第15話 こりゃたまげた~
栄治は、自分のすぐ近くで力尽きて横たわっている巨人の亡骸を見る。巨人の腕は、肘から先が千切れたように無くなっており、腕の断面からは今だに鮮血が流れ出ている。
栄治はその巨人の腕をぶった切った少女を見る。
優奈はとても華奢な体格をしていて、身長は平均よりもやや低め。とても、丸太のような巨人の腕を切断できるだけの力があるとは思えない。
「私、栄治さんが巨人に飛ばされた時はもうダメかと思いました」
優奈は薄っすらと目に涙を浮かべながら、全身激痛で動けない栄治の隣で、膝をついて寄り添う。その様子は、蟻を踏み殺しただけで心を痛めてしまいそうな位、優しさにあふれている。
先程、巨人の腕を剣を振るって落としたとは幻であったと錯覚してしまいそうだ。
「俺もダメかと思ったけど、どうやらこのグンタマーの体は結構頑丈みたいだよ」
優奈の、心の底から心配している表情を向けられて、心なしか痛みが和らいだと感じる栄治。このままずっと、彼女を見て癒されたいという欲求が込み上げて来るが、それをグッとこらえて、栄治は尋ねる。
「なぁ優奈、さっきのあれはどうやったんだい?」
栄治が、腕なしの巨人を見ながら言う。
優奈は、栄治の言葉に「さっきの?」とポカンとした顔をする。その表情がなんとも可愛らしくて、栄治の表情は緩んでしまう。
「ほら、俺が巨人に木っ端微塵にされそうになったときに、優奈が助けてくれただろ?」
栄治の言葉に優奈は、自分の近くに落ちていた剣を見て、その後に巨人の亡骸に目をやってハッと息を呑む。
どうやら、巨人を自分が倒したことに今、気が付いたらしい。
「ごめんなさい、私あの時は栄治さんを救おうと必死で、自分でも何がどうなったのかよく覚えていないんです……」
顔を俯かせて申し訳なさそうに言う優奈。
そんな彼女に、栄治は優しく声をかける。
「謝る必要は無いよ。むしろ俺が優奈にお礼を言わなきゃな」
栄治は激痛を訴える体に鞭を打って、地面に肘を着いてなんとか上体を起こすと、優奈に向かって頭を下げた。
「ありがとう優奈、君は命の恩人だ」
「そ、そんな命の恩人だなんて。戦いでは栄治さんがいたから勝てたんですから、栄治さんこそ私の命の恩人です! それに、無理して体を動かしちゃだめですよ!」
礼を言う栄治に、優奈は照れて若干アタフタしながらも、「安静にしていて下さい」と栄治の両肩に手を添えて、そっと押して彼が横になるように促す。
栄治はそれに応じて、ゆっくりと仰向けになる。
巨人の突進を受けても何とか一命を取り留めたが、体のダメージはかなりのもので、実際のところ指先を動かすのも結構辛かったりする。
戦闘が終わって静寂に戻ったウィルボーの森で、この先どうしようか栄治は頭を悩ます。
取り敢えずこの森を抜けて、街道に出たいところだが、栄治と優奈は結構奥深くまで森の中に入り込んでしまったため、街道までの距離は結構あるはずだ。
栄治の今の体の状態では、一人で歩くのはほぼ不可能に近いので、優奈の肩を借りて歩くことになるだろう。彼女の肩を借りて歩くというのは、何とも魅力的な話だが、問題なのは移動速度が著しく落ちる事だ。
できれば、日が落ちて視界が悪くなる前に森を抜けだしたいが、満身創痍の今の状態ではそれも少し危うい。せめてもの救いは、この森は傾斜が少なく、木々の間隔が広く開けた所も沢山あって、移動がそこまで難しくないというところか。
そんな事を栄治が考えていると、不意に近くの茂みからガサガサっと音がした。
この森は木が密集していないため視界は悪く無いが、所々に背の高い雑草、と言うよりはとても小さい木が群生して、大人4、5人は身を隠せる位の茂みを作り出している。
栄治と優奈は音のした茂みに視線を向ける。
優奈は、近くに落としていた剣を再び拾うと、栄治を守るように茂みと彼の間に立ち構える。
栄治は、恐怖で小さく震えながらも気丈に彼の前に立って剣を構える優奈の姿を見て、自分の今の体の状態がとても歯痒く、腹立たしく、そして無性に情けなかった。
「くそっ! こんな時になんで俺は動けないんだ!」
栄治は心の中で大きく悪態をつくと、自分の前に立つ優奈に言う。
「優奈、状況が悪くなったら俺を置いて逃げるんだ」
「そんな事できません! 絶対に嫌です!」
優奈は絶対に、栄治の隣を離れないと首を横に振る。
栄治はそんな彼女の反応が嬉しく、つい笑みが零れてしまう。
