6th.討伐依頼
ギルドでミトより依頼遂行の許可を得た後日――フレヤン村へと向かう馬車の中で一行は会話をしていた。
屋根のない馬車の荷台の上で、それぞれこれからの依頼での動きを脳内で模索しながらの雑談。それぞれ『異収納』の魔法により荷物は持っておらず、荷物を手に持っているのが目に見えるのはスルトの杖のみ。
五日にも満たない時間の中で、スルトとシエラがかなり親睦を深めていたのにスティーは安堵しつつも黙ってその会話を聞いていた。
会話に参加していたのはグラン、ジェアン、シエラとスルトだ。
寡黙な気質であるウォルフは目を瞑って腕を組み、スティーと同じく四人の会話を静かに聞いていた。
「――――ミトさんに恋したスルト君は、ミトさんの妹さんのおかげでお近づきになれたんだよなあ」
ここで、ミトに妹が居ることが明らかになった。
妹がいたのか、と表情のみで驚きを見せる中スルトは「やめろ……」と肘でグランの体を小突き、顔を少しばかり赤くさせる。
妹の名前はフランというらしい。明るい茶髪と吸い込まれそうな美しい紫紺の瞳を持ち、全ての女性が目標としてしまう程清楚な立ち振る舞い、その服装――老若男女問わず接せる程の分け隔てない性格の優しい女性。美しさで言えばそれこそシエラと同格だとグランは言った。姉も絶世の美女なら、妹も絶世の美女という訳か。
穏やかで、少しばかり茶目っ気がある彼女にはギルドに冒険者として登録してからずっとお世話になりっぱなしなのだとスルトは言った。
「その人の事は好きにならなかったの? スルト」
シエラがそう言って聞くと、ジェアンがフランという女性は既婚者である事を言った。
「スルトはフランさんよりも、ミトさんの方が好みであったらしい。そもそも、ミトさんの方に先に出会っていたらしいからな」
続けてジェアンがした詳細に、シエラが「良い事聞いた」として笑みを浮かべる。
これから、色々と弄ってくるのだろうと予想したスルトはその顔を見てげんなりとした表情。
「っていうか、フランさんは既婚者だ。それに彼女は先輩一筋だから、どんな男に言い寄られたって他の恋路には進まないだろうな」
一夫多妻及び一妻多夫の許されたこの世界だが、フランは今現在婚姻している男性にしか体を許さないのだとスルトは言った。「この世界にしては、珍しいなあ」とシエラは言う。
「まあ、結婚に関してはほぼ自由だからな」
俺だって今はミトさんが一番好きだし――――聞こえるか聞こえないかくらいの声量で言うスルトにシエラは「もっと大きく自信もって言えよ」と弄った。
「でも先輩が他の女性を娶りたいって言えば、フランさんも許すんだろうな……」
「先輩って?」
「ありゃ、シエラ様南門から来たんじゃねえの?」
スルトの「先輩」と言う単語に怪訝な顔を浮かべたシエラにグランが聞いた。
「来たよ? どうして?」
「ドルイドって門番と話さなかった?」
「話し――――まさか、ルドゥがフランって女性の夫なの?」
当たり、とグランがシエラに言って、彼女は「マジか……あいつやるなあ」と今は居ないドルイドに賞賛を送る。
そして、スルトとドルイドが同じ学校の同級生であることも判明した。「コルテラ」という国で有名な大学校の出身――スルトよりかドルイドが二歳年上だが、飛び級でドルイドと同級生という事になったらしい。
「ルドゥ――ドルイド先輩は凄いぞ。記憶力が俺以上だ……見た事聞いた事、一度だけで全部覚える。ニ十歳で卒業した後三年近く世界中を旅したって言ってたな」
旅の途中――フレヤン村でフランと出会った。そしてテュワシーでスルトとも再会した。
「運命じゃん」
ドルイドは八歳で大学校に飛び級――大学校には滞年学習制度というものがあったらしく、スルトは十八歳まで、ドルイドはニ十歳まで大学校にて勉強して一緒に卒業。それぞれ別の道を歩んだ。
まさしく運命――スルトは「世界は広いようで狭い」と思いを過去に馳せながら、楽しそうに話していた。
