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元人形少女は神様と行く!  作者: 餠丸
序章~天界~
3/60

プロローグ・サード


 虹鳥と呼ばれる、名前の通り虹色に輝く翼を持つ鳥が甲高い声質で鳴いた。

 それは一種の門出の祝いだろうかとスティーは感じる。

 天界の平原――不思議な形をした花が風に揺れ、それを一つ摘んで匂いを嗅ぐ。甘く優しい香り、牛乳に砂糖を入れて煮た時のような香りだ。


「シエラ様と同じような似た香りがします」


 髪飾りを外し、シエラの象徴画を見る。中央に円があり、時計の様な十二本の放射線が周りにあり、その線の先にはそれぞれ一から十二を表す神聖数字が書かれたもの。

 この髪飾りは元は思い出の品を変化させて作られたものだとシエラは昨晩教えてくれた。


「大切にしましょう」


これだけは誰にもあげてはならないとスティーは心に抱き、誓う。

 

 自分の体力は平均的な同じ年頃の女性とあまり変わりはない――先日にした散歩でそれは明らかで自覚もある事だ。

 時折休憩しながら、景色を楽しみつつ歩く。背中の方に目線を移せば、シエラの住屋を地として支えるあの大きな岩も、かなり小さく見える。


「もう、こんなに歩いたんですね……」


 先日の散歩では大穴の周りを少し歩いた程度だ。

 それだけでも新しい発見は数多くあったが、これからはそれ以上に新しい発見と体験をすることになる――スティーは期待に胸を膨らまし、ふんふんと鼻息を荒くした。

 知恵神ニゲラという女神がどういう神様なのか気になる所だとスティーは脳内に女神像を想像する。

 賢い人というからには眼鏡をしているのだろうか。本の挿絵で見るような学士のような装いに身を纏って「授業を始めます」と眼鏡をくいと上げて教鞭を……厳しい女神かも知れない。

 そんな想像をしながら、スティーは歩き続けたが一向に馬車などは見当たらない。

 シュアの話によれば、割とすぐに出会う可能性が高いと言っていたが時間が早かったのか早々には見当たらなかった。


(やっぱり……野宿用の天幕とか貰っておくべきでした……)


 鞄に入っているのは、量こそは少ないが腹持ちの良い食糧――朝早くから今日の朝食担当メアルが作ってくれたもの。小さくても栄養豊富で食べやすく、味も濃く自分好み。


(シエラ様の話によれば、バース様は料理が上手いみたいですね。それも楽しみです)


 どんな神なのかを想像していると楽しくなってきたとスティーは疲れを忘れて歩き続けた。

 最終的には体力も付けなければいけないのだから、今のうちに持久力等身に着けておいて損はあるまい。

 さらに楽しくなって、走る――馬の嘶きが聞こえるまでスティーはただひたすらに走った。


 馬車の乗り心地は、それほど良いとは言えない――何せ荷物運搬用の馬車だからと御者は言った。

 御者の名前はバルタと言う。外見の年齢は六十代後半付近と老人の姿をした男性の人間だ。天界に来る人間は全て下界において生を全うした――早くにその命を終えてしまった者も勿論いる――その人間の求める外見年齢にまで引き下げられるとシエラより聞いていたが、彼は笑いながら言った。


「私は……のんびり仕事をしていたこの歳が一番性に合っていてね。生前は今のように御者をしていたんだ」


 荷台の荷物に背を預けつつ、スティーはバルタの話を聞いた。

 天界に来てからも御者を続けたいと神に願い、生前の行いもあってその願いは無事に受け入れられたのだとバルタは明かす。


「創造神様を信仰し、命を大切にする彼女の神格像に則り生き物に感謝をしながら生きる人生――やってて良かったと今も思っているよ。善い行いをすれば、自分に都合の良い場面はいずれ来る……お嬢さんは善い行いをしていたのだろうね」


 だから、丁度ピュトリスに向かうこの馬車がスティーの近くを通ったのだろうと彼はにこやかに言った。

 落ち着いた印象を受ける男性だ。頭は全て白髪として生え揃い、顔は皺が刻まれているがその表情は優しい。服装は簡素で暗い色合い――聞かざるのはあまり好きではないのだと言う。


「乗り心地は悪いかもしれないが、我慢しておくれ」

「全然大丈夫です!」

「そうかい、それは良かった」


 彼との話は面白い――最近、創造神の名前が決まったという報せの話が出てきたが、まさか自分がその名前を決めた張本人だと明かしてしまえばどんな顔をするだろうか。信じないだろうからとスティーは言わずにいた。

 創造神にはずっと名前が無かったため、下界でも「創造神様」と呼ばれ親しまれていたらしい。

 恋愛云々の話を彼女を使って盛り込むと結構な重罪に当たるというスティーにとってはかなり物騒な話もバルタの口より語られた。だが、そうは言っても創造神を題材にした小説物語は世に沢山出回っているとバルタは複雑そうな表情をしつつ後頭部を掻きつつ教える。


「創造神様が赦しているから良いものの……信者の私としては、あまり露出は控えて欲しいことだ」


 ――つまりは、創造神と昨晩体を合わせたことは言わない方が良いのか。スティーは確信して黙った。


「ピュトリスに向かう途中に、街があるからそこで馬を休憩させても良いかな?」

「勿論です!」


 途中、眠ってしまったのかスティーは微かな食べ物の匂いに重い瞼を開けた。


「おお、起きたかい」


 上体を起こしたスティーにバルタが声を掛ける。


「何分ほど、寝てました?」

「そんなに長くはなかったよ。数十分ほどさ」


 そして、続けてバルタは「着いたよ」と言った。


「パレバトという街だ」

「……! バース様の街ですか」

「それはパルバト。名前は似ているが違うよ」


 パレバト――「糧」を司るペレストという女神が統治する街。

 野菜を生み出す力を持ち、信仰する人々に安寧と豊穣をもたらす神で、慈悲深い。バルタ曰くその肌は褐色で、金色の髪と翡翠色の瞳を持った美女だそう。象徴画は円状に並べられた丸の中に二つ葉の新芽が描かれた簡素なもの――その象徴画がもたらす効果は「安産」「子宝繁盛」「健康」「安らぎ」。


「会ってみたいです」


 パレバトは、高度の低い円錐状の形をした街だ。

 広大で、その円錐の頂上付近に神殿がある――街の端に居る状態でも見えるくらいに大きな神殿で、食糧庫としても機能しているからその大きさなのだとバルタはスティーに教えた。

 美味しいものに満ちた街だとも彼は口にした。


「今日一日、ここで過ごすと良い。私もこの街のどこかで泊っているから」


 わかりました、とスティーはパレバトの街の中を散策することにした。


 屋台が豊富にある街だ。

 その屋台のどれからも美味しそうな食べ物の匂いが漂ってくる。今晩の止まる場所を探しながらその食べ物を味わうというのもありかもしれない。


「わあ……」


 天界では金銭取引などは一部除き無いのが通例。店に入れば何でも無料で提供してくれる――下界との違いの一つ。

 屋台の一つに立ち並ぶ人の数々を見つけ、スティーは最後尾へと並んだ。何の屋台かは知らないが、これほど並ぶのであればきっと美味しいものが食べられるに違いないと踏んだのだ。


「あの、この屋台はどんな食べ物を……?」


 目の前の女性に話し掛ける。

 褐色の肌を持つ黒髪に黒目の露出度の高い装いをした女性だ――耳が長い故エルフという種族だろうか、美人だ。それなりに豊満な乳房の持ち主、腰つきも大きく官能的な身体。


「麦餅よ」


 麦餅――美しい声音で語られた単語には聞きなれていなかった。

 どんな物ですかと聞けば、女性は何を勘違いしたのか両手で口を覆い涙目で抱き着いて「そっか……そうね……お腹いっぱい食べると良いわ?」とスティーに言った。


「え……? 何を……?」

「麦餅も食べれない環境で育って……この天界に来ちゃったのね。中はふわふわ、食感はもちもち、それが麦餅よ」


 その麦餅に切れ込みを入れ、野菜を酸味のある液体調味料で煮込んだものを挟むという食べ物をここでは配っているそう。彼女が勘違いをしていることを何とか訂正したいが、スティーは汗を流しつつもその麦餅を待った。

 そして、順番が回りその料理を貰う際、女性が店主らしき人間の男性に声を出す。


「この子……不憫にも麦餅を食べたことが無いらしいわ……」


 次の瞬間、白い料理服を身に纏った恰幅の良い店主がぶわっと涙を溢れさす。


「え――――」

「そうか……そうか……!! 苦労したんだなあ……ッ!!」


 全然違う……とスティーは否定する余裕も与えられず、煮込み野菜入り麦餅を頬張った。


(――――美味しい!!)


