12th.未練
ボロボロの姿になった自分を「大丈夫?」なんて口にして心配する当時の恋人二人……好きだった女の子と暴発した『着磁』から救った女の子の顔を、今でもたまに思い出す。
その時ばかりはちょっとだけ「筋肉付けとくべきだったな」とか、自分を殴ってきた男子の体付きに嫉妬心すら抱いて…………無力感に打ちひしがれたのをよく覚えている。
ダサいよね――男として。
ダサいって言ってくれないかな。
ああ……意識が遠のく。
「ダサいよ――――――――――――」
好きだった女の子のその一言に傷つくと同時、自分のカッコ悪さを少しだけ罵ってほしかっただけに安堵して、意識を手放した。
「二人掛かりで、一人相手にこんな目に遭わせるなんてっ!」
その言葉をレオは聞いていなかった。
「ダサい」と女子に言われてたじろぐ男子二人。
レオと、女の子二人――「別れよう」の言葉すらなく、自然消滅だった。
いや、本当はレオの方から、避けていただけだ
本当は好きだったのに。
あの「ダサい」という言葉を心にずっと抱えていた。
きっと筋肉の付いた男の方が好きだったんだ――俺の事は最初から好みじゃなかった。
きっとそうなんだ――馬鹿らしい。
努力なんてしたくない、怠い、面倒臭い、疲れる、筋肉痛とか嫌だな、人間の動きは電気信号によるものなんだから、雷の属性魔力を極めれば筋肉を鍛えなくたって、どんな勝負にも勝てるようになるさ。
沢山の女の子の心だって射止められる。
* * *
暗がりを歩く――普通の女の子なら「キャー怖いっ!」と言いながらこちらの肩に抱き着き、それを自分が慰め……やがて恋が芽生える。
そうレオは思っていた。
何せ、今歩いているのは迷宮の中だ。
油断すれば命を落とす可能性だってある迷宮の中を歩くのは、グンディー先生とメリア先生と、レオの三人。
最初、この三人で迷宮内を行動すると聞いた時、メリアとグンディーは目に見えて嫌そうな顔をして好調に打診しようとしていた。そんなに嫌われているのかと若干傷ついたが、今までの自分の行動を顧みるに「それも当然か」と受け入れ、そして今に至る。
「メリア先生」
「話し掛けないでください」
氷の如き冷たい返事に、レオは押し黙る。
センリ大学校の女学生たちはメリアのことを「憧れの存在」だと尊敬し、その容姿の良さから一挙一動の度に黄色い声が上がるのをよく見た。
「…………じゃあグンディー先生」
「殴るぞ」
この三人の関係性は悪し、と言ったところ。
なんというか、協力しての戦闘に関して難易度が高そうだ。
「…………」
沈黙が続く。気まずい空気が辺りを包む――アレンが居れば、彼との会話が弾み、楽しい迷宮探索になるかと思うのだが、どうして組を決める担当者はこの三人に決めたのだろうか……レオは理由を聞きたい気持ちに駆られた。
「なんですか」
ふと、メリアがレオに話し掛けた。
それに対する「なにが?」というレオの返答に、メリアが苛立ちを覚えたような表情を浮かべつつも「さっき呼んだじゃないですか」と一言。
数秒して、レオが手を叩いてそういうことか、としようとしていた質問をした。
「メリア先生って、どの属性魔力を扱うのが一番得意なの?」
「何故、そのようなことを? くだらない事だったら容赦しませんよ」
信用が無い――それはさておき、レオは「いいからいいから」と聞いてみる。
別にやましい気持ちなどは無い。協力して戦闘する際に互いに得意な魔法等を聞いておくのは重要なことだ。
「……火の属性魔力です」
疑いながらも、メリアは答える。
ただ、一番得意なのがそれなだけで、大体の属性魔力は扱えるみたいだった。
グンディーの方は水の属性魔力が得意らしい。
「ちなみに俺は雷の属性魔力――――」
「聞いていません」
本当に、冷たい。
レオと言えど、泣きそうになる程度だ。同組の女子たちだって何かしらの反応を見せてくれていたりと、良好的(?)な関係だったのに、相手の年齢が変わるだけでこうなるのか……いや、シエラに関してはメリアやグンディーよりか遥かに年上だから、その考えは誤りか。
――この先の迷宮探索学習、二人とどう連携してやっていくかを考えなくては。
そうレオが拳を当てて考えていると、今来た道より戦闘の音がした。
ぴたりと動きを止めたレオに対して、メリアが「早く行きますよ。何してるんですか?」と急かし、グンディーは「ぼさっとするな!」と彼の頭をばしんと叩く。この様子からして、二人は気付いていない。
本当に、微かに聞こえた。
剣と剣が交わる音――質量のあるものが壁に打ち付けられる音。
(魔物が発生した?)
