第2話 深い霧を抜けた、その先で
暫く馬車に揺られていると、御者をしているアスベルから声がかかる。
「もうそろプロフォンの森さ入るだで、揺れが大きくなるんで、気付けて下さい」
アスベルがそう言ってからすぐに、馬車は大きく方向を変えて森の中へと入って行く。
「ウィルボーの森とは全然雰囲気が違うな」
街道を走行している時に比べ大分揺れが大きくなった馬車の荷台で、栄治は辺りを見回しプロフォンの森を観察する。
ゴブリン退治をしたウィルボーの森は木と木の間隔が広く、陽の光もたくさん降り注いで明るかった。対するプロフォンの森はかなり木が密集していて、その木も一本一本がとても大きく地上5、6メートルくらいのところから周りに枝を広げ、緑の葉が大量に生い茂っている。そのせいで、栄治が空を見上げても視界に入るのはほぼ木々の葉っぱで、その隙間から僅かに覗く空から陽の光が森に差し込んでいる。
全体的に鬱蒼としていて薄暗いプロフォンの森。アスベルの馬車はその中の獣道のような木々の隙間を縫うようにして進んでいく。
「これは普通の人は通らない道だな」
街道に比べかなり劣悪な整備状態の道を突き進みながら栄治は苦笑を漏らした。少しでも高く自分の商品を売ろうとするアスベルの商売に対する情熱には只々感心してしまう。
「エイジ様、しんばらくこの揺れが続くんだべ、舌噛まないように。着付けてくんださい」
アスベルが手綱を持ち、前方を向きながら栄治に注意を促す。
確かに先程から馬車は常に上下に跳ねるように揺れていて、下手に喋ったりしたら自分の舌を噛みそうだった。
プロフォンの森に入ってから2、3時間ほどが経過した頃。栄治は黙ったまま、鬱蒼とした森の様子を眺めていると、アスベルの困惑したような声が聞こえて来た。
「あんや? なんだべかな、霧さ出てきたべ」
アスベルの声が聞こえてきたのとほぼ同時に、栄治達が乗っている馬車は霧の中に入ってしまった。
「これは……何も見えないな」
突如として発生した霧に栄治は困惑の声を漏らす。
霧はかなりの濃さで、数メートル先の木でさえうっすらと影のように見える程度であった。
「アスベル。道は見えるかい?」
御者台の方へ移動して栄治が聞く。
「なんとか目を凝らせばギリギリ見えるだべ。んだけども、かなり速度落とさないといかんべかなこりゃ」
そう言いながら、アスベルは目を細め首を前に突き出して必死に道を見極めようとしている。馬車の速度も人が歩く速度よりも遅いくらいまで落としている。
この深い森の中で、今進んでいる道を見失えば遭難することは目に見えている。それだけに、アスベルは懸命に目を凝らしながら、慎重に馬車を進めた。
やがて霧が発生してから数分が過ぎた頃、馬車はなんとか霧の発生地帯から無事に抜け出すことができた。
「あいや、霧を抜けたべさ」
安堵の声を漏らし、額に浮かんでいた汗を掌で拭うアスベル。先程まで視界を遮っていた濃い霧は嘘のように晴れていた。
栄治が馬車の後ろに視線を向けると、まるでそこに見えない壁があるかのように、霧のある場所と無い場所の境界がはっきりとしていた。
「なぁアスベル、あの霧ちょっと変じゃないか?」
首を捻りながら言う栄治。
普通の霧なら急に晴れたりせず、徐々に晴れてくるはずだ。しかし、今栄治達が抜けた霧は境界線がわかるほどに、きっぱりと霧が晴れた。まるで見えない壁で霧を覆って一箇所に集めたかのように。
「んですな、ありゃ魔法で作った霧かも知れねぇです」
「魔法で霧を?」
「んだ。オラは何回かこの道を使った事があるだでさ。んでも、こんな霧に出会ったことは一度もねぇし、聞いたこともないだべさ。んだから。こりゃ魔法で作った霧だと思うんだべ」
「なるほど……じゃあ誰がなんのために霧なんかを?」
疑問を口にする栄治だが、さすがにアスベルもその答えを知る由もなく、ただ肩を掠める。