「先輩はよく馴れ初めを話してくるけど――普通は「もういいよ」ってなるだろ? でも先輩の話は俺にとって凄くお面白くって……魔法の才能では先輩より俺の方が上だけど、結構楽しく聴けるんだぞ」
「じゃあ、今度聞いてみようかな。ルドゥの話」
ドルイドには、四歳の娘が居ることも今知った。
旅途中フランと出会って、お互いに惚れてすぐ結婚した。
「先輩がすぐ結婚したなら、お前もさっさと告ってミトさんと結婚しな~?」
「なっ!? けけけけけ、結婚だなんてそんな――俺には告る勇気も……」
「シエラ様の言う通りだぞ――女は押してなんぼだと、言ったであろう?」
なんなら、ドルイドを通じてミトの好きなものや好みの男性などを聞いてみて、恋路を進めてみてはどうか――そう言うシエラにグランとジェアンがうんうんと頷いた。
「ミトさんとルドゥは仲良いの?」
「フランさんが「買い物ではよく一緒にいる」って言ってたな」
「じゃあ決まりだよスルト、押していけ」
「だから無理だって――――」
「私がした事をやってみては……」
ジェアンがスルトの言葉を遮り、口に出したが三人に「それはやりすぎ」と声を揃えて言う。
流石に、女性の乳房をいきなり揉むなどと言う愚行に走ればミトとの交流の長いスルトも怒られるだろうし嫌われる。尻叩き平手打ちでは済まないかもしれない。
「しかし、興奮したのではないか? 思い出してみろ」
そう言われたスルトは、当時のミトの揉まれた乳房を思い出してしまい悶々とした。
それを誤魔化すように、彼は杖でジェアンの頭をこつんと叩く。顔を真っ赤にし「うるさい」と一言――しかしながらも、少しだけ欲を覚えていたのは確かだった。
「お前、ちっとも反省してないだろ。ジェアン」
それを聞いていて、グランが言う。
「あの乳房だぞ? エルフに巨乳は少なくてな――あんなに形が整っていて、身体との均衡度合いも一寸の狂いなしと来た。揉むしかないだろう? 揉みたかった触りたかった。私はエルフ故顔立ちが整っているのはもはや周知だと、眉目秀麗の男ならば許される――そう思ったのだが……まあ、柔らかかったのは確かだ」
何という屑っぷり――グランとスルト、シエラは思った。
また殴ってやろうか。そうするとは悩んだ。
時間が経過し、馬車がフレヤン村へと到着する。
麦の生産が盛んだと言っていた故に、麦餅のいい匂いが漂ってくる――馬車の中で何も食べていなかった一行は腹の虫を鳴かせ、やがてこちらに向かってきた年齢にして四十代後半くらいの男性に挨拶をした。
代表して、スルトが前に出る。
「グーベンさん。数日間お願いします――プテラル討伐の依頼を受けてきました」
「おお、スルト君。いらっしゃい――他の皆さんも宜しくお願いしますね」
グーベンと名の彼はこの村の村長なのだそうだ。先程まで麦畑の仕事をしていたのか麦藁帽子を被り、やや汚れの付いた作業服に身を包んでいる。麦畑の仕事は力仕事故にその体にはしっかりとした筋肉が付いており、肌も日焼けして褐色――髪色は茶色。瞳は娘とは違い赤い。
娘にミトとフランの二人は元気にしているか、という質問にスルトは「ええ、二人共元気ですよ」と答える。
「ミトはよく帰省してきますが、フランは相変わらず夫との生活に忙しいようで暫く帰ってきておりません」
「フランさんには、よく言っておきます」
村長の言葉に、スルトは苦笑しながらフランに帰省の伝言を伝えておくと約束した。
親目線で見れば、元気であるのかの報告もない今では心配なのだろうな――そうシエラは微笑む。
そして、にやりと笑みを浮かべて彼女は村長に聞こえる声で言った。
「スルト、この人がお前のお義父さんになるのかね? え?」
後ろでジェアンとグランの吹き出す声が聞こえてくる――ウォルフとスティーは「また始まった」と困り顔。
スルトは目を見開いて「お前何言ってんの?」と言う顔で笑顔のシエラを睨んでいる。悪戯心を感化された村長がその会話に、今度は彼がニヤリとして言い放った。