そんなはずはない。
この迷宮のこの階層ではそれほど危険な魔物は居ないと断言されている――実際、目撃情報すらないし、仮に現れたとしても多額の賞金目当てに冒険者が真っ先に倒しに入る。
「何をぼーっとしてるんですか」
後ろの方に目を向け、聞こえてくるかすかな音に集中するレオの様子に二人は一向に気付かないまま、時間だけが過ぎる。
妙だと思い、すぐさま聴覚強化魔法である『集聴』を行使し、更に細かい状況を把握することにした。正直なところ、文句を言ってくる二人に静かにしてほしいところだとレオが感じたところで、いつもとは違う彼の様子に異状を理解し、黙る。
辺りが静かになった時、レオは確かに悲鳴を聞いた。
「やめて」という声と、笑い声。
魔物では無い何かが生徒たちを襲っているのだと理解し、レオがメリアとグンディーに即時報告。最初は彼の言葉を疑う二人だが、真剣な表情には何も言えず、臨戦態勢を取る。
「ここで戦うには狭すぎるから、もうちょっと行った先の広い空間で敵を迎え撃つことにしよう」
「……この通路で大丈夫なのでは?」
「メリア、ここはハミルセンの決断に委ねた方が良い。今、確かに私も確認した――――魔物じゃない。人が人を襲っている。通路では横に動きづらいし、魔法で迎え撃つにしても両方動きに制限が掛かる」
相手の動きに制限が掛かっているところに魔法を撃ち込むのも手ではあるが、それでは帰還する際の通路が塞がれてしまう。
その言葉を聞いて、少し不愉快ながらもメリアはレオの提案に従った。
「メリア先生、俺を嫌うのは別に良いんだけど今だけは連携しよう。音からして分かるけど、後ろに居るヤツめっちゃ強いと思う――――俺ら三人でまとめて掛かっても勝てるかどうか怪しい」
「…………」
「メリア先生?」
「…………ない……です」
「え?」
レオからの言葉に、メリアは共に走りながら五十糎ほどの長さの魔道杖をぎゅっと握り締め呟く。
「私…………戦闘経験が……無いん……です……」
レオも、グンディーも目を見開いて驚愕の声を漏らす。
実戦経験が無いとは言うが、毎日のように強力な魔法を生徒との模擬戦闘で使っていたではないか。その際も落ち着いた対処を取れていた。
「模擬戦闘では――――――」
「模擬戦闘はっ……誰も死なないし、殺さないし…………あくまで、訓練ではないですか……」
メリアの横顔が曇る。
魔物との戦闘経験も、学生時代に弱い魔物を相手に戦っただけで、人相手の殺し合いなど以ての外。相手は殺してくる、死にたくない、殴られる、怖い。
メリアの中で、心臓が鼓動を強くする。
隣で走っているレオにまで聞こえそうなくらいだ。
(迷宮探索中……あんなに冷たい態度を取っていた自分がこんなこと言って……きっと幻滅してる…………)
図書室での勤務も、戦闘する機会が少ないから希望した。
生徒たちは本気で掛かってこないし、攻撃の隙を突かれるにしても教師陣が「そこまで」と待ったを掛けてくれるから指導には就けられる。
自分が、蹂躙されるという想像が脳裏に過る。
(逃げたい……!)
