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私は悪役令嬢?  作者: X
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二話

 「タリア・レーベと申します」

 「お話はかねがねアルミシアから伺っております。ハリス・ツィードです。どうぞよろしくおねがいします」


 アルミシアに連れられて私はハリスと出会った。場所は小川が見える雰囲気が良い料理店の奥座敷であった。

 挨拶をして目を合わせた瞬間私の脳裏に火花が散った。初めての経験であった。なんだこれはと、本気でなにか突発的な病にでもおそわれたのかと思った。

 ハリスの顔も驚愕に彩られ、私達の視線は絡みつき、しばらく離れなかった。


 「どうされたんです。お二人共」

 

 よそ行きに取り繕ったアルミシアが声をかけてくるがそれどころではなかった。

 どうされたもこうされたもない。私は今この瞬間初めて恋に落ちた。初恋がまさかこんな形で訪れるとは思ってもみなかった。

 そして自惚れでなければ彼も、ハリスも。私と同じ気持ちのはずだ。瞳がそれを物語っていた。


 それから私達はぎくしゃくとした会話を始めた。幸運にも私達の様子はアルミシアには気取られてないようであった。彼女は自らの学識の豊かさをしきりにハリスに披露し、ハリスはそれにうんうんと頷きながら聞いているが時折こちらに遠慮がちな視線を向けてくる。

 私はそんな視線を向けられるたびに顔を赤くしてただ俯くことしかできなかった。


 卓の上に蜜柑が置いてあった。

 アルミシアは懸命に喋っている。外国の思想を取り入れ国を変える、と。

 そのためには書物を読まなければならない。しかし国民の多くは外国語で書かれた本など読むことはできない。そこで自分が優れた思想が書かれた書物を自国の言語に翻訳し、世にひろく広める。これは世を変える仕事に他ならず、必ずこの国に益になると必死に喋っている。


 私は蜜柑を手に取り、それをハリスに剥いてやった。アルミシアの話を聞き流しながらそんなことはどうでもよろしいじゃないかと思った。

 こうやって好きな殿方に蜜柑を向いて差し上げる。それ以上に大事なことってあるのかしらとその時本気で思った。

 私の剥いた蜜柑を受け取るときハリスはさり気なく私の指先に触れた。それが彼の精一杯の表現のように思えて私は胸が高鳴った。

 こんな人を置いて、三年もナガシキになんて留学にしに行くアルミシアが理解できなかった。私はそのときアルミシアに嫉妬していた。


 「私は三年ナガシキに留学しに行きますが決してハリス様をないがしろにするわけではございません。ただ国のために、万民のために、私も働きたいので」


 「分かっていますよ。そんな貴女を僕は誇りに思います」


 ありがとうございます。とアルミシアは頭を下げる。

 羨ましく妬ましい、でももう二人は婚約をしてしまっている。どうにもならない。私の初恋は始まった瞬間に終わった。どうしようもなかった。


 「ところで」とハリスが私に顔を向ける。

 「ところで、タリアさんは決まった方など居られないんですか?」


 ハリスは何気ないふうに装っているがその目には切実な色があった。そんなハリスの目を見続けていることはできず、すぐに私は顔を俯かせる。


 「タリアはこんな可愛らしいのにまだ決まった人はいらっしゃないのよ。もったいないですわ」

 「えぇ……確かにもったいないですね」

 「そうだ! 良かったらハリス様がお世話なさったら? ハリス様の軍部のご同輩に良い人がいらっしゃらないかしら」

 「そうだね。居ることには居るだろうけど、なかなか伯爵のご令嬢とは……家格の問題もあるからね」

 「家格なんてくだらないわ。陛下のもと臣民一体、身分の区別なく国のために働く、これができなければ諸外国に遅れを取ります。身分差というものはこの国の足枷に他なりません」


 さすがにその発言にはハリスも私も固まった。それは私達貴族の否定に他ならなかった。しかしアルミシアは気付かない、彼女にとって私達は貴族である前に友人であり婚約者なのだろう。

