第50話 人生の転機に前触れなど無い
「ひんやりと澄んだ早朝の空気、空を見上げれば綺麗な朝焼け。旅立ちにはぴったりの朝だね」
クレシオンの街の城門をくぐり抜けた後、一つ大きな伸びをしながら栄治が言う。
「早朝が気持ちいいのは、現世でもこの世界でも変わらないんですね」
隣の優奈も深呼吸した後に笑みを浮かべる。
ギムリから報酬を受け取った後、二人は旅に必要な物を買い集めた。
彼等が目指すのはエスピアン地方の西部、ウェイグ海である。二人が旅の買い物をしている時、ちょくちょく店員などに話を聞いて情報を集めた結果、サンパレス王国という国を目指す事になった。
「サンパレス王国は観光大国らしいからね。きっとビーチがあるはず」
栄治は早朝の空の下、ウキウキとした足取りで歩き出す。
その隣を歩く優奈もまた楽しげな表情を見せる。
「綺麗な景色とか美味しいものが沢山あるといいですね」
朗らかな笑みを浮かべながら言う優奈。
二人はまるで地方観光に行くような心持ちで真っ直ぐ西へと伸びた街道を歩き進める。
と、今まで歩きながら優奈と談笑していた栄治が、ふとその歩みを止めた。
急に立ち止まった栄治に対して、二、三歩歩みを進めたところで優奈が急に立ち止まった彼に気付き首を傾げる。
「栄治さん?」
なぜ急に立ち止まったのか、原因がわからない優奈は、栄治に呼びかけるも、彼はただ黙って前方を見つめる。その視線はどこか警戒するように鋭い。
「誰かこっちに来る……」
ポツリと呟く栄治の言葉に、優奈が彼の視線の先を追ってみると、そこには確かに一人の男性が立っていた。
早朝の街道のど真ん中にその男はいた。
身長が高いからなのだろうか、その男からは異様な威圧感が感じられる。
男はゆっくりと、だが確実に栄治と優奈に向かって距離を縮めていく。
「グンタマーだ……」
男との距離が縮まり、その背格好がはっきりとわかるようになって、栄治が小さく言葉を漏らす。
男は重厚そうな濃い紫色のマントを羽織っていた。不死鳥の刺繍は背中側にあるので二人の方からは確認できないが、栄治は直感でこちらに向かってくる男はグンタマーであると判断した。
「敵……なんでしょうか?」
「分からない……」
不安そうな声を出す優奈。
2人が初めて会った他のグンタマーがポール・オーウェンであった為、あまり他のグンタマーに対して良い印象がない優奈は、若干怯える様子を見せる。そんな彼女を庇うように栄治は一歩前に出て、その背中に優奈を匿いながら近づいてくる男を警戒する。
やがて2人の目前までやってきた男は立ち止まり、栄治とその背中に半ば隠れるようにしている優奈に視線をむける。
「貴様らが大紋栄治と新川優奈だな」
大きくは無いが、何故か耳によく響く低い声で男が言う。
男の見た目は20代前半の青年といった感じであるが、そのまとう雰囲気は重く彼の灰色の瞳が放つ鋭い威圧感は、とてもではないが若い青年が醸し出せるものとは思えない程であった。
本能が警鐘を鳴らすなか、栄治は努めて冷静になるように気を付けながら、男に言葉を返す。
「何故俺たちの名前を知っているのですか? 貴方は何者ですか?」
普通なら自分が最初に名乗り、何者かを明かしてから相手の名前を尋ねるのが常識というものだろう。内心でそう思いながら、栄治は男に問う。しかし、男はつまらなそうに「ふん」と鼻を鳴らし、栄治の言葉を一蹴した。
「貴様らが『大いなる器』の力を得ていることは既に把握している」
男が話す内容を聞いて、栄治はもう一段階警戒感を高める。
『大いなる器』とは、栄治が持っているギフトの名称である。軍団の雇用コストが半減し、属性ポイントも3倍貰えるというチート級のギフトを栄治は所有している。それと、男の言い方からすると、どうやら優奈の身体能力強化の能力も『大いなる器』というギフトらしい。
そんな強力なギフトを持っているという情報を何故かこの男は持っている。その事が栄治にはとても不気味に思えた。
警戒感を徐々に高める栄治に対し、男は無表情のまま淡々と言葉を発する。
「貴様らは選ばれた存在だ。その力を手にした以上、この世界の為に戦わないといけない。俺と一緒に来てもらおうか」
そう言って一歩近づく男。優奈が思わず栄治の腕の裾をギュッと握る。
そんな彼女を安心させようと栄治は優奈に笑みを向けると、毅然とした態度で男に言う。
「申し訳ないが、俺たちにはあなたの言っている事が全く理解できない。そもそも、あなたが何者で目的が何かも分からないのに『一緒に来い』って言われて『はい、一緒に行きます』なんて答えると思いますか?」
そんな反発する栄治の言葉を聞いても、男は表情を変えない。
