31st.罪
――深く、深く心に傷を付けられたまま、眠りにつき、今シエラは夢を見ていた。白い空間の中、一人ポツリと立っている。一人寂しく、ボーっとしていた。
神が見る夢は基本的に明晰夢。今のシエラからすれば、一般に人間が見る夢のように現実から離れた空想的で非現実的な光景が広がっていれば、夢の中でも哀しまずに済んだのに……。涙が出てくる。
スティーが完成した時みたく、例外的に自分の予期しない夢が見れたらどれほど良かったか。
辛い、悲しいが繰り返される。
座り込む。膝に顔を埋める。溜息が出る。
『…………――様……』
自分を呼ぶ声がして、シエラは顔を上げた。
何処から声が聞こえたのか、耳を済まして辺りを見回し、探す。
「だ、誰……?」
男性の声だった。しかも聞き覚えのある声。
誰だったか、思い出すのにそこまでの時間は要さなかった。
(マックス……マックスだ)
微かに聞こえる「シエラ様」と自分を呼ぶ声に、シエラは彼の声のする方向を探しながら名前を呼び続けた。
「マックス! 何処!!」
一人で寂しい。話をさせてほしい――そう言おうとしたところで、シエラは口を覆った。
過去の自分の言葉が脳裏に過ぎった。
――人間はよく、病んだ時に「自分は死んだ方が良い」なんて言うね……呆れる。
――死んだ方が良い。そう思った時こそ、強く生きるべきだ。自分の悪い所を反省し、そしてより良い人間へと変わるのは生きているからこそ出来る行動である。
自分は……何て酷いことを言ったんだろう――そう思った瞬間に、頭を抱えた。
人間関係等でそれほど悩んだことのない自分が、分かったような口振りで、自殺するにまで至るほどに苦難の日々を過ごした人間に、偉そうに――知ったかぶりで語った。
境遇は違う。だけどもマックスが「死にたい」と嘆いた気持ちを漸く、知れた気がしたのだ。それも知ったかぶりかも知れない。それでもシエラは――マックスに謝りたいと本気で思った。
「マックス! 何処に居るの!? マックス!!」
――凄く、腹が立ったに違いない。
「……ごめん! マックスごめん! ごめんなさい!! お願いだから姿を見せて!?」
――もう、知ったかぶりはしない。
――悩みを持った人に、真摯に接するよ。
涙が止まらなかった。
走って、走って、どれだけ走ったかも分からないまま、声のする方向にひた走る。
一言謝りたい。夢なのは分かっている――夢の中だけれども、マックスと向き合って謝罪をしたかった。
――これからは、ちゃんと学ぶんだ。手を差し伸べて、ちゃんと聞いて、一緒に、悩みを解決する。
「はあ……はあっ……出てきて……出てきて……マックス!!」
ひたすらにマックスの名を呼んだ。
目の前に現れて、どうか自分に謝らせてほしいと懇願した。
メイとの交流の中で、彼女はいずれこれから先幸せになってほしい人物として考えられる中にまで至った。それがデュグロスの強襲という形で壊れた今、少しだけマックスの気持ちが理解できた気がする――過去の自分が吐いた台詞を今、他人から言われれば苛立つ。こちらの悩みを、苦しみを、この辛さを知ったかぶるなと激高する。
それを勉強した。学習できたのだ。
――これからは沢山、勉強をする。自分の知らないことをこの目で見て、耳で聞いて、否定しない、意見口を出さない。
顔を上げた時、目の前にマックスが居た。
「――――マックス」
再び、彼の名前を呼ぶ。
『シエラ様、お元気でしたか?』
開口一番に言われた。
「私は…………今、落ち込んでいるよ。最近、辛いことがあった……大事な、とっても大事な友達を、巻き込んじゃった……もう顔を合わせられない。凄く辛い……メイちゃんともっとお話ししたかった。遊びたかった。ご飯を一緒に食べたりしたかった。本を一緒に読んで、気付けば夕方になってた日々をずっと送りたい……メイちゃんとも、世界を旅したい……でももう出来ない……出来ないってわかったら、辛いよ、痛いよ――――マックス。貴方の「死にたい」って気持ちが漸く分かった」
