第四十六話 アリシアさんを守ります
小説における聖女アリシアは、その容姿と話術で男を操り、用済みになれば平気で捨てる、そんな悪女だった。彼女に人生を狂わされた男は数多い。
ライアン・ハスキンス。
スティーヴ・サザーランド。
この二人も、性悪聖女に利用され、捨てられた犠牲者だった。
なお性質の悪いことに、裏切られたと知っても二人ともアリシアを恨むことができず、未練を残していた。
そこを主人公につけ込まれた。不死之王の呪術は生者の意思を押し潰して洗脳するほど強力ではないけれども、本人の願望を後押しするように囁きかけて誘導することができるのだ。
小説のアリシアは、奔放で男遊びが激しいようでいて、実は処女であった。彼女は色仕掛けで操った男に対して、心も体も許してはいなかったのだ。
そのことを知った主人公は一計を案じる。まずは、「処女を失えば聖女の力もまた失われる」という噂を流し、本人にまで信じ込ませることに成功する。
そして頃合いを見て、思考を誘導した結果頭の中が都合の良い妄想でいっぱいになったライアンとスティーヴにアリシアを襲わせたのだ。
結果、「自分とアリシアは相思相愛の恋人同士だ」と思い込んだ男二人によって、色仕掛けで男を誑し込みまくった聖女が強姦されるという訳の分からない事件が発生する。
そして、聖女の力を失ったと思って呆然としている隙を突いて主人公が現れ、三人まとめと殺してしまうのだ。
実は処女を失っても普通に浄化の魔術が使えることがばれると、あっさりと返り討ちにされる恐れがあるので、ここは速攻で殺している。
その代わり、「聖女アリシア、痴情のもつれで無理心中!?」と言うゴシップを王都中にばらまいて聖女の評判を地に落とすという形で復讐とした。
これが、小説の中での聖女アリシアに対する復讐劇のあらましである。
しっかし、小説では最初から最後まで利用され続けた被害者だった二人だけれど、この世界では単なるストーカーだった。同情の余地はどこにもない。
もちろんこの世界のアリシアさんは男を利用して裏切ったり、色目を使うようなこともしていない。ただ、貴族としてごく普通の社交辞令を交わしただけで、自分に気があるとか妙な勘違いをする男が続出したのだそうだ。
美女も大変である。
そしてもう一人大変だったのが、その美女の父親だった。娘が社交界に顔を出すたびに勘違い男がわらわらと湧いて出るのである。しかもアリシアさんの方はごく普通の当たり障りのない会話しかしていないのだ。ブチ切れもするだろう。
結果として、ローフォード公爵の武人としての評判も相まって、娘に群がる悪い虫をバッタバッタと薙ぎ払う鬼将軍の伝説が生まれたわけである。
アリシアさん曰く、本当は優しい父親なのだそうである。
アレクも、「娘さえ絡まなければ」と条件付きで同意している。条件が付いてしまう時点でお察しください。
そんなローフォード公爵の頑張りもあって、アリシアさんにまとわりつく有象無象はほぼ一掃された。けれども根本的に勘違い野郎の発生を防ぐことはできない。
嘘か本当か、アレクがアリシアさんの婚約者になった経緯の中には、上級貴族の中にまでアリシアさんに懸想する者がいるので、もはや王族でなければ虫よけにもならなかったという理由があったとか。
しかし、アレクが婚約者になっても諦めず、ローフォード公爵に排除されないように身を潜め続けた二人は、今では立派なアリシアさんストーカーになっていた。
不死之王に洗脳されたわけでもないのに、どうしてこうなった?