「俺は貴様らにお願いをしている訳じゃない。貴様らに選択肢などない」
淡々と命令するかのように言う男。
その言葉を聞いて、栄治ははっきりとこの男が自分達にとって害になる存在だと判断した。
「確かに選択肢は無いな。俺たちがあんたについて行くことは絶対にない」
栄治はキッパリと断りの言葉を発する。
「そもそも俺たちは目的がある。だから訳の分からない事を言うあんたについて行くことはできない。論外だ」
栄治と優奈の2人にはビーチで遊ぶと言う目的があり、更に栄治にはそこで優奈の水着姿を拝むと言う、命を賭してでも成し遂げないといけない崇高な目的がある。こんな怪しげな得体の知れない男の言う事を聞くなどもってのほかだ。
明確に断られた男はそれでも無表情でいたが、栄治の「目的がある」と言う言葉に、眉をピクッと上げた。
「目的だと?」
「そうだ、俺たちはこの世界に来てまだ日が浅い。だからあちこち回って見聞を広める旅をしないといけないんだ」
ここで栄治は少し強気な態度に出る。
彼はチラッと男が羽織っているマントの色を気にする。男のマントの色は濃い紫色だ。つまりマントの色が黒の栄治と優奈に比べ、この男は遥かにランクが高い事がわかる。だからこそ、栄治は強気な態度に出る事ができた。
栄治はこの世界に来た時に、ロジーナから受けた説明を思い出す。
その説明では、クエストを介していない場合はランクが一つ以上離れているグンタマー同士は戦えない。というルールがあるらしい。
つまり現状最低ランクのFである栄治と優奈と戦えるのは、Fランクの一つ上のEランクだけであり、紫色のマントをつけているこの男のランクでは、栄治達と戦う事ができないのだ。
「悪いがあんたの意味不明なお誘いは断らせてもらうよ」
栄治はそう言って優奈の手を取ると、男の隣を通り抜けようとした。しかし、男は栄治の前に立ちはだかりその進路を塞ぐ。
「見聞を広めるのが目的だと?」
今までの無表情から一変、苛立たしげに目を細め栄治達を睨みつけながら男が言う。
「そんなもの、観光と変わらんではないか」
語気を荒立てている訳ではないが、男のその言葉の端々には怒気が滲み出ている。
「たとえ観光だったとしても、それはあんたには関係のない事だ。そこを退いてもらおうか」
相手は手を出さないと確信している栄治は、男の怒りを無視して歩き出そうとする。
「そうか……ならば好きにするがいい。だが、その『力』は渡してもらうぞ」
そう言うのと同時に、男は目にも止まらぬ早さで栄治との間合いを詰めると、彼の首から下げていたグンタマをいつの間にか片手で握り締めていた。
自分のグンタマを握られた瞬間、栄治の体には凄まじい程の激痛が走る。
「ぐッ……あぁぁ!!」
あまりの痛みに、栄治はまともに声すら出ない。
「栄治さん!!」
激痛に襲われている栄治を助けようと、優奈は栄治のグンタマを握り締め、まるで引きちぎろうとしている男の腕を思いっきり掴んだ。
彼女の強化された握力で握られた男の腕からミシッと嫌な音が聞こえる。男は咄嗟にヤバいと判断したのか、栄治のグンタマから手を離すと、素早く後ろに下がって2人から距離を取った。
「『大いなる器』の力か」
男は小さく呟き、優奈に握られた自身の腕に目を向ける。彼女に握られたところは衣服が破れ赤い鮮血が滲み出て腕を伝い、指先からポタポタと流れ落ちていた。
一旦引いた男を横目に、優奈は息荒く地面に横たわっている栄治に駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
「……はぁ……はぁ……だ、大丈夫」
まだ激痛の余韻が残る栄治は、息絶え絶えに優奈に返事をする。
「おい貴様、これ以上苦しい思いをしたくないのなら、俺と一緒に来い」
苦痛に表情を歪めている栄治に対して、男が言う。
優奈はキッと男を睨みつける。
「あなたは何がしたいのですか! 目的はなんなんですか! どうして私達を襲うのですか!!」
「俺の目的は一緒に来ればわかる」
「何をふざけた事を言っているのですか! 突然現れて、あなたの言っている事は意味不明です!」
優奈はまだ息の荒い栄治に肩を貸して、なんとか彼を立たせる。
「貴様らと無駄な問答をしている暇はない。一緒に来たくないというのなら、強引にでも連行するまでだ」
男はそう言うのと同時に、片腕を上げる。
するとそれを合図に、どこからともなく10人ほどが現れた。状況から察するに、今現れた人物達は皆この男の仲間のようであった。
「……栄治さん、どうしましょう……」
「こりゃあ…………かなり不味い状況かね」
自分達を取り囲むように広がっていく男とその仲間達を睨みながら、栄治は力無く呟いた。




