第25話 いつも運転席から見ている景色を助手席から見るとちょっと不思議
クレシオンからダッシュベンへ向かう街道に、一台の豪華絢爛な馬車が多くの護衛を引き連れて移動していた。
「ふぅ〜、この作戦うまくいくでしょうか?」
ゆったりと揺れる馬車の中で、まるでソファーの様な椅子に座っている優奈は、緊張した面持ちで息を吐き出すと、対面に座っている男性に話しかける。
「えぇ、きっと上手くいくはずですよ」
話しかけられた男性は、優奈の緊張をほぐすように穏やかな笑みを浮かべる。
「そうですね。この作戦はレオン君とお姉さんの為にも、絶対に成功させないといけませんからね」
そう言って優奈は、不安に押しつぶされそうになる自身の心を奮い立たせようとする。しかし、完全に不安を拭い去ることは出来ない。そこで彼女は、目の前の男性にお願いをする。
「マルケスさん、申し訳ないのですがもう一度練習に付き合ってもらえますか?」
「もちろんです。ユウナ様が満足されるまでとことん練習しましょう」
優奈の懇願に、男性ーーマルケスは快く頷いた。
このマルケスという男はギムリが紹介してくれた人で、ピシッとした執事服、オールバックの髪型と綺麗に揃えられた口髭がよく似合うおじ様、と言った感じの人物である。
マルケスの了承を得た優奈は、何度か深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、マルケスと一緒に何度目かの練習を開始した。
一方、優奈達の乗る馬車から少し距離を置いて街道を歩く栄治は、周りの様子を注意深く観察していた。
「やっぱりほとんどの人が護衛を雇っているな」
道行く人々は、そのほとんどが用心棒なり護衛団なりを雇っている。中には何も雇っていない人もいたが、それは恐らくお金に余裕がないか、自分の腕に自信のある人達なのだろう。
「皆んなこんなに盗賊に対して警戒している中で、レオン達は2人だけで隣町までこの道を移動してたのか……」
このような状況で、用心棒すら付けずに隣町まで使いに出すなんて、レオン達の働き先である宿屋は何を考えているんだ。と栄治が憤りを感じていると、彼の目にフードを目深く被った2人組の男達が目に入った。
今の時間は、陽も傾き始め西日が強くなっていることから、その陽射しを避けるのにフードを被るのも不自然ではない。しかし、栄治の眼に映る2人組はどこか他の人と纏っている雰囲気が違っていた。
そこで栄治は、その気になる2人組に注意を向けてみる。
このグンタマーとしての体は、現世の頃の栄治の身体能力よりも感覚が優れていて、視力や聴覚が鋭くなっている。と言っても、そこまで特出して優れているという程ではなく、視力は視力検査でよくある“C”のやつの1番小さいのが見えるといった感じで、聴力に関しても、少し離れている2人組の男の会話の部分的な単語が辛うじて聴こえる、といった程度である。
だが、栄治にとってはそれだけで十分だった。2人組の会話から、“獲物”や“狩”、“討伐隊”といった単語が聞こえてきたからだ。
栄治がさらに観察を続けていると、2人組は優奈達が乗っている馬車に気が付いて、それをじっと注目し始めた。
「ふむ、これは釣れたかな?」
2人組の関心が、完全に優奈の乗っている馬車に向いていることを確認した栄治は、おもむろに2人組に近づき、声をかけた。
「あの〜、ちょっと教えて欲しい事があるのですが良いですか?」
栄治はわざと間延びした感じで話して、相手に警戒心を持たせないようにする。
「悪いが俺達はここら辺について詳しくない。他を当たってくれ」
声をかけられた2人組のうち、細身の男の方が言う。
まだ聞きたい内容を言う前から、栄治を邪険に追い払おうとするその言葉に、彼は敢えて相手の神経を逆撫でするように、鈍感な感じで話しかける。
「そう言えばあそこの馬車すごいですよね〜、貴族様でも乗ってるんですかね?」