「まぁ、無事に霧を抜けれたことだし、そんなに気にしなくてもいいか」
「んですね。あともう少しで、この森も抜かれるだで」
楽観的な言葉を言う栄治にアスベルも賛同して、再び馬車の速度を上げて前に進もうとした。その時、アスベルが馬車の数メートル先に視線を向ける。
「んん? あれさなんだべかな?」
そう言って前方に視線を凝らすアスベル。
栄治も彼に釣られて前方に注意を向ける。すると馬車の先に何らや銀色の塊が横たわっていた。
「確かに何かあるな。なんだあれ?」
栄治も首を傾げながら、前方にある謎の銀色の塊を注視する。
アスベルは馬車の速度を落としたまま、ゆっくりと謎の物体に近づいていく。次第に距離が縮まっていき、その謎の銀色の塊が何か分かってきた。
「あれは……鎧? 甲冑か? なんでこんな所に……?」
道に横たわっていたのは甲冑だと分かった。しかしなぜこんな所に甲冑が横たわっているのか栄治とアスベルの2人が怪訝に思っていると、その甲冑が僅かに動いた。
それを見た瞬間に、2人は一瞬だけ顔を見合わせてから慌てて動き出す。
「大変だ! あれは人だよ! 騎士が倒れていたんだ!」
「んだべさ! えらいこっちゃ!」
栄治は急いで馬車から飛び降りると、甲冑を身に纏いながら倒れている人物へと駆け寄る。
「おいあんた! 大丈夫か!?」
倒れている騎士はうつ伏せの状態になっていた。間近で見ると、騎士の甲冑はあちこちに泥や血が付いている。かなり激しい戦闘をくぐり抜けていた事が想像できた。
栄治はうつ伏せに横たわっている騎士の下に腕を入れ、ゆっくりと反転させて仰向けの状態にする。と同時に、栄治は驚愕で目を見開く。
「なっ……!? 女の子か!?」
倒れていた騎士、それはなんと女性だったのだ。しかもまだかなり若く、現世であれば大学生か高校生くらいの年齢にしか見えなかった。
何故そんな子が、こんな深い森の中でボロボロになって倒れていたのか。あまりにも不可解な状況に栄治は眉間に皺を寄せて首を傾げる。
「エイジ様! その人は大丈夫だか!?」
近くまで荷馬車を寄せてきたアスベルが、御者台から降りてきた。そして、倒れていた騎士の顔を見て仰天する。
「あんれまッ! 女の子だべか!?」
アスベルの大きな声に反応したのか、女の子騎士が小さく呻き声を漏らす。
「う、うぅ……」
「お、おい! 大丈夫か!」
すかさず栄治が女の子騎士に声をかけるが、それに対しての反応はない。
「その子、怪我してるんだべか?」
アスベルが心配そうに言う。
確かに女の子が着ている甲冑のあちこちに血が付いている。しかしその血が彼女の血なのか、それとも戦いの最中に付いた敵のものなのかは栄治には判断できなかった。
「分からない。でもこのまま放って置くわけにもいかない。取り敢えず馬車の荷台に移動させよう」
そう言うと、栄治は女の子騎士の膝裏と背中に腕を入れると、ゆっくりとお姫様抱っこの要領で持ち上げる。そんな彼を見てアスベルが「1人で大丈夫だべか? オラも手伝いましょうか?」と言ってくる。
女の子騎士は、かなり重厚で立派な甲冑を纏っており、普通の人ならばそう易々と持ち上げられそうにない重さであったが、今の栄治は優奈のギフトのお陰で、普通の人の数倍身体能力が強化されている。なので、たとえ重厚な甲冑を着込んでいる女の子であっても、栄治は何も問題なく彼女を抱き抱える事ができた。
栄治は抱き抱えた女の子騎士をあまり揺らさないように慎重に馬車の荷台へと運んでいく。
女の子騎士がどんな怪我をしているか分からない。もしも骨などを折っていたら、下手に体を動かすと余計に状態を悪化させてしまう。
なので栄治は、できる限りゆっくりと慎重に女の子騎士を馬車の荷台に乗せると、自身が羽織っていたグンタマーのマントをクルクルと丸めて女の子騎士の頭の下に置き枕にした。
