最終話
私とアルミシア・ドーラが出会って十年が経っていた。次に私がアルミシアの名前を見たのはある新聞の記事であった。
その新聞は先鋭的な新聞であり無料で都市や農村にばら撒かれる。内容は国の政治形態の批判、つまり貴族の批判である。
革命新聞と呼ばれ、立志党という組織が制作していた。立志党はもちろん厳しい取締の対象にはなっているがなかなか尻尾を掴ませないらしい。
その新聞を夫であるハリスが持ってきた。私はハリスとの間にできた息子のリーンを抱き、あやしていた最中であった。
「これを見てくれ」
「まぁ革命新聞ではございませんか、恐ろしい」
私はリーンを揺りかごの中に静かに降ろしてその新聞に目を通す。
「この記事だ。記事というか、詩文だな。農民たちを煽って立ち上がらせようとしている。内容はともかく、非常に優れた詩だ。僕が農民ならその気にさせられたかもしれない」
私もその詩に目を通す。美しい詩だった。確かにこれなら心打たれる若者が出てこないとも限らない。でもこれが一体どうしたのだろう。
「作者の名前を見てくれ」
苦々しくハリスが言う。私も作者の名前を見つけて「あっ」と言った。アルミシア・ドーラの名前があったのだ。
「アルミシア……貴女……」
「彼女は立志党に居るらしい。僕もその記事を見て声をあげたよ。急いで情報部に居る友人にアルミシア・ドーラを調べてもらうようお願いしたところ……」
「したところ?」
「すぐに情報を教えてくれた。つまり彼女は調べる必要もないし情報部がその情報を惜しまないほど知られている人物ってわけだ。幹部と言ってもいい」
「そう、アルミシアが立志党に」
無理からぬことであった。むしろ必然と言っていい。あれほど貴族に対して恨みを持っているのだ。革命勢力である立志党に在席しているのは自然なことと思えた。
私だ。私のせいだと思った。確かに彼女は貴族を蔑みの対象としていたがそれでも革命を起こすというところまでは振り切れてなかった。
それは自惚れでなければ私が友人であったからだ。私を見てきっとまだ貴族も捨てたものではないと思ってくれていたのだろう。だが私は彼女に最大級の裏切りを働いた。
「彼女は立志党の中でも特に過激派らしい。僕のせいだな、彼女をこんな活動家にしてしまったのは僕の責任だ」
ハリスは私と同じことを思っていたらしい。だから私はハリスのその言葉を正した。
「いえ、私と貴方の責任です。私達は私達の幸せのためにアルミシアを裏切りました。それはどんなに言葉を尽くしても変えられません。しかし私は貴方と一緒になったことを後悔していません」
「そう、だな。そうだ。僕も後悔していないよ。タリア」
そこでリーンが大声で泣き始めた。さっき乳をやったばかりなのに今度はなにかしらと慌てて抱き上げる。
「それに、リーンにも恵まれましたし」
リーンをあやしながらハリスに言うと彼はようやく微笑んだ。
立志党の動きはますます活発になり、大臣や貴族を狙った事件も起きていた。幸い犠牲者は出ず事件は必ず未然に、もしくは発生しても人命は失われなかった。
情報部と新たに開設された警護部の活躍が著しかった。
世間も貴族も立志党は追い込まれていると見えた。しかし北部の農村で大規模な決起が起こった。それも一つの詩文が発端となった。
題名は回天といい、天を回し上に居る貴族を下に引きずり落とし、農民たちを天に上げるという劇烈なものであった。
特に北部の農村は貧しく食い詰めたものが多い。それらを集結させ力にしようとする立志党の試みであった。
「アルミシアだわ。アルミシアの詩だわこれ」
「あぁ僕もそう思う」
北部の農村地帯で起こった決起の人数は三百人、これが南下し王都を目指しているらしい。この三百人は非武装であり王に嘆願するという名目で行進しているらしいが無論、捨て置くことはできない。
三百人の大移動が王都まで続けばその途上にある村々にどんな被害が出るかわからない。当然軍の出番となった。ハリスも軍部に所属しているので出兵の沙汰が下った。
