第19話 コミュニケーションで重要なのは適切な距離感である
栄治と優奈の2人は、街灯に照らされた大通りを並んで歩いていた。
夜遅い為か、大通りを行き交う人の姿はほとんどなく、夜特有の静けさが辺りには満ちていた。
2人が向かっているのは、昨日も泊まった老婆が経営している格安宿である。
なぜ2人がまたあの宿にしたのかというと、ただ単純に金が無いからだ。
ゴブリン討伐の依頼を達成した栄治達は、その成功報酬を貰って金銭問題を解決している予定だったが、反乱勢力の問題で疲れ切っているギムリに、夜遅くまで成功報酬の事務作業をやらせるには忍びなく、彼を気遣い、報酬をもらうのは明日にしたのだ。
決して栄治が、老婆の格安宿に泊まりたいからではない。
再び優奈と一緒に寝れる、などという邪な下心は一切無いのである。
「ごめんな優奈、またあの宿に泊まることになって」
下心など微塵も抱いていない栄治は、心の底から誠意をもって謝罪する。
「いえ、私は全然大丈夫ですよ。栄治さんと一緒ならあの宿も怖くないですし、平気です」
頭を下げて謝罪する栄治に対して、ニコッと笑いながら優奈は言う。
「それに私、栄治さんと一緒にいるとなんだか落ち着くんですよね」
はにかみながらいう彼女の姿に、栄治はドキっとしてしまう。
「何もわからない異世界で、栄治さんと出会ってなかったら、きっと私は路頭に迷って、恐怖に怯えながら何もできなかったと思います」
「本当に栄治さんと出会えてよかったです」と笑みを浮かべる優奈は正しく天使のような可愛さである。
その言葉と笑顔に栄治の心拍数は一気に跳ね上がる。
彼女の様子だと、優奈は栄治と一緒にいる事に抵抗が無いように感じられる。それはつまり自分に対して心を開いてくれているという事ではないだろうか。
ここで栄治は、ゴブリンやトロールと戦った後の優奈が言った言葉も思い出す。
あの時彼女は恥ずかしながらも、諦めずに戦い続ける自分の事を格好良いと言ってくれた。
嫌いな人や何とも思っていない人に対して、そのような言葉は普通は言わないだろう。という事は、優奈は自分に対して良い感情をもしかしたら好意を抱いてくれているのかもしれない。
高鳴る胸の内でそんな事を考えている栄治の手の甲に、隣を歩いている優奈の手の甲が掠めるように触れた。
お互いの手の甲が触れ合う程の距離感。
栄治はかつて、こんな話を聞いたことがある。
人にはパーソナルエリアというものがあり、そのエリアに他人が入ると不快に感じるらしいのだ。電車の席などで、隣に人が座るとちょっと居心地が悪くなるのは、このパーソナルエリアが原因らしい。
しかし、このパーソナルエリアというものは相手が自分に対してどういった人物かによって、範囲は変わるというのだ。
自分が嫌いな人であれば、パーソナルエリアは広くなり、少しでもその範囲に入れば不快になったり自分から遠ざかったりと、拒絶反応を示す。
だが、自分にとって親密な人や好意を寄せている人は、近くに来ても不快にはならない。逆にリラックス出来たり嬉しくなったりするというのだ。
栄治は、気付かれないように、すぐ隣を歩いている優奈をチラッと横目で見て様子を窺う。
見た咸じだと、優奈が不快になっている様子は感じられない。むしろ、異世界の街灯と月明かりに照らし出された夜の街並みの風景に心を踊らされている様に見える。
栄治はハーレム系主人公のように、相手のあからさまな好意にも気が付かないような、鈍感男ではない。むしろ相手の一挙一動から心情を読み取り、気配り心配りをする出来る男なのである。
