第19話 戦場に倫理を求めるのは逆に狂気なのかもしれない
シャルロットを標的に定めようとしている投石機は、確かトレビュシェットという代物だったはずだ。
栄治は現世のうろ覚えな知識を掘り起こす。
トレビュシェットは大型の固定式投石機で、本来は城壁の破壊などに用いる攻城兵器だ。
火砲が台頭するまで使われていたその投石機は、100キロを超す石を数百メートル飛ばすことが出来たという。
しかし、精度はそこまで高くは無く。城壁などの大きな建造物に対しては効果的だが、移動している人間を標的にするのはほぼ不可能と言える。
更に、今の様な敵味方入り乱れている乱戦状態で、敵のみを攻撃するのは、もはや神の力を持ってしても不可能だろう。
そんな中で、シャルロットの方にその投石機を旋回しているという事は、つまり彼女1人を葬る為に敵味方関係なく無差別に攻撃をするという事だ。
「なんて非道な指揮を!」
栄治は人道に外れた指揮を取る敵指揮官に憤りを感じ、大きく悪態をつきながら、自身の軍団を投石機へと向かわせる。
トレビュシェットは固定式の投石機の為、そう容易く方向転換できる様な代物ではない。
大型のため重量もかなりのもので、大の男数人掛かりで押して、やっとゆっくりと方向が変わっている状況である。
なので投石機がシャルロットに攻撃を開始するのには、もう暫く時間がかかりそうだ。
しかし、栄治軍と投石機の間にも、大量の敵兵が待ち構えている為、栄治達が投石部隊の攻撃を阻止するのも時間がかかりそうだ。
「くッ! 騎馬隊の突撃が出来れば……」
奥歯を噛み締め、低く唸る栄治。
騎馬隊であれば、その突進力を活かして瞬く間に敵投石部隊まで到達することが出来るだろう。
しかし、現状の様な乱戦状態では騎馬隊の能力を十分に発揮する事は難しい。
騎馬隊の突撃の威力を最大限に発揮するには、それなりの助走と、突撃陣形を組むためのスペースが必要になってくる。
それらの条件をこの乱戦で確保するのはかなり難しい。
苦虫を潰した様な表情をする栄治に、隣のミリアが作戦を提案する。
「エイジ様、あの投石機を燃やしてしまいましょう」
「燃やすっていったいどうやって……っ! 火矢か!」
栄治はミリアの提案に一瞬困惑した表情を浮かべたが、すぐに彼女の意図を汲み取り叫ぶ。
栄治の言葉に、ミリアは妖艶に笑みを浮かべ小さく頷く。
「長弓隊前へ!! あのトレビュシェットに火矢を放て!」
栄治はすぐさま攻撃の指示を出す。
ドワーフ戦斧兵と競い合う様に、最前線で絶賛活躍中のエルフ弓兵は例外だが、普通の弓兵は接近戦に弱く、乱戦ともなるとその力を全く活かすことが出来ずに殲滅させられてしまう。
その為、長弓兵達を戦線から遠ざける為に後方に下げていたのだが、栄治の指示によって前線へと上がってきて、一斉に矢を番える。
「槍兵隊と剣士隊は前線に加勢しろ! 戦線を押し上げて長弓兵隊のスペースを確保するんだ!」
敵軍が栄治軍の動きを察した様で、攻勢を強めてくる。
最初に比べて、ドワーフ戦斧兵とエルフ弓兵の勢いが衰えたのを感じた栄治は、すぐさま増援を最前線に投入する。
「重装歩兵とコボルド重歩兵は長弓兵隊の援護に回れ! 何があっても敵を寄せ付けるな!」
栄治が指示を出して隊列を動かしている間に、長弓兵は鏃に火をつけ、天に向け弓を引き絞る。
「放てぇッ!!」
栄治の号令で、数十本の火矢が一斉に放たれる。
火矢は大きな弧を描きながら敵陣の頭上を飛翔し、投石機へと向かっていく。
しかし、投石器に命中した火矢は数本のみで、その多くが標的とは違ったところに突き刺さる。
「くそ、距離がありすぎるか……」
ギリッと奥歯を噛み締め唸る栄治。
かつて、中世のグレートブリテン島、現在でいうところのイギリスで活躍した長弓兵。
その射程距離は最大でおよそ300メートルと言われているが、有効射程は150メートル程度だったと言われている。
