29th.キズゴコロ
「『活』」
シエラが短い単語を紡ぐ――その数瞬後、スティーの身体の異常等が回復した。
すべての事象、生物そして無機物に至るまでを万全な状態にする『活』――――バースの『回復』の権能と近いがそれ以上の効果を持つ権能行使。イーサンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
あれだけの傷を負わせた、その上回復魔法を乱用したことによる癒悪までもが一瞬で回復――また戦闘開始直後の状態から始まるのか……と、そう思った。
目の前のスティーという少女は今、玉砕しても大丈夫な状況下にある――最高の支援がある状態。
いや――――
「スティー…………もう、危ない戦い方はしないで……」
シエラがスティーにそう言った。
「…………――――わかりました。シエラ様」
始めに迷って、スティーはシエラの目を見て返す。
もう危ない戦い方はしない、と。そしてシエラは「私が頑張ってスティーの援護支援をするから」と暗い表情のままで言う。
(女神の方は、精神的に健全じゃねえな……それを補う形でスティー・アマディウス……戦い辛いかどうかはやってからじゃねえとわからねえか?)
シエラの方を見て、イーサンは戦略を練り始める。
スティーには精神攻撃がほぼ効果がないと考えたほうがいい。腕輪の紅い宝石の中にちらりと見えた戦闘神バースの象徴画――厄介だ。
髪飾りには創造神の象徴画――一番厄介。おそらくだが、首に掛けている首飾りらしき物にも神の象徴画の刻まれた宝石が埋め込まれているとイーサンは分析し、見事に当てた。
戦い方としては、精神状態が改善されていないシエラに更なる精神的な傷を負わせ、動きの止まった所を人質として、スティーの動きを封じつつ象徴画を外させて楽な方に移行する。
「『拒』――」
イーサンの体の動きが封じられた。
その間に、スティーが肉薄し、今度は雑な魔力の練り方をせず、模範的な魔力の練り方を以て身体機能を向上させた蹴りでイーサンの太もも側部に打撲傷を負わせる。
「ッッ!?」
体の動かせない状態のままで、イーサンは目を見開いて痛みに悶えた。
やり辛い――次の攻撃が来るまでの間もシエラによる後方支援が最も脅威となり、確実に傷を負わしてくる。
内心「クソが」と悪態付き、権能が解除された所で素早く後退し、風の属性魔力を用いた突風魔法『風域』にて砂埃を巻き上げた。煙幕魔法を用いても良かった気はしたが、砂埃は目潰しにもなる故そちらを選ぶ。
イーサンの思惑通り、シエラがぎゅっと目を瞑る。
スティーの方は冷静に、目を瞑りながらも探知魔法を使い、突っ込んだ。
体全体を使った突進攻撃――魔法を使ってくると踏んでいたイーサンの意表を突いた戦術、彼は後方へと飛ばされる。
「ぬぁっ!?」
小さな少女の体にあるまじき膂力。
グンディーとの猛特訓で手に入れた純粋な身体能力――先程の蹴りも、思い返せば一撃が重かった。
(クソ…………何か手は……)
* * *
――バースの神殿中央大部屋にて、天界より下界の様子を見ていたバースは危惧していた。
「母さん……」
否、心配していた。
これ以上、あのデュグロスの好きにさせてしまってはシエラに対する精神的な負担が重くなる一方だ。スティーに対する負担も計り知れない。
それに――――あの男は、ペトリロットにいる女性たちの一割ほどが男性恐怖症なる原因と、自殺をする要因となった人物でもあり、どうにかしてこの天界で厳しい報復と処罰を喰らわせてやりたい。
バースに珍しい、怒りの表情――仕える天使たちもその表情に一層緊張感を増して、空気もだんだんぴりぴりとしたものに変わっていく。
手を貸してやりたい――その思いでバースの心は染まっている。
ペトリロットに居る女性たちの心の救いに少しでもなるというのなら、労力は厭わない――だが、だがしかし今はこのパルバトから身を離すわけにもいかない。
(どうする……)
スティーと旅をし始める際の、シエラのあの笑顔をどうにか取り戻したい。
スティーには楽しい思い出で充実した人生を送ってもらいたい。
「ニゲラ。どうしたらいいと思う?」
玉座に座るバースは、中央大部屋の入口に声を掛ける。
「バレてたか……」
最初から気付いてた、と言うバースは続けて「オレじゃ頭が足りない」と力を貸すことを頼んだ。
知恵神ニゲラの知恵知識を使い、今この状況を打破する。シエラとスティーの力になりたい胸の内を語る。
対するニゲラは、数秒程静かな様子を保った後に、口を開いた。
「――――憑依」
「え?」
「腕輪を通して、スティーの身体に憑依してあのデュグロスをボコボコにすれば良い。そして、あの約束も守る――それできっとバースのやってやりたいことは達成出来る」
「…………首飾りを通してスティーには私から直々に神託を下す」
「…………」
「心配?」
「ニゲラは心配じゃないのか?」
「心配だよ」
余裕ぶっているだけ、とニゲラは言う。
「母さんに新しく出来た友達……遊んでてすごく楽しそうだった。約束がなければ、私が神雷を落としているところさ」
「…………そうだな」
* * *
シエラの後方支援により、動きを止められ、その間にスティーが攻撃を加える。
二人の連携はほぼ完璧に近い。綻びがあるとすればシエラの精神状態が万全でないというところのみ。
「『拒』――――」
(クソが……!!)
