」


 シエラとスティーがこの国に来てからの期間はレオたちより少しだけ長く、その間にシエラたちはこの地下空間の更なる隠蔽能力の向上を計っているらしい。

 シエラが言うに、それもこれもこの地下空間にいる女性の大半を守る為なのだとセリカ共々語る。


「貴方、私たちが外に出た時に地面に顔を近づけていたわよね。もしかしてこの空間に気付いていた?」

「気付いていたわけじゃないよ。ただ『識網』を行使した時、地面の中で感知魔法が遮られる感じがして、何かなって思っただけ」

「嘘よ。感知魔法で知覚できるような隠蔽陣術は施されてないわよ――私自身、そこら辺もちゃんと確かめているもの」

「いやいや、実際遮られる感じはあった。まあ、これは俺が日常的に『識網』や他の感知魔法を使っていたことに起用するものだから、言うなれば練度の差じゃない?」

「え? 感知魔法を頻繁に使用するような日常ってなに?」


 セリカがレオに対して疑いの目を向けるが、何かを察したらしいシエラが彼女の疑問を遮って話を変えた。


「あーあーそうだレオ! ここまで長旅で疲れたでしょ。足とか揉み解そうか? 私最近、ここに居る女性たちに按摩技術を教わったから揉み療治出来るよ!? 雷の属性魔力を用いた電気按摩という応用さえも身に着けたこの私には、もう肩を並べるほどの人物いないという~」

「電気按摩って、なんか卑猥だなー」

「貴方、何を言ってるの……?」

「ふふっ、やっぱりレオはレオだ。なんか安心した!」


 シエラの物言いに、レオは笑った。

 だが、確かに今回の度は付かれたかもしれない。


(――――足……)


 と、ここで思い出す。

 シエラなら、デニスの欠損した足を治せるかもしれない。今では受け止めているとかたるせいらだったが、ふとした瞬間にデニスの足を気にする素振りをするし、早くに父親の元気に歩く姿を見たいだろう。

 もしくは、シエラもデニスの欠損が先天性の物ではないと気付いているかも知れない。


「ねえ、シエラ様」


 車椅子を押されながらスティーに案内されていたデニスの部屋は確かこちらの方だった、とレオは歩く方向を変える。


「なに? レオ」

「その……さ。神様の力を人間一人だけに使うのって天界じゃあまり良くないのかもしれないんだけどさ」


 頬を指先で搔きながらレオが言う。

 だが、シエラは不思議そうな顔で聞き返す。


「え? 良くないの?」

「え? 良いの?」

「だって私、スティー一人によく権能の力使うよ? 別に特別扱いしてるわけじゃないし、他の人に使って役に立てるなら、使わないだけ損だよ。この地下空間の維持だって、もう何回も力使ってやったし」

「確かに、お世話になってるわね」


 なんだ、考えるだけ無駄だったのかとレオは申し訳なさを消し去る。


「じゃあ、デニスさんの足――直して貰ってもいい? 三ヶ月半くらい前の傷なんだけど、大丈夫?」

「うん、全然大丈夫だよ」


 シエラが何の躊躇いもなく了承する。


(やっぱり、思い過ごしか。ちょっとだけ申し訳ないかなって思ったのに)


 デニスの部屋へ移動する間、すっかり調子を取り戻したレオはシエラと会話を楽しんだ。


 デニスの傷跡を見て、焼けて塞がりきったその傷跡を見て尚シエラは「治せない」とは一言も言わない。

 本当に治せる? と不安気にセイラがシエラの方を見る。

 治癒魔法で欠損を治せるのは、欠損事故が発生して数日後までの期間限定だというのがこの世界の常識の範疇だ。

 命の属性魔力と水の属性魔力、火の属性魔力を用いて肉の形成と血液成分の形成を図ると魔術理論研究では文献に残っているが……デニスの欠損の状態は酷い。


「――――――『カツ』」


 端的な言葉をシエラが発した瞬間、デニスの足が瞬時に復活する。

 神々しい光が発生したと思えば、欠損していたはずのデニスの足が現れていた。

 どんな技を使ったのか理解できない――まさに神の御業だったとレオはただただ感動する。

 ただ、それ以上に感動していたのは、セイラだった。


「――――――――――」


 彼女の方を見やると、ぼろぼろと涙を流しては声にならないような、そんな泣き姿を晒していた。

 デニスの足の欠損をずっと自分のせいだと、慰めに何を言われても内心で責めていた彼女が今やっと救われたのである。それに加え――――彼女だけが気付いた。


(――――――――――――創造神様だ)

