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死想  作者: 針山
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いいかげん

 ――笑うことに疲れた。

 景色は見通しの良い視界。肌を撫でる風は妙によそよそしい。聞こえて来る音は耳に届く前に薄れていき、鼓膜に響く頃にはわずかな残滓しか辿り着けない。天気は晴れ、時刻は午後を回り夕方を考え始める。太陽は青空の匂いを消し始め、少しずつ日の変わりを意識し始める。

 そこは地表より数十メートル。見下ろす空間は、広大に見えながらも地平を望むまではいかない小さな世界。

 連なる家が見え、せせこましさを感じる空気が流れる。

 遠くへの視線から、近場の目線に。

 人間の視力で見えるのは小さな人々。ボールを蹴って声をあげている。ボールを打って声を出す。ボールを投げて声をかける。道を歩き、誰かと連れ添ってどこかへ行く人々。

 生活が見えた。

 一つの景色となって、写真にでも収めれば綺麗や素晴らしいとでも言われ、一先ずボードにでも貼り付けてそのうち忘れるような、そんな当たり前の景色。

 その中から、一人。

 枠の中に入らず、枠の外から見る少年がいた。

 風が彼の髪を撫でる。

 細める目には感慨といったものではなく、ただただ煮詰めたドロリとした感情を映していた。

 とある高校の屋上。

 学校だけではなく、大抵の屋上にある柵の外側に、少年はいた。

 疲れていた。年頃に似つかわしくない、などとは言わない。

 どんな年代だろうと、疲労する。

 それが肉体的ではなく、精神的なものだろうと。

 人の世というのは、必ず疲労を覚えるシステムで成り立っていた。

「……」

 無言のまま風に揺られる少年。

 ほんの一時間前まで、少年はクラスメイトと下らない雑談に花を咲かせていた。

 無意味な会話に、無駄な応酬。いつものバカな話の延長線。

 少年は人付き合いが苦手だった。

 別に一人ぼっちというわけではない。

 クラスに行けば挨拶する間柄や、休み時間に話す相手はいる。

 慣れないノリに乗っかって、相手を尊重する言葉を選ぶこともできる。

 けれど。

 少年はそれでも人付き合いが苦手だった。

 初めての相手ならば話させていればいい。適当に相槌を打って、持ち上げるようなことを言って時間を流してしまえばいい。それだけでこいつは話し相手として気持ちがいい奴、という評価を貰うことはできる。

 友人さえいなく、机で寝て過ごすだけの人間がいる中、少年は比較的、学校というシステムに順応しているように振る舞うことはできていた。

 だが、無理をしているのは事実。

 無理矢理に慣れているだけ。

 一人が嫌いなわけではないが、一人になりたいわけでもない。

 だから机で寝たふりという真似もできず、好きでもない話題に興味があるふりをして溶け込む真似事をする。

 そうして獲得した話し相手は、けれど時が経つほどに近づけないことに気づかされる。

 所詮合わせているだけなのは、誰だって気が付く。

 ならば、本当に気の合う者がつるむのは仕方のないことだった。

 少年だって本当に気が合う相手が見つかれば、そちらに割く時間を偏らせる。

 誰が悪い、という話じゃない。

 だが、誰も悪くないというのは、もっとも悪いことの一つなのかもしれない。

 クラスで話せる人間はいる。

 休みの日に会うような相手はいない。

 ほんの十分程度の、わずかな会話なら問題ない。

 初対面の相手に合わせるのと同じ、浅い会話で終わらせられるから。

 だから、少年はそれ以上に深く付き合える友人関係を構築できなかった。

 やり方がわからなかった。

 一人が嫌だけど一人ぼっちになれるような勇気さえなく、適当に見下した人間関係に掬われた。

 だから、そう。

 今日の話。

 一時間前の、つい先ほどの話。

 いつも通りクラスでのバカ話で、適当に相槌を打って意志表示をしなかった少年に対して、はっきりとモノを言えるクラスメイトの言葉が、少年の心に突き刺さった。


 ―― お前って、いつも適当だよなぁ ――

 