 初めて食べる味、程よく酸味の利いた調味料が舌を唸らせる。

 ――女性がした勘違いを正すまでに時間が掛かったのは別の話。


 昼と夜とではこの街の様子はがらりと変わる――夜の賑わいに泊っている宿屋を出ようとしたところ店主より「教育に悪いからお嬢さんはもうちょっと歳月が経ってきなさい」とスティーは止められた。

 つまりは――そういう事だった。

 ペレストという女神は「糧」を司るだけあって、子宝の繁盛をすることを好ましく思っているらしく夜の愛の営みたる行為を人々に推奨しており、窓からこっそりと見てみると女性が男性を誘い、男性もまた女性を積極的に自分の家へと誘う場面がそこらで見掛けられ、シエラの住屋の周りでは見かける事が滅多にない光景だろう。

 主神であるペレスト自身は既婚――なんと自分もよく知っているあの大天使が夫という事で毎晩時間になると、彼の居る創造神の神殿に向かうのだとか。


(教育に悪いも何も……声が聞こえるんですが……)


 隣の部屋からは女性と男性の交わる声が聞こえてくる。

次の日の朝――「知らなかった……」とバルタは次の街で休憩するべきだったと反省していた。


――――天界は広い。下界の数倍程の広大さがあるという。

神の数ほど街がある。スティーとバルタが赴いた街はパレバトだけではない。

 色々な人と話すうち――やがてピュトリスに着くときが来た。


「バルタさん。ありがとうございました」


 スティーが礼を言うと、バルタも「良い会話に満ちた旅だった」と笑って答える。

 ――ピュトリスの街並みはパレバトと異なりかなり静かで、整っている。

 古風な造りをした建物が均等に並んでいて、その光景には知的な雰囲気を感じる。

 食品を売っている店はあるものの、ちらほらと言った感じでありそのほとんどが本屋や製紙をしている施設ばかりで辺りには紙の匂いに塗れていた。

 知恵神の神殿は街の中央にあるらしい。パレバトの街は円錐状だったが、ピュトリスは平面の円形。


「設置されてる地図まで詳細的に書いてありますね……」


 地図を見る限りではパレバトよりも広大な敷地面積を持った女神である事が窺えた。

 地図記号の数も尋常ではない。もし、本などで天界の地図記号を学んでいなければ詰んでいたも同然だろう――書かれている距離も、事細やかに書かれていることからスティーはこの街の住人に対して几帳面さを持った人物が多いのではないかと印象を受けた。


「紙の匂いにインクの微かな匂いもしますね……シエラ様の書斎と同じ匂い……好きです」


 心がその匂いに落ち着いていく。

 パレバトの匂いも好きだったが、スティーとしてはこっちの方が馴染み深く好みな方ではあった。


「少しくらいは寄り道しても良いですよね」


 ちょっとした出来心、スティーが最初に寄り道をしたのは本屋だった。

 シエラの書斎には無かった本があるかも知れない――そう思って本屋の入り口の扉を開く。

 「いらっしゃい」と静かに言う小さな老人――赤い三角の帽子を被った姿をしたカプリコーンと呼ばれる妖精の男性店主に、スティーは「ど、どうも……こんにちは」と会釈をする。


「ゆっくりしていきなさい」


 蔵書数はシエラの書斎よりかは小さいものの、見慣れない題名がずらりと並んでいた。それもそのはず全部が全部人間語で書かれた本だったから。

 様々な言語で「立ち読み、お控えください。試読は中央の机で」と書かれた張り紙が店主の背後の壁に貼られている。


(神聖言語で書かれた本が……見当たりませんね……残念です……)

「神聖言語の本はあっちだよ」


 そう言って、店主が指差したのは左奥の本棚。

 どうやら自分が神聖言語を話している事から察したらしい――「ありがとうございます」と頭を下げ、スティーは向かう。神聖言語で書かれた本の数は、他と比べて圧倒的に少なかった。


「まあ、天界に来て神聖言語を学んでも、使う人は少ないから仕方のないことじゃがの……すまんな、お嬢ちゃん」

「うー……」

「ふむ……外見と雰囲気からして十六程の年齢じゃろうが……その若さで神聖言語を常使うとは中々学に秀でて居るな。見ない顔じゃがピュトリスに何しに来たんじゃ?」

「えと……人間語を学びに……」

「もしや……天界で生を受けたんか?」

「そ、そうです。一応ですけど……」


 どこから? と聞く店主と話し込み、時計が鳴る音が数回するまで二人は話し込んだ。


(凄い時間を話し込んでしまいました……!! 寄り道でがっつりと余計に時間を潰して……ひえー!)


 外は既に暗い、陽は既に落ちていた。


「……済まぬの、儂の話が長いばかりに……」


 反省する店主に、スティーは慌てて否定した。


「寄り道した私が原因なので、店主さんは何も悪くないですよ。あぁ、どうしましょう……怒られるでしょうか……今すぐに向かった方が――――」

「暗い夜道を少女一人で歩くのは危険じゃ。ピュトリスの治安は最良じゃが万が一にも若き少女を危機に晒させるわけにもいかん――泊まっていきんさい」

「でも……でも……」

「もし、中央のニゲラ様の神殿に向かっているのなら、歩いていくにも一日以上掛かる――道に迷うことも考慮すれば一日二日、誤差に過ぎんわい」

「そうでしょうか……」


 うむ、と店主は頷いた。

 そんな彼に、スティーは甘えることにした。


 ――その神殿の大きさはかなりのものだった。

 正門を開けるだけでもどれだけの労力を必要とするのだろうか? そんな疑問がまず頭に浮かび、あまりに大きい為スティーは冷や汗を流す。堅牢な両開きの金属製正門、そして異様なまでに大きい本殿――恐らくはペレストの神殿よりも数倍大きい。横幅だけでなく奥行きも凄まじい。

 神殿の形は長方形と正方形を二段に重ねた様な造りで至って簡単なものだ。それなのにもかかわらず知的な印象さえ受けてしまうのは、知恵神の滞在する神殿だからだろうか?

 ピュトリスに入ってから二日――寄り道のおかげで一日この神殿に来るのも遅れてしまった。今になって不安になってくる。


(厳しい方でしたらどうしましょう……寄り道した事とか怒られるんじゃ……)


 もし怒られれば素直に謝るしかない。もし筋骨隆々な男性で巨人のような神であったら……と思うと涙が出てくる。事前に女神であることを聞いているはずなのに。

 四つ葉の植物を一本横に銜えた梟の背後に開いた本――それがニゲラの象徴画である。

 ――本は培われる知恵を表し、四つ葉は与えられる知識を表す。梟は賢さの象徴。象徴画が与える恩恵たる効果は今のところスティーは知らない。


「辞典で殴りかかってきたりとか……ありませんよね? 怖いんですけど……」


 物騒な想像をスティーは膨らませた。

 そして立ちすくんでいると背中に視線を感じ、振り返れば「どうかされましたか?」とも言いたげな表情で複数の天使たちがこちらを見ており、スティーはまず最初に目についた一人の女性天使に話し掛ける。

 地味目の服を着た、前髪で両目を覆った黒髪の天使――頬には少々のそばかす。不愛想な雰囲気をスティーは読み取った。


「あの……知恵神ニゲラ様って……この神殿の中にいらっしゃったり?」

「いらっしゃいますよ」


 帰ってきた答えに、せめて留守であって欲しかったとスティーは天界に生を受けて初めて、狡い思惑を頭に浮かべた。


「……実は男神様ですか? シエラ様は女神だと仰っておりましたが……」

「女神様ですよ」

「だって……こんな重厚な神殿ですから男神ではないかと……」

「ニゲラ様は信仰者も多いですし、あらゆる図書をお持ちですからその分大きくもなります」


 スティーが不安気に質問を繰り返すと、目の前の天使以外の天使たちは苦笑していた。


「……ニゲラ様に用事があるのでしたら、あそこにある呼び金を鳴らしてください」


 そう言って天使の女性が指差した先には金属製の輪が取り付けられたものが取り付けられている。

彼女の話によれば魔道具の一種らしく、鉄輪で金属部分を叩けば中の者に訪問の報せが行くという物――ニゲラが出てくれるかは分からないが、従者のうち誰かが出て来てくれるらしい。

 だが――早く叩けばいいというのに、スティーは不安なあまり叩かず天使の方に振り返り聞いた。


「出てくださいますか? ニゲラ様……」

「大丈夫だと思いますよ~? 貴女……うん、ニゲラ様の好みに合いそうですし絶対大丈夫です。まあ、ニゲラ様が出て来てくださるかは分かりませんが、従者の誰かが一人は顔を出すでしょう」