 彼女のこのような他人の立場を慮らない言動はしばしば無用な諍いを招いた。


 「まぁタリア様にはなにか良縁があればぜひともご紹介して差し上げたいがタリア様のご都合もあるでしょうからね」

 「いえ、そのようなお気遣い御無用にお願い致します」


 私達はアルミシアの発言は聞かなかったことにした。聞き流されたことに多少の不満はあっただろうが彼女もそれ以上は言わず「タリアの縁談のことお願いしますよ」とハリスに言っていた。


 それからしばらくしてアルミシアはナガシキに旅立っていった。私も学問所の全課程を修了させた。無事に修了できたのはやはりアルミシアの力が大きかった。彼女が居なければあと三年はかかっていただろう。

 そこから適当な省庁に勤める道もあったのだが、やめておいた。やはり私は国のためだとか万民のためにだとかは向かない性分のようだった。


 私は屋敷に籠もり、花嫁修業とは名ばかりのお稽古事や読書に日を費やしていた。縁談もないではなかったが。やはりハリスのことが忘れられずせめてアルミシアとハリスが結婚しそれを見届けきっぱりと諦めをつけてからではないと、どうしてもその気にはならなかった。父も母もさほどうるさくは言わなかったことが幸いした。


 そんな日々を過ごしているとアルミシアから手紙が届いた。その内容はナガシキの素晴らしさについてのことであった。人や物が溢れ、見たこともない珍品に囲まれているという。人物も一様に優れ覇気のあるものが多く学ぶべきことが多いという。とりわけアルミシアは海に興味をもっており、海運の発達こそこの国を支える道であるということが長々と記されていた。

 その活き活きとした文面は生活の充実を如実に物語っておりそれは私の退屈で変わり映えの生活を惨めなものに感じさせた。


 さらに思いもよらぬことにハリスからも手紙が来た。なんだろうと胸を高鳴らせ開いてみると長々と記されていたアルミシアの手紙とは別に簡潔にまとめられていた。

 縁談の件でご相談したきことあり、日時を記すので指定の場所でお待ち申し上げます。とこれだけであった。


 これは、と私は思った。これは行ってはいけない。この滲んだ墨の文面を見ているとハリスがどれほどの思いでこの簡単な文を書いたか分かった。

 分かったが故に行けないと思った。行けば必ず後悔するだろう。私はその手紙を焼いた。


 あれほどいけないと思っていた私だったが、指定された日時に、指定された場所の前に私は立っていた。まるで体と心がてんでバラバラになって動いているようであった。

 指定された場所は竹林に囲まれた小さな庵のような建物であった。戸をくぐり、挨拶をする。一人の老婆が出てきて名を告げると(当然偽名であった。この名を告げると通されると手紙に書いてあった)老婆はゆっくりと一歩一歩踏みしめるように歩きタリアをやきもきさせてたがそれに耐えゆっくりと進んでいった。庵は思ったより広いようだった。


 老婆が戸を指し示し、去っていく。タリアは意を決して戸を開けた。

 そこにはハリスが一人で座っていた。以前見たよりも頬が痩け、目の下には隈ができていた。戸を開けた私にも気づかぬくらいなにかを考え込んでいた。


 「ハリス様……」

 「やぁ、これはお呼びだてして申し訳ない」


 表情は暗いままは声音だけは明るくハリスは言った。自分の前を指し示しそこにお座りくださいと身振で伝えてくる。


 「この度は私の縁談のことで骨折り頂いたようでまことに感謝の言葉もございません」


 手をついて深々と頭を下げるがそんな話はないだろうと私は思っていた。そんなことのためにこんなところに呼び出すなど考えられない。私の屋敷に来れば良いのだ。

 それにやはり表情が尋常ではない。苦虫を百匹も噛み潰し親兄弟尽く討ち死にしたような真っ青とも真っ白とも言えぬ、とにかく異常な表情であった。


 「まず、お詫びを申し上げねばなりません。貴女の縁談の話は嘘です。貴女とどうしても二人きりで話したかった」

 「そうでございますか」


 想定の範囲内なので特に驚くことなく、素直に受け入れた。


 「最初に貴女に知っておいてほしいことは私はアルミシア・ドーラとの婚約を破棄しました。破談ということですね。これはドーラ家に正式に申し込み受理されました。アルミシアには本当に申し訳ないが僕はあの人と結婚するわけにはいかなくなったのです」