「ねぇ、どうなさるの? 相手は非武装の農民たちよ」
ハリスの出兵の準備をしながらタリアは話しかける。
「もちろん、我々とて手出しはしない。平和的に解散させるのが目的だ」
「きっとですわね」
「その方針だ」
準備が終わると二人は抱きしめ合い、ハリスは屋敷を出ていった。タリアはその後ろ姿を見てアルミシアのことを思う。
古典や詩などいくらやって仕方ないと言っていたアルミシアが今はその詩をもってして世に混乱を招いている。彼女は国のため、万民のために働くはずだったのにすべて逆になった。私達が逆にしてしまった。
農民決起団壊滅! その報が知らされたとき私は思わず気が遠くなった。どうして? と思った。 しかし詳しいことはわからない。ただ三百人の非武装に農民が軍によって皆殺しにされたとしか伝わらなかった。これは大変なことになると思った。ハリスはまだ帰ってきてない。
もう二度と会うことがないと思っていたアルミシア・ドーラと私が出会ったのは王都であった。
私はちょっとした買い物があり、一人で王都を歩いていた。ある街角に差し掛かると一人の黒いコートを着た女が目に入った。それがアルミシアだった。すぐに分かった。
相手も私に気が付いた。少し気まずい顔をしながらも近づいてきたのは予想外であった。
「やぁ久しぶり」
たまたま会った友人に対するような気安さだった。
「アルミシア……私、貴女に」
私がそこまで言うとアルミシアは私に手のひらを見せ言わないでくれと言った。
「君のこともハリスのことも恨んでいる。謝罪は聞きたくない。しかし感謝している面もある。君たちのおかげで私は国士になった。あのままではこの腐った世を一新することはできなかっただろう」
「アルミシア、立志党なんてやめて。ねぇ良かったら私達のところに来ない? 立志党なんて抜けて、違う人間として生きて……貴女のためならいくらでも助力は惜しまないわ」
「なにを言ってる? 狂ってるのか。いいか、この国は終わりだ。非武装の農民を三百人も虐殺したんだ。全国の農民は怒り狂ってる。この怒りが必ず回天の世を呼ぶ」
そこでアルミシアはひときわ大きく笑った。楽しくて仕方ない。すべてが思い通りにいっているという笑いであった。その瞳は狂気に濡れていた。
その笑いを見て、私は一つの考えに至った。
「まさか、貴女、農民たちを利用したの」
「ん? あぁここまで上手くいくとは思わなかった。貴族も農民もバカばかりだ。少し突けば大騒ぎさ。そして三百人の農民の犠牲により世は変わる。変えてみせる」
アルミシアは変わった。もはや国のためでも万民のためにでもない、自分の恨みのためにすべてを巻き込み破滅しようとしている。
ふと、アルミシアの目に正気の光が差した。
「早いところこの国を出ろ。もっと酷いことになるぞ。私はお前たちを恨んでいるが別に積極的に殺したいわけじゃない……来たな。さらばだ」
建物の影から数人の男たちが出てきて、アルミシアに合流すると彼女たちは足早に去っていった。アルミシアは一度も振り向かなかった。
そしてその数日後立志党は壊滅した。
単純な話であった。諜報員が紛れ込み、幹部が一堂に会する瞬間に軍の兵士がなだれ込んだ。ただそれだけのことだった。
ほとんどのものが戦うこともできず捕らえられた。王家の情報部の力の凄まじさを見せた形となった。
立志党に組みしたものは尽くが斬首となった。
もちろんアルミシアもである。
斬首は公開され、多くの者が立志党員の死を見学しに行った。私は当然足を運ぶ気にはなれなかった。
私はアルミシア・ドーラの最後の言葉を伝え聞いた。
「聞け! 貴族ども! 民草にも心があり、意地がある。いつか必ずその高慢な鼻柱をへし折られる日が来るぞ!」
そう言い、アルミシア・ドーラは世を去った。
その言葉を聞いたとき私はあの手紙を思い出した。
アルミシアにとってあの手紙こそ最初の檄文だったのだろう。