「これ、セイラ……神の御前であろう、泣くでない」


 泣くな、とは無理な話だ。

 セイラにとって、いつの日か会ってみたいと焦がれた存在。「少しだけでも我が子の成長した姿を見たい」という母の願いを、天使を遣わし叶えた神物――感謝を伝えたいと何度思ったことか。


「ありがとうございます――ありがとうございます……ありがとうございます…ありがとうございます…」


 様々な意味が込められたその礼に、シエラは「どういたしまして」と言って、セイラの顔を上げさせて、抱き締めた。自分はそれまで、セイラの為には何もしていない。


「貴女の力になれたなら、良かった。私こそありがとう」


助けを求められた、助けることが出来た、それだけでシエラは満足だった。

 自分の力が誰にとっての救いの手になれるのなら、彼女は惜しみなどしない。


 自分の父親ではないのに、デニスの足が治ったことが、まるで自分のことのような嬉しさをレオは感じた。



* * * 


 レオに与えられた部屋にて、シエラの力によって両足の欠損を治したデニスは、まるで最初から欠損などしていなかったかのように歩いていた。レオ、セリカ、スティーがそれを見ては何も言えなくなっていた。

 本来なら、欠損を治す、即ち再生されてすぐには人間は歩けない――曰く、初めて義足を使ったかのような感覚と経験者は語っていた。他にも正座をしていて感覚が無くなった足で歩いているかのような感覚という人もいる。人によって欠損からの再生を経て、その感覚は多種多様に表現されるが、デニスにはそれが無い。

 久しぶりに歩いただとか、そういう程度ではない。

 「歩けるでしょうか……」と心配していたデニスは、困惑しながらもただただ普通に歩く。


「驚きました……」

「貴方がこの国の王であるデニス殿下ってことに私たち共々は驚いたわよ」


 飛び跳ねる、回る。

 足があれば確実に出来る芸当が普通に出来る――異常と言える治癒術。伊達に神ではないとシエラは胸を張った。

 褒められるあまり、鼻を高くしてスティーにドヤ、と誇らしげにするシエラはまるで妹のようだ。「凄いです、シエラ様」と褒めて頭を撫でるスティーはもはや姉だ。


「それは兎も角として……いつ見ても、神様の力って凄いのね……」


 セリカがシエラの力に感心する。


「ねえ、シエラ様。俺にも『活』ってやつ出来るのかな?」

「うーん……魔力の扱いを極めれば出来るよ」

「『活』って魔法名なの?」

「違うよ。神としての力の出す量を制限するために言ってる」


 制限とは? とその場に居る皆が思った。


「私が力を使う時に発する言葉――――祝詞のりとって、用途を定めたり、力を出しすぎないようにって私自身が象形しやすいように言ってるの。普段は言わなくても良いんだけど、この方がやりやすいんだよね」