栄治は生前、面白そうだからと恋愛心理についての本を読んでいた。その知識は生前では遂には活かす機会が得られなかったが、よもや死後の世界でその知識が役に立つときがくるとは思ってもみなかった。
やはり人生で得られる知識に、無駄なものは無いという事なのであろう。
優奈の様子から脈アリと判断した栄治。
2人が歩くのは、人通りが少なくなった大通り。
道に端には宝石のような街灯が、暖かいオレンジ色の灯りを発して、満天の夜空と満月の明かりと混じり合って、幻想的な雰囲気を演出している。
このシチュエーションはもう告白しなさいと、天命が言っているのでは無いだろうか。
異世界に来て、ほんの数日でこんな飛びっきりの美少女が自分の事を好きになる。そんな妄想と欲望が爆発したような話は、小説やアニメの中だけだと思っていた。
しかし、栄治が自分の置かれた状況を見るに、これはそういうシチュエーションなのだと思えてならない。
それに、男女の恋愛において時間はそれほど関係ないと、栄治が読んだ恋愛本の1つに書いてあった。
なかには10年付き合って結婚しても、すぐに離婚してしまうカップルがいたり、逆にほんの数ヶ月付き合ってから結婚しても、一生を添い遂げる夫婦もいたりする。
重要なのは時間ではなく、お互いの気持ちなのだと、そう本には書いてあった。
栄治は心を奮い立たせ、意を決して優奈の方を向く。
隣を歩いていた栄治が急に立ち止まったのを横目に見た優奈は、彼から数歩先に進んだ後に立ち止まり、どうしたのだろうと体ごと彼の方を向き、チョコンと可愛らしく小首を傾げた。
「栄治さん? どうしたんですか?」
「優奈、俺は君と出会ってまだ数日しか経っていない。でも俺はその数日の中で、優奈のことが……その、とても……とても大切に思えて、つまり、その……す、すk」
「このクソガキがぁー‼︎」
栄治の一世一代の告白。その一番重要なところをかき消すようにあたりに響き渡った大きな怒声。
その怒声に、栄治と優奈は驚きで、声のした方に顔を向ける。
「このコソ泥め! さっさとわしの店から出て行けっ‼︎」
そんな怒鳴り声が聞こえたすぐ後に、ちょうど栄治と優奈の隣に位置していた店の扉がバンッと勢いよく開き、小さい男の子の襟首を掴んだ初老のオヤジが大通りに出て来た。
オヤジは大通りに出ると、掴んでいた男の子の襟首を前に突き出す。
首後ろを突き出された男の子は、2、3歩つんのめりながら前に進むと、そのまま前のめりにズサッと転んでしまった。
ちょうど栄治と優奈のすぐ近くに倒れこむ形になった男の子に、優奈がすかさず近寄り、しゃがんで男の子に「大丈夫?」と声をかける。
栄治はそんな彼女と男の子の様子にチラッと目を向けた後に、非難の気持ちを込めて、男の子を突き飛ばしたオヤジに視線を向けた。
「おい、この子が何したかは知らないが、ちょっとやりすぎなんじゃ無いか?」
少し強めの口調で言う栄治に、オヤジはフンと鼻を鳴らす。
「何も知らん奴が口を挟むな……ってお前は先日の値切り小僧では無いか」
「ん? ……あ! あんたは武器屋のエロ親父!」
「誰がエロ親父じゃ‼︎」
こめかみに青筋を浮かべながら怒鳴るオヤジは、栄治たちが先日、剣や防具等の装備を購入した武器屋の店主だった。
このオヤジは、商品を全然値引きしてくれないし、優奈の胸を見て鼻の下を伸ばすドケチエロ親父だが、無意味に幼い子供に乱暴をする人間には見えない。
「この子はあんたの店に何したんだ?」
栄治は説明を求めるようにオヤジに尋ねた。
「このガキは、店の剣を盗もうとしたのだ」
オヤジは栄治の質問に、真剣な表情で話す。
そのオヤジの言葉を聞いた男の子が、勢いよく立ち上がってオヤジの方を睨め付けた。