頭を、深く下げる。
「ごめんなさい……!!」
――――次は、生まれ変わった貴方の下に行って、面と向かって謝るから。
『シエラ様――――』
きっと、怒っているに違いない。
シエラは覚悟した――罵倒されるのを。
『――――貴女は、幸せに生きるべきだ。スティーさんと、そしてこれから貴女を愛する人たちと、幸せに生きるべきだ』
だから、顔を上げてほしい――マックスはそう言った。
怒らないのか? とシエラはまず思った。見透かされているのか、マックスはきょとんとした表情を浮かべる彼女に「怒りません」と口にして、振り返って歩き出す。
「まっ……待って!」
数歩進んだところで、マックスの姿が消えた。
そして、シエラは涙を拭い、決意した。
マックスを、尊敬しよう――彼に倣おう、と。
* * *
シエラが目を覚ました時、寮室内には誰もいなかった――陽が回り切り、今は午前中。一日ほど寝ていたのか、とシエラは櫛を用いて寝ぐせの付いた髪を梳く。
寝覚めが良いか、というとそうではないが……悪くもない。踏ん切りが付いたからだろうかと推測し、寝台より降りて着替え、スティーを探した。
結局、何の活躍も得られず、スティーに任せたままになってしまった。
「スティー……勝ったんだ」
勝利の理由も知らないシエラは、スティーが自分の力で勝ったのだと勘違いした。本当の所はスティーの体に憑いたバースが勝利したのだが……それを知らないシエラは、スティーのことを尊敬し、内心で褒め称えた。
自分もそうなりたい――そう思った。
がらんとした学校内を歩いていると、やはりというべきか心が落ち込んでくる。
――まだ、自分のせいだという考えが残り、どうにも気持ちを前向きに切り替えられない。まだ少しだけ時間がかかる――スティーには心配事を増やす羽目になってしまうだろうが、ここは甘えさせてほしい。
(話し声…………)
食堂の近くを通った際に、話し声がした――女性三人。
いや、一人は男性だった。スルトの声だ。
スティーと、スルト――あと一人はだれだろうか、と気になって食堂内を見る。
「チェイル――――――」
誰が作ったのかは分からないが、提供された料理の数々を良い姿勢で口に運びつつ、スティーと話す小柄の女神。
「おはよう。母さん」
一つの料理を食べ終えた時に、チェイルが箸を置いて言った。
対するシエラはびくっと肩を震わせて「お、おはよう」と一言述べる。
「おはようございます。シエラ様、気分はどうですか?」
昨日降臨されたチェイル様です、と挨拶のあとにスティーが言う。
続いてスルトが「お前の分も料理を作っている。昨日摂れなかった食事の分食べろ」と厨房より暖かいスープを持ってきた。どうやらこの料理の数々はスルトが作ったらしかった。
濃厚な、玉蜀黍の羹。甘味が口内に広がり、気付けば飲み干していた。
「よっぽど、腹が減っていたんだな」
主食、主菜、副菜――栄養の調和が取れた料理の数々を、次々にシエラは口に運んで行った。
美味しかった、温かかった。行儀だとか、姿勢だとかを今回ばかりは忘れて、空腹を満たす。
「この人間の作る料理は美味い。認める」
表情をほぼ変えず、チェイルがスルトの料理の腕を褒めた。
「見た目に反して、健啖だったな」
「普段は小食なのだ。丁度、空腹であった……この恩はいつかに返そう。有難う」
お盆を手に取り、空になった食器を片付けながら、チェイルはスルトに礼を言った。
そんな彼女の言葉に、スルトは単刀直入に「今、返してくれと言ったら、返してくれるのか?」と聞く。その声は少しだけ緊張していた。