 責めるような台詞ではなく、非難するような声色ではなく。

 単純に少年が自己主張をしないことに対して、そんな風に表現した言葉。

 友人同士ならうるせぇなどとそこから笑いに発展させたり、言い返して会話として成り立たせることもできた。

 けれど、少年にはできなかった。

 本当のことだから。

 見透かされたような気持ちを抱えていたから。

 愛想笑いで誤魔化して、回答から逃走した。

 別段少年を吊るし上げるような場ではなかったから、その時はそのまま違う話題に移っていったが、少年の思考は螺旋階段のように繰り返す。同じ思考を、同じ回路を。

 どうすれば良かったのかわからない。

 どうすればいいのかわからない。

 一人になりたいわけじゃないのに、誰かと一緒にいるのが苦痛だった。

 人と接しながら生きていくのが、苦痛で仕方なかった。

 寂しいのに、その寂しささえ鬱陶しい。

 そう、だから、何となく。

 いつも通りの適当に、流されるまま屋上まで来ていた。

 別に死ぬつもりなどない。

 別に生きたくないわけじゃない。

 ただ、明日からもクラスで愛想笑いを浮かべ、上辺だけの会話をしても、少年が適当に相手しているとみんなに知られているんじゃないかと不安になった。

 不安というより、羞恥心。

 恥ずかしさを覚えていた。

 妙なプライドが心を占めていく。

 自分からやったことなのに、打ち消せない。

 家に帰って親に偉そうな態度を取ることさえ、恥ずかしさを覚えてしまいつつある。

 昨日まではなかったのに、親に対してクラスメイトには言えないぶっきらぼうな言葉や態度を、気恥ずかしいといったものではなく、バカにされているような恥ずかしさ。

 自分で自分をバカにする、バカにされているという思い込み。

 だが、だが。

 誰も理解できやしない。

 少年の感情なんて。

 本当に周囲は別にそんなこと気にも留めていなかったとしても、それはそれで自分という存在が無視されているようで、軽視しされているようで嫌だった。

 プライドだった。

 よくわからない、自尊心。

 だから、少年は自殺する気なんてなかったけれども、生きたいと思えるほど強い感情もないからどちらでも良かった。

 屋上に来た理由なんて、その程度のものだった。

 咎められれば柵の内側に戻ろうと思っていた。

 なのに。

 誰も少年を咎めない。

 適当に浅い関係しか構築してこなかった少年を探すような、連絡してくるような、心に割く時間を使うような相手は、いなかった。

 だから、なんとなく。

 まだ屋上にいる。

 柵の外側にいる。

 寒くなったら戻ろう。

 そんな風に考える。

 薄っぺらい気持ちで。

 下を見た。

 近いが遠い、校門を。

 派手な髪が見えた。恐らくだが、クラスメイトのギャルらしき女子が、帰宅するのが見えた。

 と、目が合う。

 本当に合ったかはわからないが、お互い顔を確認できる距離ではなく、なんとなく人がいるという距離の長さの中、視線が交差する。視線というより、視界の交換。

 少年はしまったと思った。

 今更、騒がれるのが恥ずかしいなんて感情が沸き上がり、教師に怒られる恐怖を覚える。

 無駄なことだったが。

 校門に見える女子は、確実にこちらを見ていたしどこにいるか解っているはずなのに、帰った。

 遠くだからわからない。

 顔だって見えない。

 だが、はっきりとわかった。

 女子が、呆れたように、嫌そうな雰囲気を出して歩き出すのを。

 騒ぐどころか、気にも止めない。

 錯覚だろう。

 学校の屋上から校門の女子の様子なんて、わかるわけがない。

 だが、少年にとって、問題はそこじゃなかった。

 いらないのだ。

 自分は別に、ここから落ちてしまっても、ああ嫌なものを見たな程度の、死なないでほしいなんて思われるような、自殺しそうだから止めなくてはと思われるような、人間じゃなかった。

 死んでも惜しまれない悪党なんてものでもないけれど、

 死んでほしくない清廉潔白な良い人でもないのだと。

 苦しい胸に、クラスメイトの言葉と共に、突き刺さった。

 適当、適当だった。

 生きるのに適当だった。

 それが悪いことなのか。

 精一杯生きなきゃいけないほど、人生は幸福に満ちているのか。

 だから、試した。

 少年は、いつも通りの適当さで、流されるままに。

 自分は死んだ方がいい人間なのか、いや、死んでも別にいい存在なのか。

 一歩、踏み出すことで。

 確かめた。

 ――くるりと回転する景色

 

   ――ヒュンと飛ぶ耳の風


     ――ゴゥッという圧迫感と威圧感


 そして


 ゴツリと痛みを伴う衝撃音を残し、少年は適当な人生を止めた。



「変な奴いるわー」

 やっと授業が終わり、どこかショップにでも遊びに行こうかと考えていた女子高生は、なんとなしに振り返った先の屋上に誰かがいるのを見た。

 視力が良い方ではないし、普通くらいといって差し支えがない眼球を持っている女子は、先日自分が乗った電車での人身事故を思い出し、飛び降り自殺でもするのかと考える。

 考えて、うざいなぁと思った。

「なんで学校で飛び降りるんだよ。目立ちたいのかよ」

 眉を潜め、死んでもいいが自分の教室辺りに落ちないといいなと……それだけ考える。

「あ、でも飛び降りあったら学校休みになるんかな?」

 そうすれば行きたかったところにも行けるなんて思いながら、すでに意識は屋上を忘れ、遊びに行くのに誰か呼ぼうかなどと考えていた。

 歩みが緩むこともなく、滞ることもない。

 SNSでなんか面白いものでもないかと眺めながら、歩きスマホで進んでいく。

 しばらくすると、少し騒がしい声が聞こえてきた。学校の方から、ざわめきが流れて来る。

 音がしたから顔を向けた、それだけの動作理由で、女子は学校の方を見る。歩みはもちろん、止まらずに。

 先ほどまで見えていた、誰かは解らないが屋上の人影が見えない。

「あー? マジで飛び降りしたん? バッカでー」

 興味なさげに、またスマホの画面に視界が戻る。

 そのまま歩き、とりあえず先に帰ったであろう友人に電話をかけながら、女子の生活は何も変わらず進んでいった。


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