7th.麦海の絶世美女
フランの花が花弁を散らす様子は――すごく綺麗なのだ。
フランの花の花弁の裏には種が付いていて、それを散らして風に乗せることで群生地を広げていく、ユリの花とリディオの花がその種を運ぶことを手伝う――厳密には、ユリの花がその花弁に種を飛ばして付けて、弾けるように飛び出した種の羽で助けるんだ。
普段、生き物が共生するするように――その植物も共生をする。
虹色の花弁と、ユリの花の紅い花弁、リディオの蒼い花弁――その花弁が飛んで行く様子を初めて目にした時、俺は心から感動していたよ。
自分の名前を呼ぶ校長の声が行動内に響く。
主席での卒業――自分のその功績に拍手喝采が起こる。今俺は卒業した。
卒業後の旅に向けて猛勉強して、得た功績だ。次席で卒業するスルトという名の後輩が俺を褒め称えるような眼差しを、尊敬の念を送るような熱い眼差しを向けてくる。
そんな凄い事ではないさ――記憶力が良いだけで、魔法の扱いの才能に長けたスルトの方がよっぽど凄いよ。
功績で考えれば、様々な新魔法と魔道具を開発発明し、そして世界一難関な資格も手にしたお前の方が俺なんかより凄いさ――この学校が試験の成績で主席次席を決めなければ、主席はお前だ。
「ドルイド・マグナス――其方は額面において最高等の成績を収め、卒業する事をこの場において表彰する」
校長の声が俺に向けられる。
見開き型の卒業証書を受け取って、礼を言う。
続けてまたもや拍手喝采――そんな俺が、旅人になるなんて知ったら皆驚くだろうな……。
主席になった者は大抵が官僚とか王直属秘書とか、お偉いさんの近くでの仕事になると聞く。この大学校が設立されたコルテラの最高代表者『傲慢』の勇者様の近くで働く人が多い。
そんな中で俺が選んだ卒業後の選択は「旅人」――どんな反応を見せるのかな。
「リデイロの冒険譚」に魅せられたあの日から、旅人になろうと決めていたんだ。
世界の色んなことを知って、色んなことを経験して、色んなことを学び、色々な種族と出会いを以て話をするのが幼少期からの憧れだった。
「もう、行ってしまうのか。心変わりは――お前には無いか」
父さんの声が背中に当たる。
学者の父、コルテラ一の学者としてその知識を活かす父さんの顔はどことなく寂しそうだった。
「うん、すぐにでも行きたいんだ。俺ももう二十だし、自立する年齢だって」
「まあ……そうだな」
静かな会話の中に、奥の方から妹の泣き叫ぶ声が聞こえてくる――アイツには申し訳ないけれど、このワクワクをどうしても俺は抑えきれそうにないんだ。
「そのうち連絡するから待ってろー!」
奥の部屋で母さんに取り押さえられる妹に、俺は大きな声でそう言った。
六歳程歳の離れた妹は俺を好いてくれているらしいが、アイツもいい加減俺の陰気な性格に飽き飽きして欲しいものだ。
鬱陶しい訳じゃない、有難いって思ってるよ。「お兄ちゃんと結婚する」だなんていつも言って――いつから言ってんだよっていつも苦笑するばかり、近親婚は色々と面倒くさいぞと父さんはその冗談を真に受けているが……笑えるのか笑えないのかよく分からない冗談だ。
スルトに教えてもらった『異収納』の魔法を使って、動きやすい状態で家を出る。
「いつかはちゃんと、顔を見せるんだぞ。手紙も、一年に一回くらいは――出してくれると嬉しい」
「分かってる。近況報告は怠らないようにするよ」
そう言って――俺は遂に家を出た。
** *
三年と八カ月、旅した国は数知れず――様々な物を見たけれど、フレヤン村で見た「麦海の絶世美女」のその光景にはどれも勝てないだろう。
ドルイドの馴れ初め話は、いつもそこから始まる。
様々な事を経験して、様々な景色を堪能しても、ドルイドは出会いは経験した事が無かった。
大学校時代も女性と話す事など数えるくらいしかなかったし、絶世の美女と話す事なんてそうそうなかった――しかもその美女が好いていたのはスルトの方で、女性と話す役割をお願いしていたのもスルト。
童貞――ドルイドは童貞。
女性と付き合ったのもフランが初めてだ。
数時間歩いて、体力の尽きる中でフレヤン村で見た「麦海の絶世美女」に、一目惚れしたのだ。
「こんにちは」
見惚れていれば、こちらに向けられた声にドルイドは緊張して何も言えなくなり、固まってしまう。
でも何かしらの反応を見せなければ失礼なのではないかと思って――ニヤリとした笑みを浮かべて「こにゃちは」と噛み噛みの挨拶を小さく返した。目の保護具を付けていたから余計に不審者感が増していた。