食器を洗うチェイルの手が止まる――そして、彼女の口から淡々と「程度による」と返される。
「…………」
スルトが言おうとしたのは、フランのことだ。
チェイルは『輪廻』を司る神であることは、スルトも知っていた。そして、その『輪廻』を司る彼女は人間を生き返らせられる力を持っている。
「昨日の二食、そして今回の一食――その分の恩と均衡の取れた要求、君は何が欲しいの? ああ、寝床を貸してもらったことも恩返ししよう」
シエラが完食した食器類を取りに戻ってくるついで、チェイルはスルトの方に顔を向けて問いかける。
一方で、スルトは緊張した面持ちで拳を作り、何とか言葉を紡いだ。
「ある女性を…………生き返らせてほしいんだ…………」
釣り合いが取れていないのは、スルトも重々承知していた。
料理三食、そして寝床――釣り合いが取れているわけがない。死んだ人間を生き返らせるというものの見返りがそれ? 神に金銭の提示は通用しない。それ以外に何もないのだ。
「足りないね」
当然の返答だった。
「その女性との間柄は?」
「……意中の女性の、妹さんだ。先輩の、妻でもある」
「他人だね。ただの知り合い。必死になる理由は何?」
「この街に来て、沢山の世話になった恩がある……」
「――恩」
「この街で右も左もわからなかった俺に、沢山のことを教えてもらった。今の、意中の人との距離を縮めてもらった。学生時代から尊敬していた先輩が……いや、先輩の……大切な人」
尋問のようなチェイルの質問に、スルトは俯いて答えた。
「君とその女性……同じような間柄の知り合いが亡くなった――そんな事柄、この世界では有り触れている。君だけ特別扱いをしろと、私に言うの?」
至極真っ当なことだった。
「昨日、私が壊した銅像を直したのは――私が壊したから。自分でやった責任は、自分で取るよ」
「………………」
「そもそも、私が降臨してきたのは――――母さん。貴女を天界に連れ戻すためなんだから」
地上に降りた理由は知っている、事情も知っている。
「天界から見ていたよ。辛かったでしょ、心は痛くないの? 大切な友達を巻き込んだ――自分で言ってる」
天界であろうと、冒険は出来る。
「下界より平和、下界より幻想的………………――良い人ばかり。この下界がちっぽけに見えるくらい、広いし冒険のやりがいは十分と思うけれど」
「か、帰りたくない…………」
「スティーさん」
「は、はい!」
「貴女は、辛くない? 天界は冒険する気になれなかった? 貴女の目には、下界の方が魅力的に映った? それはどうして?」
淡々としたチェイルの言葉は、三人の心に深く刺さった。
的を射た発言の数々――反論の余地もない。
「スルトさん――その女性を見せなさい。蘇らせるなんてしないけど」
チェイルのその発言に、スルトは黙ってフランの遺体が入った棺型神器を『異収納』より取り出す。
「――――――――――――嘘」
チェイルの心が、揺れた。
――美しかったからじゃない。
――その容姿に見惚れたわけでもない。
――ただ、今まで見てきた人間の中で一番『罪』がなかった。
人間は、生きている中で様々な罪を持つ。
人殺しなどは別として、生き物を殺す罪――食事をするとはまた別に、悦楽のために生き物を殺すのは罪だ。種の滅減行為は目に余る。
人を、傷付ける罪――自らの感情を律するは人の進化の証。感情に支配され傷付けるは目に余る。
人の物を、盗む罪――言語道断。欲しがるは良しとせよ、奪うは獣の其れ。感情律せられておらずに目に余る。
罪、罪、罪罪罪罪罪――――――――――前記一部の罪の他、その美女見るもすべて罪無し。
気付けば棺桶を開け、手をかざしていた。
欲しかった。
フランが目を覚ます。
「私と――――共に生きよう、罪無き貴女」
罪無き魂の輝きが、欲しかった。