「俺は最初ちゃんと買おうとしたっ! それをあんたが売ってくれなかったから盗むしかなかったんだっ‼︎」
「バカ者‼︎‼︎」
オヤジの怒鳴り声のあまりの大きさに、反発していた男の子の方がビクッと上下に震えた。
「お前が盗もうとしたものは、どういう思惑があったにしろ、その本質は生き物を殺める為の道具じゃ。それを使うという事をお前は全く理解していない。ましてや盗み出そうなど言語道断」
オヤジの諭すような言葉に、少年は顔を俯かせる。
「でも……でも必要なんだ……俺には必要なんだ、武器が……力が……」
誰に言うでもなく、自分自身に言い聞かすように何度も「力が必要だ」と呟く男の子に、心配そうに寄り添う優奈が、何かに気が付き「おや?」といった表情をする。
「あなたは、前に王城で……」
優奈の呟きに、栄治も男の子の顔をよく見てみる。
確かにその子の顔には見覚えがあった。
「確か、クエストボードに行く途中に俺にぶつかった子かな?」
クエストボードのある建物に入ろうとした時、栄治に1人の男の子がぶつかった事がある。
今目の前にいる子は、その子と同一人であった。
確かあの時も、男の子は案内してくれていた少年兵士に向かって「役立たず」とか言って罵っていた気がする。
あの時の鬼気迫る様子と、今のどこか追い詰められたかのように、自分を奮い立たせるように「力が必要だ」と何度も呟く様を見て、栄治はこの男の子が、何やら大きな問題を抱え込んでいると感じた。
「なぁ、何か困っている事があれば俺に話してくれないか?」
栄治がしゃがんで男の子の目線の高さに合わせながら、優しく問いかけた。
そんな栄治に、男の子は睨むように目を向ける。
「大人はみんな、もう諦めろって言って何もしてくれなかった! 軍に任せるしか無いって言った! でもその軍も全然助けてくれない! だからッ! だから俺は自分の力で何とかするしか無いんだっ‼︎」
そう叫ぶように言う男の子の目には、感情の昂りで目に涙を浮かべていた。
栄治はそんな男の子にニッと笑みを浮かべ、ポンと優しく男の子の頭に手を乗せた。
「実は俺とこっちのお姉ちゃんはグンタマーなんだ。知っているかい? グンタマーは軍隊と同じだけの力があるんだ」
「軍隊とおんなじ力? ……あんたは俺の力になってくれるの?」
「あぁ、もちろんだ」
「そっちのお姉ちゃんも?」
「うん、だから困っている事があったら私たちに話して?」
栄治と優奈を交互に見る男の子の目には、希望と疑惑の色が揺らめいていた。
「でもみんな助けてくれなかった……諦めろって」
「それは普通の大人だろ? 俺たちはグンタマーだ」
「じゃあ……助けてくれる?」
今にも泣きそうな男の子が、縋るように尋ねてくる。
栄治は男の子の頭に置いていた手で、クシャクシャと髪を撫でながら笑みを浮かべる。
「あぁ、助けてやる!」
力強く頷く栄治に、男の子はやっと自身の抱え込んでいる問題を打ち明けた。
「じゃあ、助けて。俺の姉ちゃんを助けてください。あいつ等に攫われた俺の姉ちゃんを盗賊から助けて!」
悲痛な叫びで、男の子は助けを求めた。
きっと今まで何度も、こうやって周りに助けを求めてきたのだろう。そして、その度に断られ続けてきたに違いない。
やがて遂には、自分が武器を盗むというところまで追い詰められたのだろう。
小さい体で、今までの悲運に必死に耐えてきた男の子を栄治はそっと抱きしめた。
「任せろ。お前の姉ちゃんは俺が絶対に救い出してやる!」
その栄治の言葉を聞いた瞬間、男の子は今までの緊張が切れ、大きな声で泣き出した。
栄治はそんな男の子の背中と頭を優しく撫でながら、こんな幼い子にこんな想いをさせている盗賊達に、静かに闘志を燃やした。




