27th.恩恵
――教室内は、がらんとしていた。
担任の教師も、生徒も居ない。
その教室だけでなく、学校のほぼ全体ががらんとしている。
ほとんどの人員がデュグロスの男にやられた。スティーとアリアの二人が悲惨な現場を目にし、シエラはただただ、迷宮の内部から運ばれてくる生徒の姿や教師の姿を目にして、動けずにいた。それぞれの現場には必ず血文字で「お前らのせい。巻込注意、お疲れ様」などという煽りの言葉が書かれていたらしく、その事実を聞く度に心がどんどん削られていく。
救護班である冒険者の「犯人との関係性は?」だとか「こうなる原因に心当たりなどは?」などの質問をされる度に、拳を握り締め、唇を嚙み、涙を堪え、依頼調査の概要を言う。
――『立ち回りがうまくいってなかったということか?』
――『………………』
――『しっかりしろよ』
悔しい。悲しい。辛い――――あの時の呆れ交じりの溜息がとても傷付いた。分かってる。自分が悪い。
一週間、ずっとこの教室で突っ伏して、スティーはそっとしていてくれたけど、寂しい。
――『幸い、死亡者はいませんでした。犯人が何を狙っているのかはわかりません』
アリアのその情報を聞いても、だからといって「よかった」とは言えなかった。
――『メイさんは、かなり出血していたようで、意識が当分は戻らないそうです。回復魔法を掛け続けて早くて二週間…………スルトさんに回復魔法のお願いをしました。スルトさんでしたら或いは……シエラ様――いえ、きっとメイさんは元気になります。シエラ様は悪くありません。きっと……私の責任です。私に不備があってあちら側に悟られたのかと思います』
スティーの励ましの言葉も、耳に届かない。
一週間と少し前まで、あんなにも生徒たちの雑談等で騒がしかった教室内が、今ではこんなにも静かだ。
教室内に一人。
「寂しい……」
――『シエラちゃん。育ててたお花が咲いたから一緒に見に行こう?』
楽しかった――メイと過ごす時間が。
――『何の種かわからないまま植えたから、何の花が咲いたのかが楽しみだな~』
植物図鑑を持って行って、絵柄と比較して、それが希少な花だと分かった時のメイの笑顔が脳裏に過る。
姫様気質のアリシア、少し変わったことが好きなマリア、ヴィエラをライバル視して結局勝負事にはいつも負けてしまうリサ、星座に詳しいハルトマン、あわよくば下着を覗いてこようとするレイン、恋愛小説に影響されすぎて主人公と同じ行動をして距離を置かれるゴードン――――個性豊かな生徒たちとの学生生活が楽しかった。
――アリシアと舞踊を踊った思い出が。
――「踊りでの雨乞いを一緒にしよう」と誘われマリアと一緒になって変な踊りをしながら雨乞いをして、結局雲一つない良い天気だったあの日の思い出。マリアが嫌な気分になるかなと思って言わなかったけど、正直その日は雨は降らないことを知っていた。
――ヴィエラが幽霊が苦手と知って、リサに連れられ洞窟で肝試しに行き、蝙蝠にビビッて三人揃って腰を抜かして動けなくなった思い出。
――ハルトマンに星座の神話で創造神のありもしない物語を延々と語られこそばゆくなって結局逃げてしまったあの日の思い出。
――レインとの攻防……自分を庇ってくれるヴィエラに滅多打ちにされていたけど、ふとヴィエラの下着が見えたらしく、嬉しそうだった。そんなに見たいのかと思って、見えるか見えないかぐらいまで裾を上げてやったら、ヴィエラに怒られたのを覚えている。
――ゴードンは、正直よくわからない。いつも「子猫ちゃん」と呼んでくる。服が張り裂けそうなほどムキムキの筋肉を持った大男がそんな呼び名で女子を読んでも、逆に怖いと思うけど。
思い出が、思い出が走馬灯のように次々と脳裏によぎる。
楽しかった、とても楽しかった。