しかし、中には500メートル以上射程があると言う意見もあったりする。
どうやら弓矢というものは、扱う者の熟練度で射程距離が随分と変わる様である。
栄治が率いる長弓兵達の熟練度はというと、はっきりとはわからないが、そこまで場数を踏んできてはいないので、熟達しているとは言い難いだろう。
「あと150メートル、いえ100メートル縮めたらもっと命中率も上がりそうですわね」
ミリアが先程の弓矢の軌道を視線でなぞりながら言う。
「敵も投石機を守ろうと必死だ。100メートルという距離がこんなにも遠いと実感する日が来るとは夢にも思わなかったよ」
通常時なら20秒あれば余裕で移動できる距離が、今はこんなにも難しい。
栄治軍から放たれた火矢を見て、更に周りの敵が栄治軍へと押しかけてくる。
ミリアの目測では、投石部隊との距離はおおよそ200から250メートル。
何とかしてあと100メートル戦線を押し上げることが出来れば、投石機を長弓兵の有効射程に捉えることが出来る。
しかし、そうしている間に、旋回を終えた投石機から巨石がシャルロットに向けて勢いよく放たれる。
シャルロットを狙っている投石機の数は5台。
その全てから、軽く100キロを超えていそうな岩石が彼女の部隊に向かって飛来していく。
「くそっ! 間に合わなかった!」
どうか狙いが外れてくれ、と心の中で祈りながら栄治は巨石の着地点を見届ける。
彼の祈りが通じたかどうかは分からないが、5つの巨石はどれもがシャルロットの部隊から外れ、周りのホルヘス軍の兵士達を押し潰した。
「あれでは逆にシャル様の援護をしている様なものですわね」
投石攻撃を見たミリアが嘲笑と共に言う。
対する栄治は、怒りを表情に浮かべる。
「あんなに大勢の味方がいるのに躊躇なく攻撃するなんてまともじゃ無い!!」
彼が怒りに満ちた視線を向ける投石機は、既に2射目の準備に取り掛かっている。
「次の攻撃はなんとしてでも阻止してやる!」
強い口調で言う栄治は、キッと目の前の戦線に目を向ける。
敵が同士討ちをしてくれて、栄治軍側からしてみれば良い事である。
しかし、戦争とは無縁のまともな倫理観を持つ日本で生まれ育った栄治には、目の前で行われている非道とも言える敵軍の行為が、どうしても許すことができない。
「鎖帷子騎兵隊! 俺に続け! 前線に突っ込むぞ!!」
乱戦の中では力を発揮できないとして、戦線から外していた鎖帷子騎兵を栄治は自身のすぐそばに呼び寄せると自らも騎馬を駆り、目の前の敵陣へと突撃する。
「まぁ! とても勇敢で素敵ですわよエイジ様」
そんなことを言いながら、ミリアも彼の隣にピッタリと着いて来てくれる。
これまでのことから、ミリアの戦闘能力の高さは知っている栄治としては、そんな彼女が隣でフォローしてくれているというのはかなり有り難かった。
「戦線を押し上げろッ!! 何がなんでも2射目を阻止するぞ!」
馬上で吠え、引き連れた鎖帷子騎兵と共に、栄治も敵陣に切り込む。
騎兵の最大の強みは、その質量と速度を活かした突撃にある。だが、白兵戦においても馬上という高さの有利があるので、普通の歩兵よりも強力な兵種である。
そして何より、指揮官自らが最前線に立つという事が、栄治軍の士気を底上げした。
「勢いを盛り返しましたね」
ミリアが戦況を見極めながら言う。
敵軍の猛反発にあい、勢いをとどめていたドワーフ戦斧兵とエルフ弓兵は、槍兵隊と剣士隊そして栄治率いる騎兵隊の援護を受け、再び勢いを取り戻し獅子奮迅の働きを見せる。
「よし! 距離を詰めれた! 長弓兵隊射撃準備!!」
投石部隊を有効射程に収めた長弓兵隊に栄治が指示を飛ばす。
命令を受けた長弓兵隊は、素早く火矢を番え弓を引き絞り、投石機に向け矢を放つ。
先ほどと同じ様に、敵軍頭上に弧を描いて飛ぶ火矢は、今度はその殆どが目標に命中する。
木製の投石器に幾本の火矢が突き刺さる。
しかし、大型の投石機は使用している木材も太く大きい為、すぐに引火して燃え上がるわけではない。
