32nd.チェイル
最初は、神の気まぐれかとスルトは感じた。
それか天邪鬼な性格をしていて、フランを蘇生したのではないかと踏んだ。だが、実際はそうではなくて、一目惚れに似た何か――魂が奇麗だったのだと神は告白のような言葉を吐いた後、そう打ち明けた。
意味こそは分からなかったが……神は人間の魂を見透かすという――フランという女性は、神が一目見て気付けば行動に出てしまうほど魂が奇麗なのか。
スルトの中で止まっていた時間が再び動き出した。
「なっ――――――何を言っているんだ」
目覚めてすぐに告白されて、困惑するフランの代わりにスルトがチェイルへと声を出した。
チェイルの普段の言動を知っているらしきシエラも、目をぱちくりさせて驚きを顔に出していた。
スティーは状況をうまく呑み込めず硬直中。
「…………――――あぁ、うん、ごめんなさい。唐突に言ってしまって」
数秒間の沈黙があった後、チェイルはハッとしてフランに頭を下げる。
常識的な神だ、とスルトは思った。勿論他の神が常識が無いと捉えるには早計だが、存在として遥かに上の位置にある神という存在が人間に謝罪するのは違和感が凄い――シエラに関しては例外と捉える外ない。
「貴女の口から、改めて名前を聞かせて」
「ふ、フランです…………あの、私は……死んだはずでは…………」
「………………私が、貴女を生き返らせたの」
「ど、どうして…………」
「最初は、スルトさんに頼まれたから。その時は蘇生するつもりなんて一切なかった」
チェイルの本音が語られる。やっぱり生き返らせるつもりなんてなかったんだ、とスルトは複雑に感じた。
「でも、気が変わった――――貴女の魂、内面、生き返らせるに相応しい……いいえ、本当は貴女に私が、惚れ込んだから」
好きになった人に対して何か特別な事をしたくなるのは、特別扱いをするのは人間も神も変わらない――そう言って、チェイルはフランに再び告白をした。
「貴女が好きよ。フランさん」
改めての告白に、フランは数秒の間を設けて、断る。
「私、愛する人が居るので貴女の想いには応えられません」
その、愛する人がもうこの世に居ない事を知っているスルトとシエラ、スティーは黙り込んで口を噤んだ。
断られたチェイルは「そう……残念ね」と微笑んでいた表情を無に変えた。
断られたからと、フランを殺すのかとスルトがチェイルに口を挟もうとする。
「チェイルはそんな神じゃないよ」
シエラが小さな声を出し、スルトの手首を掴んで制止した。
スルトが考えたことがどんなことなのかを悟り、チェイルが自分の感情で人間の生き死にを決める神でないことをシエラが伝え、スルトはチェイルとフランの方向を見やる。
心配事があるとすれば――――ドルイドのことを、フランが知らないこと。
(フランさん…………先輩はもう……)
ドルイドの遺体は、酷い有様だった。フランの時と同様に神器で遺体は保管してあるが、正直戻る手立ては付かない。
そもそも、チェイルはドルイドのことを知っているのか?
