第七十一話 それは遥か古の
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室内に喧しい警報音が鳴り響く。全く、今日は最悪の日だ。これはこの都市始まって以来の大事故になるだろう。
「魔素濃度、なおも上昇中。このままでは地上に影響が出るのも時間の問題です!」
警報音に負けない大声で報告が飛び交う。それも悪い報告ばかりだ。
「まだ主制御室と連絡は付かんのか!?」
俺も負けずに声を張り上げる。ことは一刻を争う。対処を誤れば、この都市は滅びるだろう。
「駄目です、まるで応答がありません!」
「主制御室の画像、取れました。映します。」
映し出された画像を見て、一同驚愕する。そこは無人だった。扉も開けっ放しで、大慌てで出て行ったことが窺えた。
あいつら、逃げやがった!
最悪だ。これで俺たちは逃げられなくなった。俺たちまで逃げ出したらこの都市は滅び、多くの市民が死ぬことになる。
「主制御室の魔素濃度上昇、間もなく危険域に入ります!」
今から主制御室に行くこともできないか。仕方がない。
「この副制御室を臨時対策本部とする! 主制御室から急いで制御権をもぎ取れ! あと、警報止めろ、邪魔だ!」
鳴り響いていた警報音がすぐに止まった。皆もうるさいと思っていたのだろう、非常事態であることは全員十分に承知している。
「魔素管理の制御権取りました! ……放出量の設定は既に0になっています。これからマイナスに設定します!」
おかしい。魔素の放出を止めているのに、なぜ摩素濃度が上昇を続けている?
「ちょっと待て! 魔素濃度の一番高いところはどこだ?」
「……B3ブロックの第三魔素調整室が突出しています。生存不可能レベルです!」
そういうことか!
「その部屋の画像を出せ!」
そこに映っていたのは、何も無い部屋に倒れ伏す男が一人。
「魔素タンクの緊急放出弁を開放しやがったんだ。これは事故じゃない、テロだ!」
いや、テロですらないかもしれない。どうせ、主戦派の考えなし連中が、魔素を放出すれば好戦的になって主戦論に傾くとでも思ったのだろう。それで加減を間違えて自滅したか。
ああ、最悪だ。今日は何度最悪を更新するんだ。
「魔素放出量をプラス1に修正するんだ!」
「え、それでは……」
「今魔素を吸収してもそのままタンクから洩れるだけだ。それで圧が上がって第三魔素調整室に溜まった魔素が一気に放出されたら終わりだ。タンクの圧を見ながら、少しずつ摩素を放出するんだ!」
「わ、分かりました!」
「隔壁を全部下ろせ。魔素の流れを可能な限り食い止めるんだ!」
「はい!」
隔壁には手動で開けられる扉が付いているから、逃げ遅れた者がいても問題はない。
「警備機兵の制御は奪えないか? 魔素の放出を止めるには第三魔素調整室に行くしかない。人間には不可能だ。」
「無理です! 稼働中の警備機兵の制御は主制御室からしかできません!」
「念のため、試してくれ。それから、代わりになるものがないかも調べるんだ。第三魔素調整室まで行って、バルブを閉めることができれば何でもいい。」
「了解。やってみます。」
「それから、地上施設に連絡して一般市民に避難勧告を出してもらえ。あと、支援要請も出しておけ。」
「やっておきますが……地上の支援はあてにならないのでは?」
「地上の連中には期待していないが、先に言っておかないとどんな横槍を入れられるか分からんからな。」
口を出すならば、こちらへ来て手伝え。この支援要請には言外にそういう意味が含まれる。
「分かりました。ついでに魔素濃度のデータをリアルタイムで送りつけてやります。」
まだしばらくは地下へ降りられるはずだが、戻れる保証のない片道切符を手にする根性のある奴が地上にいるとは思えない。
さて、現状で打てるだけの手は打ったが状況はあまりによろしくない。魔素の流出を遅らせるのがせいぜいで、封じ込める手段がない。このままでは近いうちに最後の決断を下すことになるぞ。
時間が過ぎ、魔素の濃度だけがじりじりと上がって行った。