「言わなかったらどうなるの?」

「特に何も。昔からのクセ……祝詞とか何も言わなくても力の制限は出来るようになったし」


 でも、分かりやすいでしょ? と言うシエラに、レオは半笑いした。


「まあ、言っちゃうなら――――カッコイイから、あとやりやすい」


 特に理由はない、正しくは無くなっている――それが答えだった。


「…………まあ、その話は置いておくとして、三ヶ月半? だっけ……何があったのか聞いても良い?」


 本題に入る。

 シエラが気になったのはデニスの怪我の原因だ。


「何か、争いごとがあったかのような怪我だよね。セイラちゃんは「私のせいです」って言ってたけど」

「『強欲』の勇者ミドル殿に負わされた傷です」


 セイラのせいではないと理解するシエラに、デニスが間髪入れずに答えた。

 それに対して、シエラは勇者と喧嘩でもしたのかと聞くが、そうではないともデニスは言った。


「『強欲』の勇者ミドル殿は、横暴横柄、暴虐の性格をしております。彼の怒りに触れ、弱き身ではありますが、抵抗しようとしました……その結果、恥ずかしながら……」

「ふんふん……理由はわかった。良く逃げられたね」

「幸い、レオ殿に助けていただきました」

「へえ…………レオ、勇者と戦ったんだ」

「意外と、戦闘に向いた役割をするのね…………私たちの重要な戦力ね」


 シエラがレオを尊敬の眼差しで見やり、セリカが感心した。

 だが、その後数秒間程沈黙が続く。

 スティーが、会話の途中から食べていた焼き鳥櫛串を落とした。


「エェェェェェェェェェェェェーッ!?」

「はああああああああああああああああああ!?」

「や、やきと――――いやそんなことよりこの国の勇者と…………!? ど、どう戦ったのですか!?」


 シエラとセリカが驚愕のあまり叫び、スティーが目を見開いたままレオの肩を掴んで揺さぶる。


「圧倒しておりましたぞ」

「相性の問題だったと思うけど」

「相性うううう!? そんな単純なことで倒せるようなら誰もが真似してるわよ!! 戦ったって言うなら能力も分かったんでしょ!? ちょっと教えて頂戴!?」


 スティーの次はセリカがレオの肩を揺さぶって質問攻めをした。

 これから戦うにおいて、撃退目標と交戦したという情報は貴重な情報だ。ここで逃すわけにはいかないとセリカは必死になってレオに聞いた。

 だが、女性たちが前線に出て戦うことを良しとしないレオは「えー……でもな……」となかなか答えない。


「ではデニス殿下。貴方はその交戦を見ていたと……詳細をお聞かせしてもよろしいでしょうか。レオさんは明かす様子もないので……貴方に聞きます」


 そして、早速ここにいる冒険者を招集して戦いに出ると言うセリカを素早くレオが制止した。


「それは駄目だ」

「どうして? 情報を吐く気が無いのなら――――――」

「『強欲』の勇者ミドルは何かしらの覚醒をした。もう俺が戦った時と同じ戦い方では上手くいかない」

「…………どうしてわかるの?」

「約二週間前に、来る途中で凄まじい気配を感じたから」

「それだけ?」

「うん。それだけだけど、行けば君たちは殺される。殺されるだけで済めば良いかもって目に遭わされるよ」


 実際、仮に覚醒とするミドルの変化が起こる前でもセイラは酷い目に遭った、とレオは説得する。

 どれほど強力になったかも分からない状態では交戦するだけ無駄だ、とも言った。


「今は、ここに隠れ住みながらミドルの能力を少しずつ探るべきだ。そうだな……なんなら、娼館や他の場所に居たり隠れたりしている女性たちもここに避難させた方が良い」


 セリカへの説得、レオは真面目に言った。


「それが賢明だと、私も思うな」


 なかなかレオの言う事に納得のいかないセリカに、シエラが横からレオの意見に賛同した。

 スティーに関しては、聞いてから判断するべきだと言う考えのようで、一先ずは三人の意見を聞く姿勢を崩さない。その様子にセリカは煮え切らないながらも、「なんで?」シエラの意見を聞くことにした。


「レオ、それは確かに『強欲』の勇者ミドルの気配だったの?」

「勇者かどうかについては確定していないが、あの勇者の住む王城の方角から強い気配を感じたのは確かだ。禍々しい……人が「厄災」と呼ぶにふさわしい気配だった」


 レオの回答に、シエラは心当たりがあるようで、結論から出す。


「それは、自身の能力の解釈を広げたことによる変貌だと思う」


 自身の能力の解釈を広げる――聞いたことのない情報だ。

 意味が分からないという顔をしている四人に、シエラは続けていった。


「分かりやすい例で言うと、凍結魔法かな。凍結魔法ってどうして火の属性魔力を用いる魔法なのかな? 普通は水の属性魔力を用いた魔法だと最初は考えるよね?」

「…………それは、火の属性魔力が温度を上下させる力も有するからでしょう?」


 シエラが例に出した疑問に、セリカが常識であるかのように答えた。


「最初、神が人間に魔力という力の扱いを教えて、人間が魔法を使うようになって、火の属性魔力を用いた魔法を開発した――最初は火を発生させる、放出するような魔法だった」

「つまり、人間は火の属性魔力を「火を扱う属性魔力」だと解釈したという訳ですか」

「正解だよスティー。そしてその後人間は氷を生み出す魔法を開発したがった――でも水の属性魔力を用いようと氷を発生させる魔法が出来上がらない。どうして? って人間たちは悩んだ」