「本当ですか?」


 ピュトリスに住まう天使が言うのだから間違いはないのだろうが、スティーは怖がって動かない。

 何度も質問を繰り返す彼女に、天使たちはくすくすと笑い続けていた。


「…………」


 輪を持つが、スティーは一向に動かない。

 寄り道をした事によって怒られるのではないかと怯え尽くし、意を決して動こうとするも内心は「やっぱり……」と小心にも程がある行動をしていた。

 数分経過――笑っていた天使がぞろぞろと帰りだす。最後に残ったのは質疑応答を繰り返していた女性の天使。


「こうやってやるんですよ」


 痺れを切らした女性天使がスティーの手を掴み、動かして呼び金を叩く。


「なっ!?」


 カンカンという金属音。口をパクパクさせつつ「心の準備が……!」と悲鳴を上げるスティー。


「怖がっていても仕方がないでしょう?」

「うぅぅうう……」

「怖くなんてありませんよ。私は仕事に戻ります」


 大胆にもスティーを強制的に動かした天使はそそくさと帰っていく――スティーの感じた通り、彼女は淡白な性格を持っていた。


(ああああああシエラ様……私は悪い子です申し訳ございません寄り道しようとしてました嘘ですしてましたどうかニゲラ様に何とかお許しいただけますようお願いできないでしょうか……)


 ニゲラが怖いあまり、この場に居ないシエラにスティーは神頼みしていた。

 ――勿論通じるはずもなく、重い金属音を立てて正門が開いていく。

 正門が開き、神殿の内部へと通ずる神殿入り口の扉へと足を恐る恐る進めた。その様子はまさに人間が幽霊屋敷にでも入ったかのようだった。


「大丈夫ですよね大丈夫ですよね……」

 ――歩いた先、目の前には神殿入り口の木製扉。

 こちらの扉もかなり大きく、人が五人並んで入ろうとしても余裕の幅がある。

 悩むこと数十秒、ついにスティーは扉を叩いてみる。

本当は勝手に入っても良いのだが、彼女は誰かが出てくるのを待った――もう誰が出て来ても良い。怒られたなら怒られたで謝るそれで決定! と覚悟を決めたのだ。

ここにシエラが居たのならばスティーの頭を撫でながら「良くぞ!」と褒め称えただろう。

 暫くして、扉が開く。

 出てきたのはくすんだ金色の長い髪を持つ黒い瞳の少女だ。

 髪はぼさぼさで服装は上下共に灰色の寝間着――背丈は小柄でそれだけ見れば年齢十二歳程の少女。


「あ、寝起きでしたか! 失礼しました……」


 そう言って、スティーは頭を下げ扉を閉じようとしたが、少女は「違うよ」と面倒そうに答える。

 スティーは内心、少女が出てきた事にほっとしていた。もし筋骨隆々で強面の男性が出て来ていたら気絶している所だった。

 そんな心持ちのなか、スティーはにこりと笑って質問する。


「ニゲラ様はいらっしゃいますか?」

「いらっしゃいません」

「えっ? あれ? こちらニゲラ様の神殿……ですよね!?」

「チガイマスネ」

「あれえええええ!? 地図には……あれ? それにさっきの方もここだと……」


 ここでスティーはハッとした。


(シエラ様だって、神殿には住んでいなかったでは無いですか。この女性が誰なのかはさておき、住屋が別にあって、そこにニゲラ様が住んでいる可能性も十分に考えられますね……この神殿がニゲラ様の住んでいる場所ではないことを知らなかったという体であれば、寄り道で無駄にしてしまった時間も言い訳に出来るのでは?)


 ――そんな推測をスティーはしていたが、彼女の目の前に居る金髪の少女はニゲラで合っていた。

 それなのにもかかわらず彼女が自分がニゲラでは無いと否定したのは、その真意にあった。


(ほげえええええええ……可愛い娘がうちに……ヤバい可愛い……もしかして先日母さんが言ってきたっていう例の……あああああああ何か壮大な勘違いをしている顔だ……ごめん……ごめん。でもさ、好みドンピシャの女の子が来たらもうコレ私の精神が堪えられないって! 襲っちゃうよ濃厚な夜のひと時ふた時みつ時を過ごしちゃうって!)


 最初、彼女はスティーが何かしらの偏見をこちらに抱いていようものなら追い返すつもりでいたが、スティーは純真無垢。彼女が偏見を持つなどほぼ有り得ないに等しい。

 髪がぼさぼさで手入れのされていない事に関しても「寝起きなのか」と判断していた――寝起きでは無いが、起きてからずっと寝台でぐーたらごろごろとしていたのであながち間違いではないのかもしれない


「――――ちなみに、聞いていい?」

「はい、どうぞ!」

「ニゲラ様ってどんなイメージ?」

「へ……?」


 いきなりされた質問に、スティーは素っ頓狂な声を出しては「言って良いのかな……」などと呟き、冷や汗を流していた。


(よしよし、ここでイヤな偏見を言い出したら追い返そうそうしよう。申し訳ないけど!!)


 そう思ってうんうんと頷くニゲラに、スティーは「誰にも言わないでくださいね……?」と一言添えて話し始める。


「女神様と聞いていたんですけど、こんな神殿の持ち主様なのですから男神様に変化されてるのかなって……その御顔はこう……えっと……お化けみたいに凄い恐ろしくてっ!」

(鬼のような形相って言いたいのかな)

「えっと……あ、この扉もこんなに大きいんですし背も巨人みたいに大きくて……」

(……これは設計した人間がこうしただけなんだ……色々な物資を運ぶのに便利な設計なだけ……ごめん……)


 他にも入り口はあるが、そちらは扉が小さい設計である。


「――も、もしここに来る前に寄り道しようものなら…………」

「ものなら?」

「か、雷をお、おおおお、落とされる……!」


 寄り道をした自覚があってか、怯えた様子を見せ始めるスティーにニゲラは内心で落とさないよと否定していた。

 そんな事が通じるはずもなく、スティーは更に冷や汗を流し始め、遂には正直に寄り道をしてしまった事を白状し、ニゲラもそれに吹き出した。


(素直な子だなあ……ピュトリスの天使たちは賢くなりすぎてあまりこういう子は見かけないからな……なんだか新鮮で良い。まあちょっと私がニゲラじゃないってことにしてるけど? どうしようかな……私も白状してしまおうか?)


 正直なところを言うと、ここで正体を表したらスティーがどんな反応を返してくれるのかは気になる。

 先程の寄り道の件を謝罪するか、それとも怯えて逃げ出すか。

 ――そうニゲラが考えていれば、スティーが「そうだ」と声を出して切り出した。


「あっ、そうです。貴女のお名前をきいていませんでした! 私はスティーと言います」


 後に引けなくなった、とニゲラは表情を無に変える。

 ――ああ、どうしようかな。名前言っちゃおうかな? と頭の中ではぐるぐると戸惑いの心が回っていた。


「……一旦、待ってくれないかな? ニゲラ様には伝えておくから」

「はい……え? ちょっと待って下さい、ニゲラ様は別の場所に住んでいるとかではないのですか?」


 しまった、とニゲラは一つ汗を流して眉間を抑える。

知恵神ともあろう者が致命的な過失、知恵神とした事が誘導されてしまうなんて一生の恥――スティーにそんな意は無いにしろ一本取られた気分だった。


「えっと……分かりました……ニゲラ様にはスティーと言う人間が来たとお伝えください……寄り道の事は……本当にすみませんでした、とも……」

「うん……」


 踵を返し、スティーがニゲラに背を向ける。

 その背中には哀愁が漂っているようにも見え、それに心が傷んだニゲラは遂に言った。


「――――――ごめん……実は私がニゲラなんだ……」


 眉をへの字に、口を引き結んでは目をぎゅっと瞑る申し訳なさの篭った表情。

 対するスティーは口をポカンと開けて、瞳だけはこちらを見据えている。その唖然とした様子にニゲラは益々申し訳なくなってか更に表情を歪めた。

 そして、唖然とした表情のままスティーは顔中に汗を滲み出させ、涙を一つポロリと落として声を張る。


「す、すみませんでしたぁ…………」

「こっちこそごめええええん……!!」


 本棚、本棚、本棚――――辺りを見渡す限り本棚がある。

 今、二人が歩いているのは廊下だ。壁の至る所に本棚が設置されており、それぞれの部屋に通ずる扉を避けてはいるものの神殿内部の壁が見えない程、その中は本棚ばかりが視界に映る。