ちょっと魔が差して先生に悪戯してレオと一緒に怒られたことだって、アリシアに化粧を教えてもらうも自分にその才能がなくて完成状態で笑われて恥ずかしかったことも、学校生徒全員の前で発表しろと言われ緊張し過ぎて壇上で思いっきり転んだことも――――すごく楽しかった。
その日常が今、依頼を受けて、自分が調子に乗って、巻き込んで、終わった。
教室の内装が移る景色が歪む。
ぼやける。
「うぅっ…………」
大粒の涙が頬を伝う。
――『しっかりしろよ』
冒険者の言葉が脳内に木霊する。
もう無理だ。戦えない。終わってしまった。自分が巻き込んだ。
大事な友達だけでなく、学校生徒の全体をも巻き込んだ。
きっと嫌われた。もう居なくなってしまいたい。帰りたい。現実から逃げて、また引き籠った生活に戻りたい。
もう嫌だ。教室の生徒たちが戻ってきたらきっと――――「お前のせいだ」と言われるんだ。
――『お前のせいだ。巻き込みやがって、しっかりしろよ』
言われてもいない言葉が聞こえてくる。
「ひぅっ……ご、ごめんなさい…………調子に乗って……ごめんなさい……許して……許して…………」
机に伏す。
「スティー…………」
* * *
部活動で使わているその一室には、誰も居なかった。
先ほどシエラのすすり泣く声と嗚咽が響いていた教室と同じで、静寂の気を纏っており、本棚にある魔術所たちも少しばかり寂しそうにしている。「打倒コルテラの生徒!」と躍起になって新しい魔法の開発に努力を重ねる生徒たちの姿も、実験道具を使って新しい魔道具の開発に勤しむ生徒の姿もない。
そして、それを指導するグンディーの姿も、スルトが開発した魔法が記された本を読み漁るシオンの姿もない。
生徒の影一つすらない。
次にスティーが向かったのは訓練場だ。
いつもグンディーにしこたま鍛錬をされた訓練場。先日置き忘れていた訓練器具が転がっている。
「先生…………」
――グンディーの怪我の状態は酷くなかった。
それでも、所々に骨折した箇所が看られたり、打撲の跡が目立っていた。
デュグロスの男に、出来る限りの抵抗を見せたらしい。その場にはメリアと、レオが居たという。
一番の功労者はレオ――デュグロスの男に手傷を負わせたと、メリアとグンディーとでの三人体制で相手取り、レオは自身が行使した『勁』の上級派生を用い、その副作用たる状態にて撤退。レオを殺そうとしたその男の猛攻をグンディー一人が受け、救助された。
アリアを除いて、唯一無傷なのはメリアただ一人。
レオの援助に回り、今や彼の家で治療に当たっているらしく、居ない。
「巻込……注意……」
血文字の内容を思い出す。
悪党の言葉に価値はない、とグンディーはいつかにそう言っていた。
他人から悪口を言われた際に、傷付いたりする一つの原因は、その言葉に価値があると無意識化で思ってしまったり、あるいは図星であると認識してしまうことなのだとグンディーは語っていた――その言葉に意識する価値がないと思ってしまえば「何か言ってるな」で済ませられるし、自分のことをよく知らないのだなと割り切ってしまえば、その悪口を気にする必要性もなくなってきてくる。
「私は……グンディー先生も、メリア先生も、巻き込んだことになるのでしょうか」
シエラは、優しい。
優しいからこそ、真に受けてしまった。
「巻き込んだ」ということに関しては、少しだけ、ほんの少し――自覚してしまっている。
自分たちがスルトからの依頼を受けなかったら? こういうことにはならなかったはずだ。
なら、スルトのせいになる? 否、そんなことにはならない。依頼を実際に受領したシエラが悪いというわけでもない。
「私たちが依頼を受けずとも、犯人はこの学校で女子生徒を襲って、苦しませて、善くない行為を繰り返していた――そう考えるのが一番良い……」
考え方を変えてみる。
これは、運命だったのだ。
「善くない行為を繰り返す犯人を、止める為に依頼を受け、この学校に来て、過ごしている中で、犯人に悟られた」
いつ?
