8th.死に別れ
依頼より帰ったその日——急に降り出した雨、駆けるように入っていったギルドの中。
ギルドはいつも通り静けさが漂っていた。他の冒険者の迷惑にならないように、喧騒の一つもないその中の様子は、いつも通りの――否、いつも通りではない光景がそこにはあった。
スティーは、ぴりっとした空気と、重い雰囲気を感じた。
「――――――」
真っ先に気付いたのはシエラ、布を被せられ横たわる人間を見て、一瞬で状況を理解した。
その人間の顔は見えないが、布の膨らみとその線状で「中身」が女性と分かる。
その傍には、先日まで明るい素振りを南門で見せていたドルイドが椅子に座って、隠された遺体を見下ろしている。笑顔の欠片もない、大切な物を失った絶望の顔を彼が見せていた。
――「どうしたの?」なんてシエラは言わなかった。大切な人との死に別れが大嫌いで、誰かが誰かと死に別れをする瞬間を幾度も見てきた彼女には、全部分かっていた。
あの花瓶の予兆が、当たったんだと理解した時――シエラは俯いた。
スルトから聞いていたドルイドの娘のユリという長い黒髪で紫紺の瞳を持つ女の子が、ドルイドの横に座っている。
ドルイドの上にしがみついて「おかあさん」と小さく漏らしていた。
「先、輩…………?」
シエラの横、スルトが状況に付いていけてないと言った様子でドルイドを呼んだ。
ゆっくりと、ゆっくりスルトが足を動かした。
――フランは、このテュワシーに来てからよくお世話になった人だ。どうかその遺体が違う人のであってくれと願って、スルトは一歩一歩、痛いに近付いた。
現実を受け入れたくない――これは夢なんだ。
顔の辺り、布を捲る。
「――――――――ぁ」
固く目を閉じた女性の顔、よく世話になった女性の顔、いつも自分に笑顔を振りまいてくれていた人、好きな人に近付きたくて――その手伝いをしてくれた人、女みたいな顔でも最初から男と気付いて「スルト君」と呼んでくれた人の顔が、そこにあった。
「え――――――?」
声が、言葉が出てこなかった。
彼女の口からは血が滲み出ていた――毒殺か? とスルトは誰かの恨みを買って殺されたのかと推測したが、フランと言う女性は恨みを持たれるような人物では決してなかったはずだ。
なんで? なんで? という言葉しか脳に出てこない。
冷静になれない――世界が歪んでくる。頬を伝う温かい感触を感じる。
ミトがギルドの中に居ない。
「――――アイツめ……仕事を急に休みやがって……」
場の空気を乱すような言葉が奥の方から、こちらにも聞こえるような大きな声で男性が言い放った。
礼服に身を包んだ、オンスと書かれた名札を胸に付けた男性――ギルド長の彼を、グランとジェアン、ウォルフが睨んだ。何で睨まれているのか彼は分かっていないらしく、怪訝な顔をしている。
それなりに体を鍛えており目鼻立ちだけは整っている男性だ。
背丈はミトには敵わないものの、平均的な男性よりかは高い方だろう。
「――――お前が……フランさんを殺したのか……? だからそんな冷静なのか?」
感情を極限まで押し殺した顔で、立ち上がったスルトが問う。
対して、オンスは答える。
「役職に就く私が、そんなことをする訳が無かろう……私に濡れ衣を着せようとするな」
溜息交じりに、そう言う彼に、スルトが杖をぎゅっと握る。
よく身内の前でそんな事が言えるな――殴りかかりそうな雰囲気に、ユリが「こわいのやだ……」とドルイドに呟いた。
「ごめんね、失礼するよ」――シエラがフランに被せられた布をスルトの横で捲り、分析する。
乱暴に破られた衣服、露出された肌は少し変色しており、暴行をされた事が窺える。
そして――少しだけフランの口を開けたシエラは冷静に、感情を押し殺したまま「舌を噛み切ってる」と他殺ではないことを分析し、手拭いを懐から取り出して、口の辺りに付いた血を拭きとった。
「フランさんは……自殺をする人なんかじゃない……」
シエラにスルトがそう呟く。
「うん……」
分かってるよ、スルトが馬車でしていた話でそれはよく分かっている――シエラは短く同意した。
でも、分析すればそれが明らかなんだ――そう言いたかった。でも言えなかった。酷だろう。
ドルイドにとっても、スルトにとっても大切な人だ――その人が「自殺した」なんてはっきりとは言えない。
「その者が自殺をしたというのだから、自殺は自殺なのだろう」
――オンスを除いて。
言葉を選ばないオンスに、スルトは歯を食いしばる。
時計の針の音のみがギルドの内部空間に響き渡る。
そんな中で、シエラにユリが近付いた。
「ねえ……かみさまでしょ?」
たった一言、小さな女の子の口から出た疑問――「そうだよ」とシエラが一言だけで答えた。
「おかあさんは、どうなっちゃったの?」