 凄い――そう呟きながらスティーは目を輝かせていた。

 しかし彼女が読める言語は神聖言語のみ。ニゲラ曰くこの廊下の本は大体が人間語で書かれており、神聖言語で書かれた本があるのはもっと奥の方だと彼女は言った。


「この神殿には勝手に入っても良かったんだよ。さっきみたいに扉を叩かずともさ」


 そんな事を言われるスティーだったが、姿も知らなかった故に勝手に創造していた人物像に怯えていたのだと彼女が明かし、ニゲラは笑う。


「てっきり、従者様が出て来てくださるとばかり思ってました」

「あの呼び金の報せが私に来たんだ。あれは呼んだ者が求めている人に報せが行く仕組みなんだよ」


 つまり、ニゲラに用があったスティーが使うと必然的にニゲラの方に報せが通じるという事だ。


「どういう感じで来るんですか?」

「何か閃く瞬間があるだろう? それみたいに「あ、呼んでる」って分かるのさ」


 扉を開けて勝手に入っても、部屋からは自分が出てきて応対するのだからとニゲラは付け加えた。


「どちらにせよ。私の従者である天使たちは今全員仕事に忙しいから、私しか出る者は居なかった――ま、四六時中うちの天使たちは仕事熱心なんだけど」


 その言葉通り、今の神殿の中は二人以外誰も廊下には居らず、静寂さに包まれている。


「ニゲラ様はお暇な方なんですか?」


 その質問に、ニゲラは若干衝撃を受けたような表情を見せて言った。


「失礼だぞぉ? 今日は、暇なだけ――――昨日、君が来ていたら私は仕事をしていたし出られなかったから、結果的には寄り道をして正解だった。これもまた運命みたいなものかな?」


 ニゲラ曰く、この神殿に住まう天使や人間たちの仕事は下界の知識を纏めることとなっている。生まれた知識がどういう物なのか、そして誰がどこでどうやって、その考えに至るまでの過程を本として書き記す事務仕事。

 ニゲラの仕事はその知識を勉強しに来た他の街の人間や天使、神に教えること。


「そんな私に、君は何をしに来たのかな?」


 スティーはその疑問に、包み隠さず答える。


「色々な言語を学びに来ました。あとは下界の常識とか、色々と」

「勤勉だねえ……他に求めるものは無いのかい?」

「ニゲラ様の事、もっと知りたいです」

「……君、ちょっと女ったらしな所あるって言われない?」

「今初めて言われました」


 ――ニゲラは、頬を赤に染めていた。


 ニゲラ神殿は、本棚に比べて寝泊まり用の部屋は少ない。

 生憎、神殿の従者たちが全ての部屋を自室として使っている為スティーが泊まるための部屋は無く、ニゲラの自室にて寝泊まりをする事になった――「スケベな事をするかもしれないから警戒をしておくんだね」とスティーは言われたが「大丈夫ですよ」と言う彼女にニゲラは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔を見せる。

 そして、瞬時冷静さを取り作った彼女は真面目な顔で言った。


「そういう事は、あまり言わない方が身の為だと思うよ」

「え? すみません……気を付けます」

「うん、素直だね。だけど本当に、私は君のことを……君のことを――――」


 意識し始めてしまっているのは確かだ――そう口に出そうとしたが、ニゲラは言い出すに至らなかった。

 首を傾げて「私が何ですか?」と聞くスティー。彼女にニゲラが言ったのは別の言葉だった。


「――――母さんの大切な人と思って、丁重に扱いたいんだ。分かったね?」


 そう言って目を合わせるニゲラに、スティーはこくんと頷いた。

 ――ニゲラの部屋は、廊下と同じく本棚と数が凄まじい。壁の殆ど大部分は本が収納された本棚があり、シエラの所持する寝台と同じ大きさの寝台の他にある家具は高給そうな机と同じく椅子――床には柔らかい絨毯が敷かれており、部屋の中は神の匂いが充満していた。

 本棚の設置されていない壁には扉の様な開く場所があって、そこを開いてみるとニゲラが着用するであろう服が数着――地味目な色をした教鞭用の学者服だったり、その種類は少ない。下着に関してもあるにはあったが、スティーは見ない事として扉を閉じた。


「着替えとかは持って来たのかい?」

「はい」


 ニゲラの疑問に、スティーは肩に掛けた鞄から着替え用の服を数着取り出す。

 どんなに大きなものも無数に入る神器の鞄――シエラより受け取ったものの一つだ。興味津々にそれを見るニゲラに渡すと「ほうほう……凄い」と言ってまじまじと見る。


「逆さに振っても出てこない。流石母さんだね……創る事に関しては敵う人はいないだろう……こんなのを直に見るのは初めてだよ」

「間接的にはあるんですか?」

「君は「漫画」という物を知っているかい? 異界の書物の一つなのだが、その漫画の一つに半球状の形をした衣服に付ける道具があってね。無数に道具を入れることが出来る便利な道具さ」

「その漫画という書物も、この神殿にはあるんですか?」

「いや――異界の本まで収納してしまうと途轍もない空間が必要になって来るから、入れないようにしている。だから漫画は無いんだ、ごめんね」

「いえ……ちょっと残念ですけど、わかりました」

「どういう物かは、教えることが出来るよ」


 ――スティーはそれから、ニゲラから色々な話を聞いた。

 下界の事だったり、どういう言語が下界にあるのかもその口から教えて貰った――分かりやすい為覚えやすい。ニゲラは人の性格やどういう感じの教え方が覚えやすいものなのかを会話より分析する。凄まじい神だ。

 髪がぼさぼさだったりするのは、学術にその生活の大半を捧げている為身の回りの事に無頓着になってしまっていると本人が明かす。よく見なくとも、彼女は今の状態でも傾国の美女と言えるまでは容姿の整った姿をしている――この事を確かシエラは「磨けば光る」と言っていたとスティーは覚えている。


「今日、お暇なのでしたらお風呂に入りませんか? ニゲラ様の神殿のお風呂がどういう感じなのか見てみたいです」

「お風呂か……三日前から入ってないな。臭くないかい? 臭かったら入ろう」


 自分の腕を鼻に近付け、匂いを嗅ぐニゲラがそう聞くと、彼女の首筋にスティーが鼻を近付けた。


「――――どわぁっ!?」

「臭くありませんね……むしろ女性らしさに満ちた甘く良い香りがします。香水を付けていらっしゃるんですか?」

「つ、付けてないよ? きき、ききききき君って奴は……私の心臓を爆発させる気でもあるのかい?!」

「そんな物騒な事は思っていませんよ? 兎に角、お風呂には入った方が良いです」


 不潔です、とはっきり言うスティーにニゲラはまたまた衝撃を受け、入浴を了承した。

 ――ニゲラという女神は、化けた。

 いや――正体を現したと言うべきか。その容姿はシエラと肩を並べられるほどに整っていた。何とも美しい容姿だと目の当たりにしたスティーは喉を鳴らし、全身を目で上下と交互に見る。


「あ……余り見ないでおくれよ恥ずかしいな……」


 胸の大きさは自分と同程度だとスティーは分析する。形は至高のものとして当然と言わんばかりで、その張りも自分が男であれば興奮状態のあまり鼻血を垂らし気絶していた所だ。

 くびれは細く――これが「脱いだら凄い」の言葉の意味なのだろうと察する。

 ぼさぼさで手入れのされていなかったくすんだ髪は金を延ばしたのかと思う程輝いており、先程のくすんだ色合いは埃だったのだ。爆発していたあの髪が真っ直ぐに、腰の辺りにまで伸びている。

 照れる姿もまた……美しい。彫刻家が居ればすぐに彫像を作る作業に入りそうだ。


「期待外れだったのかい? ごめんよ」

「いえそんな――――」


 自分の体に自信が無いのか、ニゲラはそそくさと先程と同じ寝間着を着て脱衣所を出た。

 否定しようとしたスティーの言葉を遮り、その顔は少しだけ悲しい顔をしていた。


** *


 翌朝――知恵神ニゲラはこれからのスティーの勉強方針を固めつつ、神殿の廊下を歩いていた。


(あんなにじろじろと見て、自分よりも劣っているとでも言いたかったのかな。男性から見て魅力的なのかどうか、とか考えたこともなかったからよく分からない……自分を客観的に見るのは私は得意では無いんだよな……)


 彼女の悩みの種となった少女は今、自室の方で寝ている。

 いつもは二度寝をする時間帯だが――今日ばかりは違った。


(確かめよう……男から見て私の容姿がどうなのか)


 スティーには、自分の事を意識して欲しいと思っている――勿論、実ではないが母の愛する人である事は先日シエラより聞いた。だがしかし、好みの人に意識してもらいたいという気持ちは捨てられないのである。


(今日、男いるかな……)