「ドルイドって人?」
夫の名前を出され、フランはパッと明るい表情を見せて「そうです!」と返す。
「チェイル――――――」
シエラがチェイルに対して待ったを掛けようとするも、遅かった。
「その人なら、知っている。偶々、天界から様子を見ていた時に見た」
「……! そうなんですか? カッコイイでしょう。自慢の夫で――――」
「デュグロスの男に殺されていた」
単刀直入に、淡々とチェイルの口から爆弾が放たれる。
フランの表情から笑顔が消えて、数秒の間が空いた後に「え?」と彼女が声を出す。唐突な死亡宣告に、いきなり受け入れられるはずもない。
毎日、幸せだと言っていたほどに愛していた夫の死亡宣告――それを、相手の心情も考えずに言うなんて、やっぱり残酷だ。先程の「常識的な神」という評価を改める外なし。
「嘘……ですよね…………」
「おうちに帰れば、がらんとしている。それを見ないとわからない?」
さっきまで告白した相手であるとは思えない会話。
「る、ルドゥは……私とユリを置いて……死んじゃったりなんて…………」
必死に、フランが笑顔を作っているのが分かった途端、心が痛んだ。
スティーと、シエラ、そしてスルトの様子を見て、本当なのだと知った瞬間から、フランの目じりから涙が出てくる。
「どうして……見てるだけだったんですか…………?」
震える声で、チェイルにフランが言った。
「だって、人間の人生は十人十色――人間の運命を神が介入して捻じ曲げようなんて邪道。殺されることを神が阻止するべきなんてことが罷り通るのなら、神の数が足りない。紛争地帯でどれだけの人間が殺されていると? 夫が殺された。子供が殺された。妻が殺された。親戚が殺された。そんな事象、この世界では有り触れた事象なのだから」
「神は…………救わないんですか? 人を…………」
「神による。少なくとも、私は見ているだけ……仕事があるもの。今回来たのは、用事があっただけ。貴女を生き返らせたのは……さっき言った通り、貴女の魂が奇麗で素敵だったから――目の前に美しい景色があれば絵に収めたくなるし、貴女のように奇麗な女性が居れば……自分の物にしたくなる。貴女の夫のように」
ドルイドのことを最後に口に出したとき、フランが立ち上がって棺から出る。
「貴女の夫のことを言うなら、残念だったとしか言い様がない。自分より強い相手に挑んで、殺されるのは自然の摂理のようなもの。敵討ち等々理由付けは幾らでも出来る。その点、私と居れば安全は保証できるし、貴女が良いなと思う殿方が居るのならその人に付いて行ったって良い――――天界に来る? ドルイドのように、己が力も鑑みずに挑んで殺される大馬鹿者の男性より良い人も居るはず――――――」
チェイルがドルイドのことを言及した瞬間に、乾いた音が食堂に響く。
眦を釣り上げたフランが振りかぶった手でチェイルの頬を叩いた音だった。
ぼろぼろと涙を溢れさせて、フランが叫ぶ。
「私の夫を……ルドゥを……!! 馬鹿にしないで!! ルドゥは私の大好きな人で、それ以上なんて居ない!! 神だからって、私の夫の悪口なんて言って良い筈もない…………!!」
生まれて初めて、他人を怒った。
そして、怒鳴った後にチェイルの付けている目隠しへと手を掛けて、フランは思いっきり引いて外した。
「ちゃんと目を見て――――――」
フランの動きが止まった。
何の感情も感傷も情もない神だと印象付けていた。
でも、スティーと一緒の多彩色の美しい瞳は確かに、泣きそうに潤み、眉はハの字を作っていた――――叩かれた痛みに泣いているのか? と最初思った。怒られたのが悔しいから?
それともちょっと違う――――感情を、押し殺した表情。この神は、人に対して冷たい言葉を言っている間に、こんな表情をしていたのか?
* * *
――何で俺がそんな所に行かされなくちゃいけないんだ!!
――だって、貴方は罪に溢れているから……貴方が辛いと思う場所に……。
――神だろうお前。何とかしろよ。俺の行きたいところに行かせろォ!! 女だ、女が沢山居る所がいい。名声ともに俺が成り上がれる場所だよ。
仕事をしていれば、会う人のすべてが良い人だとは限らない。
それが天界で亡者の行き先を決める仕事であれば尚更のことだ。
横暴な人、自分勝手な人、自己中心的な人、暴力的な人――良い人の割合は、少ない。
子供であれば、純粋無垢だからマシなほうだ。自殺した人は無気力だから、端的に済ませられて、それも良い。
自分は小柄だから、力も無さそうに見られて、いつも怒鳴られていた。
――人間のことは、好きだ。
笑顔を見ていると、癒される。
女の子のような姿をしている自分に対して、お菓子をくれる人も居る。一緒に食べようと誘うと笑ってくれて、一緒に食べると美味しいお菓子がもっと美味しく感じられる。
――人間のことは、好きだ。
一緒に遊んでいると、楽しい。花の冠を作って、被せてあげると喜んでくれて、一緒に「王室ごっこ」なるものをする。
お姫様役、王様役、召使役、分かれて舞踏会をする――楽しい、楽しい。
――人間のことは、好きだ。
一緒に学校に行ってみる。知っている知識ばかりだけど、教室の中での生活の雰囲気、匂い、みんなが鉛筆で紙面に文字を書く音が――大好き。
――人間のことは、好きだ。
結婚を祝う。花吹雪を作って祝ってやると、とても喜んでくれる――内緒で作った焼き菓子を「美味しい」と言ってくれた時、心が充実していた。
――人間のことは、好きだ。
でも、人間の寿命は…………短い。
もう一度、あの子と会いたい――――ねえベンサ。お仕事どう? 楽しい?