シエラは、正直に言えなかった。
小さな子供だ。そんな辛いことは絶対に言えない。
「大丈夫……寝ちゃっただけだよ……」
「でも……起きないよ?」
「起きたくないくらい、素敵な夢を見てるのかな……」
「でも……おかあさんは、ゆめを見るより、おとうさんといっしょの方がずっとずっといいって言ってたもん」
「じゃあ、疲れちゃったのかも……いっぱい運動したのかもしれない……だから、沢山寝て……お父さんと……お父さんと、さ」
「……そう……かも」
何か心当たりがあるのか、ユリはシエラに続けた。
「ねえ、かみさま」
「……なに?」
「ほんとうのこと、おしえて?」
――ユリは賢かった。シエラが子供には酷だとして吐いた嘘を、瞬時に見抜きシエラに問うたのだ。
でも、でもとシエラは迷っている。「お母さんは死んじゃったんだ。二度と会えないんだ」なんて言いたくなかった。
「みんな、こわいかおしてる。おとうさんも、いつもにこにこしてるのに、今はずっとこわいかおしてる。おとうさんとおかあさんはけんかしちゃったの? きらいになっちゃったの? おかあさんは……いつもおとうさんがかえってきたらぎゅーってして、だいすきーってするのに、いまはぜんぜんおきない。さっき、おかあさんとかくれんぼしてたとき、おとうさんじゃないおとこのひととけんかしてて、ほんとうにつかれちゃったの? かみさま、かみさま……ねえ、かみさま――――おかあさん、おきる? おこして? かみさま」
シエラは、下唇を噛んで涙を堪えた。
ユリと言う少女に正直に、言った方がいいのかもしれない――そんな思いが脳に過った時、オンスが叫ぶ。
「――――いい加減、皆仕事をしろ! 身内が死んだ程度でなんなのだ」
眦を吊り上げて、しんみりとした空気の中でオンスはひたすらに叫ぶ。
人の感情を考えない言動だった――グランが「いい加減にするのはてめえだろ……」と怒りを顕わにするも、オンスは聞かない。
「身内の不幸如きで休んだミトもミトだ!! アイツが今日休んだせいで休日を満喫するはずだった私が仕事に出させられたのだぞ!?」
「てめえ……!!」
グランが怒りを堪えられず、オンスのもとへと向かう。
「ギルド内での喧騒は御法度だぞ? 殴るのか? 殴ってみろ……?」
受付の方から出ながら、オンスが煽った。
「殺す……!! 殴るだけじゃ気が済まねえ。今スルトもドルイドもどんな気持ちか分かって言ってんのか!? ああ!?」
「ハッ! サグラス様の加護と象徴画を持っている私を殺すなど出来はしない。それにあの方は殺人行為を嫌いとする。殺されたとして即刻お前たちは死刑!! 私は守られている!! 神は私に味方しているのだ!!」
嘲るような笑みを浮かべたまま、オンスは叫んだ。
ジェアンがグランの行いに乗り、弓矢を取り出して協力の姿勢を取った。
「死刑など恐ろしくはない……仲間の、世話になった者が殺されるのを嘲るお前を殺し、極刑になったとして、我々に後悔はないッ!!」
ウォルフが、オンスに刃を向ける。
「お、落ち着け……加護があると言ったであろう。刃は私の肌には通らぬ」
「黙れ……!! 殺す!!」
ウォルフが憤怒の形相で、オンスの胸倉を掴み、持ち上げる。
険悪な空気、ギルド内での戦闘が繰り広げられるその瞬間に、シエラが「おい!!」と叫んだ。
「――――子供が、怖いのは嫌だと言ってんだろうが!!」
ユリを胸の中で力いっぱいに抱き締めて、耳を塞ぎ、憤りの表情の中、涙を流しながら、大声で言った。
――母の現状を知り、シエラの胸の中で声を上げてユリが泣いていた。彼女に「お母さんは死んでしまった」と言うのは勇気が必要だった、辛かった、言葉を選ぶにも少女を悲しませるのは目に見えていたから正直に話した。
起こすのは無理かもしれない。自分は力不足なのだと――正直に。
「ふ……そこの女は冷静だな。状況をよく理解している――さあ、仕事だお前たち、こうしている中でも金が動いているのだ。」
オンスが手を叩きながら場を制そうとする。
シエラが一呼吸置いた。
「ごめんね……ユリちゃん」
ユリを胸の中から放し、オンスに近付いていく。
「む? 礼を言うぞ女。貴女はどうやら分析能力に優れているようだから、その死んだ女を解剖するなどして犯人を見つけ出すことぐらいは許してやる。地下の治療室を使いなさい――――――」
――ぱん、という乾いた音がした。
頬を叩いた音だ。自失するスルトとドルイド、そしてグランとジェアン、ウォルフの代わりに――シエラは行動を起こした。
「お前に、サグラスの加護と、象徴画を持つ資格は、ない……!!」
「な…………何をする……」
そして、何を言っている――と続けるオンスだったが、自身の異変に気付いた途端、狂ったように叫んだ。