この杖も、どうせ自分は全線で戦うことなど無いからと安いものを買った。
生徒たちにちやほやされて、気持ちが舞い上がって、教師と生徒間で手は出されないからとさっきみたいに男子生徒によく嫌な態度を取ることだって。
「メリア先生、体調悪いの?」
前髪の隙間から、レオの視線が突き刺さる――彼の視線が、今だけは怖い。
「メリア。甘えたことは言ってられないぞ」
広い空間のある場所までの距離が遠く感じる。
現役の冒険者でもあるグンディーは多分、慣れているから臆することなど無いのだろう。一方で自分は、ギルドに登録しているだけの、ほぼほぼ初心者。
呼吸が荒い……とりあえずは落ち着かなくては。
「!」
後ろから迫る足音にレオが真っ先に反応した。
次に、周りの状況に図らずも敏感になってしまっているメリアが気付く。
足音の主の速度は並の人間ではない――――いつの間にか、後ろに居て、メリアと目が合う。
紫色の髪の毛、隻眼で金色の瞳の三白眼。
(魔族――――――――――――――)
デュグロスだ。紫色の髪と金色の瞳という特徴が一致する――教頭先生もデュグロスだという事は知っていたが、彼女は先天性のもので特徴は違うものの他のデュグロスと違って人は襲わない…………多分、こっちの方が本当の意味での、人間を襲う魔族としての「デュグロス」なのだろう。
いつもは動体視力なんて戦闘を生業としてる冒険者の足元にも及ばないはずなのに、なぜか今だけは目の前の男の動きがゆっくりに見えた。掌をこちらに向けて、その掌はやがてこちらの首の方へ。
デュグロスは満面の笑みを浮かべているし、多分だけれども、この人はこちらの精神がすり減り切るまで痛めつけようとしてる――――学生時代に自分を虐めてきた男子生徒と同じ顔をしていた。
罰が当たったんだ、とメリアが自分の未来を受け入れようとした時、レオの拳がデュグロスの頬を捉えたのが、メリアの目に映る。
「走れ!!」
レオがメリアの手首を掴んで走ると同時、叫ぶ。
グンディーが彼に対して、戦闘の音の主は今の奴かと叫んで聞き、レオは肯定、グンディーが氷結魔法で通路を塞いだ。
「私はあまり氷結魔法は得意じゃない! 長くは持たないぞ!?」
「数秒でも時間稼ぎが出来れば十分でしょ!」
この三人の中で一番冷静だったのは、レオだった。
まず、来た道を高速で走り追いかけてくるデュグロスに対して、彼は対応すべく『勁』を行使し、向上した動体視力で相手の攻撃を分析し、一つ上位の『勁・攻猛』に切り替え、殴打。
倒すという事は諦めて、取り敢えずは動きを止めることに留意しながらも、女性に手を出すという事を咎める意味で一撃を加えた。当たったのは、運が良かっただけか、それとも相手が油断していたか、それともただ単に拳の位置が相手の死角に入っていたか。
(…………絶対強い)
退治しただけでもわかる相手の雰囲気が持つその力量に、レオは汗を一粒流した。
肉体は鍛え上げられており、動きについては並の冒険者では足元にも及ばない程度の俊敏さと、技巧を兼ね備えていたし、本当に一撃を入れられたのが幸運だったとレオは思う。
――今は逃げの一手を選択するしかない。むしろそれが最善策なのだが、懸念点で言えば、自分との協力でより逃避が可能になりそうなメリアの様子がおかしい事だ。
何かしらの心的障害? 様子を見るにそれなのだが、精神医学など履修していないし、治療法だってわからない。さっきまであれほど冷たく当たって、余裕のある表情を浮かべていたのに……。
(今までの学校生活でのメリア先生は、どこかしら強がっていたのかな)
思い当たる節はある。
思い返せば、学校の外――細かく言えば都市外――に出て魔物との戦闘実習を行う授業の際も、少し落ち着きがなかった。女子生徒から実際の戦闘技術を見てみたいとせがまれた際もはぐらかしては戦闘の得意な教師に任せていた。
薄々、戦闘が苦手なのかなと思っていたが……その通りだったか。
そうならそうと言えばいいのに、なぜ言わなかったのか。
尊厳? 失望させたくなかった? 期待を裏切りたくなかった? 無意識のうちに自身の心を守る為の行動に出たとかか?