自分も馬車の荷台に乗り込むと、栄治はアスベルに言う。
「アスベル。あまり荷台が揺れると良くないから、できるだけゆっくりと馬車を出してくれるかい?」
「了解ですだエイジ様」
アスベルは栄治の言葉に頷くと、再び馬車の御者台に座り、ゆっくりと荷馬車を前進させる。
栄治はボロボロの状態の女の子騎士に視線を落とす。
彼女の顔には泥や乾いた血などが着いていて、はっきりと容姿が分かる状態ではないが、それでも綺麗な顔立ちをしていることが見てとれた。それに彼女の長い金糸の様な金髪は、今は汚れで少しボサボサになっているが、それでもしっかりと手入れがされている事が分かる。
「それにこんな立派な鎧を着てるってことは、高貴な貴族とかかな?」
栄治がそんな推測をしていると、不意に彼の耳に甲高い風切り音が聞こえてきた。そのすぐ後、ドスっという音と共に女の子騎士の枕元の数センチ程横に矢が刺さった。
「……え?」
突然の出来事に理解が追いつかない栄治は、間の抜けた声が思わず漏れてしまう。
ほぼ無意識に栄治は矢が飛んできた方に顔を向ける。するとそこには、1人の騎士が馬上から弓を構えていた。
「ッ!? アスベル馬車の速度を上げろッ!!」
咄嗟に栄治はアスベルに向かって叫ぶ様に指示を出す。
「のえっ!? どしたんだべさエイジ様?」
急な事にアスベルは素っ頓狂な返事をする。
そうしている間にも、馬上の騎士は矢筒から更に1本矢を抜き、それを弓に番え始める。
「敵襲だ!! このままじゃ矢に貫かれるぞ!!」
「て、敵襲だべかな!? わがったべ超特急で逃げるべさ!」
そういうとの同時に、アスベルは手綱をパシッと叩き馬車の速度を急速に上げる。
馬車の速度が上がった直後、再び矢が放たれたが馬車の速度が変わった事で敵の目測が狂い、放たれた矢は栄治達が乗る荷馬車の少し後ろの地面に突き刺さった。
馬上の騎士は荷馬車の速度が上がったのを見ると、手にしていた弓を背中に戻し、手綱を手に取って栄治達を追いかけてきた。さらに敵騎士は腰に下げていた角笛を片手で掴むとそれを思いっきり吹き鳴らした。
プォ〜ンと独特な高い角笛の音が、プロフォンの森一帯に響き渡る。すると背後にあった濃い霧の中から続々と騎兵が飛び出してきた。
「まずい増援を呼びやがった! アスベル! 全力で逃げるぞ!!」
「あいさッ!!」
アスベルは必死に手綱を握り馬車を駆ける。しかし、こちらは荷馬車で向こうは騎兵である。その速度の差は圧倒的で、見る見るうちに距離を縮めてきた。
「くそッ、そのままじゃ追い付かれる」
すぐそこまで迫ってきている敵騎兵を睨みつけながら栄治は焦りを募らせる。
先程、何の警告も無しに矢を射ってきた事から、あちら側には交渉をするつもりは一切ないという事だろう。そんな連中に捕まった時のことを想像して、栄治はブルっと体を震わせた。
何としてでも追い付かれる訳にはいかない。栄治は迫り来る騎兵達を見ながら、戦う覚悟を決める。
「レベルが上がって格段に強化された俺の軍団の実力を見せ付けてやる! 軍団展開ッ!!!!」
気合の入った声で叫ぶ栄治。
しかし、その気合をへし折るメッセージが栄治の目の前に流れる。
――充分なスペースがありません。軍団を展開できません。
「ふざけんなッ!!」
思わず栄治は叫んでしまった。
確かにこのプロフォンの森は、以前にゴブリン退治をしたウィルボーの森に比べて樹木の密度が高くなっているが、まさか軍団の展開が出来ないとは予想だにしていなかった栄治は、さらに焦りを募らせる。
「アスベル! 森はまだ抜けないのか!?」
「後もうちょっとだべさ!」
森を抜ければ軍団を展開して敵を追い払える。
段々を距離を詰めてくる敵騎兵を睨みながら、栄治はグッと奥歯を噛み締めた。