――思い出す。校長と唯一図書室で話していた時間を。
(私の…………落ち度……)
あれで、悟られたのだ。
初めから犯人が頭の切れる人物であったことはわかっていたはずなのに、そこを考慮せずに、図書室から貸出すことなく、校長も利用することを視野に入れないまま、魔族のことについて勉強し「魔族と戦う機会が?」という質問をされ、曖昧に答えた結果――こうなった。
自分が悪かった。
自分が原因だった。
シエラを泣かせる結果を生み出したのは自分じゃないか。
訓練場の隅に、座り込む。
壁にもたれかかって、訓練器具を眺めながら、じわりじわりと目尻に涙を滲ませた。
「先生っ……!」
シエラと同じくして、グンディーと過ごした日々が脳裏に過る。
確かに彼女は厳しかった。訓練はきついし、回復魔法を習得するまでは毎日筋肉痛に苦しむ日々だったし、どれだけ「休みたい」と思った日が続いただろうか。
そんな日は数えきれないほどあった――だけども強くなっている実感はあった、天界で悪魔に蹂躙されていたあの頃と比べれば天と地の差ほどある。感謝してもしきれない。
「私のせいで……すみません……」
そして、ふとシエラから言われた言葉を思い出した。
――『スティーは、平気なの?』
自分が、冷たい人間なのではないかと疑えてくる。
もしかすると、本当に人形なのではないか? 胸を開ければ歯車が回っていて、人間と自称しているだけで本当は絡繰り人形なのではないだろうか。
不味い。このまま考えていてはグンディーの嫌いなうじうじとした人間に――いや、人間ではないのならいいのではないか? いや、考えてはいけない。これ以上考えては精神的におかしくなってしまう。
「いやだ……いやだ……嫌だ嫌だ嫌だ……私はちゃんと……人間なはずです。だってあの時血が出てたじゃないですか。痛みもある……」
負ける。
犯人による嫌がらせの術中に嵌ってしまうわけにはいかない。
そのまま錯乱状態になってしまう寸前で、ふと、前向きな思考が過る。
その時、何故かはわからなかった――――ただ、ただ単に前向きな考えが浮かんだのだ。
――「今以上に強くなれば困ることはないのだ」と。
――「人間であることを疑っていても、絡繰り人形である証拠が無ければ人間なのだから、人間だと名乗っても善い」と。
急に、だ。
いつの間にか涙も引っ込んでいる。前向きな思考に半ば強制的に切り替えさせられたからだ。
「どうして……」
視線を下ろす。
「――――――象徴画の刻まれた装飾品、神器……」
即ち、恩恵。
思い出す――ニゲラ、バースの象徴画の恩恵を。そして、創造神シエラの象徴画の恩恵を。
涙はもう流れない。
ここは取り敢えず、安堵しておくべきだ。
迷宮でシエラが混乱状態――錯乱している中で自分が平気とも言える状態だったのは、バースの象徴画による回復恩恵のおかげ。
ニゲラの恩恵は――思考に関係するもの。判断力に関係するもの。知恵の吸収に関係するもの。
(良かった…………私、冷たい人間という訳ではなかったんですね……)
恩恵をこれからどう使うかは、本人が決めるところ。
「………………ふぅーーーーーーーーーーー……!!」
シエラは今、戦えない。
強くなるべきは自分。助けるべきも自分。支えてあげるも自分――デュグロスを打倒するのは……自分だ。
今から、今から始める――これから始める。
長い髪を、後ろで纏めて、部室に向かう。
まずは知恵を叩き込むこと――部室にあったあらゆる魔術所と魔法教本を読んだ。頁をぱらぱらと捲るだけで瞬時に記憶される。理論のすべてを理解できる。
(まだ足りない……まだ、まだ、まだ…………!!)