 奥に続く通路を歩きながらきょろきょろと探す。


「ごきげんよう、ニゲラ様」

「やあ、ごきげんようミラ」


 その時、自分が歩いてきた方より反対側から女性の天使が来た。

 碧眼で金髪、男性が見れば視線を引き付けるであろう発育の良い乳房を持った天使だ。垂れ目で、ゆったりとした動きが女性としての魅力を更に上げ、その声色もまた美しい。今はゆったりとした丈長の女性服を着ているが、派手な服装も似合うだろう――そんなミラと呼ばれた彼女の挨拶にニゲラは間を置かずに挨拶を返し、良い時に来たと言って誰でもいいから男性を見なかったかと聞く。

 それに対してミラはやや表情を固くしたものの、素直に男性の居る場所を答え、ニゲラは礼を言う。


「何故、男性を探しているのですか? 私では良くなくて?」

「男性から見た私を聞きたいんだ。ちょっと諸事情あって……駄目だったかい?」

「駄目ではありませんが、彼等も私と同じ意見を出すとは思いますが――まあ、貴女はご自分の良さを客観的に見れていない節がありますからね」


 そう言って、ミラはニゲラに男性の居る部屋を教えた。


 ミラが教えてくれた場所へと向かい、扉を開ければ確かに男性が一人資料の整理をしていた。

 ――ニゲラ神殿の男女比率は男性が圧倒的に少なく女性の方が多く、その比率は男性が一分と女性は九割九分。

 時代があれやこれやと変わるうちに女性が知恵を求めていく時代に変わっていったのがその割合比率にでており、下界でも男性は体を動かし、女性は本を読み知恵を育むという印象が強く根付いてしまっている。

 だがその割合の中には勿論知恵を求める男性も居る訳だ。百数人に一人であるとしてもいることに間違いはない。

 そのうちの一人――――前髪を長く伸ばし、恐らくは長い間入浴していないのであろう、研究服は埃に塗れ、近くに置いてある食事用の野戦食と思しき焼き物が置いてあるが、それにもあまり手を付けられていない。初めに抱くのは静かな印象だ――名をミデラスと言う。短い人生だった故にその姿は五十にも満たない若さの容姿を持つ。


「随分と食べていないようだね。天界は確かに餓死はしなくとも、食による悦楽は味わっておいた方が良いのではないかい?」

「ニゲラ様ですか……何年振りにその面立ちを目にしましたかな……?」

「私が君を見たのは十年と少しだね。新しい神が誕生した時の忙しい時期に廊下で……しかし君は私に目を向けなかったよ」

「――それは失礼。あの時は……ああ、そうです。下界で発案された法の解釈をしていたところで、要するに考え事をしていたのです」


 ミデラスは詫びにぺこりと腰を折る。


「分かっているとも。私も考え事をしているとそういうこともある」


 静かな印象をニゲラは持っていたが、口を開けば彼はお喋りだった――初めて知る一面だとニゲラは微笑む。

 この神殿内で彼が人と会話をしている所などニゲラと言えど見た事が無かった故に、その事が知れたのは嬉しい事だ――だが悲しい事に最初の一瞥を覗けば彼の瞳はずっと手元の資料の方を向いており目を合わせてくれない。


「学弁に勤しんでいる所申し訳ないのだけれど、少し私の疑問を聞いて欲しい」


 そのニゲラの発言に、ミデラスは少し驚いたように仕草をしてからニゲラの方に目線をやった。ここでようやく目が合う

 知恵神ニゲラに知らないことがある? 果たしてそれは一体どんな……? とでも言いたげそうな顔だ。


「お、聞いてくれるのかい?」

「ニゲラ様の知らぬ知識……気になる所存……私めがそのお力に添えるのか疑問を抱くことですが……少しは役に立ちましょう」


 ミデラスの返答を聞いたところで、早速ニゲラは真面目な面持ちで言った。


「……私は男性から見て魅力的であるのかい? 生まれてこの方男性から言い寄られた事が無くてね。引き籠っていたりと大半は私に原因があるが……それでも男性からしたら私に魅力が無いのでは……とね。昨日そう思う出来事があった」


 その言葉に、ミデラスは「もう一度お聞きしても?」と言った――二度聞いた。

 ――彼は下界で誕生してからという物、もう一度聞くという行為をした事が無い。耳が良く、礼儀を重んじる家系に生まれてからか人の話をちゃんと聞く様にしていている。考え事をしていて話し掛けられている事にも気付かない事は多々あったが、それを抜きにしても彼が「何て言った?」みたいに自分の耳を疑うようなことは初めてである。

 そんな彼に、ニゲラは珍しいと言わん顔で二度目に渡る疑問をぶつけた。


「私に男性から見て魅力はあるのかい?」

「……聞き間違いであって欲しかったと、こうまで思った事は初めてですよ」

「何故だい?」

「もっとかなり重要な事項かと思っておりました故」

「重要さ。私のこれからの沽券に関わるんだ」

「ふむ……」


 ニゲラの返しに、ミデラスは体の向きを彼女に向け前進を上から下へ、下から上へと観察する。

 異性から全身を見られるというのはニゲラにとって初めてだ。同性から見られることはよくあり、入浴時なんかにはジロジロと見られた挙句にあれやこれやと色々されることもあった――昨日もそうである。

 毎回――珍しい体つきなのかと思っていた。それとも他に理由が、と考えていた。

 今度は男性に見られる――新鮮な気分だとニゲラは感じる。


「……男性である私から見ても、貴女はかなり……いや最早至高の女性と言っても良いのでは? 私が愛した妻が見れば瞬時敗北を察するでありましょう。私は妻帯者であるのと、所謂草食系ですので貴女を口説くには我欲が足りますまい」

「本当かい?! 私はちゃんと魅力的なのだね!?」

「ええ、他の男性陣も……あ、いえ……これは彼等から口から漏らすなと――――」


「言ってくれ構わない」


 知りたい――「他の男性陣も」の続きを。

 一体彼等は自分に対してどういった思考を抱いているのだろうか。「可愛い」とか「綺麗」とかであれば普通に喜べるし、自信も持てる――「不細工」だとか「そんなには……」とか言われてしまえば普通に落ち込む。


「マジで気になるんだよ教えておくれよ死活問題なんだ」

「――――落ち着きを取り戻して頂けると……」


 手の平を向けながら、ミデラスは迫るニゲラを制止した。


「頼むよ。男性陣にとっては私に知られたくないような内容なのだろうが私は気にしない! 安心してくれミデラスよ君がその事実を口にしたという事は内密にしておくからっ!」

「彼等男性陣が構うのです……」

「大丈夫だ彼等に対してこれからの対応が変わる事は無い!」


 ニゲラは真剣な面持ちでミデラスの方を掴んでその知識欲を曝け出していた。

 ミデラスが言うのを渋っている理由はそれこそデリケートな問題だからだ――ミデラスのように、そういう目で見ていない者以外はニゲラの裸を妄想しては「ニゲラ様っ……ニゲラ様っ……!」もしくは「いつかきっとニゲラ様とそういう関係に」と期待に胸を膨らますだけでなく股間も膨らませ、自慰に励む。

――ある者は魔法でニゲラに変身しなりきった後に変身状態での男同士での交り合いを行う者さえもいる。

 そういった行為を行っているという話をミデラスはちょくちょく男性陣から聞かされていた――何故彼等は私が秘密を守る確証の無いまま主神たるニゲラに抱く性情の猥談を話すのだろうか、と彼自身思っているが……この猥談は主神にそのまま伝えるには度胸が足りない。


「申し訳ありませんが……私の口からこれを語るには度胸が足りませぬ。兎にも角にも貴女に対して、何と言いますか……性的欲求自体はあると私の目から見ても明白であります」

「むむむ……どうしても話してくれないのか……」

「申し訳ありませぬ……自信を持ってくだされ、いえ……持った方がよろしいのでは? 寧ろ私としては今まで貴女が自分の容姿に何故そこまで自信がないのか不思議でならないのですが…………」

「……「奇麗」だとか、言われた事なかったんだ。でもじろじろと見てくる――自信も無くすさ」

「貴女を前にすると、言えないそうですよ。曰く「美しすぎて、誉め言葉を出そうにも中々声が出ない」と女性男性共々言っておりました――これだけは明かしましょう」


 釈然とはしなかったものの、ニゲラは納得した。

 自分の容姿自体は男性にも魅力的に感じられるということ――そして、今までのあの視線が決して自分の思っているような良からぬ事では無かった事を理解した。


「――しかし、何故だろうね。男性から言い寄られた事が無いというのは確率から見てもおかしい……」

「ニゲラ様。貴女はこの神殿の中でも外でも女性陣と共に過ごしています故、同性に情を抱くと思われています。むしろ私の生前、貴女の事は異性とは関係を絶った女神であるという言伝えを聞いておりましたから、つまりはそういう事でしょう。そこに証拠たるものはないとは言え、この天界より降臨した天使が「ニゲラ様は女性以外とあまり密接には接していない」と言えば、その詳細は別として真実でありましょうがニゲラ様の事を言伝えしか知らぬ人間たちからすれば「成程、神ニゲラは女性としか体を重ねまいのか」と受け取るのは貴女も理解できるでしょう」