宿に泊まって、その夜は悶々として眠れなくて――自慰行為に励んでしまったのは少し後悔が大きい。
男だから、そりゃ性欲も溜まる――女性もその限りではないだろうけど、男は衝動的に溜まるのだ。理性的な女性とは違ってムラムラしたら出したくなるのが男ってものなんだ、と言い訳をいつもする。
生臭い自分に宿の主人が何か察して「村長の娘さんに嫌われたくなきゃ、体を清潔に保て」と忠告を受け、朝までには入った。汚れた服装の洗濯も頼んでから――翌日の朝。
良く晴れた日だった――一回見ただけで惚れてしまった「村長の娘」を探しながら村の中を歩く。
その女性の名前が「フラン」である事を村人の会話から盗み聞きにて知る。内容からフランはモテることも分かった。
当時のドルイドにとって、モテる女性は久し振りだ。
――同じく絶世の美女で、ほんわかとした雰囲気のフランとはまた異なる雰囲気。凛としていて、高潔で風紀に厳しい。
スルトの事を好いていた為スルト意外の男性のお誘いを全部断っていた彼女――その人と同じように、フランという女性も好いている人が居るのだろうかと思った途端にドルイドは心にもやもやとした感覚を抱いた。
「好きです!! 付き合ってください!!」
「いや俺と!! 俺と結婚してください!!」
「俺だァアァァァァァァァァアッッ!!」
三人の大きな声が聞こえてきて、ドルイドは何事かと思ってそこに向かうと、フランが居た。
三人同時に告白されて、困った顔を彼等に向ける彼女にドルイドは影から「了承するのか……了承しちゃうのか?」とほろりと涙を落として悔しさを口にする。
「……ごめんなさい」
――他人の不幸を生まれて初めて喜んでしまった。
自分はいけない奴だ。断られていたからと言って自分の告白が成功するかもわからないのに、ドルイドは喜んだ。
いずれにせよ、告白する勇気も無かったが。
そのうち、告白を受け入れて、恋人が出来るだろうから――諦めるしかないだろう。
フレヤン村の一角、設置された長椅子に腰掛けながらドルイドは旅道具の手入れをしていた。
この村ともそろそろお別れにしよう――滞在期間は一週間。
「隣にあの人が居たら、人生も充実してるだろうな……」
フランに告白して受け入れてもらって家庭を築き上げた未来を想像して、ドルイドは一人ポツリと呟く。
だが、彼にとっては一人でも、その空間に居た人物は一人では無かったのだ。
「あの人って誰ですか?」
「ッ!?」
「あの人」――張本人が後ろに居た。
こちらを驚かせたかったのか、少し悪戯心を含ませた笑みを浮かべてフランが「びっくりしましたか?」と美しい声音を向けてくる。
何でこんな所に? 先程まで男のフラン争奪戦告白大会が行われていたのではないかと目を疑う。
俺は今夢を見ているのか? 好きな女の子に話し掛けられることなんてこれ以上とない幸運だ――夢に違いないと頬を抓る。
痛い――夢ではない。
「こんにちは~」
改めて声を掛けられて、ドルイドが行った行為は自分の臭いを確かめること。
(臭く――ない! 大丈夫、大丈夫問題ないはず……)
髭は昨日剃った――宿の主人に「身嗜みを整えろ」という助言の通りに従った事が功を成したのである。
「こ、こここここここに……こにちは……っす」
実を言うと、旅の中であまり人と関わった事は無い。
自分と性格が似ていたりするような陰気な者たちとは意気投合したりして、話していたがそれ以外とはあまり会話などしてこなかった。「道を教えてください」「ここ何処ですか」だとかそう言った会話ばかりだ。
こういう女性の相手はスルトの役割――大学校時代行動をいつも共にしていた彼の超絶美少女系男友達は今居ない。
「ふふ……村の人じゃないですね。どこから来たんですか?」
フランはドルイドを逃がそうとはしなかった。
花のようないい香りを漂わせながら、目を激しく泳がせるドルイドの様子を楽しんでいる。否――彼女はドルイドと話をしてみたかったのだ。
先日は無視されたと、少しだけの新鮮味――今日、告白された場面を見られ、目で追って付いてきた。
後ろに隠れていたのは悪戯心から――告白してきていた男性たちは姉のミトが来たことで撤退。
「あ、逃げないで」
場を離れようとするドルイドに、フランがそう言って軽やかな身のこなしで前を遮る。
「お話ししましょう? 先日はどうして無視しちゃったんですか?」
無視? 心当たりのないドルイドは汗をだらだらと流しながら「し、してません……」と小さく呟く。
