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3.王都を発って


 勇者スノウが、ひっそりと王都を抜けだして三日が経過した。


 大街道沿いにある三つめの街、レシェムにひとりの旅人が現れた。

 踝まである長めの外套を羽織り、付属のフードを目深に引き下ろしている。外套の下には簡素な旅装をまとい、腰に一振りの剣、背には大きな荷物がひとつ。

 旅人にありがちな、ごくありふれた出で立ちだ。

 旅人が宿を求めてやってきた時、宿の使用人は特にこれといって気に留めなかった。

 ただ、職業上の癖で少し観察した程度だ。

 この時期、『勇者候補』の殆どは王都に流れている。

 理由は祝祭と同時に開催されているトーナメントだ。勇者の仲間になれるとあって、よく見かける『勇者候補』たちはこぞって王都へと出発していった。

 それによって宿の売り上げに響くかといえば、実はそこまでではない。

 その分、祝祭にかこつけた観光目的の旅行者は増加傾向にある。名簿にまだ名の載らない『勇者志願者』や『賞金稼ぎ』なども変わらず姿を見せていた。

 魔物は祝祭など考慮してくれないのだから、当然と言えば当然だろう。

 この日宿に現れた旅人は帯剣していた。勿論、観光目的であっても丸腰の人間など皆無である。護身用にと複数の武器を所持しているのが普通だ。

 だが、旅人の差していた剣は明らかに使い込まれているようだった。武器など滅多に縁のない使用人だったが、様々な客を相手にしているうちに多少の違いはわかるようになっていた。

 そのため、『勇者志願者』か『賞金稼ぎ』のどちらかだろうと使用人は考えた。

 代金を支払い、名前と必要事項を記載している旅人をつぶさに観察しながら、使用人はああでもないこうでもないと考えをめぐらせる。

 身長や体つきからいって恐らくは男性だろう。推測の域を出ないのは、男性にしては少々細身のようにも思えたからだ。

 随分と深く下ろされたフードの奥、金具の輝きが零れていた。どうやら旅人は眼鏡をかけているらしい。

 

『ネージュ・ベンティスカ』

 

 記載された名前にも見覚えはなかった。

 使い込まれた剣と旅慣れた様子、そして割合身奇麗な格好に、相手がそこそこ腕の立つ相手ではないかと踏んだが、思い過ごしだったようだ。


「何か?」


 あまり不躾ぶしつけに観察しすぎたのだろう。旅人が、どこか不快そうに尋ねる。

 それに慌てて首をふった使用人は、つらつらと部屋と注意事項などを説明し、該当する部屋の鍵を取る。


「ああ、そうでした。外出されるときは鍵を預けてください。代わりに札をお渡ししますから、部屋にお戻りの際は札をこちらにお持ちくださいねー」


 一種の盗難防止策である。

 代金は先払いなので基本いつ出て行こうが構わないのだが、鍵を持ち去られては困るのだ。その鍵で自由に出入りされてしまっては尚困る。まして、部屋に余計なものを放置して鍵を閉められてしまっては、最早鍵を壊すしか手がなくなる。

 そのため、宿泊代金の範囲内での外出であれば一旦鍵を預かり、再度入室する際には鍵と札を交換するというシステムをとっていた。

 貴重品は部屋に放置しないでくださいよ、と最後に付け足すと、フードを被った頭がこくりと頷いた。

 幼さすら感じる仕草に、これは『勇者志願者』だろうなとあたりをつけて、使用人は鍵を手渡す。

 鍵を受け取った旅人の荷物が、不自然にぐにゃりと動いたことに、幸か不幸か使用人は気付かなかった。



☆☆☆☆



 部屋に入るなり、フードを被った人影が備え付けのベッドに沈み込んだ。

 勢いで外れたフードから零れるのは白金プラチナの髪。

 眼鏡を外すことなく顔面から布団に埋まっているのは、稀代の勇者と讃えられるスノウ・シュネーである。

 決して浅くない溜息がその唇から吐き出される。

 そのベッドの足元には、ブーツとベルトごと外された剣が文字通り転がっていた。背に負ってきた荷物は、扉の傍に無造作に置かれている。それが、先ほどからもぞもぞと不自然に動いていた。