(どうしようか)
後ろの方で氷を砕く音が聞こえた。
不味い、とレオは目を細めてメリアを持ち上げる。
「!?」
メリアが驚愕の声を上げるのさえ気にせず、レオは彼女を背負いながらひた走った。
グンディーの方は冒険者をやっているし、走力も問題ない――これなら逃げられる可能性だって高まる。
「メリア先生。運動して無さそうだとおもっていたんだけど、意外とそうでもない体してるね」
「なっ……!? 放しなさい!!」
唐突に不埒な発言をするレオに、メリアは顔を真っ赤にしてばっと体を離そうとする。
離さないレオに対して「下品」「不埒者」「色情魔」などと言葉を浴びせるメリアに、レオが言った。
「緊張、解れた?」
「!」
メリアの目が見開かれる。
その横で、グンディーが「お前……」と意外そうな反応を見せた。
「メリア先生の昔に何があったか知んないけど、今は協力関係を、共闘するに必要で充分な交流と作戦を、必要最低限戦うに当たっての気持ちの整理と落ち着きは必要――――さっきから様子が変だなって思ってたけど、まあ何かあったんだよね。ずっと図書室に居るのも、戦闘する機会の少ない役職だからと思えば辻褄が合うし……」
失望されているわけではなかった。
幻滅されているわけでもなかった。
「……………………ごめんなさい」
さっきみたいな態度を取ってしまって。
「私……もう、恐くて何もできません……。恐くて、体が言うこと聞かなくて……」
「うん」
「一緒には、戦えません…………ごめんなさい……」
「そっか」
「広い空間が見えたぞ!!」
加速し、広い空間に入った。
「メリア先生。怖くて動けないならそのまま精一杯力入れて俺から離れないようにしてくれる? ――おっぱいの感触楽しみたい。メリア先生の、おっきくてやわっこいや」
「猥談してる場合か!?」
広い空間の奥の壁まで迫って、振り返れば追い付いてきたデュグロスの男が目の前に居た。
「オレに一撃入れるなんて、やるじゃねえかオイ!」
「それだけじゃないよ」
笑みを浮かべながら叫ぶ男に、レオが冷や汗を滲ませながらも不敵な笑みを浮かべ、足元に落ちている拳大の大きさの石を拾って、素早く投げる。
「あ?」
自棄になったかと男は拳で投げられた石を砕く。
「!?」
砕かれた石の欠片一つ一つが男の頬に突き刺さる。
『着磁』だ。殴ったと同時に、磁力を付与する魔法を男の頬に付与した――投げた石には対する『着磁』を付与していた。初めての試みだが、うまくいったことにレオはしてやったりと微笑む。
対して男は、満面の笑み。
「……!」
欠片でズタズタになったはずの頬が、みるみるうちに再生し、治っていく。
「名前、教えろ」
「レオ」
「教える必要ないだろ!!」
「黙ってろ女」
殺すぞ、と男が威圧するとグンディーが黙る。
普段勝気な彼女がこうまで怯むとは――それほど戦闘能力の差があるのか、レオは益々嫌になってきた。
「オレは、イーサンだ。事情あって、お前らも半殺しにする。一人、女をやり損ねたが……」
「尻捲って逃げた、の間違いじゃね~?」
煽る。煽り、相手の冷静さを欠く。
「いいな、お前。度胸も認めてやるよ」
「レオ……何をしている……!?」
「黙れ女喋るんじゃねえよ。お前は二度殺す、犯して殺して殺すわ」
なるほど、とレオは敵の分析を始めた。
イーサンという人物は、恐らくだが頭が切れる。こちらからの口撃もとい冷静さを欠かせる為の煽りも通じないと見て間違いない。おまけに、グンディーが自分に恐怖を抱いたという事も瞬時に察知してから、脅迫じみた言動をもってこちらの人員の冷静さを失わせている。
(やり辛い…………)
このままでは勝てる気がしない。
メリアを背負っていることによって動きは制限されるし、思った以上の俊敏性も出せない故に、相手の動きについていけない恐れがある。
――そんな足手纏い、捨てちまえよ。
心の中で、嫌な奴の顔がちらついてはレオの信条に反する言葉を吐いてくる。
(うるせえ……クソ親父……)
従わない女を殴り、蹴って黙らせるような最低な父親。
――自分だけ生き残ってりゃ、十分でしょ。他人の事なんかいちいち見てる暇ないわよ。
(うるせえ……)
最低の父親の嫁である母も母、自分の都合でしか他を見ない。子供の世話すらも面倒だと、幼少期から自分が宿屋に住むようになるまでの間あらゆる家事を無理矢理にやらされた、親の愛情すら与えてもらえなかった。親父に同じく殴る蹴るが当たり前。
そんな二人の言う事など……聞いてたまるか。
女好き――それが自分。
尊敬する人から貰った本の、英雄に倣う――それが自分。
――やっぱさあ、女の子って宝石だからさあ。傷が付いてちゃ奇麗も台無しだよ。傷があっても奇麗に変わりはないんだけど、完璧だと尚良いよねって話。
――女の子に似合う涙って嬉し涙だけなの知ってるか?