栄治のその言葉に、細身の男はピクッと眉を動かした後、あからさまな怒気を含んだ声で凄んで来た。
「おい小僧、俺達は貴様に構っている暇はないんだ。さっさと失せろ」
顔を栄治の方にグッと寄せて、睨みを利かせて言う細身の男に、栄治は内心で「うわぁ怖え〜、目がイっちゃってるよこいつ」と若干ビビる。
「あ、はい。お邪魔してすみませんでした」
確認は十分だと判断した栄治は、さっさと頭を下げると2人組に背を向けて早歩きで離れた。そんな彼の背中に「おい兄ちゃん! この辺は盗賊が出るから気いつけろよ!」と言う声がかかる。
「向こうから来てくれるならこちらとしても御の字なんだけどな」
栄治は投げかけられた言葉に1人独白し、2人組から遠ざかって行く。そして十分離れたところまで来ると、彼は左手を口元に持って来て、薬指にはめている指輪に向かって話しかけた。
「それらしい2人組を見つけた。作戦を開始してくれ」
栄治がそう言うと、一拍遅れてから彼の耳に優奈の声が響いた。
『分かりました。作戦を開始します』
彼女の返事を聞いて、栄治はニヤリと悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「おい、おっさん。この辺りは盗賊狩りが出るから気いつけろよ……なんてね」
皮肉を込めた栄治の呟きは、誰に聞かれることもなく街道を行き交う喧騒の中に消えていった。
優奈は馬車の中でゆっくりと揺られながら、目を閉じて瞑想し、努めて平常心でいられるようにしていた。
そんな彼女の耳に栄治に声が響く。
『それらしい2人組を見つけた。作戦を開始してくれ』
その言葉が聞こえた途端、優奈は自身の鼓動がドクンと早くなったのを感じた。
彼女はフーと一息吐き出してから、左手を口元に持って来て、栄治に返事をする。
「分かりました。作戦を開始します」
そう言うのと同時に、優奈は決意の篭った眼差しで対面に座るマルケスを見る。その視線を受け取ったマルケスも、ゆっくりと頷くとガラス越しに御者へ片手を上げて馬車を止めるように合図を出す。
合図を受けた馬車は、すぐに動きを止める。
揺れが無くなった馬車の中で、優奈は僅かに俯きながら目を閉じる。
「私は貴族令嬢、私は貴族令嬢、私は貴族令嬢、私は貴族令……、私は貴……、私は……」
馬車が止まってから僅かの間、優奈は自己暗示をかけるかのように、同じ言葉を何度も繰り返す。
最初は強くハッキリと言葉にしていたそれは、優奈の中に溶け込んで行くかのように、段々と弱く小さくなっていき、やがて誰も聞こえないくらいの小さな呟きになった時、彼女はキッと顔を上げて勢いよく馬車の扉を開けると、夕日に染まった外へと飛び出した。
「絶対に嫌です! 私は政治の道具なんかじゃありません! 自分の結婚は自分で決めます!」
優奈は馬車から飛び出した後、すぐに振り返って馬車の中に向かって必死に叫ぶ。
大勢の人々が行き交う街道の中で、大きな声で叫ぶ恥ずかしさに感情が昂ってはいるが、今まで何回も練習してきた甲斐あって、セリフはしっかりと感情を込めて噛まずに言えた事に、内心でひとまず安心する優奈。
優奈の突然の行動に、街道の人たちが注目を寄せて来るが、彼女は極力それを意識に入れないようにしながら、セリフを続ける。
「私はクレシオンには行きません! 故郷へと帰らせていただきます」
世間知らずで我儘な高飛車貴族令嬢を全身全霊で演じる優奈は、はたから見れば生意気そうに顎をツンと上げて馬車に背を向けると、そのまま歩き出そうとする。
するとここで、マルケスが練習通りの完璧なタイミングで馬車から出てきて、優奈を引き止めるセリフを言う。
「おぉ、お嬢様お待ちください」
情けなく頼りの無さそうな執事を演じるマルケスの演技は完璧であった。
「お嬢様どうか、どうかお願いします馬車の中にお戻りくだされ」
眉毛を八の字に垂れ下げた困り果てた表情に、ヨロヨロと優奈の方に腕を伸ばすその姿は、見ているものに憐れみと同情を与えてしまうほどだった。