「ちょっと、ここ開けて」


 袋の口の部分からしきりと訴える声が響いていたが、スノウは何の反応も示さない。

 そうこうしているうちに、袋の口が緩んだらしく、ひょこりと赤い塊が顔を出した。


「苦しかった……もう、先に出してくれてもいいじゃないか」


 体を捩って何とか袋から這い出そうとしているのは、赤錆色のネコ――――エルである。


「聞いてるの。ていうか、寝るなら眼鏡くらい外しなよ。痛くないの?」


 エルの言葉に、スノウがゆるゆると動いた。

 腕をあげ、眼鏡のつるを掴んで。

 そのまま中途半端に眼鏡を外した状態で動かなくなった。

 どうやら彼の中では”それ”でミッションコンプリートらしい。

 そんな常のスノウからは想像もつかないようなぐだぐだした姿を前に、エルは溜息をつく。

 ようやく袋から自由になると、転がる障害物を避けて板張りの床を進んだ。目指すはベッドの脇に備え付けてあるラウンドチェストだ。

 飛び乗って、質量のある尾を左右に揺らし、首を傾げた。


「これからどうするの?」


 まだ陽が高いというのに、早々に寝台に突っ伏したスノウを見遣り、エルは声をかける。

 王都を逃げるように飛び出してからこちら、スノウは殆ど歩みを止めなかった。

 大街道に沿って進んでいたため、このレシェムに到着するまで幾つかの主要な町を経由してきている。本来ならば、そのどこかの町で一夜を過ごすくらいで丁度よかっただろう。

 ところが、スノウは宿に目もくれず、ひたすらに進み続けた。休憩を挟んではいたが、夜は野宿、睡眠時間は『仮眠』のレベルといえば、どれだけ無茶な旅程だったかわかるというものだ。