――やめておけェ……チェイル。ベンサの仕事を見るのはァ……
――どうして? ゼバル。人間ってとても素晴らしいと思う。一緒に過ごしていて楽しかった。
――楽しいさ、チェイル。色んな人がいるからやりがいに溢れているよ! 俺と代わる? お仕事。
――本当? 代わっても良いの?
――ベンサ……やめろォ……チェイル……行くなァ。下界の人間がァ……善い奴だらけと思ってちゃァ……いけねェ……屑の多さにゃァ……地獄に勝らァよ……行くなァ……。
――言うなよゼバル。人間のことが本気で好きならさ。どんな人間を見たって、想いは変わらない。それに、チェイルは人の罪が見える。適任だ。
――チェイル!!
叩かれた、蹴られた、怒鳴られた、汚い言葉を吐かれた。
――つらい。これが人間? 罪だらけ。魂が煤汚れている。
髪を引っ張られた。
――痛い。
人間のことは――――好き、嫌い、好き、嫌い、嫌い。
――俺が行きてえのは俺を持ち上げてくれる街だ!! いいか!? 神だろうが何だろうが俺に指図をするなァ!! 俺の言うことを聞け!!
――わ、わかったから……お願いだから蹴らないで……殴らないで……。
人間のことは――――好き、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い。
――小せぇ神だな。おい皆!! 虐めてやろうぜ!! 天国に無理矢理にでも行かせてもらおうぜ!?
――い、いや……虐めないで。
人間のことが――――
――チェイル……この目隠しをしておけェ……恐ェだろう……人間は。だが、ツラ見なきゃァ、少しゃマシだ。
――ゼバル。
――オメエは小せェ……高ェとこから物を言えェ……もう、痛ェの厭なら高ェトコ逃げろォ。
――あとは、どうしたらいい?
――正しいことォずばずば言っときゃァ黙らァ……
ゼバル。私、人間のことは――――好きよ。
最初の頃はね。
皆、汚い。
貴方の言う通り、高い所から物を言っていれば叩かれることも蹴られることもないけれど、口から出る言葉は全部罵倒ばかり――自分を殺した人間を殺し返すから生き返らせろだとか、自分のことばかり。魂を見ても、油汚れみたいにしつこい罪の汚れでうんざりしてしまう。
最初に過ごした人間たちが素晴らしかったんだ――もうきっと、そんな人間は存在しないと考えたほうが得な気がする。
石を投げてくるようになった。最近の人間は、醜い。
――金が稼げる場所に行かせろ。
――女の居る街に行かせろ。
――楽をしたい。
自我ばかりを優先する人間たち――辟易する。
――でも、ハッキリと人間に突き放したように言うのは、まだちょっとだけ…………つらい。
もう、あの頃みたいな人間は、居ないのか。
* * *
――初めて、いつものとは違った言葉で、怒鳴られた。否、叱られた。
愛する人のことを馬鹿にしないで、と。
俯いて、眉をハの字に曲げて、叩かれて熱を帯びる左の頬を少し触って、フランに聞く。
「ドルイドっていう人は…………どんな人?」
「………………?」
「人のことを、叩く人?」
急にしおらしく、質問してくるチェイルにフランは怪訝な顔をして「そんなことしません」と答える。
「蹴る人?」
「一度たりとも、そんなことされたことありません」
「怒鳴る人?」
「怒鳴りません」
「………………」
「いつも笑顔で、優しくて、冒険の話を聞かせてくれて――私の一番大好きな人です」
「素敵――――――貴女の殿方は、勇敢だった。最期には、殺されそうになった女性を助けて殺された…………ごめんなさい」
見殺しにしてしまって――――ごめんなさい。
そう頭を下げて謝った後、チェイルはフランから目隠しを受け取って、食堂を出る。
その背中は、とても淋しそうだった。