栄治と優奈は、出会ってまだ一日とちょっとしか経っていないが、2人の間にはしっかりとした信頼関係が生まれていて、お互いに大切な存在に成りつつある。
だからこそ、栄治には優奈にいざという時には、自分を置いて逃げてほしかった。しかし、彼女の様子から、それは限りなく可能性の低い事になりそうだった。
嬉しいけど辛いというジレンマに栄治は陥りながら、歯痒い思いで茂みを睨みつけていると、それは正体を現した。
「あんれま、こんりゃえんれぇべっぴんさんなグンタマ―様だぁ」
茂みから姿を現したのは、1人の青年だった。
その青年は強い訛り口調で驚きの声を上げる。
「あなたは誰ですか!?」
優奈は鋭い声で青年に問いかけ、剣の切っ先を向ける。周りの軍団も彼女の動きに応じて、青年へ臨戦態勢をとる。
茂みから出てすぐに、美少女と大勢の兵士たちに武器を向けられた哀れな青年は、慌てて全力でハンズアップする。
「うわわわっ! オラはグンタマ―様の敵じゃねってば~!」
青年は高く挙げた両手をブンブン振って、必死に敵ではない事をアピールする。
「あなたは誰なのですか?」
青年の必死の思いが伝わり、優奈は手の武器を下すと、先程よりも穏やかな口調で再度同じことを尋ねる。
青年は殺される可能性が無くなったことに、挙げていた手を胸に当ててホッと一息ついた。
「おっかなかったべ~。オラはアスベルだ」
「アスベルさんですか。あなたは何故ゴブリンが大量に発生しているこの森にいるのですか?」
今この森はゴブリンの大量発生によって、一般人が入るのにはとても危険な場所となっている。
「この森には薬草を取りに来たんだ~」
「ゴブリンが大量にいる危険な森に命を懸けてですか?」
薬草のためだけに、自分の命を懸けるのはいささか信じがたいと、再び優奈の視線が険しくなっていくの感じて、青年――アスベルは必死に弁明をする。
「いや違うんでさグンタマ―様!」
「違うのですか?」
「あいや、薬草を取りに来たのは本当なんだあ」
「命懸けでですか?」
「ち、違うんでさ~」
「やっぱり違うのですね?」
「ち、違くないんだ~! 本当なんだ~!」
違う違くないのコントのようなやり取りをしている優奈とアスベルを見て、栄治は込み上げてくる笑いを必死に押さえる。
アスベルは自分の命が懸っているので、何としてでも優奈に誤解を受けまいと躍起になるあまり、なかなか話の先の内容を切り出せない。対する優奈も、負傷して動けない栄治を自分が絶対に守るという決意から、どんな些細な危険も見逃さないと必死なため、アスベルの話の内容を深読みしすぎて、彼の話の根幹を聞き出せない。
栄治は、冷や汗をたっぷりと掻きながら必死に「違うんでさ! いや本当なんだべ!」と言っているアスベルに目を向ける。
彼の見立てでは、アスベルという青年は無害であると判断している。
アスベルの服装は、栄治がクレシオンの街で見かけた市民と大差ない恰好であったし、何よりも彼の纏う雰囲気が、何ともほんわかしており、自分たちに害を及ぼす存在だとは思えない。
「優奈、取り敢えずアスベルさんの話を最後まで聞いてみようか」
栄治が優奈にそう言うと、彼女は栄治の方を向いて「はい」と頷いた。
それを見て、アスベルは本日2度目の安堵の息を漏らす。
「オラはこの森に薬草を取りに来たんだべ、信じてくだせぇ」
「分かりました信じます。それで何故、危険なこの森に?」
優奈の問い掛けに、アスベルはその訛りの強い口調で説明を始めた。
「こんのウィルボーの森ってのは、ブリュケアっていう薬草が良くとれるんだ~」
アスベル曰く、このウィルボーの森でとれるブリュケアといわれる薬草は、打ち身や切り傷に良く効く薬の原材料として、とても重宝されているのだそうだ。
普段はこの薬草を採取しに、大勢の人たちが森に入って来るらしい。木々の間隔が広く傾斜が少ないため、中には馬車ごと森の中に入って来る連中もいるようだ。
しかし、ここ最近はゴブリンの大量発生のせいで、誰もこのウィルボーの森には入ることが出来ず、やがてブリュケアは品薄になっていき、価格が高騰し始めた。ブリュケアが生えているのは、ここ近辺ではウィルボーの森だけで、他の所から仕入れようとすると運搬費が嵩んで大変高額になってしまう。
薬草取りをしていた人たちは、悔しいながらもどうしようもないと、国が討伐してくれるまでウィルボーの森に入るのは諦めた。