 そう言われてみれば――数百数十億の過去を振り返っても女性の天使や人間の女性の誘いしか受けていない気がする。男性からはやや避けられる傾向にあったのも覚えている――最近の記憶にも多数そういった経験があり、それも自信を失くす要因の一つである。


(なるほどね……)

「解決されたようですな。では私めは作業に戻ります」

「あぁ、ありがとう」


 ――今日になって初めて、知恵神ニゲラは自信を手に入れた。


** *


 天界では自分の話している言語が、自動的に相手の脳内で翻訳されるのだとスティーは初めて知る。


 神殿に来て翌日――ニゲラに誘われ神前授業というものに参加する事となった。


(私と同じ言語で喋ってる人……いない……)


 広大な空間、そして前方中央に向かい扇状に何列にも設置された机に何百という人が座っている。

 ――一番後ろの席は人気が無いとニゲラは言っていた。一番人気の席は一番前で、一番後ろ端っこ席には誰も座ろうとしない為、ニゲラの言葉は真実だったらしいとスティーは思いながらきょろきょろと辺りを見渡す。

 完全に、孤立していた。


『ねえ君、どうかしたの?』


 首を傾げた黒髪の少年がこちらに言葉を掛けた。髪の色と同じく黒い瞳で、畏まったような青色の服装に身を纏った十歳程度の容姿をした少年だ。

スティーには彼が何を言っているのかが分からない為「えっとえっと」としか言うことが出来ずにいると、何かを察したのか続けて何かを言った。


『こっち来て』


 少年に手を引かれ、廊下に出る。


「――君、もしかして神前授業室初めて?」

「!?」


 先程まで分からなかった言葉が分かるようになっている。


「この室内では天界の言語理解状態が遮断されるんだよ。ニゲラ様が発する声だけ言語理解状態が維持されるけど……君は何語を喋ってるんだい? 不思議な言語だったね」


 神聖言語を話している事を伝えると「それは……すまない」と言葉を濁される。

 彼曰く、神聖言語なんて学んでも常用して話そうとは思えないらしく、分かるのは簡単な言葉だけだとも聞く。

少年は廊下で親切にも「神前授業室」というものがどういう所なのかをスティーに親切丁寧に教えてくれた――彼によると、神前授業室というのはそのままの意味で「神が目の前で授業を行ってくれる教室」のことだと言う。

 後ろの席が不人気なのはニゲラの授業を聞き逃さぬよう、見逃さぬよう、なるべく近くで受けたいという気持ちの表れだそうだ。ニゲラは「つまんなかったら寝ても構わない」と言うらしいが寝る人は誰一人として居ない。

 神も足を運んで受ける授業であると。


「ちなみに今日の授業の内容は下界のことだよ。最近の情勢とかそういう感じの」

「へぇ……」

「まあ、僕たち人間が下界についてを知る必要はあまりないんだけどね」

「え、でしたらどうしてこの授業を?」

「面白いからさ。下界が今どんな状況にあるのか普通に気になるし、僕たちが生前暮らしていた国がどうなっているかも気になる」

「なるほど……」

「あとは……天使たちが下界に降りる前に下界のどの国に降臨してどんな人間の手助けをしようか、とかを判断する材料にもなるんだ。これからどんどん人が増えるから前の席に早めに座った方が良いよ? それじゃ」


 手をひらりと動かし、少年は授業室の中へと入っていった。

 ――彼の名前を聞いておきたかったが、早い者勝ちだと言う前の席に座る為少し急いでいただろうし、引き留める訳にもいかない。彼の言う通り周りの人たちの動きは少し忙しそうにしておりこちらも急いだ方が良さそうである。

 それに、下界の事が知れる授業をこんなにも都合良い時期に……嬉しい限りだった。

 そう感じてスティーは、授業室の中へと入っていった。

 運良く、一番前の席に座ることが出来た――先程の少年は無事ニゲラの目と鼻の先に着席しており嬉しそうにしている。


 ニゲラの装いは昨日と今朝に違い、彼女は博士帽を被り紺色厚手の生地の服を着ている。

 清潔感に溢れ、知的にも見える素晴らしい格好だ。これから授業を聞く老若男女は少しだけうっとり顔。


「御機嫌よう、君たち。今日も私より先に来て偉いなぁ……私だったら直前まで寝ているよ? ――なんてね。授業を始めようか」


 その直後、スティー以外の数百人全員が起立――先程までのほんわかとした雰囲気とは打って変わる。

 いきなりの出来事に驚愕してか座っているのはスティーのみ。


『知恵の御加護あらんことを。知識の御加護あらんことを』


 全員が全員、声を出した――それは、下界の人間や天使がニゲラに捧げる言葉のうち一つである。

 ニゲラが授業を始める時の言わば号令みたいなもの――信者たちが自分たちで定めて広めた「自発制約」。

やってもやらなくてもいいのだが、やらなくてはいけないと暗黙の了解が成立してしまっている――その為スティーの周りに居る人間たちが彼女に冷たい視線を送っている。


「彼女は新参者だ――私も君たちの暗黙の了解は耳にしているが、勘弁してやっておくれ。それに、私も悪い気はしないが自分たちの立てた制約を人に押し付けるのは良くないな」


 周りの視線に焦りながら落ち込むスティーを見て、ニゲラはそう言って彼女以外を諭した――その瞬間、ほぼ全員がしょぼんとして首をがくりと折る。


「これを続ける代わりに、例えやらなかった人が居ても咎めない――これを約束してくれると私は嬉しく思うな」


 落ち込んでいた群衆に助け舟を出すようにしてニゲラが言うと、一転して彼等彼女等は安堵したような顔を浮かべていた。


「じゃ、改めて――授業を開始しようか」


 ――結論から言うと、スティーにとってもニゲラの授業の内容は凄く面白かった。

 分かりやすかったし、彼女のユーモアを含んだ例えや覚え方など、スティーは内心シエラに申し訳なく思うが「シエラ様より教えるの上手だった」と感想を述べる

 授業時間は九十分――中々に充実した九十分だった。本当は九十分では足りないが、個人的に後々教えて貰えるのだから文句は言えない。これは神殿内の人たちには内緒にしておくべきだろう。

授業中の人たちの会話の内容などは最初から最後まで全く分からなかったし、もしかしたら自分の悪口を言われている可能性も捨てきれないのでは? と思うときりがなく不安だったこともあり必死の形相でスティーは言語学習に励む。

 こっそりその心配事をニゲラに聞いたが、彼女は「誰も何も悪口は言ってなかったよ」と答え、心配しすぎなようだった。


「そもそも、あそこで人の悪口なんて言ったら自動的に廊下へ追い遣られるんだよ。そういう機能があるんだよね」


 だから、誰も出て行かなかったという事は誰も悪口を言っていなかったという事だとニゲラはスティーに言う。


「良かったです」

「でも最初のはあまり関心出来なかったね……ごめんよ」

「良いんです。誰にだって間違いはありますよ……ってファリエル様も仰っていました」

「ふふ……じゃあ、勉強の続きしようか」

「ところで、次の神前授業室での授業は何時からですか? もう一度参加したいです」

「あれは一週間に一度なんだ……ごめんね。それに次の課題は専門的なものだから、参加者を制限しているんだよね」


 そうですか……とスティーは落ち込んだ。


 ひと月が経過した――言語学習は順調。

 スティーの学習能力にはニゲラも驚愕する程で、褒められるたびにスティーは鼻を高くして胸を張った。

 基本のものから応用したものまで、今となっては神前授業室の中でも色々な種族の人物と会話を出来るようになり、最初に案内をしてくれた少年もこの事に驚いているようだった。


「一ヶ月だよ? 一ヶ月。君の頭どうなってんの?」


 少年の名前はパリストと分かった。

 十歳程度の年齢にしか見えないのは小人族の特徴だと彼は語り、本当は年齢が二百歳以上であることを聞いてはスティーを驚かせる。確かに、スティーと比べてもその背丈は肩より頭一つ分低い。


「ちなみに下界の人間の最低寿命が大体これくらいだよ。寧ろ小人族としては僕は若いうちで、死んでしまった――純粋な人間に関しては平均寿命が今や四百歳くらいだったかな……? 魔力を豊富に持つ人間だとその数倍は生きるし、よく魔力を使ったりと熟練した人だと数千年生きる人間もいるんだって」