「そこまでや、うちらの聖女様に手出しはさせへんで!」
「ストーカー、よくない。」
ライアンとスティーヴの背後から、カレンさんとエレノアさんが現れた。そしてそれだけではない。
「俺の婚約者につまらぬちょっかいをかけるのは止めてもらおうか。」
アレクも登場。アリシアさんを庇うように前に立つ。この立ち位置は、アレクじゃないとね。
どうしてアレク達が都合よく登場したかと言えば、ライアンとスティーヴが現れるのを待ち構えていたからだ。二人はアリシアさんを待ち伏せしていたのだけれど、その二人が現れるのを僕たちは待ち構えていたのだ。
せっかくジャックから警告してもらったからね、無駄にはできないよ。まあ、僕がやったことはアレクに報告しただけだけど。
アレクの行動は速かった。元々レオンハート殿下が王都の貴族の不審な動きを事細かに調べ上げていて、この二人の怪しい素行も調べは付いていたらしい。
しかし、この二人の行動に政治的意図はなく、ハスキンス侯爵家もサザーランド伯爵家も関与していない個人的なものであったため優先度は低くなっていた。
ところが、この二人のつけ回す相手が勇者パーティーのメンバーであると分かると改めて調べ直され、聖女アリシアに対するストーカーであることが判明したのだった。
それ以降、二人の行動は秘かに監視され、今回の暴挙に出ることも事前にしっかりと把握されていたのだ。
正直言って、僕の前世の小説の知識など出る幕もなかった。
今日あたり何かしてくるだろうと前もって分かったから、僕とジェシカさんで待ち伏せしている二人を見つけ、アレク達に待機していてもらったのだ。
「なんと無粋な! どこまで愛し合う私たちの邪魔をするというのだ。今すぐにそこを退いて道を開けたまえ!」
「勇者とか言われていい気になっているようだが、そんなもの関係ない。さっさとアリシアを開放するんだ! さもないと力ずくで排除するぞ!」
うーん、二人とも現実が見えていない。特にスティーヴ、アレクに暴力で勝てる気だよ。
不思議なことに、この二人は一緒に行動しているけど仲間でも友達でもないんだよね。むしろ、互いに同じ女性を奪い合うライバルのはず。
小説の中では不死之王の思考誘導で不自然な状況を認識させないように調整していた。
今は、アレクを仮想敵として他は意識していないといった感じだろうか? 二人は協力し合っているというより、互いにアリシアさん以外は眼中にないといった雰囲気なんだよね。
それと、不思議なことがもう一つ。これだけ現実が見えていないにもかかわらず、その行動はわりと合理的なのだ。
まずアリシアさんが単独で行動するタイミングをきちんと選んで行動を起こしたこと。アリシアさんが一人で行動することは少ない。冒険者ギルドやダンジョンに行くときはパーティーのメンバーと一緒だし、装備を整えた時もイメルダさんが護衛に付く。王宮の図書室への行き帰りはアリシアさんの数少ない単独行動だった。
それから、襲撃してきた時間と場所。貴族区の中でもこの場所は今くらいの時間帯にはほとんど人影がない。普段はアリシアさん以外の人目を気にする様子の無いストーカーが、どうしてこの時ばかりは人気のない時間と場所を選んだのか?
そして、今日という日を選んだこと。実はアリシアさんの父親、ローフォード公爵が昨日から公務で王都を離れているのだ。今から急ぎで連絡が行ったとしても、戻って来るのは明日以降になるという寸法だ。
小説では主人公が計画を立てるのだけれど、この世界では理性的に計画を立てて二人を操る者などいない。
まあ、合理的に動いてくれたおかげで行動を予測するのは容易だったんだけどね。
小説では主人公が最も注意していたのがローフォード公爵の動向だった。聖女アリシアに対する襲撃では、小説の中では不仲だったアレクよりも、実の父親こそが最大の障害だったのだ。
そして、それはこの世界でも変わらない。
「ほお、お前たちが家の娘にちょっかいをかけて来た身の程知らずか。」
――ビクッ!!!!
地獄の底から響いてきたような低い声に、さしものストーカー二人もびくついた。
正直、前もって知っていた僕もビビった。アレクですら一瞬肩を震わせた。なにこれ、すごく怖い。
一泊置いて、声の主が姿を現した。言わずと知れた、ローフォード公爵である。
ちゃんとお呼びしましたよ。アレク曰く、予め声を掛けておかないと、後が怖い。
話を聞いたローフォード公爵は、それはもうノリノリでした。昨日は公務に向かうため部下と一緒に王都を出発した後、一人でこっそひりと王都に戻ってきました。
公務と言うのは地方の軍の視察だそうですが、後で合流するまでは部下の人に押し付……任せてきたそうです。
そして事が起こるまではアレク達と共に待機して、今満を持しての登場です。
「「ヒイッ!」」
勇者アレクにさえ喧嘩を売った愛の戦士二人が、悲鳴を上げて後退る。しかし残念、退路はカレンさんによって塞がれていた。あっという間にローフォード公爵に捕まった。
「さて、向こうでじっくりとO・HA・NA・SHIしようじゃないか。」
ローフォード公爵にずるずると引きずられながら退場する二人。
こうして、鬼将軍の親ばか伝説に新たな一ページが加ったのだった。
サザーランド伯爵三男、スティーヴ・サザーランド。
ハスキンス侯爵家四男、ライアン・ハスキンス。
この両名は実家から勘当され、一兵卒として国軍に入隊することになる。
この二名の配属先は、ローフォード公爵直轄の訓練部隊だった。そこでは、精鋭となって最前線に送られるか、退役するまでずーと訓練を続けるかのどちらかだと云われている。
元愛の戦士が精鋭の兵士になれるかは誰にも分からない。ただ、鬼将軍によって徹底的に根性を叩き直されることだけは確かだった。




