第17話 忠誠を捧げる先
南城門からエンバラに入った栄治は、そのまま城門から続く大通りを進んでいく。
「クレシオンやラベリテ王国の王都と比べると、ちょっと規模は小さいのかな」
馬の背に乗りながら、エンバラの街並みを観察する栄治。
敵軍に完全包囲されている状況なので、普段は賑わいを見せているであろう大通りも、今は閑散としている。
まばらに市民の姿があったとしても、彼らは自分の家の入り口を封鎖するため、木の板に一心不乱に釘を打ちつけている。
敵が都市内に侵入してきた時の防衛策なのだろう。
よく見ていると建物のほとんどの窓や扉には板が打ち付けられていた。
「都市の住民たちは避難しないのですか?」
栄治は前を歩いている兵士に尋ねてみる。
「ホルヘス軍がこちらに向かっていると情報が入った時点で、避難したい住民は街を出ました。今ここに残っているのは、何があったとしても家に留まると覚悟を決めた住民達だけです」
兵士の言葉に小さく頷く栄治。
異様に静まり返ったエンバラの大通り。そこに乾いた金槌の音だけが響く。
戦時中の濃密な緊張感が漂う空気の中で、栄治は若干の息苦しさを感じていた。
程なくして栄治は兵士の案内で、エンバラの西城門の櫓までやってきた。
櫓は城壁の上に築かれていて、エンバラを包囲しているホルヘス軍の本隊を一望することができた。
栄治はそのホルヘス軍を眼下に収め、絶句した。
「なッ! …………すげぇ大軍……」
エンバラの西城門の前には、大軍と呼んでも差し支えない規模の軍団が整然と陣形を組み、完全に包囲していた。
その布陣している軍団を見てしまうと、先程、栄治が南の城門前で戦った、約1000人規模の軍隊がとても小規模なものに思えてしまう。
言葉を失い、只々大国ホルヘス軍の布陣を眺めている栄治。そんな彼の背後から、1人の男性が声を掛ける。
「圧巻の光景ですよね。まさに絶体絶命の状況です」
言葉の内容とは裏腹に、まるで天気の話をするかの様な軽さに、栄治は背後を振り返る。
そこにいたのは、30代後半か40歳程度の鳶色の短髪の男性だった。
その男性は栄治に手を差し出しながら言う。
「貴方がシャルロット殿下に協力なさっているグンタマーのエイジ様ですね。私はエンバラ領主のラスコ・バロックスです」
朗らかな挨拶をしてくるラスコ。
敵に完全包囲され緊張感漂う空気と、ラスコの様子のギャップに栄治は若干戸惑いながらも、彼の手を握り返す。
「どうも。栄治 大紋です」
「エイジ様、お話はミリア殿から伺いました」
彼はそう言いながら、隣に佇むミリアの方に体を向ける。
栄治は、無事に城壁を越えた彼女の姿を確認して、笑みを浮かべる。
「彼女からシャルロット王女殿下が救援に来たと知らされた時、我らは心から喜びました」
ラスコは言葉に熱を込めながら語る。
「さらに殿下はエイジ様という素晴らしきグンタマーまで引き連れてきてくださった。我々はこの命果てるまで、剣を振るい敵に刃を突き立てます」
冷静そうな見た目に反して、なかなか情熱的な内容を口にするラスコ。
栄治は彼から、シャルロットに対しての絶対的な忠誠心をなんとなく雰囲気から感じ取った。
「あのラスコさん。敵はかなりの大群で、厳しい戦いになると思うのですが……」
「無論、戦いは熾烈を極めましょう。しかし、敵は一つ重大な過ちを犯しました」
「過ちですか?」
ラスコの言葉に栄治は首を捻る。
ホルヘス軍は完全にラベリテを包囲し、ここまでに圧倒的な戦況を作り出している。
そこに一体どんな過ちがあるのだろうか。
「ホルヘスの連中は、我々を1人も逃すまいと、北、西、南と3つある城門全てに軍団を配置しました。そうやって欲をかいた結果、九千人の軍勢は分散し、ここ西門に布陣した本隊は、その戦力を七千人にまで減らしました」
「それが敵の犯した過ちですか?」
栄治の言葉に、ラスコはゆっくりとそして大きく頷く。
「左様です。戦力を分散してくれたお陰で、南門ではエイジ様が勝利することもできました」
「あ、でも全滅させたわけじゃありません。きっと南門の残存兵は西門まで来て本隊と合流してる筈です。そうなったら本隊の戦力は増えてしまう……」
栄治は南門の戦いで勝利したあと、逃げる敵兵を追わなかったことを悔やんだ。
もしあの時に、しっかりと追撃戦をしていれば、本隊に合流する残存兵の数を減らせていたはずだ。
後悔するように視線を落とす栄治に、ラスコは明るい口調で話す。
「確かに本隊の戦力は増えるでしょうな。ですが、一度敗走した兵士には、恐怖が刻まれます。そして、恐怖というものは伝播するものです」
ラスコはニヤリと口角を上げる。彼の瞳には、爛々と闘志が宿ってる。
「シャルロット王女殿下と我々で挟撃すれば、敵は混乱し恐怖は一気に広がりましょう。そこに勝機を見出すのです」