「休まずに射続けろ!」
1秒でも早く投石器に引火させる為、栄治は長弓兵隊に檄を飛ばす。
そんな彼の元に、兵士の1人が慌てた様子で報告してくる。
「軍団長! 敵騎兵隊が右舷より接近中! 長弓兵隊を標的にしています!」
「エイジ様、いま騎兵の突撃をまともに喰らってしまっては、長弓兵だけではなく全軍崩壊してしまいますわ」
「分かってる! ミリアさん、少しだけここの指揮をお願いできますか?」
「いいですけど、何か策はお有りですの?」
首を傾げ尋ねるミリアに、栄治は緊張感で若干引き攣っている笑みを浮かべる。
「ふふ、何とかしてしてみせますよ」
彼なりに渾身の不敵な笑みを浮べ、前線の指揮をミリアに託し栄治自身は敵騎兵が迫ってきている右翼へと移動する。
栄治軍の現状は、ほぼフル稼働に近い状態になっている。
ドワーフ戦斧兵とエルフ弓兵、槍兵や剣士兵、そして鎖帷子騎兵は最前線に投入していて動かすことができない。
コボルド重歩兵と重装歩兵が長弓兵の護衛に付いてはいるが、相手が騎兵隊となるとかなり分が悪い。
魔術士で騎兵の突撃を阻止しようにも、一発魔法を放ったら、次を放つまでの間に突っ込まれてしまう。
軽騎兵をぶつけても、当たり負けしてしまうだろう。
「ここは俺の知識を信じるしかないな」
栄治はそう呟きながら、今まで軍団に雇用してから一度も戦線に立たせていなかった部隊に指示を飛ばす。
「パイク兵隊、右翼に展開! 槍衾隊形!」
彼の指示で、訳6メートルほどの柄の先端に細長い木の葉状の刃をつけた大型の槍を持った兵達が動き出す。
パイク兵とはその名の通り、パイクと呼ばれる槍を持った兵達の事である。
そのパイクを持った兵達は密集陣形を作って槍を突き出し、騎兵に対しては槍衾で対抗し、歩兵に対しては『プッシュ・オブ・パイク』と呼ばれる戦法で戦う。
その効果は絶大で、条件さえ揃えば騎兵隊にも匹敵するほどに強力な兵種となり得る。
しかし、パイク兵には欠点も多くある。
まず移動速度がとても遅い。
パイク兵は基本的に密集陣形で運用する為、陣形を崩さないよう移動するのに、どうしても速度が落ちてしまう。また、パイクも大型の為それなりの重量がある。
次に運用できる戦場が開けた平地に限る。
パイク兵が真価を発揮するには、密集方陣か横陣を組む必要がある。
その陣を組めて尚且つ足元がしっかりしていなければ、有効に運用することが難しい。
最後に、パイク兵は側面や背後が弱点になっており、また密集陣形を崩されると、たちどころに脆くなってしまう。
この様に多くの弱点や制限を持っているパイク兵。しかし、これらの欠点を理解し条件が整った戦場に投入すれば、騎兵隊にも対抗出来るほどの無類の強さを発揮する。
「はずなんだよな……」
誰にも聞こえないくらいの小さな声で呟く栄治。
パイク兵の説明文と、現世での頼りない知識を元に彼は、攻め寄せてくる敵騎兵隊を迎撃する為にパイク兵を指揮する。
栄治の脳裏では、この世界に来て初めて戦ったゴブリン戦がチラチラと浮かぶ。
あの時は、良く知らずにファランクス隊形を使用して危険な目にあった。
あの時の二の舞にはなりたく無い。
栄治は額にジワリと垂れる汗を手で拭い、土埃を上げながら迫ってくる敵騎兵隊を睨む。
彼の知識の中にあるパイク兵なら、あの騎兵隊に勝てるはずだ。
条件もしっかりと整っている。
「問題ない……槍を構えろ!」
自身に言い聞かせ、栄治はパイク兵に指示を出す。
パイク兵達は、6メートルもある長槍を前方に突き出し、最前列はパイクの石突を地面に刺して騎兵隊の突撃による衝撃に備える。
目前にまで迫り、ドドドドッという地鳴りが響く中、栄治は逃げ出したい気持ちを必死に抑え込み、恐怖を追い返す様に馬上で吠える。
「衝撃に備えッ!! 騎兵を押し止めろ!!」
彼の叫びと同時に、ホルヘス騎兵隊が槍衾を組むパイク兵に突っ込んだ。




