6th.責任と罪悪感
ゴブリンの火葬が終わる。丸三日程掛かった――それ程ゴブリンの亡骸の処理には時間が掛かった。
肉の焼ける臭いが辺りに立ち籠めて、嗅ぎ付けた猛獣たち来ないかと空気に緊張感を孕ませて、スティーもシエラも、その表情は固い。
炎の死装束を纏っているかのような小鬼の燃える情景が、イヤに目に付いた。
炎の影に揺れて、小鬼の、ゴブリンの顔が、苦しんでいるかのようにも見えるのだ。
「スティー。もう、火をじっと見てても平気?」
「……はい。大丈夫です……大丈夫みたいです」
「そっか。ごめんね、嫌なこと聞いちゃった……」
「そんな事ありません」
「本当? 良かった」
「シエラ様…………魔物と言えども、大量に殺めるのは……もうやりたくありませんね」
考えてみれば、冷静に俯瞰してみれば、この小鬼たちは、人を殺してなどいないのだ。
いつか人間に害を及ぼすのはわかっている。この数が更に増えて勇者一人一人の力だけでは抑えられなくなるであろうことは理解している。勇者全員が全員、ミト程の力を有していない。ミトが立ちふさがればそれは勿論、どんなにゴブリンが増えようとも殲滅出来るだろうけども。
「……いつかやらなきゃいけなかったのが、今日だった。それだけだよ」
「……」
「でも、そうだね。出来ることなら、私もあんまり……いっぱい生き物を殺したくない。もう……ね。食べる為とかは、別としてさ」
シエラの言葉に、切ない顔付きでスティーはしゃがんだ。
少しでも殺生への罪悪感を感じた時、確か物語の登場人物はこうしていた、とスティーは手を合わせ、瞑目した。
「ごめんなさい。来世では、人間に生まれてどうか……幸せに暮らしてください」
スティーのその言葉に、シエラも従って同じ行動を取る。
パチッと火が弾ける音と共に、小鬼が完全に灰となった。
「帰ろうか」
シエラがそう言った時、後ろでガサッと物音がして勢いよく二人が振り返る。
居たのは、ミサだ。一人だ。ハンナが居ない。
「ミサ……さん? どうして……」
スティーが驚きの声を漏らしてミサに問う。どうしてこんな所まで一人で来たのか、娘のハンナはどうしたのか。色々な疑問が頭に浮かぶ中、ミサが先にここまで来れた事情を語った。
「煙が上がっているのが見えて、何かあったのかと思って来ちゃった。あとは……そう! 女性が居たの。結構沢山居て、地下に隠し通路的な? ごめん。シエラ様とスティーさんの事も話しちゃった」
「そうだったんだ。ハンナちゃんは?」
「代表だと言う女性の方に預かって貰ってて……最初はちょっとだけ心配でしたが、ハンナも懐いているみたいでしたし……半信半疑でしたが」
最終的に、シエラとスティーのことが心配になり、迷いつつもハンナの保護をお願いしたそうだ。
だが引っ掛かるところはある。隠れていた女性たちが何故、性別を誤認させる外套を纏っているミサとハンナに警戒することなく近付いたのか? 何か罠がある気がした。
「ミサ。もしかして……その外套を脱いだ?」
少し、ムッとした声音でシエラがミサに問う。
ここまで危険を顧みずに来たことも少し許せなかったが、それ以上に危険な行為をしたとなれば、シエラはそちらの方を叱り付けたかった。
今の疑問を投げ掛けられた理由をミサは瞬時に悟ったのか、両手を振って否定する。
「脱いでません! シエラ様から言われた事はずっと守ってました」
「…………嘘は吐いてない、か。それなら良いけど、どうしてその女の人たちに性別がバレたの?」
「えっと――このディトストルの男たちは子育てをするような輩じゃない。極一部はそうじゃないかもだけど、そういうやつは外に出ない、子も外には連れない」
性別を見破った女性の声真似で経緯を語るミサに、シエラは女性たちの洞察力及び観察眼に感嘆の声を漏らす。
「男性たちが、その人並みの観察眼を持っていなくて安心でした……」
「そうそう、この外套のことも「こんなすごい神器は見たことがない……」って言ってた」
「……取り敢えず、ミサはあとでここまで来たことを説教するとして……」
「うっ……すみません……」
「いいよ。あと……畏まらなくていいって言ったのにな」
「あっ、えっと……話すのが数日振りで、ちょっとだけ忘れてまし……忘れてた。なんか……ちょっとだけ、職場の恐い先輩とシエラちゃんが似ててつい……」
こめかみをポリポリと掻きながら、他所を見ながら力無く言った。
「それと、多分……私たちが女だって男性冒険者たちにバレてる」
十中八九、と述べるシエラに答えるように、後方より男の声がした。
* * *
半信半疑だった。
女たちがこの国の何処かで隠れていることは知っている。恐らくだが、その女たちの代表とも言えるだろう頭領はきっと恐ろしく頭が良い。
(俺の分身が国中に網を張っていようとも見つからねえ女が今になって現れる? 頭の良い奴がそんな大ポカやらかすか?)
