不良と秀才、異世界へ赴く
『雲泥の差』という諺がある。
先人曰く、天の雲と地の泥とでは距離に大きな隔たりがある。転じて、天から地までの距離のような
余りにも大きな違いを表すのだと。
理屈は分からなくもない。地面に置かれた泥がどんな道理を経たとて雲に届くはずがない。
そして、まさに正反対な性分をしている俺達のような人間を、雲泥の差がある、と言うのだろう────
「1……2000円か……ったく、自分はこんな額しか持ってねぇってのに、人様から集ろうとすんじゃねぇよこのチンピラがぁ!」
言って金髪の青年、湊 蓮士は八つ当たりとばかりに財布を地面に投げ付ける。
この財布は彼の物ではなく、先程彼から金銭を集ろうとした不良の物。
時刻は午後八時を少し過ぎた頃、この辺りは夜になるとすっかり人気が無くなってしまう故、不良にとっては絶好の狩場だろう。
「って……俺も人のこと言える立場じゃねぇか……」
頭を冷やすべくふう、と息を吐いてぐう、と伸びをする。
先程はこのチンピラが、と財布に当たってはいたが、かく言う蓮士もそれに似た者。
中学を卒業する少し前にはその片鱗が見え始め、高校一年生の頃の出席日数は学期が過ぎるに連れて減って行き、高校二年生となった今では一学期の三分の二程度しか行っていない。
所謂「不良」である。
「……あーあ……どうするのが正解なんだかなぁ……」
当然、蓮士は頭では理解し切っている。それが誇れることでは無いということも、それが正しいことでは無いと言うことも。
……このまま、こうしていてはいけないということも。
「……それは分かるんだが……」
……どうすればいいのかが分からない。
どうしていればいいのか、何をすればいいのか、どうやっていくのが正解なのか────
そんな事をいつもいつも考えては、焦燥感とイライラだけが頭にこびり付いてぐちゃぐちゃとして来て、最終的には何をするでもなく今のようにふらふらと外へ出てきてしまう。
「なんか……またぐちゃぐちゃして来た気がする……」
そうしてどうとも言えぬ感覚に苛立ちを覚えていると
「レン、何してんだ?」
と、馴染みのある声が聞こえる。
「……真琴」
声の主は秋月真琴、蓮士との付き合いはかなり古く、覚えている一番昔の記憶は三歳頃。幼馴染にして親友、とでも言うべきだろうか。
幼小中高と共に歩んで来た二人だが、紆余曲折あって今に至る蓮士とは違い、真琴は成績は学年上位を常にキープし、武道の有段者でもあるという、文武両道の超がつく程の秀才。
何もかもが、蓮士の正反対にある青年だ。
「……何か用かよ」
「いや、丁度部活も終わったところだからな……帰り道でちらと見て、お前じゃないかと思って来た次第」
わざわざ来てくれなくたっていいのに。
「それよりもレン、お前」
「……なんだよ、改まって」
「ここの所、もうずっと夜中中ほっつき回ってるんだって?」
真琴は既にプルタブの開いている缶コーヒーを一口飲むとそう言った。
「……だから何だよ、お前には関係の無い話だろ」
「関係が無いとは冷たいな。十年以上連れ立ってきた仲で、家だって真隣なのにか」
少々苛立った蓮士がそう言い返すと、真琴はそう言って返す。正直、ぐうの音も出ない正論だ。
「京香さんにだって注意されてるんじゃないのか?やめるなとは言わないが……せめて日付が変わらないうちにすぐに帰ったらどうなんだ」
「確かに、母さんにも言われはしたけどさ……」
「なら余計にだろう!」
「でも俺にはこうする以外にねぇんだよ!」
単なる会話のはずが、いつの間にか言い合いになってしまっている。どうしてこうなるんだ、と言う自責の念が渦を巻き、こびり付いて離れないぐちゃぐちゃとした塊に絡み合う。余計に訳が分からなくなってくる。
「……だぁぁ!もう!」
「あっ、それ俺の……」
何処にも当たれなくなった蓮士は真琴の持っていた缶コーヒーを手に取り、一気に飲み下す。
「んっく……んっく……んんっ……ぷぁ!あぁ!!」
「おいレン、待……」
飲み干して最早空になった缶を握り締め、路地裏に向かって力いっぱいにぶん投げる。
勢い良く飛んで行った空き缶は地面に激突し、甲高い音が響────
────かなかった。