「数千年……」


 凄いよね、とパリストは笑う。

 一番寿命の短い種族でも二百年生きる――後に聞いたニゲラの話では、弱肉強食を生き抜くためには子を沢山産まなければ繁栄は叶わない。進化の先に行きついた先は寿命をより長く保ち、その間に産めるだけ産むという種としての生存本能と繁殖能力が合わさり寿命が延びたのだとか。

 下界の世界人口の増加数はゆっくり――今や人口は全ての種族を含め四十八億人と少し。

 迷宮と呼ばれる場所にて魔物に食われる、動物に襲われ命を失う――死因が様々なのは世の常だが、下界に潜む危険性はそう甘くない。


「怖いかい?」

「いいえ、下界に危険があるのは元より知っていた事です!」


 スティーの答えに、ニゲラは微笑みを返した。


 ――ニゲラの事を目で追っているうちに、その姿を捉えるうちに鼓動が早くなるのをスティーは月が三つ経過する間に頻繁に感じていた。

 「スティー」と呼ばれる度に、とくんと心臓が跳ねる。

 廊下を二人で歩くとき、何故か顔を見れない。

 ふとした瞬間にニゲラの姿を視界のどこかに居ないかと探し、ニゲラもまたその感覚をスティーに対して抱いていた。

 シエラと体を重ねた時と同じ感覚である事をスティーは思い出し、共に同じ寝台で寝ているニゲラの方に目線を送り――手を彼女の体に触れようとしてスティーはやっぱりやめた。

 翌朝、その翌朝、またまた翌朝と過ごしていくうちにスティーはニゲラの事を意識しているのだと自覚する。

 金色の髪や薄紅色の艶やかな唇と長い睫毛、立ち振る舞い。

 耳にもみあげを掛ける瞬間を視界の端に捉えた時は無意識に瞳がそちらの方へと向く。

 ――ニゲラもまた、自分の恋心に気付いた。

 スティーの多彩色の奇麗な瞳をじっと見たいと心より感じ――しかし目が合うと目を逸らしてしまいちょっとした自己嫌悪に陥る。ずっと見ていたいと思わせるスティーの瞳の魅力には抗えない。

 その美しい髪を触りたい。さらりと滑らかで柔らかそうな髪がふわりと舞い、香りが漂ってきた瞬間にはいつも体のうちより情欲が湧いて出てくる。

 神殿の食堂で見掛ける二人一緒の姿はもう神殿内に置いて何時も見掛ける恒例のものとなっていた――食べかけの麦餅をスティーがニゲラの口へと運び、それを食べ顔を赤くして俯くニゲラの姿。

 乙女の顔だ。以前よりも魅力が上がった気がする――従者である天使たちは二人が両片思いをしていることを既に察し、ニゲラとの恋仲を望んでいた天使は後退の選択を選んだ。

 ――そして、ある日の夜。


「ねえ、スティー」


 名前を呼ばれて、間を置かずにスティーが振り返り「はい」と返事をした。


「バースの所には、いつ行くんだい? 予定とか……立ててる?」


 それは「早く出て行って欲しい」という気持ちではなく、真逆の位置に当たる「もっと一緒に居てくれると凄く嬉しい」という気持ちの表れだった。


「決めてないです。も、もしかして……早くに出た方が良いですか?」


 スティーは恐る恐る聞いた。


「逆だよ――――私は、スティーに……もっと居て欲しいなって……思ってる」


 三カ月前の自分なら、言えなかった。

 でも今度は実直に、心の底からスティーを求めているからこそ、ニゲラは言えた。


「ニゲラ様……」


 「好き」――自分が今持っている感情を、スティーは改めて自覚する。

 シエラとニゲラ、二人の姿をよく夢に見るようになった――ニゲラの従者である女性天使のミラにそのことを相談すると彼女はその現象を「好き」なのであると言っていた。

 寝台に座って呼んでいた本を閉じ、スティーは意を決して自分の想いを伝える。


「ニゲラ様――――」


 伝えようとした、伝えようとした所でニゲラに抱き着かれ阻止された。


「私から、言って良いかな」


 ――ニゲラは、初めて告白をした。


** *


 どの神も、信仰には最初の信仰者が要る。

 最初から何十何百何千という数の信仰者を集めた訳ではない。まだ「シエラ」という名前の無かった創造神がその権能で以てニゲラを生み出した際に最初にニゲラへと与えた課題は「信仰者を一人でも集めなさい」というものだ。

 この世界での他世界とは違って人間が居なくても存在し続けられるが、創造主はだからと言って信仰者たる人間を集めない事は良しとしなかった。


 ――これから生まれる神にも、同じ課題を与えるのですか?


 ニゲラの答えに「勿論だとも」と答える主。

 ニゲラは創造主と運命の大天使を抜きにすれば一番目に生まれた神だ。


 創造主の創った世界はほぼ出来上がっていた――人間が普通に生活をして、普通に魔法を使って何も不便なく過ごしているようにも見える。


 天から十一回程の力の余波が伝わってきて、新しい神が生まれたのだと理解した途端に思ったのだ。

 ――少しでも手本にならなければ、と。こうやって信仰者を集めるんだよと教えてやるのだ。


 最初の信仰者の名前はルアン。

 黒髪を肩まで伸ばし、同じ色合いの瞳を持った少女だ。他の人間よりも「知りたい」という欲が強かったからこそ彼女を最初の信仰者に選んだ。「私に従えて、共に知恵の恩恵を築き上げていかないか?」と声を掛けて、了承した彼女と契りを果たした。

 ルアンとの勉強は楽しかった――ルアンが分からないと言えば、こちらも一緒に考えてそして理解して人生の糧にするのを十数年くらい過ごして、それはそれは幸せな時間だった。

 信仰者もだんだんと増えてきて、立派な神殿まで建てて貰って、、神である自分が一番人間に頭を下げていたかもしれない。だって本当に有難かったのだ――本当に本当に……自分がしてやれることなんて人間の分からないことをただ教えて上げるだけで、人間たちがそれに対してしてくれるのがこんなに立派な事なんだよ。


 ――頭が上がらないよ。嬉しいよ……感謝してもしきれないよ。私の身体は小柄だから建築するには向いてないし……人間たちは「等価交換が成っているので大丈夫です」だなんて言うけれど、私はそうは思っていないよ。


 神である貴女にそれ程頭を下げられてはこちらが罰当たりになる、なんて人間は言うが罰当たりな物か。


 ――だからニゲラは人間に沢山、沢山教えてやれることを全て教えた。最初の信仰者であるルアンには不老の加護を与えて、傍にいてくれることを願った。

 知恵の権能であらゆる分野においての知識を人間よりも先進して会得できたから、科学技術なども全部教えて文化の発展を助けて――バースに言われて漸く気付いたんだ。


 ――ニゲラ、お前やりすぎだよ。与えすぎなんだ。いつまでも低姿勢でいるとホラ……見ろよ、聞けよ……誰も礼儀を弁えてない。「ありがとう」だって言ってないぞ。おまけにさ……あまり言いたくないけど、沢山お前の知識で人が死んでしまってる。


 世界で核兵器という物が沢山作られた。

 この技術を教えたのは他でもない自分だ。バースに言われるまで、全く気付かなかった――「凄いね」「やったね」と報告しに来る人間たちに褒めてばかりで、彼等の技術の進歩に喜びを共感するあまり盲目になっていた。

 思い返せば、教えた時人間たちは「ありがとうございます」なんて言ってこなかった。差も当然だろうなみたいな感じで、参考書を読んで「なるほどこうやるのか、理解した」みたいな……いつまでも自分は低姿勢で……。


 ――ルアン、こういう時どうすればいいかな。初めてだよ、初めて知ったよ……知恵の神のクセして。

今初めて一番理解してなきゃいけないことを……知らなかったことを、知った。


 ――ルアン? 返事をしておくれ。


 気付けばルアンはボロボロだった。

 その怪我はどうしたんだい、顔色をそんなにも悪くして、誰からこんな所業を受けたんだい。何でこんな……私は何もされていないのに何で君がこんな目に遭っているんだおかしいじゃないか。

 近頃、姿を見せないと思えば――こんなにボロボロになっていたとは。


 ――神様に……そんなことをさせる訳にもいきませんよ。それに貴女には加護がありますから、傷すら付けられぬでしょう。


 与えた不老を徹底的に調べる人間たちの行動――ルアンの身体を調べる。

 薬物投与即ち人体実験等あらゆることをされたのだろう、ルアンはもう死にそうだった。


 ――もうルアンの身体はボロボロだ! やめてくれ君たち!