そう考えた時に、自分の本心は嘘だろうなと解を導き出そうとしていた。
だが、一人の分身が別国のある村でいい女を捕まえてこようとした所で、気を引くような男を見つけてそれから、いい女を縁に沿って見つけてそれから……そのいい女の他にまたいい女を見つけて――そのいい女三人と子どもっ子一人、こっちに来たことを報せて来たのが、女が居たと聞かされた直後だ。
――ハングという男は胡散臭い。
わかっている。アイツはよく嘘を吐いて税金の支払いを誤魔化したこともある。
だが女関連に関しちゃ、アイツは鼻が利く。どこかの国で一緒に娼館に行ったときだって、仕草だけで指名した風俗嬢を男だと見破ったこともある。信用していい気がする。
――いつかに女関係で揉め事になって、ボコボコにしてからアイツは逆らわなくなって、ある程度は俺に従順だから。
だから、信じてみる事にしたら大当たりだった。
(たまには……いい仕事するじゃねえか)
子どもは居ない。それでも三人いる――いい女との情報の、女の数と一致する。
外套を被っていて、性別が分からない。否、男であると感覚が報せてくる。
だがこの感覚は恐らく錯覚であろうとミドルは瞬時に理解した。何か特別な魔道具……いや、魔導具でそういうのも確かにあるが、それはあくまで女性を男だと認識させるだけで、某魔導具は認識させた相手が性別を看破した瞬間からその効力を失くす。そして、匂いや声、感覚までは認識させられないから、それを使う際は声を変える飴等の嗜好品や道具を併用する。
だが目の前の三人はどうだ? 女にしかない男の欲を掻き立てるような淫靡な香りもしないし、声すらも……。
ある文献には、陸の違う人間同士聞こえない聞こえる音に違いがあるらしいと書いてある。
風流――そう、ある陸の人間は虫の声は風流で、美しいのだと語るも、別の陸の人間は首を傾げて虫の声とは何だと疑問に感じたとか。
(ざっと考えればそんな感じだな……確か『傲慢』のは高い声と低い声で音の波が違うだとか訳わかんねーこと言ってたが……それすらも聞こえる側に聞こえさせてるっつーやつか? すげえな。もっとガッコウで魔術理論について勉強しときゃ良かったぜ)
さっき、一人が発した言葉も、低い声に聞こえた。
男の声だった。看破したとかそういったものも関係なく、こちらにそう認識させてくる。
(と、なれば……結論は……)
答えを、ミドルは導き出す。
「神器、か」
バレた、とシエラが動揺して肩を揺らす。
それを見て、ミドルは高笑いを上げて「よっしゃあ!」と手を仰ぐ。
「その女……だよな? に付いてきて良かったぜ。ハングのやつ、今回にはついてはちゃーんとおこぼれやらなきゃなあ……いつになるか分かんねーけど」
そうミドルが発言すると同時、森の中より数え切れない程の男が湧いて出てくるように、顔を出す。
驚くべきはそれだけじゃない。
「同じ顔が…………」
スティーが呟く。
男性冒険者たち異なる面々に紛れて、数百と同じ顔が居る。
「お嬢さんたち、俺はミドルってんだ。よろしくな」
* * *
同じ顔がずらりと並んでいる様子に不気味さを感じた。
茶色い瞳の三白眼、重力に逆らい逆立った黒い髪。見るからに乱暴そうな顔つきは獲物を狙うように、獅子のような印象をこちらに与えてくる。動きやすそうな戦闘服らしき下衣を刺々しい革帯を腰に巻いて着用し、上半身は裸、鍛え抜かれた肉体を晒していた。
女であることがバレたとかそういう事は最早どうでも良くなっていた。今の心の中の大半を占めるのは、この状況をどう脱するかという考えだ。
「逃げ――――」
逃げましょう、とスティーが口にしつつ後方に顔を向けたが、そちらの方向にもやはりと言うべきか、女に飢えて鼻息を荒くする男性冒険者たちに加えてミドルという男性の同じ顔がずらりと異なる顔に紛れて並んでいる。
四面楚歌、これではどうしようもない。
力を振るって、撃退して、この状況から逃げ切る? いや、出来ない。
――スティーは、その戦闘能力と天界での経験から、ある程度の相手の強さを知覚できるようにはなっている。
だからこそ分かる。
(ミドルという人は、強い……)
そのスティーの思考を察してか、ミドルは貼り付けしたかのように優しい顔付きに変わって、紳士的な態度でもってスティーに言った。
「ああ、お嬢さん……お察しの通り、私『強欲』の勇者――ミドル・ストラック。と、申します。以後、お見知り置きを……ハッハッハ」
紳士的な態度で、とは言うがその旨のうちは恐らく自分たちの身体――言うなれば貪ることしか頭に無いのだろう事が、視線から分かる。ニヤニヤと厭らしい、不快な視線だ。
シエラの力であれば、この場を脱することは可能だろうが、勇者と明かされてからその行使を止めていた。
その理由をここで聞くのは野暮中の野暮だろう。しかも敵前で、グンディーの前でそんな事をすれば、恐ろしい罰が待っている。
(…………もしかして、シエラ様は目の前の勇者の能力についてを知っている? だから無闇に力を使わない?)