――男なら、怯えてる女の子の支えになるくらい出来ねえなら去勢しろ。
英雄ウェルガンスの言葉。
最初、読んだときは衝撃を受けた――女好きで、男に対しては淡白な態度しかとらないが、女が絡めば態度改め真剣に、実直に本気で敵に立ち向かう。
格好良いと思った、こんな人間になりたいと心の底から思ったのだ。
「その女ども、使い物にならねえから捨ててた方が良いんじゃねえか? サシでやろうぜ」
イーサンの言葉が、レオの逆鱗に触れる。
「…………これは、お前に有利に動いてやってんだ。足手纏いでも何でもない――この人たちは、十分に戦える。荷物じゃねえ」
冷静さを欠かず、静かに怒る。
イーサンは「どういうことだ?」と首を傾げ、レオは背負われているメリアに声を掛けた。
ここで、目の前の魔族を、退ける。
「メリア先生、やろう!」
声を掛けられたメリアはふるふると首を振った。
先程のレオの猥褻な言動にすら反応できていなかった。イーサンを相手に地に立って戦うことはもう出来ないだろう。だが、レオはメリアを足手纏いだとは思っていない。
「メリア先生、戦える。貴女がやるのは、俺の支援――今から言う事を、しっかり聞いて、そこだけに集中してほしい」
それだけなら出来るはずだと、レオは励ました。
「覚悟しろよ。イーサン……お前が足手纏いやら捨てろやら言った女の子が、お前を倒すきっかけになるんだからな」
ハッタリのつもりは、一片もない。
「ハッ!」
有難くも、イーサンは二人の事を見ていない。これ以上動けないと見ている、油断している――今が行動すべき時。
レオの選択肢が一つになる。
(こいつをここで、ブッ倒す)
* * *
凍死寸前――それが肝。
体全体が痺れを通り越して痛いくらいに――それも肝。
気分が最高潮に達する程に――それも肝。
最高潮に達した気分が最底辺になるくらいに――それも肝だ。
体を頑丈にする思考を巡らせながら、自らが石になるような――肝だ。
自身が竜巻の渦の中心にいるかのような想像で――肝。
溺れるような潤い――肝。
命を燃やして、体全体から力がみなぎるように――一番の肝。
最初、文献に見た時「丁度いい塩梅で」だなんて書いてあって「正気か?」と思ったものだ。
それまでに見た魔法の魔術理論には細かく、どの均衡度合いでそれぞれの属性魔力を込めればいいのかが明確に描かれていたのに、その魔法だけは「丁度いい塩梅で全ての属性魔力を自身の体に付与させる」なんて適当な文章で占められていた。
もしかして、この魔法の魔術理論を書いた人は頭がおかしくなった時に書いたのか、なんて思ったが……。
(なるほど……これが「丁度いい塩梅」か……確かに)
火の属性魔力が得意なメリアに加え、水の属性魔力が得意でありながらも冒険者稼業で日常的にすべての属性魔力を扱っていたグンディー。その二人に、雷の属性魔力以外の属性魔力を自分に込めてもらう。
「何をする気だ?」
ニヤニヤと、手品を見るみたいに、腕を組んでイーサンが聞いてきた。
「自爆でも考えているのか? やめろ。俺はそんなつまんねーことしてほしいわけじゃねえ」
余裕の表情、舐めた態度。
