第31話 かけ湯には心臓発作や脳卒中を防ぐ効果があります
大人が5人並んで寝てもまだスペースが余るのではないか、というくらい大きいベットの真ん中で、栄治はまどろみの中から徐々に覚醒していく。
「んぅ……くぅ〜〜」
栄治は完全に眼を覚ますと、ベットに横になったまま拳を頭の上に持っていき万歳のポーズをとり、これでもかという程盛大に伸びをする。
その後、彼はいそいそと広大なベットの上を這って移動し、やっと端までたどり着きベットから足を降ろして「ふぅー」と一息つく。
「最高級のお持て成しをしてくれるのは嬉しんだけど、ちょっと規模が大き過ぎて落ち着かないな」
苦笑交じりに言いながら、栄治は今自分がいる部屋を見回す。
部屋の大きさは軽く50畳は超えていると思う。そして部屋に置いてある机やソファなどの調度品は、そのどれもが高級感溢れる雰囲気を醸し出している。壁の一面には大きなガラスの窓がはめ込まれ、そのほかの壁にも風景画などの絵画が飾られている。美術品に関しての感性は、全く持ち合わせていない栄治だが、それらの絵画が高級なものであるのは何となく想像がつく。きっと現世の世界でオークションがあれば、何億とかいう気狂いな価格で取引される類のものだろうと判断する。
「日本人の俺としては、やっぱり8畳くらいの畳の部屋でコタツの中に入りながら緑茶を啜るのが一番落ち着くなぁ」
「あ、でも今は夏っぽい季節だから、縁側に座りながらの緑茶かな?」などと、中世ヨーロッパ風の西洋感満載のファンタジー世界で、軽い現実逃避に走っていると、コンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえて来た。
栄治がそのノックに返事をするとメイドが2人、部屋に入って来た。おそらく栄治が起きた気配を感じ取ってやって来たのだろう。
「おはようございますエイジ様、ごゆっくりお休み頂けましたでしょうか?」
「えぇ、とても良く寝ることができました」
綺麗なお辞儀の後に尋ねてくるメイドに、栄治は笑みを浮かべながら答える。
とても良く寝すぎて、夜明けの時間に寝たことも相まって現在は昼をとっくに過ぎて、夕暮れのちょっと手前である。
このままいくと昼夜逆転しちゃうな、と危惧する栄治にメイドが再び尋ねる。
「エイジ様、湯浴みとお食事の準備ができております。どちらを先になさいますか?」
「えーと、先に湯浴みに行こうかな」
栄治は一瞬迷った後に、湯浴みを先にする事にする。
「畏まりました。それでは湯浴み場まで案内いたします」
2人のメイドのうち、片方がそう言って栄治を部屋の外へと誘導する。もう1人の方は部屋に残るようだ。おそらく栄治が湯浴みや食事で部屋を開けているうちに、掃除や片付けをするのだろう。
栄治はメイドの案内で湯浴み場へとやってくる。
その部屋には、中央に大理石で造られた大きな円形の浴槽がドンと設置されており、浴槽の縁に置かれている3体のライオンの様な石像の口からお湯が出ていた。
栄治は浴槽を満たしているお湯と、そこから立ち上がる湯気に表情を綻ばせる。この世界に来てからは、もちろん風呂に入れるわけがなく、濡れたタオルで体を拭くことしかできなかった。
「エイジ様、入浴のお手伝いは必要でしょうか?」
そう尋ねてくるメイドに、栄治は首を横に振る。
「いえ、1人で入ります。お気遣いありがとうございます」
「畏まりました。どうぞごゆっくりお寛ぎくださいませ」
栄治の言葉にメイドは深く頭を下げると、そのまま部屋を退出して行く。
昔の貴族や王族は、入浴するときに服を脱いだり体を洗ったりするのは全て使用人にやらせていたと言う話をきいたことがあるが、栄治からしてみればそれは最早正気の所業とは思えない。やはり風呂とは1人でゆったりと入るに限る。