それならば、納得の行く話だ。
だが……余計に後がなくなったという事実のみが残った。
「ここで、降伏したら……無事には帰れない、ね」
シエラの言葉に、ミドルが口端を更に釣り上げる。
「参りました」と言った瞬間から、一斉に男たちは襲い掛かって来るだろう。その後は、外套を剥がされ、女である事を確認されては服も剥がされる。
ミサが、自らの体を抱いて身震いした。
辺りにいる目を血走らせて、鼻息の荒い、乱暴そうで、きっとジル以上に酷い扱いをしてくるだろう。
――ミサ。ジル君はそんなに酷かった?
――……痛かった。怖かった。いつも「自分に従え」って感じで嫌だ。悪口も言ってくる。体を触ってくる時も鼻息荒くて、目も怖い。
ジルと離婚した後の、母との会話。
もとよりミサは、男性から詰め寄られたりと、怒鳴られたりという行為をされるのが苦手だ。いつもいつも勇気を振り絞って、サラに格好の悪い所なんて見せられないから、ハンナに格好の悪いところも見せられないから、怖い気持ちを抑えてきたのだ。
守る側だったから、頑張った。
(私のせい……)
ここまで来たのは、心配だったからという言葉に嘘はない。
二人がとても強い女性だという事は何となく察している。シエラに関しては女神様だし、スティーに関しては、よく知らないけれど、シエラから信頼されているみたいだったし、きっと強い。
それでも、強い人でも足を掬われることだってあると聞くから、出来る限り力になれればなって思った。
だけど、自分のせいで今、二人は怖い男性から囲まれて……。
これだけの男性に付いてこられてたなんて気付かなかった。前しか見ていなかった。ベレスフの街から遠方に見えた空に伸びる煙を見て、二人に何かあったのかと思って来た結果がこれとは。
――自分で起こした失敗に対して、きちんと責任を取りなさい。
先程、シエラに言った恐い先輩――ヘレンという女性の言葉。
ミサが現在進行系で働いている職場の、真面目でしっかりとした性格で、凄く美人の、恐いけれども尊敬している。そんな先輩が言った言葉をミサは大事にして過ごしてきた。
そんな先輩も、村で攫われて行方知らず……。
職場の男性陣からは貞操観念の堅い先輩を嫌っていて、行方不明でせいせいとされていて、女性陣からもいけ好かないと内心喜ばれていて、泣いていたのは私だけだった。
シエラの方を見やる。
お世話になった。ジルからの乱暴から助けて貰って、放火で死ぬ運命を避けさせてくれた。先輩以上に奇麗で、優しくて、男性から乱暴される所なんて見たくない。
ゼバルという神様の象徴画具までくれた。
スティーの方を続けて見やる。
シエラの、大切な人。何故か嫌われている感じがする。自分が何か良からぬ事をしたのか、少し態度が素っ気無い。シエラとは異なる奇麗さでありながら、同等の容姿を持つ少女。
どちらとも、その姿を露わにすれば真っ先に彼女たちの方が襲われる。
――ミサは、震える手で、外套を脱いだ。
「!?」
「何……を……してるんですか? ミサさん」
男性冒険者と、ミドルからの歓声が上がる。
シエラが目を見開いてミサの行動に驚愕し、スティーがミサを諭すように疑問を投げ掛けた。
「確かに……えらいイイ女じゃねえか!! これが傾国の美女って奴か!? 最高だなオイ!!」
ミドルが共感を求めるかのように、辺りへ叫び、男性冒険者たちは益々鼻息を荒くして歓声を上げた。
その姿に、ミサは恐怖心を加速させるも、逃げない。
「シエラ様、スティーさん。わ、私が囮になるから……慰み者になっている間に、逃げて、ね?」
今出来る精一杯の笑顔を見せながら、ミサが言う。
声は震えていた。この先起こるであろう未来を予知して、恐怖に身を震わせて、こちらの言葉に驚愕する二人を置いてミドルに対し叫んだ。
「あの……勇者かなんか知らないけど……私が、ここに居る男性全員の相手をするから! だから……この二人を、見逃して貰えない、ですか?」
「あぁ?」
「ど、どんなに酷い扱いを受けても抵抗しないからっ! お願い!」
ミサの言葉に、ミドルの額に青筋が立つ。