 人間たちは言うことを聞いてくれなくなっていた。

 ここになって初めて「神である私の言うことを聞いてくれ」と言った。最初で最後のその一言だったけど人間たちは――嘲笑っていた。


 ――神? 頭を簡単にぺこぺこと下げて、いつも低姿勢の貴女のことを種族で見れば神としても神と見れませんな。貴女は辞書みたいなモノでしょう。


 深く深く傷付いた。

 ――辞書と言われれば、確かに辞書かも知れない。知恵、知識だけあって何もしなかったしこれは自分の子の小柄な体躯では何も出来そうになかったからであって、それは言い訳だけれどもこっちはちゃんと君たちの求めに応じていたじゃないか。何でそんな事を言うんだ神だって涙くらいは出るんだぞ。

 泣いても慰めてくれるのはルアンだけだ。君の体の温もりが一番私の心を癒してくれるよ。

 私の知恵神としての役割はただただ教えるだけの立場だったのだろうか? それの何がいけなかったのか全く分からないよ。誰か教えてくれ……教えてくれ。


 ――ニゲラ様、私の悩みを聞いてくれますか。

 ――ああ、なんだい。


 死なせて貰えませんか。


 たった一言それだけをルアンは発した。

 人間は死ぬことを恐れる、はずだった。

 二度は言わないといった態度で、ボロボロな身体で、下を向かず目を合わせた状態で、真摯に向き合うように、明るい街並み全体を遠くまで見下ろせるような高台で。


 殺してくれませんか。


 二度目は別の言葉。ルアンは精神的にも強い子だった。そんなことを言う子では……。

 

 この私の決意に至るまでの成長に、私の結論に「凄いね」「やったね」といつものようには言ってくれないのですか。


 言う訳ないだろうそんな事。

 君との思い出は私にとって掛け替えのない思い出だ。数十数百数千とアルバムがあろうと収めきれないくらいの思い出が沢山あるのに、そんな大事な人を殺めようだなんて私には出来ないよ。

 死なないでおくれ、ずっと私の傍にいておくれ、私の大切な親友……。


 私も貴女と居る時が楽しかったです。

 信仰者の少ない頃には暇潰しに四つ葉を探して、梟を見かけた時は私に似ていると茶々を貴女が入れて……でも確かにあの梟は私に少しだけ似ていたかもしれません――そんな会話が楽しかったです。

 立ったまま寝られるところとか、自分を何かに似せて都合の悪いものから隠れようとするところなんかはそっくりだったでしょう。


 今生の別れのような口振りだった。

 彼女が次に何をしようとしているのか分かってしまった。馬鹿な事は止めて自分と何処かに逃げてひっそりと暮らそうじゃないかと言ったのに、ルアンは――――高所から飛び降りた。

 掴んで阻止しようとした――自分は不老不死で加護があるから傷は付かないし、痛いだろうけど死にはしないから彼女を守ってやれると思った。

 間に合わなかった――豆粒のように小さくなっていくルアンの姿が最後には潰れた果実のように。


 ――なんで。

 ――――なんでこうなった。

 ルアンが死んだのは何でなんだ。

 人間たちがルアンが死んだことについて残念そうな顔をしていた。

その真意は「これで不老の研究は白紙に戻った」という意味合いで、誰もルアンの事を愛してなどいなかった。辛かった。


 ――自分の頬を、バースが叩いて「しっかりしろ」と言った。

 彼女の事は勿論残念だ。でもここで学ばないのは何でなんだ? 怒らないのか、大切な人だったのだろう。人間たちを何故殴らない。

 

 でも殴るなんてそんな……相手は痛いじゃないか。

 母さん……どうしよう……私のせいなんだ。全部私のせいなんだ。情けないね。情けないったらありゃしないよ。


 ――大丈夫だ。また創るさ。


 母はそれだけ言った。

 そしてこちらを抱き締めて「これだけしか私にはできない」と言った。


 相手が痛いことを慮るのは結構だが、今一番痛がっているのはお前だ。

 ――これ以降の涙は、最後まで流してはいけない。ルアンを思って、最後まで流すな。


 母は、受け入れてくれた。

 バースは、背中を教えてくれた。


 世界を――――滅ぼした。

 怒りだけで身を染めて、ニゲラ自身の力だけで世界を滅ぼした。

 ここで初めて、感謝を忘れた人間たちが自身の事を「ニゲラ様」と呼んで、繰り返して許しを乞うが聞く耳持たずの態勢を取り、核も何もかもを使って操って人間たちの全てを刈り取る。


 これが終わったら反省しなければ、と思った。


 最後にルアンに……もう一度、抱き締めてほしかった――滅んで荒れた世界の光景を目の当たりにしながら、涙を流す。


 君の生まれ変わりは誰なんだい? それだけが一番私の知りたい「知恵」だよ。

 天界で何年も探したのに見つからないから、もう生まれ変わったのかなと魂を探すけれど見当たらない。


 ルアンはもう居ない――分かっている。

 分かっているからこそ、益々ルアンを求めてしまう。


 スティーの姿にルアンの姿を重ねてしまったのだ。

 この子がルアンの生まれ変わりだったなら、良いなと夢にまで見たのだ。


** *


 濃密な夜だった――スティーの柔らかな体を満足するまで味わった。

 朝になって、冷静さを取り戻してニゲラは枕へと顔を埋めて叫ぶ。


「うおおおぉおおお……遂にやってしまった……最高だった……じゃなくてっ! 沢山恥ずかしい事を口走った……」

「恥ずかしいのですか? 私的には嬉しかったんですが」


 いつの間にか起きていたスティーの声がニゲラに向けられ、どわぁっ!? と声をあげてニゲラは寝台から落ちる。


「取り敢えず――――服を着ましょうか」


 あと一ヶ月はここに居る、とスティーはニゲラに胸の内を語った。

 もっとニゲラの事を知りたいとも言って、彼女の心を揺さぶり顔を赤くさせる。


「いつか――言おうと思っていたのですが」

「な、何……?」

「私が、貴女にとってのルアンさんの代わりにはなれませんか?」


 その発言に、ニゲラは驚いた顔を見せた。


「――――寝言を聞かれてしまったのか……恥ずかしいね」


 そしてバツが悪そうに、苦笑した。


「――ごめんね。ある時悪戯心で君を抱き締めて寝た時に、君の体温を感じていて、どうやら過去の夢を見ていたみたいだよ、私の大切な親友の夢さ。ルアンという子は……私にとっては掛け替えのない存在だったんだ。ははは……は……急に自分語りして私はおかしいね」

「おかしくなんてありません」

「中々忘れられないなんて……私は未練がましい女だったようだ……」


 スティーはそれを聞いて、両腕を広げた。


「――ルアンさんになることは出来ません。だからこそ――代わりにはなります。次あった時は――いえ、会う度会う度にニゲラ様が求めてくださるというのなら、私はこうやって受け入れますから、ニゲラ様――構わず抱擁を」


 約束です、とスティーは言い切った。

 未練も含めて、自分が埋める――そう付け加えた。


「じゃあ――」


 ニゲラはスティーの胸に飛び込んだ。


「今、出来そうだから出来るうちに。ありがとう、スティー。大好きさ」


 ――一緒に過ごした日々が頭から、離れない。

最後の一ヶ月はあっという間に過ぎてしまった。四ヶ月――長いようで短かった。


 冒険家ストィリ―は「一期一会、一度きりかもしれないからこそ、その個人との交流は濃密でありたい」と言っていた。

 本当にその通りだと心の底から思う――その文章の意味をずっと考えていて、ここでようやく学んだのだ。


「下界の事で教えたのは言語と、下界の人間たちが初等教育、中等教育で学ぶような基礎的なものだ。応用的なものは現地で学ぶのが一番いいと思う」


 話題を変えて気を紛らわそうとしてか、ニゲラが言った。


「はい」

「母さんと一緒に行くんだし、母さんが色々な事を教えてくれるだろう。実際に見て、感じ、そして学ぶのが良いさ」

「さっきと同じようなことを言っていますね」

「……話を長引かせたいのは、ダメなことかい?」


 スティーはピタリと動きを止める。

 振り返って見るとニゲラは寂しそうな顔をしており、手を後ろにやっていた。恐らく彼女の手は今、指遊びをしているところだろう――それはニゲラが何か後ろめたい時がある時にやりがちな癖。

 やや頬が紅潮している――「付いて行きたい」と言いたげだ。

 涙が少し出た――我慢しようとしていたはずなのに。


「また会ったら、いっぱいお話ししましょう? シエラ様も一緒です。そしてこれから仲良くなっていく人たちも含めて沢山、それまでにあった事をいっぱいいっぱいお話しします!」


 これはよくない。ますます別れが恋しくなってしまうのは明白だ。

 いや、これでいい。これで、いいのだとスティーは頭を振った。


ニゲラ様 象徴画

挿絵(By みてみん)

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