「んでも、そこでオラは気付いちまったんだ~。みんないねぇってことは、薬草をオラ1人でとり放題なんだってぇ事に」
アスベルは、思い立ったその日に馬車を用意して森に向かった。
「最初は順調だったんだ~。何時もなら他の奴にとられっちまうのも、ぜぇーんぶ独り占め出来たんだべ。今はブリュケアがもんのすんごく高けぇから、これでオラも大金持ちだってぇ思った時だったんだ。ゴブリンを見つけっちまったんわ」
アスベルは、ゴブリンを見つけると急いで馬車に戻り、準備していた炸裂玉をゴブリンの大群に投げ込んだ。
「ゴブリンの大群にはちゃんと考えちょって、大群を見たら炸裂玉をたっくさん投げ込んで、混乱している間に、逃げよって算段だったんだべ」
炸裂玉とは文字通り衝撃を加えると炸裂する、拳位の大きさの玉の事で、これを対象に当てると、大きな音と強烈な光が発生して、敵を一時的に行動不能に出来るというものだ。
「ゴブリン程度ならこれだけで十分だったんだけどぉ、トロールまで出てきちまったんら、オラはもう駄目だと思って近くの茂みに馬車ごと隠れたんでさ」
アスベルは茂みの中で、見つからないようにと両手を組んで必死に祈り、戦々恐々としながら息を押し殺していると、突然ゴブリンとトロールが同じ方向に移動し始めた。
「なんであいつらが同じ方向にいったんか、オラ分かんなかったんけど、取り敢えず命が助かってよかった~って安心したべ」
その後もアスベルは、ゴブリンやトロールが戻ってこないか暫く茂みのなかで様子を見ていた。すると、遠くの方でトロールの叫び声が聞こえてきて、アスベルはどうしても気になり、ゴブリン達が向かっていった方に様子を見に行った。
そこで、栄治と優奈に出会ったというわけだ。
「いや~びっくりしたっど~。んでも、グンタマ―様があいつ等を討伐してくれて、もう安心だ~」
アスベルの話を聞いて栄治は、彼は台風が来たら畑の様子を見に行って、そのまま帰らなくなる人になるタイプの人間だな、と分析する。
「そうだったのですか。すみませんアスベルさん、武器を向けて怖い思いをさせてしまって」
優奈はアスベルがただの商人であると分かると、自分の先程の行為を頭を下げて謝罪する。
「いんやいんや、グンタマ―様を驚かせちまったぁオラも悪いんよ~」
アスベルは頭をかきながら言う。そして、視線を栄治の方に向ける。
「こちらのグンタマー様はずうっと横になってぇけど、怪我でもしたんですけ?」
「あぁ、ちょっと巨人……トロールっていうのかな? それの体当たりを受けちゃってね」
栄治は横たわったまま、顎でクイッとトロールの死骸を指す。
アスベルはその死骸をみて「うわわわっ!」と悲鳴を上げながら尻餅をついてしまった。
「これはもう生きていません、そんなに怯えなくても大丈夫ですよ」
優奈は腰を抜かして動けなくなっているアスベルに手を差し出して、助け起こす。
「あいやこっれはたまげた~。こんなのを倒しちまうなんて、やっぱグンタマ―様はすんげぇ~な!」
アスベルは目を丸くしながら、トロールの亡骸の周りを歩いて感嘆の声を上げ、最後に栄治の方に尊敬と畏怖の混じった眼差しを向ける。
「それを倒したのは優奈の方だけどな」
彼の視線を受けて、栄治は苦笑を浮かべながら優奈の方を見る。
「えぇ!? こっちのべっぴんさんグンタマ―様がやったんでぇ? そんらすんげぇべ!」
アスベルの驚きに、優奈は恥ずかしそうに顔を赤らめて俯く。
「そういえば、べっぴんさんグンタマ―様はそれもすげぇべな」
そういって、アスベルは優奈を指さす。
指をさされた優奈は、彼が何を言いたいのか分からず首をかしげる。
「それ、とは何ですか?」
「胸だっぺよ! そんのグンタマ―様の胸はえらい大きさだっぺ~」
アスベルが腕を組みながら頷き言う。その様子に邪な気持ちは感じられず、単純に感心しているようだ。
しかし、優奈は「ひゃっ」と可愛らしい悲鳴を小さく上げると、腕で胸を隠しアスベルに背中を向ける。
「そんのグンタマ―様の胸に比べたら、オラの村の女の胸なんて豆粒だっぺよ~」
「うぅ~、栄治さん~」
アスベルは両手を使って自分の胸の前で半円を描き、優奈の胸の大きさを表現する。
そんなアスベルに、優奈は助けを求めるように栄治を見る。
栄治は、アスベルと優奈のやり取りを見て笑う。
「あはははっいてて……、笑うと肋骨が痛いな、折れてんのかなこれ……」
栄治は骨が折れていたら厄介だなと頭を悩ます。