「お前、店で物買ったこと無いのか? 店主が「この商品を無償で差し上げますので、この二つの商品を買うのは止めて貰えませんか?」って言われたら腹立たねえか!? 他の二つ見て気に入らなかったらそれで勘弁ってのは納得だが、俺たちはそれ一つだけってのは求めてねえんだよ!! 他の商品二つは高価値ですって言ってるようなもんだろォ!」
「ち、ちがっ……この二人には沢山お世話になったから! す、数日だけの間だったけど、この人たちには恩があるからっ……酷い目には遭ってほしくないだけ!!」
「コイツらの相手したらお前死ぬなァ」
「――――――――――」
「中にはよォ、女の体に傷作って吹き出る血に興奮する変態野郎もいる。勿論ソイツは最後尾の相手だが? 今ので俺らブチギレ……お前、さっきの聞いてたか? 俺は『強欲』――欲しいものは全部手に入れてェのよ。女も、金も、酒も、何もかも!!」
「ぇ……ぁ……」
怖い。
「囮になるから、だ? まるで俺たちが獣みてえな言い草だなオイ……お前、子ども居るらしいな」
「!!」
「子どもの前で犯してやろうか? ――――おかあさん、こんな見た目になっちゃったけど、それでもおかあさんのこと、好きぃ?」
娘のことを出されたら、もう何も言えない。
「娘の十年後――楽しみだねえ……」
俯いて、今度こそ泣いた。
イーサンと似てる物言いに、スティーは堪忍袋の緒が切れそうで書類目の前の男たちを殺してやりたい気分だった。
だが、涙をぽろぽろと落とす彼女がこちらを向いた。
「シエラ様……ハンナのこと、お、お願いしても…………いい……ですか?」
身に着けていたゼバルの象徴画具を外して、やがてはシエラの手に。
鼻を啜りながら言う彼女の言葉を、シエラは遮ろうとした。しかし出来なかった。
メイとミサが重なる。大切な友達、渡された象徴画具を、どうにも受け取れない。
「だ、駄目だよ……」
「……あはは、外套を被ってないと、男性の声に聞こえるんだ……」
自分の恐怖を紛らわすように、別の話に切り替えて、ミサが象徴画具を握る力を抜いた。
地面に落ちたそれを拾わずに、今度はスティーの方に顔を向ける。
「スティー、さん。わ、私は……貴女に嫌われているみたいだけど……でも、それでも、ハンナのことは……ハンナとは、どうか……仲良く、して……」
ミサのお願いに、スティーははっとする。
それは、誤解だ。
貴女のことは決して嫌いじゃない。とても活発で、何より娘さんの事も思っていて、そしてサラという友達の為にもディトストルまで来た。
誰にも出来ることではない。
「サラとも……仲良く、どうか……」
「違います。ミサさん、違います……」
今、ここで誤解を解かなければ、いけない。
外套の中、スティーの瞳が潤む。
あの時の罪悪感、ミサと話そうとする度に罪悪感が蘇って素っ気無いような態度で接してしまっただけ。
本当は話したかった。仲良くしたら、楽しそうだな、と心の中で思っていても、大切な思い出の詰まった貴女の家が燃える様子に「奇麗」と思ってしまったあの時の罪悪感がそうさせてくれない!
話し掛けてくれていたのに、何も答えられない自分に腹が立っていた。シエラ様に対してもその態度をしてしまっていた。ゴブリン退治も、思えば八つ当たりだ。
嫌気が差していた。どうせなら嫌われても良いか、一人ぼっちになったほうが楽かもしれない。そう思って、シエラに嫌われるように勝手に行動した。
嫌いなんかじゃない。
嫌われたくない。
仲良くしたい。
もっと沢山お話したい。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
私は、強くない。
「貴女の家が燃えていた時、「奇麗だ」って思ってしまった……ごめんなさい……ごめんなさぁぁぁい……」
スティーの、ミサを抱き締めながら泣き叫ぶ声が、辺りに響く。
本当は、囮になるべきは、自分。
「女に男が、泣き叫んで抱き着いて……って見えると、気持ち悪いなァ」
ミドルが空気を断ち切るが如く、頭を掻きながら言った。
三人共に言い返す言葉を発しない。
「私は、そうは思わないけど」
スティーとミサのすぐ側、いつの間にか現れた女神が、代わりに返した。美しい声音だった。
その姿と声を、スティーは前に一度見たことがある。聞いたことがある。
彼女の名はチェイル――――『輪廻』の女神。
性別を誤認させる外套は一つ売ればデカい城五十は買えます。
 