 人間は神に誓った――自らの力で、神より与えられたこの魔力を、使いこなして見せます。

 そう言っておきながら、神に「この魔力をどうすれば、目的の魔法を扱うことが出来る?」などと聞けない、と人間は悩む。


「火は熱い。氷は冷たい。熱いと冷たいは異なるものであっても、似た事象――人間は火の属性魔力を使うのだと理解したという事ですか? シエラ様」

「流石スティー。それが「能力の解釈を広げる」という事だよ」


 正しくは魔力だが、と付け加えるシエラに、レオはミドルの能力を明かす。


「『強欲』の勇者ミドルの能力は分身の能力だった。という事は、分身能力は今までと同じように使えるのだとしても、その解釈を広げた能力の使い方をしてくる――戦うためには、幾つかの情報を得てから戦うべきという事か」

「うんうん。それを私も言おうとした」

「かなり強力になっていると考えられますね。もしかして、シエラ様がデニスさんに使用した力も、神としての権能の解釈を広げたようなものなのでしょうか」

「強いて言うなら応用かな。解釈を広げた権能の力はもっと重要で複雑な時に使うかな~今が使う場面じゃないのは確か」


 応用で力を使うのには、力の制限や集中力、心象など様々な要因を必要とする――即ち応用して権能を扱うために『祝詞』なるものが必要だったとシエラは言った。

 普通――『祝詞』または『呪文』、『詠唱』はより魔法を強力にしたい時に発するものだが、神が使えば『祝詞』すらも応用して使うことが出来るのか、とレオは感心する。


(神ってやっぱり、凄いんだな)


* * * 


 街よりも大きさで言えば小規模なはずの地下空間で、おつかいを頼まれ買い出しに行く。

 それだけなのに疲れた――数粁は歩き、足が痛いとミサは嘆いた。

 買ったのは夕食用の野菜等の食材だ。今日の料理は何にしようか、何がいいかと考え、そろそろハンナの好き嫌いも直させるべきかとも考えながら、ミサは歩いていた。


 腕いっぱいの量を買ったというのに、食材の値段は破格。

 耳を疑う値段――ディトストル貨幣で千エルク。ディトストルの貨幣はテュワシーの貨幣の二倍ほどの価値があると言うが、それでもかなり安いのは確かだ。

 最初はいつも通りの値段でいい、逆に申し訳ないと通常の二千八百エルクで払うと言うミサだったが、店主の「今日はめでたい日だから」という言葉に、甘える結果となった。


「本当に良かったのかな」


 それにしても、めでたい日とはどういう事だろうか――疑問に感じてながら、いつも居る場所へと到着する。

 凍結魔法の陣術が施された保存庫に食材を保管してから、騒ぎの収まらない集団の中に加わった。


「――――――――――――――――――――――」


 集団の中で歓迎されている女性たちが人々の真ん中に居る中で、その中に会いたかったと願った人物の姿があった。

 腰に抱き着いて「おかあさん、おかえり!」と言う娘のハンナの声すらミサの耳に届かない。

 村での大親友、十数年一緒に過ごした仲である女性。怖がり、臆病、声がまるで小動物のような可愛さで、容姿も可愛くて男性によく言い寄られてはこちらに助けを求める黒髪の女性。


「サラ!!」


 中等部の子供だと間違えられては、頬を膨らませて怒る彼女の顔を、蟻の行列をずっと眺めてぼーっと縮こまる顔、笑顔をもう一度見たいと、彼女が攫われてから何度も思った。


「――――――――! ミサ……」


 ハンナを近くに居る女性に頼み、群衆を潜り抜けながらこちらに気付いたサラへと向かう。

 怪我が無くて良かった、酷い目には合わされていないか? 聞きたいことはたくさんあるけれど、生きていることが一番嬉しい。

 目の前に来て、サラの元に辿り着いてミサがしたことは抱擁だった。


「良かった…………」


 力一杯に抱き締める。「苦しい」と言われてもお構いなしに、いつもやっているように抱き締めながらサラの頭の匂いを嗅ぐ。

 