そんな事を思いつつ、栄治は服を脱ぐと近くに置いてあったちょうど手拭い程の大きさのタオルを手に取って浴槽に近付き、しゃがみ込んで軽く手をお湯に入れて湯加減を確認する。
「う〜む、なかなかに良いお湯加減」
栄治は少し熱めに設定されているお湯に満足そうに頷くと、浴槽の縁に置いてあった桶でかけ湯をする。日本人として、栄治は入浴の際のマナーをしっかりと守る。
掛け湯を済ました栄治は、いよいよ湯船へと身を投じる。
まずは足先からゆっくりとお湯の中に入れて、膝下までお湯に浸かると、一旦浴槽の縁に腰掛けてお湯の温度に体を慣らす。そこから、体を滑らせように湯船の中に入り、一気に肩までお湯に浸かる。この時栄治は「あ゛ぁ〜〜」とまるでオヤジのような声を漏らすが、これは最早、生理現象といっても過言でないレベルで誰しもが発してしまう声であると、栄治は信じて疑わない。
「生き返る〜、極楽とはまさにこの事を言うのか〜」
完全にお湯に浸かった栄治は、片手に持っていたタオルを頭に乗せて最終形態を完成させると「ふぅ〜」と息を吐いて全身の力を抜く。
お湯の浮力で僅かに体が浮く感覚に身を委ねながら、栄治は最高にリラックスした状態になる。
このサーグヴェルドに来てからまだ4日ほどしか経っていないが、これまで本当に心の底から休まることはほとんど無かった。
この世界に来てからというもの、常にどこか気を張って警戒していたところがあり、さらにゴブリンやトロールとの戦い、そして盗賊達との戦いの時は、現世の時には体験したことがないほどの緊張が、体に負担をかけていた。
今、その疲れがお湯の暖かさで溶けていっている気がする。
「でも、こうしてやってこれたのも、優奈のお陰っていうのが結構でかいな」
完全に緩みきった表情を浮かべながら、栄治は優奈のことを考える。
この世界に来てすぐに優奈と出会えて、自分は本当についていると栄治は思う。見ず知らずの世界に来て、1人で行動するのは、やっぱり心寂しい。それが同じ日本出身で、しかも若くて美少女となれば、もう最高以外の言葉がない。
「それに優奈のあの胸は最早凶器、いや兵器だよなぁ」
平均よりも少し身長が低い小柄な体格の優奈、しかしその胸は体格に相反して破壊力抜群である。
「でも最近、目を合わせてくれないんだよなぁ」
栄治はここ最近の彼女の様子を思い返して、小さく溜息を吐く。
盗賊達の捕縛作戦を終えてからというもの、優奈はあまり栄治と目線を合わせて話してくれないのだ。
「なんか嫌われることでもしたかな? でも嫌われてる感はないんだよなぁ〜」
確かに優奈は視線を僅かにそらして話すようになったが、たまに目線が合う時にはこれでもかという程の満面の笑みを浮かべるのだ。もし自分のことを嫌っていたのなら、あんな表情は絶対にしないはずだと判断する栄治。
「逆にこれは好意を持たれてるってことか? うーむ……わからん」
乙女心を理解するのは至極困難を極めると、改めて思う栄治。
彼は若かりし頃、これは絶対に行けると思って告白した女の子にこっぴどく振られた経験を思い出し、悶絶する。
そんな事をしながら湯船に浸かっていた栄治に、部屋の外からメイドの声が届く。
「エイジ様、これよりそちらにユウナ様が参られます」
「あ、はい分かりました」
栄治はメイドの言葉に、普通に返事を返す。彼は若干のぼせて思考能力が低下している脳で、ボンヤリと考察する。
湯浴みというのは、この世界では一般的ではない。浴槽にお湯を張って浸かるというのは、この世界ではかなり裕福で権力のある家庭でないと行えないのだ。それほどの贅沢品であるため、流石に男湯と女湯と2つの湯浴み場を作れる筈もなく、今回のように男女で同じ湯浴み場を使う事にしているのだろう。