イーサンの体の動きが封じられ、スティーが蹴る。
権能による能力発動は、魔力消費がなく、その司る事物が一致していれば、何の欠点も損失もなく使える。
イーサンの頭の中ではシエラが何の神なのかという分析に必死で、対処するのに手古摺るばかりで、刻一刻とスティーの攻撃を受け続けている。
そんな彼の分析がどんな解答を導き出したとしても、シエラの権能の対処というのはほぼ不可能だ。その理由は彼女が創造神であるが故――どんな神の能力も使えるという点が対処を不可能にしているからだ。
先刻での『活』もその例に漏れない。
場内の砂を手に取って、権能を使ってしまえば――――
「『生』」
砂は獅子となり、龍となり、イーサンに襲い掛かる。
爪での斬撃と、炎による攻撃と尾の一撃。
(これは――――やばい……!!)
そして、その間にスティーの脳内にニゲラの信託が下る。
バースの憑依のこと、そして約束のこと。
イーサンに悟られぬよう表情を変えず、心の中で了承した。だが、出来るだけ自分の力でやりたいと、そう返した。
もう少しなのだ、もう少しでイーサンを倒すことが出来るのだ――だからやらせてほしい、と覚悟を見せた時に、イーサンが最低最悪の行動に出た。
シエラが目を離し、スティーに次の行動を促し、権能を行使しようとしたその瞬間に、デュグロスの変容を行ったのである。
「シエラちゃん…………どうしてこんな酷いことをするの……? 最低だよ…………」
シエラの動きが、ぴたりと止まった。
「シエラ様!! それはメイさんじゃありません!! 気をしっかり持ってくださ――――うっ!?」
シエラに声を掛けながら、スティーが支援なしでイーサンに殴り掛かるも腹に蹴りによる強い一撃を喰らった。
イーサンの、苦し紛れの作戦だったが――効果は抜群だった。
「どうしてあの時助けてくれなかったの?」
「ぁ…………ぁ…………」
メイの声で、メイの姿で――シエラの親友の、声、姿。
(掛かった…………!!)
もう、シエラは動けない。
校長という立場を使っていた時に、シエラがメイと仲良く学校生活をしていた様子は何度も見ている。その仲の良さがどれだけかということも把握済み。
親友の姿で責められたら、どんな気持ちになるだろうか。
(昔一度だけ、殺した人間の姿でその友人の前に現れて責めた時があったが…………その時は目の前で首を切って自殺をして死んだものだ)
神の場合は、どうなる? ――メイの姿でイーサンはシエラを嘲笑った。
「酷いよ。シエラちゃん……」
嘲笑った後は、嫌悪の眼差しで、泣きそうな表情でシエラを責め立てる。
悪魔の、所業だった。
――スティーの中で、ブチリと切れる音がした。
腹の痛みだとか、自分の苦しい思いなどすべてが無くなったように錯覚し、ただただ憤りを覚えた。
殺してやりたいと、殴り飛ばしてやりたいと、イーサンの苦しむことすべてを浴びさせてやりたい思いが心を染めている。
――悔しい。
――出来ない。
――実力が伴っていないから。
シエラの目から大量の涙が溢れてくる。
罪の意識を植え付けられて。
その涙を止めてやれない――――スティーはひたすら悔しくて、悲しくて、複雑な気持ちの中、怒りに涙を滲ませた。
ふと、イーサンの変容が強制的に解かれ、動きまでもが封じられた。




