人格形成
自身の性格を形成するのは周りの環境であるとはいったい誰の言葉だったか。この言葉に嘘偽りなど微塵も感じないのは自分だけだろうか?周りの環境、思い描くのは主に家族、そして学生の頃の同級生。ここであえて友達と書かないことに関しては察して欲しい。ともかく人格形成というものはおそらく生き続ける限り更新されていくであろうが、根幹となる性格を形成するのはおそらく子供の頃の環境が全てだ。
自分は恵まれている。そう思い続けて何年過ぎただろう。どれだけ悲しい思いをしても、どれだけ辛い思いをしてもより下の人間がいる。自分よりも辛い経験をしている人間はこの世に数多く存在する。これは事実であり、相対的に見ると自分は恵まれていると評価されてもおかしくはない。そう思い込んで自分は兄からの暴力にひたすら耐えていた。助けを求めることもあまり無かった。正直昔の記憶はぼんやりとしか思い出せないのでこれが実際あった出来事なのかは怪しいところである。まあとりあえずあまり思い出したくない記憶なのは間違いないのだが。
自分は助けを求めるのが下手だった。表立って助けて欲しいと言葉に発したことは人生でおそらく一度もない。それもあいまってか誰も自分の事を助けてはくれなかった。ある種自業自得とも言えるかもしれないが、自分の事を助けてくれるようなそんな都合の良い人間などこの世に存在しないのだとそう思い込むには充分すぎた。結果今でも他人を頼ることは出来ない。
こういった幼少期を送った結果他人に頼らず、苦しみをひたすら耐えて耐えて耐え続ける。自分はそんな人間に成り下がった。今からでも性格を変えることは可能だろうが根幹部分がこういった人格で形成されたため中々変えられずに現在代わり映えのしない日常を送っている。甘えているだけだとも言われるかもしれないが、本人にとっては切実な問題なのだ。
長々と自分語りをしてきたが結局何が言いたいのかというと子供の環境は今後の人生を左右するレベルの人格を形成するということだ。親子関係というものに正解など存在せずかなり難しい問題ではあるのだが、大人は子供にとって良い環境を築き上げる努力をしてもらいたい。結果なんて伴わないかもしれないし、理不尽なことも多々起きるであろう。それでも今の自分の様になって欲しくない。そう思わずにはいられないのだ。