そんな事を考えながら、栄治は次に優奈が使うなら早く上がらないとなと、浴槽から立ち上がりかけた時、ふとメイドの言葉に違和感を感じる。
メイドはさっきこう言っていた。「これよりそちらに優奈様が参られます」と、これではまるで自分と優奈が混浴するみたいではないか。
流石にそれは無いだろうと首を振る栄治。きっとメイドは「これよりそちらに優奈様が参られますので、お早めにお上りください」と言ったのを自分が最後まで聞き取れなかったのだろうと判断して、栄治は浴槽から完全に立ち上がり、湯浴み場から出る扉の方に目を向けた。
そして栄治は完全に硬直する。
「なッ! なぜに⁉︎」
そこには優奈が立っていた。しかも、その格好は大きな一枚のタオルで身体を隠しただけの状態である。
栄治はその姿に目を奪われる。タオルで身体を隠していると言っても、それは肩から下である。優奈の華奢で滑らかな肩はとても美しく、僅かに浮き出ている鎖骨も素晴らしい。また彼女の頬は湯浴み場の熱気のせいかほんのりと赤く染まっていて、ただでさえ可愛い顔が更に3割増しで可愛くなっている。そして1番栄治に衝撃を与えているのはやはり、彼女の身体を隠しているタオルを押し上げるように存在感を示しているその膨らみと、その上部でタオルから少し出ている谷間である。
栄治は一瞬の硬直の後、ハッと我に返って勢いよく湯船にしゃがみ込んだ。彼はいつもの癖で、湯船から出るときは、タオルで自身の大事なところを隠していたので見られてはいないはず。
バッシャン! と盛大な飛沫を上げながら肩まで湯船に浸かり直す栄治。そんな慌てふためいている彼とは対照的に、至って冷静にメイドは告げる。
「それではエイジ様、ユウナ様。心ゆくまで御ゆっくりとお過ごし下さいませ」
そう言って丁寧に頭を下げるメイドは立ち去り際、栄治と優奈に暖かい視線を向ける。
その視線を受け止めた栄治は心の中で「あのメイドさん強烈に勘違いしているーっ‼︎」と絶叫をあげる。栄治たちが最初に泊まった格安宿屋のお婆さんといい、ここのメイドといい、この世界の住民は男女で一緒に行動すると、それだけでカップル認定されてしまうのか? そんな事を栄治が考えていると、入り口付近に立ったままの優奈がおもむろに口を開く。
「なんか私が湯浴みしたいって言ったら、メイドさんが『今なら丁度エイジ様も湯浴みの最中でございます』って言って、すごく手際よく準備するから、勢いに流されて来ちゃった……」
恥ずかしそうに顔を俯かせて話す優奈。
「でも……もし嫌だったら、私は栄治さんが上がるまで外で待ってるよ?」
彼女は、顔を俯かせた状態からの上目遣いをする。そんな事をされて断れる男などいるはずが無い。しかし、栄治は色々と気が動転してしまって、すぐに言葉が出てこない。
「え、や……あっと、あー」
意味不明な言葉を漏らす栄治に、優奈が不安そうな表情をする。
「やっぱり一緒に入っちゃダメ……ですよね?」
「そんなまさか! もちろん大丈夫だよ! いやむしろお願いします」
湯船の中で正座をして頭を下げる栄治。
優奈にあんな表情をされては、断るなんて選択肢が出て来るはずがない。
しかし、ここで1番の問題になるのは、優奈の女の子としての魅力が兵器レベルという事である。お風呂場で栄治と優奈が対峙すれば、それは戦車を前にした雑兵のようなものだ。だが、栄治も一人の男である。男には絶対に引けない、戦わなければいけない時があるのだ。今がその時! と栄治は気合を入れて、ゆっくりと浴槽へ近付いてくる優奈を見て、ゴクリと唾を飲み込んだ。