「スルト君……私はフランから君の恋路を聞いた時から今か今かと待ち侘びているのだがね――もしや、もう結婚しているけれど子供が出来た時と同時にと、驚かせようとしているのかね?」
フランさんめ……と怒りと羞恥で顔を真っ赤にさせながら、スルトは俯いた。
その横でシエラはというと頭の後ろに両手をやり下手な口笛を吹いている。後で喧嘩にならないだろうかとスティーは心配をしていたが、黙っていたウォルフが言う。
「あれは……良い関係になる。喧嘩する程仲が良いという言葉も、ある」
「仲が良いのなら、喧嘩しないのが常ではないのでしょうか」
「喧嘩には良いもの悪いものが、ある……あれは恐らく、良い喧嘩だ。より親睦を深められる――信頼関係の成り立ったものだ」
「……私とシエラ様は、喧嘩した事がありませんが……仲良く出来ていないと言うことですか?」
「違う。お互いに絶対言ってはいけない事、言っていい事をちゃんと理解してああなっている。スルトは怒っているが激怒している訳じゃない……まあ、なんだ……俺も俺自身よく分かっていない。成り行きを見ていくと言い――間違っても、自分から喧嘩をしないようにな」
「はあ……大変なんですね。人間関係って」
お互いの頬を抓りながら、「このっこのっ!」と言い合っているシエラとスルトを見ながら、スティーはそう感じた。
宿へと向かう前に、一行はそれぞれ村の中を散歩していた。
スティーはプテラルについてを村人から取材する中で、スルトとシエラは村長と話している。ジェアンは村の女性たちを口説いては、共に宿に行こうとするも襟首をウォルフに掴まれ止められていた。
グランは買い出しに出掛けている。
村に吹く風が気持ちいい――その風に揺れる金色の麦が海であるようにも見える。美しい情景だ。
プテラルの群れによる被害は未だ来ていないようで、村人に聞く限り「子育て中なのだろう」という推察をされた。群れによる被害を抑える為、早い段階で冒険者を雇う――村長による計らいである。
「普通は、プテラルは乾燥地帯にいるはずなんだが……どういう訳か、近くの渓谷に棲みついたと」
「そうそう」
村人に質問し、内容を紙面に書き記していくスティーに「勉強熱心だね」と横から男性の村人が言った。
「私、戦闘に不向きなので……情報収集で手伝おうかと思いまして」
恐らく、プテラルとの戦闘で自分は居るだけの状況になるだろうから、事前にそうしているだけなのだと続けた。
今までの冒険者の中でそこまでしようとする冒険者は居なかったと村人は言う。
「プテラルって翼竜の中では不明な点もあるけれど、習性は分かってる。もしかしてお嬢ちゃんは冒険者になったばかりなのかな?」
「……実はそうです」
「じゃあ、先輩の背中を見ている段階という訳だ」
それなら勉強に励んでいるのも頷ける――そう男性はスティーは取材に応じ続けた。
宿の帳場――客が受付をする広いその場の大机にて、スルトが地図を広げながらスティーの手記を参考に全員に作戦を述べていく。
「普段、乾燥地帯に生息するプテラルがこの温帯気候のテュワシーに来ているという情報は確かに、言われてみれば妙だと思っている。その調査も含め――晴天が確実な明々後日に行動しよう」
プテラルは――水に弱い。
雨天の時は巣穴に籠る習性を持っている。
体毛が無く、皮膚が剥き出しの状態で――その皮膚が水に触れると酷く荒れる。
――水に弱いと言う情報はそれから来るものだ。
明日は生憎の雨、明後日は曇りだが甘えが降る可能性も考えられる――故に実行は明々後日である。
「それまでは、何をするんですか?」
「まあ、自由行動だな。何もする事ないし……ウォルフとグランは武器の手入れをするだろう」
スティーの質問に、スルトが答えた。
ついでに、ジェアンに女遊びはやめておけよと注意する彼だったが、恐らく彼は女遊びをするであろう態度が表れおり、部屋に閉じ込めておこうと言う案が採用された。
「じゃあ、私はスルトちゃんがミトさんと結婚する事を村の皆に言って回ろうかな」
「お前、あとで、叩く――ちゃん呼びと余計な一言の分で二回」