 別に急ぐような旅ではない。スノウの弁を信じるならば『打倒魔王を掲げて』の道程だ。

 魔王の顔どころか居城の位置すら不明な現状では、健康をすり減らしてまで急ぐ道ではないはずだ。

 恐らく、追っ手がかかるという危惧が彼の足を止めなかったのだろうとは思う。

 なら適当な嘘をでっちあげて説得すれば良かったのだ。

 そうエルは思うが、思いついたところでスノウに実行はできまいと思う。

 魔物であった頃ならまだしも、『勇者』となった今、やりにくいだろうことは想像に難くない。

 すべては自業自得。

 この旅程できつかったのは、エルではなくスノウの方だ。

 エルは出立から現在までネコの姿をとっており、移動中はただの荷物だった。スノウが持参した大きな袋の中で大半を過ごしていたのだ。

 もちろん、歩けないわけではない。

 単純に人の足に追いつけないという問題もあったが、何よりネコを連れた旅人は目立つのである。増して、白ネコほどではなくとも珍しい色合いのネコだ。

 人目を引くし、衆目を集めることでスノウが勇者だとばれるリスクがあがる。

 重いだろうなと同情はするが、そもそもエルの反対を押し切ったのはスノウである。付いて行かないと主張するエルを連れてきたがったのもスノウだ。

 この事態は予測可能な範囲であり、スノウとて覚悟していない筈がない。現に、これに関してはスノウは一切の愚痴も文句も零していなかった。

 となれば余計な気遣いはすまい、とエルは呑気に荷物に徹していた。

 傍目にはスノウは完全に一人旅だっただろう。


「スノウ?」


 エルが覗き込めば、ベッドに突っ伏したスノウは目蓋を僅かに震わせた。眼鏡が中途半端に除かれた状態で、つるの端が顔に引っかかっている。

 久々に無理をしたのだろう。その顔には珍しく疲労の色が濃い。

 スノウは気怠げに青い瞳を瞬かせて、唇を薄く開いた。


「……これから……」


 ぼんやりと鸚鵡おうむ返しに呟くだけで、一向に先の言葉がでてこない。これほどまでに覇気がないスノウも珍しい。


「……とりあえずご飯は食べるよね? どうする?」


 エルとしては、何処で食事を取るかを尋ねたつもりだったのだが、スノウは言葉通りに受け取ったらしい。

 「食べる」と返したきり、目を閉じてしまった。蓄積された疲労が彼の意識を刈り取ってしまったようだ。


「……スノウ? おーい、勇者さま?」


 エルはラウンドチェストから飛び降り、寝台へと近づく。

 こうしてスノウと過ごすようになってから、エルは幾つか気付いたことがある。

 そのひとつが呼称だ。

 スノウは「勇者様」と呼ばれることに酷く抵抗を感じている節がある。

 勇者の肩書き自体に思うところがあるわけではなさそうだが、周囲にそう敬われると僅かに表情が強張るのだ。当初から「勇者様」と呼びかけていたメリルにまで名前で呼ぶよう頼んでいたのだから、余程思うところがあったのだろう。

 だから敢えてエルはそう呼びかけてみた。流石に反応するかと思ったのだが、スノウはぴくりともしない。


「相当無理してたんだなあ」


 旅程しかり、王都での生活しかり。

 肉体が疲労しているのは無理な旅程が原因なのは間違いない。そして、完全にスイッチがオフになるまで張り詰めてしまっていたのは、王都の生活が発端なのだろう。

 エルが寝台に乗り上げても、目覚める気配もない。

 エルは己の尾を、スノウに触れないよう注意して揺らしつつ考える。

 ここに至るまでスノウは食事らしい食事を摂っていない。本人の希望もあることだし、多少はまともなものを食べさせた方よさそうだ。

 宿の一階はたいていが食堂兼居酒屋になっている。

 袋に入っていたため詳細は分らないが、雰囲気からみてここも同じような構造であることは間違いないだろう。

 軽食程度であれば居酒屋でも出してくれるが、きちんとした食事をしたいならあらかじめ注文しておかねばならない。王都や近隣の町の宿場はそういったシステムを取る宿が主流である。