「「…………え?」」
不思議に感じて、思わず路地裏を覗き込んだ二人の声がぴったりそっくりと重なり合う。それもその筈、
路地裏の向こうは、ぼんやりとした、それでいて向こう側の見えないような光で包まれていたのである。
「…………なんだ、あれ……?」
今まで見た事のない異質な光を目にし、困惑と好奇心が入り交じる。
「レ、レン、お前が投げた缶なんだからお前が行けよ」
「何でだよ!?お前の缶なんだからお前が行けよ!」
「いや、その理屈はおかしい」
「おかしくない」
「おかしい」
「おかしくない」
「なら俺も行くからレンも行けよ」
「ああ分かった、それなら文句ねえわ」
よく分からない決定で合意した二人。
肩を組み、互いの背中に手をやって押し合うようにしながら歩いて光に近付く。
傍から見ればおかしいと思われて致し方ない。
「……なんか、近付くにつれて眩しくなってねぇか……?」
と腕で軽く目を隠しながら蓮士。
「大丈夫、もうすぐ辿り着くはず……」
蓮士の思った通り、光の眼前に着く頃にはとてつもない眩しさと大きさで、前はこの光以外見られない。
「着いた……けど、何だこれ?なんか電飾の類じゃないよな、絶対」
「電灯でもこれだけの眩しさというのは……」
依然として二人は腕で目を覆っている。直視でもすればどうなるかわかったものでは無い。
何か手がかりになるものは無いかと二人が辺りを見回していると、それは突然やってきた。
「うわっ!?な、なんだっ、これ……!」
「っ、光が……っ!」
二人の体は光に包まれるようにして、何処かに消えた。
元通りになった路地裏には、空き缶の一つも転がってはいなかった。
「…………………………」
やけに身体が重たいな……ゆうべ、下手に喧嘩でもしたっけか……
「んんっ…………くう……」
ゆっくりと身を起こして立ち上がる。さて、今日はどう過ごそうかな────
「────え?」
目を見開き、辺りを見回す。明らかにここは俺の部屋じゃない。
「…………何処だ、此処……?」
俺が立っているのは木漏れ日の差す青々とした木々の中、市街の喧騒が僅かばかり聞こえる場所。
「うちの近所に、こんな場所あったか……?」
「やっと起きたかレン」
思い起こそうとした時、真琴の声が掛かる。
「真琴……お前、起こしてくれてもいいだろ」
「ああ……ごめん、あまりの事態に少し取り乱しててさ……そんな姿を見せる訳にも、と思って」
「お、おう…………そっか……」
驚いた。真琴でも取り乱すことがあるのか。
「真琴、ここって…………」
「レンは気付いて居ないかもしれないが、まず言っておくべきことは」
「……『ここは日本じゃない』ってか?」
「……それは把握出来たのか」
「え、合ってんの?」
「はぁ……レン、ちょっと来てみろ」
「……?あ、うん……」
手招きされるがまま真琴に着いていき、市街を覗くと────
「おおぉ…………なんじゃあこりゃあ…………」
「まあなんだ……明らかに、元いた日本じゃないってことは分かるだろう」
おとぎ話の挿絵やRPGの街のような市街。道行く人々の装いも、街の建物の素材も、何もかもが違う。ファンタジー・チックな色に染まった風景に、思わず息を飲む。
「恐らくは現代ですらない異なった世界だろう」
「どーすんだこれ……帰れんのか?」
「そう思ってレンが気を失っている間に色々と見ていたんだが……残念ながら帰れそうにはない。現状は」
「マジでか…………」
「何故なら俺達は何も知らないからだ、この世界のことについて、な」
真琴の言うことは正しい。
現に、俺達はこの世界に飛ばされて数刻。通貨単位も、国名も、公共の設備の事さえも。
しかし、一つだけ分かることはあった。
「……良く聞いてると……この世界の言語は分かる……」
「ようやっと気付いたか、これはそこそこのハンデになりそうじゃないか?」
「確かにこれはかなり良いな、色々と情報収集が出来そうで」
「しかしまだ動くべきではない。俺達はこの世界にとっては全くの異端、異邦人……格好も大分と違うし、ここは迂闊に動かずに慎重に情報を集めて行くべきだと思う、どうだレン…………あれ?」
ふと見ると、先程まで隣にいた蓮士の姿は何処にもなかった。