本来、卓越した戦闘能力を持つ者はここで、容赦なく攻撃を仕掛けてくるのだろう。だが、イーサンが攻撃を仕掛けてこないのは魔族たる所以か? 魔族は、相手の魔力の動きやその性質が良く見えると聞く――それを見るに恐らく、自分が無茶な属性魔力の使い方をしていると踏んで、自爆と認識している。
「自爆でも考えているのか?」と聞いてきたのがいい証拠だ。
(自爆なんかじゃない)
自爆なんか、してたまるか。
そうレオが意志を強く持った時、魔力が安定し始める。
そして、イーサンの顔が驚いた表情から、何かを悟ったかの如く真剣な表情に切り替わり、今度こそは攻撃の態勢を取った。
そして、魔力の安定が最終段階に入る前に叩くべく、イーサンがレオに仕掛ける。
対して、レオは大きく、そしてゆっくりと息を吸った。
――――――――――――殴打。
意識したわけでは無い。
体が勝手に動いたのを、レオ自身が吃驚している。
イーサンがこちらの攻撃が届く範囲に、拳の間合いに入り込んだ瞬間に、まるで……例えるならば熱された片手鍋に手を付けてしまって、熱さに反射で手を引っ込めるような、そんな感じで体が動いた。
敵の意識を確実に取るべくして、力量までもが無意識に調整された打撃だった。
『勁』の最上位、天界最強の戦闘神が編み出した究極の『勁』。
戦闘神の名の付いた魔法。一個人で使用できる人間は今現在で一人しかいないとされるその魔法の名は。
『勁・闘神攻』
「!?」
驚愕していたのはレオだけではない。
攻撃を喰らったイーサンも何が起こったのか、その詳細を理解できずにいた。
魔力の動き、そして不安定さを視ていた――このままでは暴走して身を滅ぼす運命をイーサンは確かに予想し、せっかく楽しい戦いを味わえると思っていたのに、勝手に死んでくれるのならそれ以上の楽はないか、と興醒めすると同時に湧き上がる少しの興味。
全ての属性魔力を扱う魔法など聞いたことが無かったし、知りもしなかった。今まで試そうとしたことが無い。だいたい、全ての属性魔力を一気に扱おうとするなど至難の業であるが故に、誰もやろうとしなかった。それは魔力の扱いに長けた魔族自身も例外ではない。
だが、いきなり魔力が安定し始めたのを視て、即座に「ヤバい」と感じたのだ。背筋にひやりと冷たい何かが走った。殴りかかった――本気で。すると反応できない速度で殴られた。受け流すので精一杯、脳が揺れて気を抜けば倒れる。
(なんだ? マジで何が起こった?)
――いや、考えるよりもまずは脳震盪からの回復に専念しろ。
振動を発生させる魔法『振播』の応用にて、脳震盪の回復を試みる。
無理矢理に脳震盪から回復したことによる気分の悪さを堪えながら、イーサンはばっと顔を上げてレオの方を見やる。
「何をしたテメエ」
その問いに対するレオの答えは無い。
「無視か……殺す!!」
今度は油断無しでイーサンは攻撃を仕掛けた。
牽制攻撃を含ませながらも急所を狙う――しかし、そのすべてが防がれる。
今までになかった経験――さらに言えば、女一人を背負いながらの反撃だ。屈辱的、反撃される度にこちらへの被害が蓄積されていく。
(これは――――ヤベエ……!!)