 いつも、彼女の頭を嗅ぐとすごく良い香りが――――しなかった。


「汗臭っ……!」

「ひどいっ!!」


 感動の再会が今、消え去った。


 ――攫われて、閉じ込められて、やっと解放されたと思えば顔も性格も怖い人が目の前に居た。

 いきなり胸を鷲掴みにされて痛かった。外では嫌いな雷が鳴っていたし、連れてこられた場所は牢。自分のいる横には本で見るような拷問器具がずらりと並んでいて、これから自分は殺されるのだと理解した瞬間に、牢の隅に必死に逃げるようにして蹲ったのが攫われてからの最初の記憶だ。

 どうやって攫われたのかは覚えていない。

 いつも通り、家で本を読んで勉強して、大親友のミサの家に遊びに行こうとしていた所で首のあたりに衝撃があったまでは少しだけ覚えている。ミサの娘であるハンナの為にお勧めの絵本を届けに行っていた最中だった。


 ――ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! 殺さないで! 私何もしてないです!


 トマホークと呼ばれていた筋肉質の男性に「うるさい」と拳で殴られた。

 もう一つ言われたことは「お前はおやぷんの穴!! おやぷんが満足したらお前は首切って標本! お庭に飾る!!」だと脅された。衝撃を受けると同時に恐怖のあまり失神した。

 胸を揉ませれば、殺すのはやめてやると攫った男性に言われたので、乱暴に揉まれて痛いのを我慢する日々。辛かった。

 毎日与えられる食事には何だか粘りのある白い液体が掛かっていて、それが何なのかわからないが不味い上に栗の花の匂いに似た臭いがして、腹が空いているはずなのに食欲が減る。我慢して食べるがとにかく不味く、生臭い。

 ただでさえ美味しくない食事が一層、味が酷くなっている。


 ――もういやだ。


 何回泣いたか数えていない。近くの牢に閉じ込められている貴族の女性たちに慰められるも、その声は震えていたし、連れていかれる女性たちは「嫌だ」と泣き叫び、最悪の場合トマホークに殺されていた。

 ある時からトマホークが仕事だと言うことで、痣などの傷が生々しく体に刻まれた女性が食事を持って来るようになった――「大丈夫ですか?」と声を掛けると涙を流された。トマホークにやられたらしい。彼女の名前はステラと言った。あまり上手くは扱えないものの、回復魔法により傷を治してやると、笑みを浮かべて「ありがとう」と言われ、救われた気がした。


 ある日から、貴族の女性たち含め牢に来なくなった。

 途中、いきなり雷が落ちるなどして怖かったが、乱暴に胸を揉まれることも無くなったし、食事が運ばれてこないもののまだマシだった。


 ――お腹空いた。


 空腹時、村での食事を思い出しては泣いていた。

 食べ切れなくていつも残してしまっていた野菜が凄くもったいなく感じる。好き嫌いをすることが凄く愚かなことだったとここで初めて知った。

 その翌日に、足音が近づいてくるのを聞いて、声を殺して隅に隠れる――隠れると言っても、体を小さく屈めているだけだったものの、やらないよりはましかと思ってやった。

 あの乱暴な人が返ってきたのだと思ったが、違った。


――あ、居た居た。こんにちは、元気?


 鍵を開けられて、手を差し伸べられて「胸を揉ませろ」という意思表示かと最初思った。

 ここに来る男性二人のうち一人はそれが目的だし、目の前に居る前髪長めの男性もそうなのだと思って、殴られたくないのと、殺されたくないので、ゆっくりと服を脱ぐ。

 鍵を開けられたという事は、自分がこれから連れていかれるんだと思い、もう最後だからと諦めて彼の腕を取って、下着の中で触らせた。


 ――ェーッ!?


 当時何故かはわからなかったが、鳩が小石を投げられたような顔をされた。


 ――やばいよ!?  どうしたの牢に入れられっぱでどうにかなっちゃ……たのかいな……? え、これって合意は得られてるよね……いいんすか。触りやすでな、ほな失礼しやして…………凄いな……こんなでっかいの触ったことが無い……。


 優しく、そしてかつ労わるように揉まれ、異変に気付く。

 その人が助けに来たのだと知ったのは、その数分後だった。背負われながら羞恥心に身を漕がれそうになったのは言うまでもない。


 その間に渡された麦餅は牢の中での食事とは違って、美味しかった。

 もっと食べな、と渡された果物にかぶりついた時など、頭の中では幸せが広がっていく感覚があった。

 