「象徴画が消えている――――何をした、女!? お前……さては悪魔だな!?」
袖を捲り、消えゆく象徴画にオンスはシエラの肩を掴んで殴りかかった。
それを、スティーがオンスを横から突き飛ばし制止した。
「やめてください」と床に倒れる彼に怒った表情のままスティーが言う。
「シエラ様は悪魔などではありません。女神様です――優しくて、ちょっと調子に乗ったりするけど……貴方の方がよっぽど悪魔に見えます。貴方には大好きな人が居ないんですか……その人が死んじゃった時、どんな気持ちですか!? それを「解剖だ」なんて……貴方には心が無いんですか!? 殺されないだけ、マシだって思ってくださいよ!!」
「――な、なんだね君は……関係ないだろう。私はサグラス様に大切にされているのだぞ――どうせ位の低い神だ。サグラス様に言えばいつでも……」
「サグラス様が貴方みたいな人を擁護するような神様だって言うのなら!! 私はサグラス様なんて大っ嫌いです!! 私はシエラ様の方がすっごく素敵な神様だと思ってます!! 侮辱しないでください!!」
「原初十二神の――――」
「知りません!! シエラ様は創造神様です!! もっと偉いんです!!」
「なっ――――そんな事があるはず……創造神には名前など無い筈だ!!」
「…………私が、付けました……」
「ふっ……ははは……嘘吐き極まりなしだな。貴様のような人間に名付けを許す? 笑わせる」
嘲る――オンスは反省の色を見せない。
加護と象徴画を奪われて喚く彼の声がギルドに響く。シエラの方に怒号を発しながら向かおうとする彼にスティーは両手を横に広げて遮る。
「邪魔だ!! 神とはいえ、私がサグラス様より賜わった信用を奪った!! 原初十二神の象徴画を!! 裁かれるべきであろう!!」
「退きません!!」
確固たる意志を以て、スティーはオンスを睨む。
そして、苛立ちを堪え切れなかったのかスティーを、殴り飛ばした。
その光景を見ていた関係者以外の冒険者たちが驚愕するも――スティーは負けじと倒れそうになるのを抑えて、オンスの行く先を阻むことを止めず、他の介入すらも断った。
髪を引っ張られたが、スティーはパルバトに居た悪魔にされたのとは遥かにマシだと、自分に言い聞かせ、踏ん張った。
「新人冒険者如きが……私の邪魔をするなァ!!」
「……嫌です。止めません!!」
横暴を許してはいけない――強い意志に、オンスは気圧される。
そして、髪飾りに刻まれた象徴画に気付く。
「そ、創造神の……象徴画……」
腕輪の方には原初十二神の一柱であるバースの象徴画――首飾りは服の中に入っている為、見えないが、オンスはそれにも象徴画が入っていることを予想し、後退る。
「――――し、シエラと言ったか……お前が本当に創造神だと言うのなら!! 何かを創造して見せろ!? 私の役に立つものだ……そうすれば、信じてやるとも、私を叩いたことを許してやる!! さあ早くしろ!!」
横暴、傲慢――――そんな彼の言った事を聞いて、シエラは少し後退して、手のひらを床に向けた。
白く輝く神秘的な光が発生する――――創造されたのは、豪華な装飾がされた白金と金で構成された棺型の神器。
「それが何の役に立つというのだ」
「お前の自分本位に、私は決して従わない。私は……より愛された人の為に動く」
そう言いながらフランの遺体の下へとシエラは移動し、フランの遺体を持ち上げた。
「何をするつもりだ」とスルトが静かに言うが、シエラは黙って棺型の神器にフランの体をゆっくり、優しく収める。
「……この神器は……中に入れた物の経過時間を完全停止させる」
そう言うシエラにスルトは「死んだ者は生き返らない……時間を停止させようと、意味がない」と呟いた。
だけども、「ありがとう」とスルトはシエラに言った。
「ドルイド。『異収納』が出来るなら……」
「…………スルトが、預かっててくれないか……暫く、俺はフランの事を……う、受け入れ……られない……」
涙を堪えながら、そうドルイドは言った。
「先輩……分かりました。大切に預かります」
そして、スルトが『異収納』を展開する横で、シエラが犯人の特徴を述べる。
「ユリちゃんがこっそり教えてくれた。紫色の髪と金の瞳はデュグロスの特徴――フランさんの体に少しだけデュグロス特有の魔力が残ってた。スルト、犯人のこと知ってる?」
「わからない……見た事が無い……」
シエラの言葉に、ドルイドが目を見開いていた。
――彼は、カグマンに滞在するデュグロスを覚えていたのである。
(デュグロス……デュグロス――――アイツか……イーサン)
スルトの『異収納』の空間に入っていくフランの遺体が収まれた神器を見ながら、心に誓う。
(フラン……必ず仇を獲るよ。俺が、イーサンを殺すところを――――見ていてくれ)