そんなマルケスのハイクオリティな演技に、優奈は感嘆すると同時に、本当に彼に対して同情と憐れみを抱いてしまったが、そこは心を鬼にして演技を続ける。
「嫌です。私は絶対に戻りません」
優奈のその言葉に、マルケスの困り顔にさらに拍車がかかる。
「困りますお嬢様〜、お嬢様に帰られたら、私はお相手様になんと言えば良いのですか〜」
悲壮感漂う表情と、本当に困り果てたかのような言葉。そんなマルケスに、優奈は演技だとわかっていても同情してしまうが、彼女はそれを冷たく振り払わないといけない。「なんでマルケスさんはこんなにも演技力が高いんですか〜」と優奈は内心で半べそをかきながらも、表にはそれを出さないように、あえて強く突き放すように言う。
「この婚約は破棄いたします。そうお伝え下さい」
優奈は、自分が必死に演じている高飛車貴族令嬢の仮面が剥がれないように、誠意一杯演技をする。
「そんなこと言えませんよお嬢様、この婚約はあなたのお父様がお決めになら…」
「私はお父様の操り人形ではありません‼︎」
優奈は一番入念に練習してきたセリフをビシッと決めてると、馬車から離れるように歩き出す。
ここまでくれば、もう後は簡単だとホッと胸を撫で下ろす優奈。
自分に付いて来ようとする護衛達を練習通りの動きとセリフで制止させると、そのまま馬車から離れるように歩き続ける。背後からは、相変わらずハイクオリティな演技を続けるマルケスの声が聞こえてきた。
それから暫く歩き続ける優奈。
彼女は両方の握り拳をギュッと握りしめながら、押し寄せて来る不安と戦っていた。
マルケスとの一芝居が終わって、取り敢えず一息つくことはできたが、本当の本番はここからなのだ。
優奈は小さく深呼吸を繰り返しながら街道を黙々と歩いていると、不意に彼女の進路に1人の男が立ちはだかる。
「やぁお嬢ちゃん、こんな夕暮れ時に1人で街道を歩くなんて危ないじゃあないか」
不気味な笑みを浮かべながら話しかけてきた男に、優奈は背筋に悪寒が走るのを感じた。それと同時に、この男が目的の人物であるとも直感する。
「わ、私は家がすぐ近くなので大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
自分の中から噴き出して来る不安と恐怖と戦いながら、優奈はそう言って男の横をすり抜けろうとした。しかし、男がそれを邪魔して来る。
「いやいや、おじさんは心配だよ? 君みたいに若くて綺麗な子が1人でいたら危ないよ? 盗賊に襲われちゃうよ?」
男の纏わり付くような視線に、優奈は全身に鳥肌が立つのを感じながら「い、いえ、私は大丈夫ですから」と言って、強引に男の横をすり抜けた。
通り抜けた後に、男が何やら呟いていたが優奈は聞き取ることができなかった。
そしてそのすぐ後、指笛のような音が街道に響いたかと思うと、街道脇に潜んでいた盗賊達が一斉に飛び出してきて、辺りは一瞬にして阿鼻叫喚の大騒ぎとなった。
優奈は突如現れた盗賊達を見ると、周りの人たちと同じように慌てて逃げる“ふり”をする。そんな彼女を騎馬に乗った盗賊が優奈の腰を掴んで捉えようとする。
「離して! やめて下さい!」
優奈は取り敢えず不自然に思われないように、手足をバタつかせて暴れる。
そんな彼女を盗賊達は手足を縛り、猿ぐつわを噛ませると馬の後ろに乗せて街道脇へと入って行く。
「はっはっは! こりゃ凄い獲物だぜ!」
「今までで一番の上物だぞ! 売ったら幾らになるのか楽しみだぜ!」
獲物を無事狩ることに成功した盗賊達は、優奈という、これまでで一番の獲物を得た事に、雄叫びをあげたりしながら、獰猛な喜びを発散していた。
その喜びで浮かれて、彼らは気付いていなかった。
獲物として捕らえた彼女の目が、自分達のことを“獲物”であるかの様に鋭い眼差しで睨んでいたことに。




