無表情なあいつと初詣
登場人物の名前は晴香と雨音です
「ほら晴香。もう起きな。初詣行こう」
あいつの声がする。いつもと同じで昔とは違う何の感情も込められていない声。
私はあいつの『今』の声が嫌いだった。
「起きるわよ。勝手に入ってこないで」
私はベッドから起き上がって、あいつの顔を見た。これもまたいつもと同じ無表情。
「僕はおばさんのところに居るよ。おせち料理、晴香好きだろう?」
あいつは私のパジャマ姿を見ても何も言わない。多分下着姿を見ても、おそらく裸を見ても、何も感じないだろう。
それが腹立たしくて、苛々する。
「行くからさっさと出て行って。元旦からあんたの無表情なんて見たくない」
怒らせることを言うのだけど、あいつは無表情のまま「ごめん」と言ってそのまま出て行く。
本当は怒らせたかったのに。
私は着替えてリビングへと向かった。お母さんはおせち料理を準備していて、あいつも手伝っている。
「晴香。おはよう。お父さんにも挨拶しなさい」
私は素直に従って、仏壇に手を合わせた。
「お父さん、おはよう。また年が明けたよ」
お父さんが亡くなって、今年で五年になる。子どもだった私もすっかり大きくなって、高校生だ。
そう。五年。あいつと一緒に暮らすようになって、五年が経つ。
「晴香。私は初詣に行かれないから、雨音くんと一緒に行っておいで」
雨音とはあいつの名前だ。男のクセに女々しい名前だと思う。
「なんであいつと一緒に行かなくちゃいけないのよ」
あいつは無表情にテレビを見ていた。お笑い芸人の漫才を見ているのにくすりとも笑わない。
いや、笑えないのだ。
「そんなこと言わないの。いいから一緒に行きなさい。雨音くんも良いわね?」
あいつはこくりと頷き、出かける準備をした。
私は溜息を吐いた。
あいつと一緒に神社へと向かう。大きな神社は混むので、ちょっと遠くになるけど、小さな神社へと向かう。
あいつも私も黙って歩いていた。私はこの沈黙がとても嫌だった。
何故なら、お父さんが死んだときのことを思い出すからだ。
「晴香! お父さんが、亡くなったって……」
夜八時。私が寝ていたときに起こされて、お母さんは泣いてて、それから大変だったことは覚えている。
亡くなった原因は交通事故。酔っ払い運転をしていた大型トラックに突っ込まれて死んでしまった。
そのとき同乗していたのが、あいつの両親とあいつ自身。
お父さんは即死だったけど、あいつの両親はまだ息があったようで、あいつは自分の両親が死んでいくのを間近に見ていたらしい。
そのショックであいつは一切の感情を失った。何も感じなくなったんだ。
あいつとは幼馴染だった。あいつの父親と私の父は親友同士で、よく遊びに行っていた。
その日、あいつの両親は知り合いの結婚式に行っていて、二人ともお酒を呑んでしまい、父に迎えに来てもらっていたんだ。
だから原因は、あいつの両親にある。
私は当初あいつの家族のせいだと怒りを覚えた。
そしてあいつがどうなったのかを知った。
怒りよりも同情してしまった。あいつも家族を失ったんだと思った。
次に悲しみを覚えた。感情を無くすことはとてつもなくツラいからだ。
そして――再び怒りを覚えた。
あいつは事故のショックで感情が無くなっている。それが許せなかった。
私と一緒に怒ってほしかった。
私と一緒に悲しんでほしかった。
私と一緒に乗り越えてほしかった。
これはわがままかもしれないけど、あいつに元の明るかった性格に戻ってほしい。
今までの性格に戻ってくれないと苦しくて悲しくて仕方がない。
私たちは神社に着いた。ここでお参りをするのだ。
並んで二礼二拍一礼をして願い事を想う。
無表情に祈るあいつの横顔を見て。
私は毎年同じお願いをする。
あいつの感情が元に戻りますように、と。
帰るときにあいつは「何をお願いしたの?」と感情を込めずに訊いてきた。
私は決まってこう答える。
「お小遣いが増えますようによ」
逆に私はあいつに訊ねた。
「あんたは何を願ったの?」
あいつは決まりきってこう答える。
「幸せになりますように、かな」
私はいつもの答えに苛立って、あいつを手を引っ張って、神社の裏手、誰も居ないところに連れていく。
無感情に従うあいつの顔に自分の顔を近づけて――キスをした。
それは、初めての口づけだった。
あいつの感情が取り戻せるように。
あいつの関心が私に向けられるように。
自分の想いをあいつに届かせた。
そっと寄せた唇を離して、あいつに訊ねた。
「幸せになれた?」
あいつは無表情のまま、何も答えなかった。
私はそんなあいつに「ばーか」と言ってそのまま一人で帰った。
顔の火照りを気づかれないように。
にやける顔を無理矢理引き締めて。
元旦の空は、雲一つない、快晴だった。