「女の子には優しくだぜ☆ スルトちゃん☆」
「女の子ぉ~~? そんな年か?」
「お前ッッ!!」
――作戦実行までの間、スティーは再び調査を続けた。
――プテラルには、数型ほどの信号がある。
それを聞き取り、プテラルの行動を読み取って戦闘態勢を変えていくのが冒険者のプテラル討伐の流れだ。
『―』――「ホエー」という間延びした鳴き声。『・』――弦を弾いたかのような低い音。この二つの音を組み合わせてプテラルの頭角「パイタル」が信号を出し、率いる群れの動きを変えていく。
例えば――『―・―・』という型の信号であれば警告音。
雨天候の音の型は『・・・・』という単調音。
『・・――』――――獲物がいる。
『・―――』――――新しい棲み処の発見。
『・――・』――――天敵接近、もしくは警戒態勢に移れ。
『―――・』――――退避・全員撤退。
『――――』――――雨季、長い眠りにつく為栄養を補給せよ。
そう言った信号を使い分けるプテラルは、勿論賢い頭脳を持っている。雨天候になるかどうかを嗅覚で読み取り、群れの状態を見極めながら行動を変えるのだ。そう生半可にやられるような魔物でない事は確かだ。
魔力を用いて炎を嘴より吐く為、人間の村々が火事になり村が滅されたなどと言う報せも世界では耳に聞き入れる話として、警戒されている。だからこそ、討伐しなくてはならない。
「シエラ、創造神なら――猫の発情期の時の鳴き声って知ってるか?」
渓谷に向かって歩く中、スルトがシエラにそう聞いた。
「プテラルが命の危機に瀕した時発する鳴き声は発情期の猫の鳴き声によく似ている」――冒険者がプテラル対策に勉強する中で文献にはそう書かれている。だが、猫の発情期の際の鳴き声を実際に聞いた事のある冒険者はほんの一握りだ。
――その理由は、猫の個体数はかなり少ないから。
過去に、猫という存在は沢山存在した――過去と言っても古代である。
「人間と交流的に交わる方が生存確率はぐっと高まる」ことから獣人族へと進化する――それが獣人が生まれた理由。
猫の大半がその進化を辿る――故に「猫」という存在は個体数が少ない。魔物より好物とされ、食われやすい故年々その数は減る一方。
生きている年数の長いジェアンですら、猫の鳴き声は聞いた事あるものの発情期の猫には遭遇していない。
「わ、わかるよ……?」
何だか嫌な予感がする――そう感じたシエラは顔に汗を浮かべながら続けて「何で?」と聞いた。
そして、スルトが今度はにやりとした。
「プテラルは頭が良いが……人の声とか楽器の音だとかを聞き分ける能力は有していない。この事は知っているよなあ……?」
「ま、まさか……」
「言え、叫べ、プテラルを騙すのはお前だ――シエラ」
発情期の猫の鳴き声とやらの真似を聞かせてみろ、やれ――スルトはそう言った。
「やたら、乾燥しているな。この辺りは……」
渓谷の中、プテラルの巣らしきものを見つけた一行は岩陰に隠れて作戦を実行する。
スティーの目の前には岩陰から出て、スルトの命令通り「発情期の猫の鳴き声」を発する準備をしていた。手には拡声機の役目を持つ魔道具が握られている。
「応援しています。シエラ様」
「ガンバレー、シエラサマ~」
スティーが親指を立ててシエラに合図を送り、スルトが便乗する。
猫は可愛いから、きっと可愛い鳴き声を発するのだろうな――そうスティーは期待した。
そして、シエラが半泣きの状態で魔道具を口の近くへと持ち上げる。
「スティー。笑わないでね……」
「分かりました。約束します(変な鳴き声なのかな……)」
んなぁおぉぉぉぉぉわぁあああああああん――そんな声が渓谷に響いた。
女神の喉笛から発せられたというには信じがたい声音だった。雄猫はこれに反応するのか、という感想さえ抱いてしまう。
そんな中――巣穴よりプテラルが一斉に飛び出した。
危機に瀕した仲間を助けるべく、仲間想いな一面を持つ翼竜が一斉に巣穴より飛び出してくる。
「ジェアン」