 驚きのあまり、心臓が口から飛び出そうになった。まさかと思った。どれほど悩んだのかその顔を見れば分かる。おいたわしいことだった。


 「なぜそのような……」 

  

 口から飛び出そうになった心臓が高鳴り始める。忙しい心臓だった。手のひらをそっと確かめてみるとうっすらと汗をかいていた。


 「貴女を知ったからです。いや、この言い方は卑怯ですね。僕のために、です。貴女を初めて見たとき僕には貴女しか居ないと確信した。もう他の女性と一緒になることは考えられなかった。それは……貴女もそう感じたのでないですか」


 ハリスは真剣でいて、どこか縋るような目をして私に言った。私がなにも答えずにいるとハリスは身を乗り出してきた。


 「私と一緒になってください」


 きっぱりとした口調であった。他に選択肢はない、と信じている口振りだ。


 「しかし、アルミシアが可哀想ですわ」


 それは私の心が決してハリスのことを嫌っているわけではない、むしろ好ましいと思っていると吐露したも同然のものだった。


 「アルミシアには悪いと思います。出来ることはなんだってして埋め合せします。だが貴女をあきらめることはできない」


 気が付くとハリスは驚くほど傍に居た。あと少し身じろぎすれば触れ合うほどの距離だ。

 私の頭は茹で上がったようになにも考えられない。正直に言うとアルミシアのことは脳裏にはなかった。目の前に居るこのハンス・ツィードのことでいっぱいであった。


 「順番が違ったんだ。ただちょっと出会う順番が狂っていた。その順番で僕は一生を後悔したくない。悪いとは思う。悪いとは思うが自分の一生には代えられない。そうではありませんか? タリア」

 

 ハリスの言葉は嬉しかった。ただ私が答えるわけにはいかないと思った。私は卑劣な女だった。


 「父と母がお許しになれば」


 そう言うのが精一杯であった。それがハリスとアルミシア、そして私の関係性の中で絞り出せる唯一の言葉であった。


 「貴女の父上と母上がご了承してくだされば僕の元に来てくれるね?」


 私がこくりと頷くとハリスはありがとうと手をついた。遠いナガシキの地ではこんなことになっているとは思わずアルミシアは学問に精を出しているのだろう。そう考えたら泣きそうな気持ちになるが涙は出なかった。

 

 それからはとんとん拍子に話が進み、私とハリスは夫婦になることが決まった。わずか半年ほどの話であった。

 私は何度もアルミシアに手紙を書こうと思ったがなにを書いても言い訳の、自分を弁明するものにしかならなかった。私は何度も書いては破り書いては破りを繰り返し、ついには逃げた。現実から目を逸したのだ。

 その間アルミシアから手紙は来なかった。手紙が来ないことに安堵している私が確かに居た。


 しかし、ついに来た。その手紙が来たのは私がツィードの家に入って一ヶ月ほどした頃だった。差出人にアルミシア・ドーラと書いてあるのを見たとき、ついに来るときが来たと感じたものだ。


 手紙を開くとそこに黒々とした墨の強い筆跡でこう書いてあった。


 【タリア、私は君を恨む。私が国のために、万民のために尽くしているときに君は私の婚約者を盗んだ。君を信頼して紹介して挙げ句盗まれるとは私の間抜けさがとことん嫌になる。

 やはり君もあのうすらバカな貴族たちとなにも変わらない、身分が卑しいものにはなにをしても良いという特権階級特有の傲慢さを持っていたんだね。

 それを見抜けず友と、親友と信じていた私こそが真のうすらバカだったというわけか。だが、言っておくぞタリア・ツィード、身分の卑しいものにも心があり意地がある。

 私は必ず貴様たちのその高慢な鼻柱をへし折る。これは私怨ではなく、この国と民のためだ。やはり貴族は腐っている。それを教えてくれたことには感謝する。もう会うこともないだろう。せいぜい幸せになるといい】


 そして風のうわさでアルミシア・ドーラがナガシキから消えたことを聞いた。公費を盗み、どこかに姿を消したらしい。

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