体はある程度できているはずだ。ゴードンとの腕相撲で圧倒するくらいには力がついている。
体の動かし方、魔力の流し方、魔法の行使のブレやムラ、いつもグンディーに「おざなり」と言われている箇所を恩恵で修正、学習、補う。
一日中体を動かした。動かした後は一心不乱に肉を貪った。
もう無理だ、と体が悲鳴を上げている――気にしない。
バースの象徴画の刻まれた装飾腕輪に魔力を通せば回復力が向上することが分かった。
ニゲラの象徴画の刻まれた装飾首飾りに魔力を通せば、一段と思考がクリアになり、寝る必要すらなくなり、無理をしているのに、なんともない。
天界で同じようなことをすれば、ニゲラやバースから「もう無理はしないで、寝てくれ」とお願いされただろう。
(今だけは……休めない……)
休む訳にはいかなかった。
自分のせいだという自覚がそうさせた。
一日、二日、三日――――スティーは一日中動き、仮眠は一から三時間で済ませ、それでも回復しきってないときは回復魔法と腕輪に魔力を通して済ませる。
それを、ひっそりとスルトが見ていることも知らずに。
スティーの手紙を受けて、メイの治療をしつつ、暇を見つけて見に来た。
(無茶をする…………)
だが――確実に、強くなっているのは確かだ。
魔力の質は上がっているし、体の動かし方についても、申し分ない。
技術に関してはまだ付け焼刃、経験の差には勝てないだろうが、おそらく勝てる。
ただ見守り、最後にシエラの姿を一目見て、スルトはその場を離れた。
スティーが回復が追い付かず、倒れるように寝たのは、二週間ほど経ってからだった。
* * *
校長室へと向かう。
一歩、一歩ずつ踏みしめて――覚悟の一つ一つを噛み締めるが如く。
デュグロスの男が校長室にいることは勘――居なければ見つかるまで探す。
しかし、この予感は当たっている気がした。
扉に手を掛ける。
「入ります」
「おーう、入れや」
予感通り、その男は居た。
金色の瞳、紫の髪――完全に情報と一致した男。
校長専用の執務机に座り、不敵な笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「――――名前、聞いてもいいですか」
「あぁ?」
「名前、無いんですか?」
眦を釣り上げたまま冷静に、名前を尋ねた。
今にも飛び掛かってしまいそうなくらい、怒りに心が支配されそうで、どうしようもない。怒りを少しでも抑えるため、名前を尋ねた。
「…………イーサン」
少し躊躇った後、デュグロスの男は「イーサン」と名乗る。
その顔はやたらニヤニヤしていた。その表情がどうにも癪に障る――シエラを傷付けたのもそうだが、同級生即ち友達をあれほど傷つけ、怖い思いをさせて尚、平気で居る。
「それ、義眼ですよね。無いほうが似合ってますよ――貴方は」
煽った。
「メスガキが…………犯して殺すぞ」
「お断りします」
スティーの煽りは効果覿面だったらしく、イーサンの眉間に皺が寄り、口からは暴言が出た。
「――――聞いていいですか?」
「何だ」
「女性たちに、謝るとしたら、なんて言います?」
「はァ?」
「謝罪とか、教わらなかったんですか?」
「…………お前、温室で育ったろ。綺麗事しか言えなさそうだな――――謝る気なんて更々ねェな」
ムラムラしたから、手頃な女を見つけてやっただけ――腹が減ったら店に行って飯を食うようなものだ、とイーサンは口走る。
「最低です。反吐が出ますね」
対して、スティーは嫌悪感を露わにして隠さない。
「お前も同じようにしてやろうか? きっと気持ち良いぞ?」
「貴方とはしたくありませんね……ゴードンさんとする方が百億倍マシです」
「ゴードン君が可哀想だな――同情するぜ」
「後で、ゴードンさんには謝っておきます」
「真面目だなァ」
「貴方のようにはなりたくないので」
「散々な言い様だなァ……オイ……喧嘩売ってんのか? マジで殺すぞ」
イーサンがこちらに向かってくる。
対してスティーは、臆さなかった。
「私は殺せませんよ」
私が勝つので――――強気に言う。
「――――――――は?」
イーサンは、ぽかんと口を開けたまま固まった。
息を吸い、スティーが叫ぶ。
「決闘だ!!」
校長室に、宣戦布告の声が響いた。
スティーちゃん、怒り慣れてない。
 