 とはいえ、この様子からみてスノウが起きるタイミングは予想できない。注文していても夕食時を過ぎてしまえば、宿にも迷惑がかかる。

 かつて『勇者』だった頃を思い出しつつ、エルは音もなく寝台から飛び降りた。

 総合して考えれば、食事ができなかったことを想定し、あらかじめ軽食程度のものを購入しておく方が無難だと思われた。

 レシェムは比較的大きめな町であり、今は祝祭の時期ということもあって、屋台や出店は常より多い。

 パンなどの軽食ならば容易く手に入りそうだとエルは算段をつける。

 エルはひとつ息をついて、その場でくるりと一回転した。

 赤錆色の毛先が、滲むように輪郭を大気に溶かす。ぼんやりと赤く滲んだ光がぐっと引き伸ばされ、瞬きひとつの間にネコの姿は消える。

 替わりにそこに佇んでいたのは、スノウと幾らも変わらないような青年。

 簡素な衣服に身を包み、長い黒髪を首の後ろでひとまとめにしている。髪と同じく漆黒の双眸が己の姿を見下ろして、端正な容貌に笑みを浮かべた。

 その姿は色こそ違うものの、本来のエルに瓜二つだ。


「まあこれなら問題ないかな」


 満足げに呟くのは、色彩を変え『人』に偽装したエルそのひとである。

 彼本来の色彩は人の中では浮いてしまう。だが、色彩を変え、爪や牙といったごく僅かの身体的特徴を変えるだけで、その姿は『人』に近づく。

 姿を丸ごと変更するよりはずっと魔力の消費も少なく、効率的な方法だった。

 深い眠りの中にいるスノウを顧みて、エルは寝台に体を寄せる。

 その着込んだままの外套に手をかけたところで、不意にエルは体を折った。


「……ぐ、う……」


 思わず漏れた苦鳴に、エルは己の口を覆う。

 きたか、と喉の奥でエルは呟く。

 声を出すわけにはいかなかった。これほど近くにいるのだ。少しでも声を上げれば、スノウの眠りを妨げてしまうだろう。

 漆黒の双眸が狭められ、表情が苦しげに歪んだ。

 気力を振り絞ってスノウから体を離す。

 途端に襲われる強烈な眩暈。平衡感覚を失って、エルはその場にうずくまった。床板の感触を手のひらに感じながら、螺旋らせんを描いて回る視界に脂汗が流れる。

 目を閉じても開いても、ぐるりぐるりと回る世界。

 空っぽの胃がかき回され、逆流しそうな感覚に囚われる。満腹状態でなくて良かった、とどこか的外れな思考がまわる。

 エルが突然”こう”なるのは今に始まったことではない。

 ここ最近――スノウではなくエルがネコに変じてしまったあの時から、頻繁に起こる体調不良だ。

 引き金は至って簡単。エルが元の姿に戻ることで眩暈や頭痛、吐き気に襲われる。

 それは頑強な肉体を誇る魔物であっても、耐え難いほどの苦痛だった。そもそもエル自身あまり忍耐力のあるほうではないが、そこを差し引いても、身動きどころか呼吸すらままならない状態になるというのはそうそう有り得ない事態である。

 何しろ、エルは魔物の中でも強靭さが飛びぬけている竜族なのだ。

 その彼が、元の姿に戻ったとたんに戦闘不能にも近い状態でうずくまるのだから、周囲は騒然となった。

 当然、本人が一番動揺していた。

 これほどに辛いことは滅多に経験したことがなく、すぐさま原因究明の為に資料を漁った。幾度か試験もしてみた。

 結果はどれも空振り。

 今のところ確かなことは、ネコから元の姿、或いは別の姿に変化することで起きる事象だということ。その逆の場合は何の変化も起きないこと。そして、この体調不良は発動すると10分から最長20分続くということ。

 しかも、どれだけ辛くとも薬も治癒魔法も一切効果がない。時間が経過するまでは、ひたすらに耐えるしかなかった。

 唯一の解決法は、ネコの姿にならないことだったが。

 こちらも本人の意思と関係なく変化してしまうため、どうにも制御しようがなかった。

 ずっとネコのままでいるわけにもいかず、かといってその都度元に戻れば苦痛に苛まされる。原因も解決策も今のところ手立てがない。


「だめだ、吐きたい……」


 床にへたり込み、ラウンドチェストの足に縋るようにして喘いでいたエルは、ぽつりとそう零す。

 思わず飛び出た弱音ではあるが、スノウの耳に届く可能性も考慮して声量は抑えている。己の耳に届く、ぎりぎりの囁き声だ。

 既に眩暈は治まりつつあった。ただその替わりに胃が気持ち悪かった。いっそ出すもの出してしまえば楽になる、と思わず漏れた言葉だったが、残念なことにそこは元々空っぽである。

 王都を飛び出してから、エル自身もろくに食べていなかったことを思い出す。

 スノウが食べさせなかったというわけではない。

 単純に、エルが忘れていたのだ。

 人間と違い、個人差はあれど多少食事を抜いたところで痛痒は感じない。しかもエルは常にネコの姿で過ごし、道中ひたすら「荷物」に徹していた。消費エネルギーは酷く少ない上に魔法もほぼ使わないとなれば、ますます空腹感は遠ざかる。

 こうして、胃の不快感を味わわなければ胃の存在すら忘れているようなレベルだ。


「無理か……あー……あと五分……五分したら動こう」


 これまでの経験上、そろそろ治まると分っていた。完全に戻らなくとも、動ける程度まで回復すれば問題ない。後は動いているうちに正常に戻るだろう。

 それまでは、耐えるしかなかった。

 埃っぽい床板の木目を眺めながら、エルは懸命に気を逸らし続けた。




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