「お、俺と……話しても、つ、つまんない……っすよ」
陰気だし。
髪もボサボサで手入れをいていない――それに初対面だ。乱暴されるとは思わないのか? 俺はこう見えて性欲が高い方なのだぞ、と横目でちらちらとフランを見ながら思う。声には出せなかった。
「それ、お姉ちゃんが持ってます。旅の道具でしょ――貴方が今までに見た事聞いた事、聞きたいです」
そうフランは微笑んで言った。
「お姉さんから聞けば……良いのでは?」
「お姉ちゃん、冒険好きじゃなくなったみたいだから……あまり話さない。だから貴方に」
頭をわしわしと右手で掻いて、居心地の悪さを誤魔化す。
「す、すみません……!」
その日は、そそくさと逃げた。
「むぅ……――――」
膨れっ面を作るフランを残して。
翌日に、ドルイドは窮鼠となった。
逃げられない状況を作られてしまった――宿から出た途端、宿の中に戻るのを遮るようにしてフランの姉――ミトが腕を組んだ状態で、黒い戦闘服の状態で妹に言われるがままドルイドを逃がすまいと立っていた。
「貴方がドルイド? 駄目じゃん。逃げてちゃ――男らしくないよ」
「そうですよ~……私結構落ち込んだんですからっ!」
前からはじりじりとフランが向かってくる。後ろには自分よりも圧倒的に背の高い威圧感の凄い女性――絶世の美女二人に挟まれる状況にドルイドは死を覚悟した。
「この石は――――傷毒石。手袋じゃないと、触っちゃダメなやつさ……」
「どうして?」
「この石で手を切ったりすると……傷が消えないんだよ」
断念しての会話――様々な国を渡る中で手に入れた鉱石や道具を、ミトとフランの二人に挟まれた状態で話をする。
男からすれば嫉妬されそうな状況だ――実際影の方からぎりりという歯軋りの音が聞こえてくるし、ミトと言う女性は冒険者として活躍していたらしくその身のこなしも優れていた。故にドルイドに逃げ道など無かった。
あと一週間程滞在するだけ――そう思っていたのに、気付けば五か月が過ぎていた。
「好き」
たった二文字――長椅子で二人して腰掛けて、ドルイドが旅の話をしようとした時、フランの口からその言葉が出てきた。
最初、旅の話の事だと思ったけど――する前に言われたし、二度聞き返すよりも先に何のことかを察してしまって、固唾を呑む。
丁度――二十四歳の誕生日。
実家の方に近況報告で手紙を出す前日。
動きの止まったドルイドに、フランは今度は「ルドゥ」とゆっくり――ドルイドの手を握った。
その日の空気はひやりと冷たかったが、フランの手は暖かった。じんわりとした熱が顔に集まっていく。
「お、俺……?」
「……はい」
好きになるような部分なんて自分にあるのだろうかと、下を向く。
「ど、どうして……? どこを?」
「沢山、お話をしてくれる所」
そんなの、他の男でもいいではないか。
旅の話なら、他の男でも出来る奴は出来るぞと、ドルイドは思ったがフランは続けた。
「ちょっとだけ見栄を張って、旅の内容を少し誇張してる時の「してやったり」って顔が好き。私がいきなり話し掛けたら、狼狽えて慌てる時の貴方が好き……貴方が一番、好き」
――他の男が怖がるミトに対して、ちゃんと向き合おうとして話すところが好き。声が好き。
「私と……あ、愛し合って……くれませんか? ルドゥ……」
男を魅せないといけない――ドルイドはそう感じて、フランを受け入れて、ドルイドも告白をした。
俺の方が……先に好きだったのに、女の方から告白されるなんて……カッコ悪い男だよ俺。
「――そんな俺と、結婚してくれますか」
これから毎日――帰ってくる度に「おかえり」と言って欲しい――――――――婚前告白。
「はい――――喜んで……」
――――ずっと隣に居てくれると思っていた。
横で、ミトさんが荷物を落とす音がした――早上がりの二人、今日はミトさんも一緒に、フランと俺と娘のユリの四人で団欒の食事をしようと、帰りに合流したミトさんと話していたのに。
鍵が開いていて、イヤな予感がして、どうかイヤな予感が当たりませんようにと願いながら願った。
今日は――――「おかえり」が無かった。
今朝は早番だった――――寝ていた彼女を起こしてでも抱き締めながら……「いってきます」の一言を言ってれば、少しは変わったのだろうか。
悪戯心を含んだあの時の笑顔で「嘘です」と、言ってくれないのか?
明るい門番の人格像はフランが居たからこそだ――もう、明るくできないよ。
今日から君の「おかえり」が無いなんて――――考えられないよ。