回復が間に合わない。
(先の戦闘での損傷もある。このままでは負ける可能性も捨て切れねえ)
ここは一時撤退するべきか迷った。
目が慣れてきたことから、レオの反撃に対応することはできるが、それ以上がなかなかうまくいかない。どういう仕組みで、どういう魔法を使っているのか皆目見当も付かないが、恐らくは自律型でかつ体が勝手に学習して動く性質の魔法であると考えていい。
そんな魔法を、ただの学生が扱うとは、末恐ろしい。
こんなことなら、全生徒の得意な魔法等の情報と生徒の名前を覚えておくべきだった。
「クソッタレが……!」
イーサンがレオに対して吐き捨てる。
対して、レオはこの魔法の「丁度良い塩梅」という魔術理論の一文に納得していた。
それと同時に、限界を迎えようともしていた。
「丁度いい塩梅で」とは言うものの、自身の体にとっては「丁度いい塩梅」ではなかった――その実を言えば、自身の体に合った属性魔力の量を用いて、かつそれを回し続ける。それでもってようやく完成する魔法だったのだ。
それが――「丁度いい塩梅」。
体が勝手に動き、そして体が勝手に相手の動きを学習する――凄まじい性能の魔法だ。
代償に、体が今にも倒れそうになる。
限界まで肉体に通した雷の属性魔力が体中を焼く。メリアの冷却が無ければ即死している可能性だってある。
(早く…………倒れてくれ)
デュグロスという戦闘能力に特化した魔族なだけあって『勁・闘神攻』に対応している――無論、その内容は防戦一方ではあるが、それだけ見ても相手はかなり手強い。
――自身の体から肉の焼ける臭いが漂ってくる。全身が痛い。一刻も早く、この戦いに決着をつけなければ自分の方が倒れ、その後はメリアとグンディーが危ない。
レオの意志に呼応するかのように、魔法が攻撃の速度を上げた。
拳や蹴りのみの攻撃だったものが、投石等の周りの物質を利用した戦いに移行し始め、相手であるイーサンは益々戦い辛さを感じるようになり、通路口を目指す。
(投降による逃げの一手か……? いや――勘違いをするな。これは嘘だと考えた方が良い)
だが、イーサンの方が早かった。
消耗した体力に加え、メリア個人の重量がレオの俊敏性を低下させているのが原因だった。
「うぅぅぅううあああああああああああ!!」
女性の甲高い叫び声と共に、長剣が回転しながらイーサンの足へと飛んだ。
退避の行動に意識していたイーサンがそれに気付かず、長剣は見事に彼の足に突き刺さる。
「!?」
イーサンの動きが止まる。
足に傷を負ったことにより力がうまく入らず、そのままレオの一撃を喰らった。
「――――――舐めたことしやがって女ァ!!」
血を吐きながら、イーサンがグンディーに怒鳴る。
(ありがとう先生!!)
グンディーの方に意識が向いたその隙を、自律したレオの体は見逃さなかった。
がら空きの胴体の中心、鳩尾に前蹴り。
「カッ――――――――――」
(これが――――――――――――――最後ッッ!!)
それ以上は『勁・闘神攻』を維持できない。
前蹴りによって後方へ飛ばされたイーサンが壁に打ち付けられ、反動によってこちらに無防備な態勢で倒れこんできた瞬間まで、レオの体は力を溜めて打撃の準備に入った。
(ヤベエ…………態勢を……立て直せ……!! 体が思うように動かねえ……!?)