「やはり駄目です。稼働中の警備機兵はこちらの指示を受け付けません。他にこちらで動かせる機体で細かい作業をできるものはありません。」
「魔素の流出もこれ以上抑え込めません。魔素生成機を停止とかできないんですか?」
魔素の制御を担当していた者が泣き言を漏らす。まあ、気持ちはわかるが。
「無理だな。魔素生成機はブラックボックスだ。直接本体の所へ行かなければどんな操作も行えない。」
正体不明のエネルギーである魔素に、更に謎だらけの魔素生成機。人間が手を出していいもんじゃなかったのかもしれないな。
「G5ブロックに、何者かが下りてきました!」
「なんだ? まさか地上からの支援部隊か?」
「いえ、地上施設は混乱していて、まともな反応が返ってきません。」
「正規の手順で下りて来た者ではありません。不正侵入です!」
狂信者か!? 全く、どいつもこいつも面倒ばかり起こしやがって。しかし困った、警備機兵が動かせない以上、打つ手がない。
いや、待てよ。あの辺りにはアレがあったな。
「確かあの辺りには、軍用戦闘機兵の試作品があっただろう。あれを起動しておけ!」
「しかし、起動はできても細かい操作は無理です。軍用機が無差別に暴れたら危険です。」
「試験室から出ないようにしておけ。連中の気が引ければそれでいい。」
「了解しました。」
「侵入者の動向には注意しろ。主制御室に向かうようならば、こちらから機能をロックする。」
地下で起きている危機を知り、危険を顧みず対処に来た有志とかだったらありがたいのだが、残念ながらそんな都合の良い話はまずありえない。
「た、大変です!」
「今度は何だ!」
「軍部の研究エリアで獣化兵が暴れています!」
何だと! 魔素の影響を受けやすいあいつらを退避させていなかったのか!
「軍部の阿呆共め! 『知恵ある獣』との仲介役になる中間種を軍事利用するからこんなことになるんだ!」
「所長、魔素の影響を受けてますよ!」
おっと、危ない。魔素は人の精神を蝕み狂暴化させる。気を付けないと暴れている連中の仲間入りだ。
「この部屋の魔素濃度も上がってきたか。その割にはお前たちは平気そうだな?」
「理不尽な状況は、所長の命令で慣れてますからね、ハハハ……」
こいつら……この状況で笑っていやがる。
そういえば、魔素の精神浸食に対抗するは笑顔が一番効果があるとか言っていたやつがいたな。案外正しいのかもしれん。
「よし、隔壁を操作して暴れている連中を誘導しろ! 東側から都市の郊外に追い出せ!」
「地上に出すのですか?」
「どのみち、隔壁ではあいつらを止められない。人の少ない場所へ誘導したほうがましだ。後は、魔素が抜ければ正気に戻るだろう。」
これは半分賭けだ。だが、放置してどこに出るのか分からないよりはましだろう。
「地上の様子はどうだ? 避難は進んでいるか?」
「それが、……地上施設の人間が混乱しているようで、情報が伝わっていません。」
「ならちょうどいい、こちらから避難勧告を出してやれ! 西側から都市を出るように伝えるんだ!」
暴れる中間種と鉢合わせにならなければいい。
「所長! 第三魔素調整室の死体が消えました!」
「馬鹿な! あそこは今人が入れる場所じゃないぞ。死体が勝手に動いたとでも……動く死体か!」
魔素が引き起こす不可思議な現象の一つに、魔素を注入した死体が動き出すというものがある。別に生き返ったわけではなく、意志を持たない化け物になるだけだ。
致死量を超える魔素が充満した部屋に放置されていた死体ならばあり得ることだった。だが、これはまずい。
「魔素濃度は!?」
「……B3ブロックで急上昇! 他の場所でも上昇速度上がっています!」
動く死体が扉を開けて出て行ったということだ。扉はすぐに閉められたようだが、それは生前の動作をある程度行えるということだ。
これはまずい。放置しておくと、そこの扉を開けて死体が入って来るかもしれん。
「警備機兵を誘導してここの周辺の守りだけでも固められないか? 副制御室まで失ったら終わりだ。」
魔素濃度が上がってきている今、扉を開けられただけでまずいことになる。
