正解のない問題
自分は一体何のために勉強をしているのか。その考えが脳を支配し始めた十六の夏。ある日突然全く手につかなくなった宿題を横目にマンネリとした夏休みを過ごし、明けた頃には学校に行く意味など無いとそう思ってしまった。
無論、親は激怒する。突然言うとおりに動かなくなったロボットを無理やりにでも動かそうとするように罵詈雑言を浴びせかける。結果自分には学校にも家にも居場所が無くなってしまった。
このことに関して無理矢理にでも行かせようとする親と絶対に行きたくないと駄々をこねる子供、果たしてどちらが正しいのだろうか。あれから何年も経った今でも正解はわからない。
ある人は高校大学と順調に成長し、成熟した社会人になることが正しいと言う。これは昔から培われてきた良い人間のあるべき姿であろう。時が経つにつれて子供は大人となり社会人となるのだからそのプロセスをつつがなく進むことはとても大事なことである。
またある人は意味や楽しさを見いだせないまま進学や就職することはかえってマイナスであると言う。仕事に就くにしてもそこにやりがいや楽しみが無ければ結局すぐにやめてしまう。せっかく高校生でそのことについて考えるようになったのだからその子供にはやりたいことをさせるべきだ。この二人はいずれも子供に「善い大人」になってほしいという同じ目的がある。なのに何故こんなにも違いが生まれてくるのだろう。
結局何が正しいかなんてものに答えは存在しない。だとするならせめて今の自分が正しいと思うことをすべきなのだろう。それは働かないことであり、この小説を書くことである。他人が知ると馬鹿にされかねない結論を自分は出している。だが先程言った通り正解など端から存在しないのである。
自分に嫌悪や失望をしたりすることもある。そんなことをしていったい何の意味があるのか、職にも就かず何故マンネリとした日常を送っているのか。弱い自分はそこから脱却しようとする努力もしない。自分は間違い続けて今ここにいる。
これは揺れ幅の大きい感情を持つ気分屋な自分が書く一つの日記帳。生き続けている限り自分は正しいと思い、間違い続けるのだろう。それも一つの生き方だ。