「――――――――――――――――――フッッ!!」
『勁・闘神攻』による本気の一撃が、イーサンの下顎を捉えた。
「――――――――――――――――――」
イーサンの意識が刈り取られる。
それと同時に、レオが行使していた『勁・闘神攻』もまた効果が切れた。
「ハァ……!! ハァ……!!」
呼吸が出来ているだけでも奇跡だ。
「先生……言ったでしょ……アンタも戦えるって……どんな形であれ……戦えましたよ……」
だから、自信をもって。
そう続きを述べようとして、レオは立ったまま意識を失った。
メリアがレオの体から離れた時、彼の体が漸く倒れ、それをメリアが受け止める。
格好の良い勝利を傍で、否、直接触れて共闘していたメリアは目を固く閉じたレオを抱き締め、涙を流しながらも呟いた。
「はい……とてもかっこよかったです。レオ」
* * *
今でもたまに思い出すあの闘争。
何か月かは知らないが、その期間ずっと眠っていた自分を看病したのはメリアとグンディーだと聞く。
ヴィエラとアレンもイーサンと戦ったと聞いた。あの魔族の男が後にどうなったかは知らないが、もう二度と戦いたくないと思えるくらいには強い人物だった――多分だが、もう一度戦っても勝てない。
(あの時は、奇跡だったなあ……)
腕を頭の後ろで組み、寝具にて仰向けで寝転ぶレオはそのまま目を瞑る。
「?」
誰かが部屋の外、廊下に居る気配を感じると同時に、扉をコンコンと叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼します。レオさん」
セイラだ――驚くべきことに、その服装は露出度が低いものの、体の線が浮き彫りになった物で、若干だが中の方が透けている。
セイラの顔も紅潮しており、誰が見ても何をしに来たのかは分かるだろう。
つまりは――――夜伽だ。
(メリア先生もグンディー先生も、初めてした時はこんな感じだったなあ)
思い出に浸るレオは、自分の頬を両手で挟み込むようにパチンと叩いた。
「!?」
(いけないいけない……こういう時は他の女性の事は考えてちゃ駄目だよな)
即座に姿勢を変えると同時、自分の臭いを確かめる。
(問題なし)
宿の浴室で体は洗ったばかり、ちゃんと石鹸の匂いもした。
「どうしたの? セイラちゃん、そんな姿でこんな時間帯に……おっほん! もしかしてだけど、つまりは、そういう?」
少し調子の良い声で、かつふざけたような言い回しでレオがセイラにそう聞くと、セイラはさらに顔を赤くしてこくんと頷いた。
(マジで? 大丈夫なの?)
半分冗談で言ったが、本当だとは思わなかった。
理由としては、先日まであれほど酷い目に遭った所を見ているし、男性に対する恐怖だとか諸々を抱いている可能性だって高い。
(いや――――ここは気遣うより……)
応えてあげるべきだ、とレオは「おいで」と誘った。
近くにセイラが寄り、レオの隣にちょこんと座る。
(あ、グンディー先生が持ってた服じゃん……という事は二人からの公認か)
ならば、遠慮する必要はないとして、優しくセイラを後ろに倒す。
「大丈夫。優しくするさ」
「…………」
返答が無い――セイラが緊張していることが伝わってくる。
初めて彼女に会った時、裸は見ているが治療され身奇麗さを取り戻した裸体がこれほどまで美しいとは――いつの間にかレオは魅了されていた。
グンディーが着させたであろうこの服は、脱がしやすいように出来ていて、買った本人が言うに「そういう時に着るための服だと店員が言っていた」とのこと。
舌で、手で。これまでに読んだ官能本――女性の体を愛撫するための手引書の手順で、優しくセイラの裸体に触れた。
(良い香りがする……)
セイラは香水を付けないと聞いている。
この桃のような優しく甘い香りは、セイラ自身の発する匂いか。
気分がさらに高揚する――だが、この香りを嗅ぐと同時に、似たような香りを持ち合わせた女性を思い出す。
(ソフィア…………)
中等教育時代から高等教育までの間の……付き合っていた二人の、元から好きだった方。自分と同じく黒髪で美人、笑顔の奇麗な女の子だった。頭も良かった。
ソフィア・シンシフォード。そしてエヴァ・セルフィーユ。
エヴァは、香りこそは違うが学院一の美人として人気のある女子だった。勿論、ソフィアの方も肩を並べるくらいに美人だった。
「……ねえ、聞いていいかな」
――やめろ。
「セイラちゃんはさ…………」
――もう終わったことだろう。未練がましいことは聞くな。
「努力しない俺を、細身の俺が相手に負けたりして君は――――」
止まらない。
今まで考えようともしなかった――自分が本当はあの経験を、今でも思い出すのは未練だったからだ。思い出したくもないのに思い出してしまう。それもふとした瞬間に。
「嫌いになったりしません」
疑問を言い終えるより先に、セイラが答えた。
レオの頬に手を添えて、更に後ろへ、両手で抱くように。
「だから、悲しい顔をしないで……」
「……そっか。俺今、悲しい顔をしてるんだ」
「この先、レオさんがどんな道を辿っても私は見ていますから」
「うん」
「貴方は、私の命の恩人です」
「うん……」
「それと同時に、私の好きな人――――――今宵は、ただ求めてくれると、私も助かります」
「ありがとう……」