「……なるほど」
素人の栄治は、少し考えてから頷く。彼の脳内ではバーベキューなどに使う炭がイメージされていた。
一度火をつけた炭は、次使う時に火が付きやすくなっている。
それと同じで、一度敗走した兵士は、他の兵士に比べて敗走しやすくなっている。そして、その兵士達が敗走することで、次々と周りの兵士たちも釣られて敗走する。
そんな感じだろうなと、栄治は漠然とイメージする。
もしそうなってくれれば、確かに勝利する事ができるだろう。
しかし、栄治はチラリと眼下の敵軍に目をやる。
そこにいるのは、びっしりと広がる敵の軍勢。
ラベリテの王都を出る時、シャルロットが率いる三千人の軍勢を見た時も、その規模に感心してしまった。
だが今目の前にいる軍勢はそれ以上の威圧感を発している。
これから、自分はこの軍勢に突っ込むのかと考えると、自然と震えが湧き上がってきてしまう。
「あの……ラスコさんは、この戦いの勝利を確信していますか?」
栄治は少しでも自分の恐怖を抑えようとして、たとえ嘘だとしても前向きな言葉を求めてラスコに問いかける。
しかし、その返答はなんとも現実的なものだった。
「戦場で確信を求めるのは危険です。確信は盲点を生み、盲点は油断につながり、油断は敗北の原因となります。ですから、戦場では常に疑問と不安と対峙し続けなければなりません」
実に的を射た言葉に、思わず栄治は頷いてしまう。
しかし、彼が欲しいのはそんな言葉ではない。求めているのは『我らの勝利は揺るがないでしょう』だとか『シャルロット殿下に敗北の二文字はありませぬ』的な感じの、心が奮い立つ言葉が欲しい。
そんな事を考えていると、栄治の思いがラスコに伝わったのか、彼は自信に満ちた表情で口を開く。
「ですが、シャルロット殿下が戦場に出るのであれば、我らはこの命果てるまで戦い、必ずや殿下を勝利に導きましょう」
一点の曇りなく、自己犠牲の言葉を発するラスコ。
ラベリテの救援へ向かう道中、栄治はシャルロットから貴族達はホルヘス皇国に取り入りやすくする為に、王族への協力を渋っていると聞いていた。
しかし、どうやらこのラスコ・バロックスという男は、忠誠心が厚い貴族のようだ。
「ラスコ殿の王家への忠誠心は素晴らしいですね」
栄治が彼の忠誠心を素直な気持ちで讃える。
それに対して、ラスコは複雑な表情を浮かべた。
「いえ、私の忠誠はラベリテ王家に対してではありません」
「……?」
発言に栄治は首を捻る。
ラスコは少し間を開け、遠くの空を見上げながら過去の思いに耽るように話し出す。
「私は、自分で言うのは何ですが剣の才能がありました。ですが生まれが男爵という低い身分であったため、私の才能は認められず、出世というものとは無縁に生きていました」
ラスコは視線を栄治へと移し、話を続ける。
「エイジ様がご存知か分かりませぬが、この国は身分差別が強いのです。それ故に、才能があっても身分が低ければ取り立てては貰えない。その事に私は不満を感じながらも、その気持ちを抑え、生きていこうとしていました。シャルロット殿下と出会うまでは」
ラスコは再び視線を空に向ける。
シャルロットとの出会いを思い出しているのか、彼の表情は力強いものとなっている。
「衝撃を受けました。当時、殿下はまだ子供であったにも関わらず、戦場で先頭を切って戦っていました。その戦いぶりは、殿下の出生に対する批判をものともしない、素晴らしきものでした」
栄治は『殿下の出生に対する批判』の言葉にピクッと反応するが、ラスコはそれに気が付かず話を続ける。
「そのお姿を見た瞬間、私は自分の才能が認められずに、燻っている自分が恥ずかしくなりました。それ以来、鍛錬を重ね剣の腕を磨き、何としてでも自分の才能を周りに認めさせ、エンパラの領主にまでなることが出来ました。今の私があるのは全て、シャルロット王女殿下のお陰なのです」
ラスコはにこっと笑いながら言う。
「ですので私の忠誠は、ラベリテ王家に対してではなくシャルロット殿下のみに対してです。逆に王家に対しては、今までの王女殿下の扱い方に怒りすら覚えています」
本当に怒っているのだろう。和かな表情を浮かべるラスコの瞳からは、一切の暖かさを感じられなかった。
今の話に対して、どう反応すれば良いのか、栄治が困惑していると、1人の兵士が彼らの元にやってきた。
「出陣の準備が整いました! 攻撃の合図の狼煙もいつでもあげられます!」
部下の報告にラスコが頷く。
「うむ。それではエイジ様。共に戦場へ参りましょうか!」
今までの穏やかな表情から一変し、一気に戦士の顔になったラスコが栄治に声をかける。
対する栄治は、彼の気迫に押されて無言で頷いた。