 その人と過ごした約四ヶ月――何度もお礼を言おうとしたが、緊張のあまり言えなかった。

 いつもの男性に対する恐怖心か? と考えたがそれのどれとも違う。胸が鼓動を強くして、目が合う度に体が熱くなる。胸を見られて、いつもならちょっとだけ嫌なのに、その人だけには自分をもっと見てほしいと願うようになって、だけども見られると彼の恋人と思しき人の背中に隠れてしまう。


 名前を、呼びたい。呼んで、お礼が言いたい。


「ほらサラ。お礼、ちゃんと言わなきゃ……言ってなかったんでしょ?」


 大親友に背中を押されて、レオの元に出される。

 前髪に隠れていてわからないが、相手はどんな表情をしているのかが気になって目線を上げた。


「えっと……どうしたの?」


 牢で初めて会った時のような微笑みでレオがこちらの様子に首を傾げる。

 後ろを見ればミサが「行け」と合図を送る――もう声は出る、勇気を出せと自分に言い聞かせて声を出す。


「あ、あのっ…………」


 レオが驚いた表情を見せた。


「四ヶ月間、色々と助けてくれてっ緊張して話せなくて、ご、ごめんなさい……あ、ありありあり……ありがとうございましっ!」


 盛大に最後を嚙んだ。

 顔から火が出るほど恥ずかしかったものの、謝るより先にレオが少し笑って言った。


「なんだ。嫌われてたわけじゃなかったんだ――良かった。こちらこそありがとう、いい経験になったし……まあ、ね……うん! ってか、声初めて聴いたな、めっちゃ可愛い声してるんだね。ああ、いやいや今のは特にやましいことがあっての発言じゃないからっ! じゃあ、また」


 そう言ってレオが去っていく、一方でサラは緊張してがちがちに固まったままだった。

 「言えたじゃん」と後ろからミサが抱き着く中、彼女の腕の中でサラが声を出す。


「ふ…………ふぉぉおお…………ひょおおおおおおお……!!」

「えっ、どうしたのサラ」

「か、か、可愛いって言われた……可愛いって……可愛いって……言われちゃったっ」


 ミサが今までで見るサラの行動の中でも、初めて見る姿――ミサは「良かったね」としか言えなくなった。


* * * 


 サラとの会話の後、歩いていると目の前に居た。

 何でここに? と脳裏に過る。

 当時より少し、大人な雰囲気を帯び、さらに魅力的になった気がする。心臓が締め付けられたかのような感覚と、背中にヒヤリとした感覚、冷や汗が流れ出す。


「お知り合い? じゃあ、私は失礼するわね」

「ありがとうございます。ヘレンさん」


 一人がその場から離れていく。


「久し振り、レオ」

「元気してた?」


 光沢があり、艶やかでよく手入れされ、腰まで伸びる黒く美しい髪色。目の半分まで前髪で隠れているが、目をよく見れば、吸い込まれそうなほど美しい黒い瞳がまじまじとこちらを見やっていた。服装は好みが変わっておらず、ゆったりとして露出度の低い服を着ている。

 もう一人に関してもさらに美しさに磨きがかかっていた。シエラよりか少し金色の混じった白金色の髪は他の女子から幾度も羨ましがられていたのを覚えている。その瞳は灰色をしているものの、鏡色にすら見えるくらい奇麗で、見つめ合っているだけでも満足出来るだろう。こちらも服装は露出度が低く、肌を晒している部分など首元と顔しかない。

二人とも、学生時代は毎日十通以上の恋文が送られていたほど人気な女性だった。

 そのきめ細やかな肌だけ見れば、実年齢よりも十以上下に見える。


「会いたかったよ」


 黒髪の女性が言った。

 相変わらず、良い意味で耳に悪い声音をしている――否、昔よりも色っぽく、更に心臓に悪い。


「忙しくて、会いに行けなかったけど」


 残念そうに白金色の髪色の女性が言う。

 二人して、心臓に悪い声をしている。勿論良い意味でだ――ずっと聞いていたいさ。だけども、本当はもう会うべきじゃないものだと思っていた。


「そ、ソフィア……エヴァ…………」


 心臓の鼓動が、とにかく五月蠅かった。

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