「無理です! 隔壁を下したくらいではあれの巡回路を変えられません。」
やっぱり無理か。となると残る手段は……
「摩晶兵を出そう。」
「無茶です! あれはまだ未完成品、起動したらこちらの操作を受け付けません。」
「行動範囲の制限くらいは掛けられるだろう。副制御室の周囲に配置して侵入者を排除すればいい。」
「……分かりました。摩晶兵を配備します。」
理解すれば行動は速い。副制御室を確実に摩晶兵で塞いだ。まあ、俺達も出れなくなったがな。
「これより、地上に噴出する魔素をコントロールして市民が脱出する時間を稼ぐ。それと並行して魔素を止める手立てを模索する。長丁場になるからそのつもりでいろ!」
ここまで来たら、都市への深刻な魔素汚染は免れない。市民が避難する時間を稼ぐのが精一杯だ。そして――
「残業手当、お願いしますよ~」
「ああ、危険手当もたっぷりと分捕ってやろう。誰にも文句は言わせねえさ!」
俺たちはもうこの部屋から出られない。
動く死体が動き回ってくれたおかげで、副制御室から地上に出るまでの通路には高い濃度の魔素が充満している。
引き返し可能点は既に超えていた。
ここから生きて帰りたければ、魔素タンクから洩れる魔素を止めて、溢れ出た魔素を回収しなければならない。どうやればそんなことが可能なのか、見当も付かねえがな。
そのことは、ここにいる全員理解している。それでいて、誰一人として絶望していない。
全く、いい部下を持ったものだ。
「地上の避難、終わった模様です。」
「そうか。では予定通り、魔素を地上へ排出する。始めろ!」
「了解、魔素の排出始めます。」
地上の市民が避難し終えたので、これまで極力地上へ出さないようにしていた摩素を、地下から地上へと排出する。
本当に全員避難し終えたか確認したいところだが、地下からではこれが限界だ。
「今のうちに作戦を確認する。現在魔素を地上へ排出し、主制御室とそこへ至るまでの通路の魔素濃度を下げている。」
魔素を地上へ放出したのは、魔素の流出を止める作戦を実行するためだ。一時的にでも地下の魔素濃度を下げなければ、俺たちは身動きが取れない。
「十分に摩素濃度が下がったら、全員で主制御室へ向かう。」
ここ副制御室でできる範囲では打つ手がないことは早い段階から分かっていた。
「途中の魔晶兵は軍用の対人殺傷兵器だ、絶対に戦うな! 行動範囲から出れば追ってこないから、何とかやり過ごして走り抜けろ!」
ここへきて魔晶兵を出したことが仇になった。とはいえ、摩晶兵は動く死体を倒しているから、間違いだったとも言い切れない。
起動後に停止も行動範囲の変更も受け付けなかったのは想定外だったがな。
「誰か一人でも主制御室に到着したら、警備機兵を操作して、魔素タンクの緊急放出弁を閉じろ。それが終わったら、魔素の吸収を開始するんだ。」
摩晶兵さえ突破できれば、これが一番現実的な案だった。ただしチャンスは一度だけ。地上に魔素を放出しても、地下の魔素濃度を下げていられる時間は限られている。だから一度に全員で出る。
「作戦開始まで、各自できる限りの準備をするように。」
ゆっくりと下がって行く魔素濃度の数値を見ながら、各々自分なりの準備を進めていく。
俺も自分の準備を進めるとしよう。
「そうだ、記録装置を起動しておけ。期限は無期限、地上・地下含めて記録できる全ての範囲が対象だ。」
「それでは、すぐに記録が一杯になりますよ。」
「自動判断で重要そうなところを優先して残すようにしておけ。今起きていること、これから起こることは重要な教訓になる。」
「ちゃんと教訓を活かしてくれればいいけど。」
「大丈夫だ。作戦が成功したら、反省会でちゃんと使うぞ。」
「記録、開始しました。我々の雄姿を歴史に残しましょう!」
「主制御室及び、想定経路の魔素濃度、基準以下に下がりました。いつでも行けます!」
「全員、準備は良いか? それでは、作戦を開始する!」
BGM:「地上の星」(by 中島みゆき)
プロジェクトXっぽくは書けませんでしたが。
なお、最後の作戦は失敗しています。この続きは暗黒時代を経て勇者ローランドに引き継がれます。