同時に、スルトがジェアンの名を呼んで、真剣な面持ちでジェアンが岩陰より立ち上がる。大きな弓矢を手に持ち、『・――・』と警戒態勢の信号を最初に出し始めたパイタルであろうプテラルを一矢にて撃退する。
『!?』
巣穴より出てきたプテラルは三十八体――子供や雌も含めるとなると、もっと居るだろう。
個体の大きさは大小様々――シエラの言っていた通りの大きさよりも大きい個体や小さい個体まで。
逃げられるよりも前に、全て討伐する――獣人の機動力を活かしてウォルフが渓谷の高い場所まで凄まじい速度で登っていく。
「追撃――――」
晴天の中、上空から出てきた群れを覆う程広範囲に水が降りしきった。
『蒸爆』という爆弾的要素を含んだ水の魔法である。水の玉を発生させ、その水の玉を爆発させて水を降らせる魔法――火の属性魔力と水の属性魔力の反発性を利用した魔法。
体毛の無い皮膚が荒れていき、プテラルが苦しみ始める。
火を吐くが、水の属性魔力によって発生させた水がまたもや暴発して彼等を苦しませ、プテラルは悲痛な悲鳴を上げ続けていた。
『――――――ァァァァアアアッッ!?』
機動力の優れた獣人のウォルフが高い跳躍力を活かして上空のプテラルを次々に斃し、届かない場所のプテラルも剣を投げることで斃していた。
その間に、グランが巣へと向かう。
「――――ちと可哀想だが……お前ら斃さないと俺ら人間が困るからなあ……」
大剣を持ち、巣穴に入る。
『キィッ……ピィイィイイッ!』
親が来たのかと思い、鳴き始める子供のプテラルにグランは眉一つ動かさずに、感情の全てを抑え、刃を振るう。
『ギィェッ――――――』
同情は、しない。
仲間想いを逆手に取られたプテラルも不憫だが、討伐しないことには人間が被害を受ける。
巣穴の中は――返り血に染まっていた。
時刻は午後二時。討伐が――――完了した。
プテラルの全体数五十二。皮膚の荒れたプテラルの皮は高く売れないだろうが、骨と肉だけでも結構な額になるだろうとスルトは予測する。宿の帳場でそれぞれ帰りの準備を整え、依頼書に達成を証明する拇印をグーベンに押してもらった後に報酬についての相談中である。
――そんな時、シエラがスルトの袖をくいっと引く。
「私の取り分、増やして頂戴……?」
あれだけ、恥を晒したんだから――そう言う彼女をスルトは一蹴する。
「言ったろ、山分け。俺を弄ってたバツだよ」
「何でよおおおお……発情期の猫でもないのに、あんな声を出させて……スルトに初めてを奪われたあああ」
「誤解されそうで笑えないことを言うな!! ……それに、あの時言われた笑わない約束は守った。今度からのプテラル討伐の後学にもさせてもらう――さっきのを魔道具で録音してあるからそれで弄り文はチャラだ」
「オイお前ふざけんなよ!!」
「はっはっは」
いつか、プテラル討伐の新戦略として後輩たちに披露する――シエラにとってはかなり恐ろしい内容である言葉を聞いた途端、シエラはグーベンに助けを求めた。
「…………融通の利かない男は無理とミトが言ってましたな。そう言えば」
「――仕方ない。魔道具はお前にやる……お前自身で使え、報酬に関してはまあ……俺の取り分から少しやる。俺は金に困ってないから」
「村長ありがと……!! スルトも大好きよ☆ ほっぺたにチューしてあげよっか」
「要らない」
仲が良いですな――そうグーベンがスルトとシエラの様子を見てそう言った。
ジェアンとグラン、ウォルフが宿の外へ出る。スティーも二人に「そろそろ帰りましょう」と言い、シエラはそれに返事した。
もう時刻は四時を過ぎており、今の季節だとあっという間に空は暗くなる。
馬車を引く馬が寝る時間となってしまうし、急がなくてはならない。
そんな時、シエラが帳場の隅に置いてある花瓶を見つけ、グーベンに聞く。
「奇麗な花瓶――村長これは?」
グーベン曰く、その花瓶は手先の器用なフランが父である彼に――グーベンに贈り物として渡したものの、彼はややドジな一面を持っている為、割りかねないとしてこの宿に預け大切にしてもらっている。
花瓶の絵柄はフランの花と、ミトの花。
虹色に輝く花弁を持つ「フランの花」と、力強く咲く赤い花弁を持つ「ミトの花」――奇麗な花が描かれた花瓶だが、とシエラはグーベンに振り返って言った。
「割れてるんだけど……」
フランの花の部分に、大きな罅が入っている。
「何ですと!?」
「嘘よー。私昨日お掃除したけど、割れてなかったわよ~?」
シエラの言葉にグーベンが驚きの声を上げ、宿の主人の妻が受付の方から声を張った。
(なんか……不吉だな)
そう感じたシエラは、花瓶の罅をなぞる。
「直してあげよっか。村長」
「む、出来るのかね」
「勿論、さっきのお礼」
シエラが指でなぞった所から罅が修復されていく――やがて完全な修復が成された花瓶にグーベンも喜びを顕わにした。
「ありがとうシエラ様。フランには内緒ですぞ」
「勿論」と笑顔で言うシエラだったが、その笑顔の裏側、心の中では何か嫌なものを感じていた。
** *
紫色の髪、金色の瞳――乱暴そうな面持ちの男が、家の中で女を抑えていた。
大人しくしろと男は言う――女は必死に抵抗して体を預ける事を拒んだ。
部屋は女が抵抗した痕跡として家具は倒れ、雑貨が散らばり、今や女は男の下――犯される寸前だった。
女――フランは喧嘩などした事がない。人を殴ったことや一度もなし、慎ましやかに生きて来て、旅人として故郷の村に来た男に惚れて、結婚して愛を育んで、子供も産んだ。
夫一筋、夫以外の男に体を許すなど言語道断。
今日は早くに仕事が終わったのだと思って、扉を叩く音に嬉々として、扉を開けたことを今更ながら後悔していた。
娘――ユリが咄嗟に隠れていたことに安堵しつつ、割れた花瓶の破片を手に取って男に向ける。
「魔族の俺に、そんなもの通用しねえよ」
花瓶の破片を弾かれ、手に傷を負ったフランは顔を青褪めさせながら「夫が居るんです……」と後退りして言った。
さらさらの茶髪をぼさぼさにして、清楚さに溢れ、気品さも兼ね備える服は今や男に破られ、下着が見えている――助けを呼びたいけれど、大きな声を出せば酷いことをされるのではないかという恐怖で叫べなかった。
家は一軒家、集合住宅であれば隣の住民等が騒ぎを聞きつけてくれただろうか。
(ルドゥ…………)
今日朝早くに仕事へと出た夫の顔を思い出す。
このまま男に抵抗せず体を許した方が安全なのだろうか――殺されずに済むのではないか。夫もこの男の被害に遭わずに済むのではないか。
「急に大人しくなったな」
――夫が酷い目に遭うのは嫌だけれど、体を許して穢されたことを黙って自己嫌悪に陥りながら生活するのはもっと嫌。
――『魔族って、人間が死ぬとその人間には興味を失くす魔族が多いんだ』
思い出される夫の言葉に、フランは息を呑む。
――私が死んだら、目の前の魔族は私に興味を失くす?
でも、死ぬのは怖い。死んだら全部終わり。ルドゥとも二度と会えない。
――でも、興味を失くすのが本当なら、目の前の魔族を退けるには最善な気がする。
最善……? ルドゥと会えなくなるのが最善とは言えないでしょ。
――でも、このままじゃユリが見つかるのも時間の問題でしょ?
でも、でも、でも。
――ルドゥとユリが、酷い目に遭ってもいいの? 私が抵抗して、もし今ルドゥが帰ってきたら?
嫌――――。
――サグラス様が言っていたでしょう? 人間は生まれ変わる。きっと会える時が来る。
――私には「力」がある。苦しまずに死ねるはず――痛いのは一瞬よ。
天界で、ルドゥとはまたいつか会える。
視界が潤んだ。死ぬ恐怖と、やるせなさ――自分の力の弱さに涙が溢れてきた。
「ルドゥ……ルドゥ……ルドゥぅ……」
「ああ?」
大好きな人を頭に浮かべながら、彼のこれからの幸せを願いながら、フランは舌を噛む。
思いっきり、顎に力を入れて、眉を吊り上げて――――ごりっという音と共に口の中から血が噴き出していく。
出来るだけ、死に易く――――自分を呪いながら。
瞳から――――光が消えた。




