2.それは突然に
時間は少し戻って主人公お目見えです。
それは、元勇者と魔物の長が森でサバイバルをすることになる、少し前の話。
時は一週間前に遡る。
パールディアでは、祝祭の真っ最中であった。
戦勝祝賀と、勇者の偉業を讃えるためにと設けられた祝祭は、ひと月の間続けられることが決まっていた。そのお祝いムードの、ちょうど前半が終了した頃である。
国内の主要な街は昼夜関係なく賑わい、どこか浮ついた空気が漂っている。
そこかしこで祝賀にかこつけた催し物があり、便乗した食事や品物が店頭に溢れかえるのはどこの街も同じであった。
中でもやはりというべきか、王都バルカイトの盛況は他の比ではない。
王宮の御膝元ということもあったが、何より祝祭と同時進行で開催されている『勇者候補選定式試合』が一層街を賑わしていた。
パールディアには魔物討伐に関して二つの制度がある。
一つは褒章討伐制度。俗に言う「賞金稼ぎ」である。
被害報告を"依頼"という形で公開し、広く助けを求めるのだ。見返りとして依頼者から報酬が支払われる。依頼を受ける者は元兵士や用心棒など、比較的腕に覚えのある者が多く、討伐の成功度は高い。
ただし運営しているのは民間のギルドや個人であったりするため、報酬にばらつきが見られる。法外な金額が動くこともあり、国の認可はあるものの一般的には敬遠されがちだ。
そして、もう一つは勇者制度である。
勇者は名誉職の一つであり、基本的に魔物討伐によって報酬を得るものではない。兵士や大臣などと同じく一定額の報酬が決められており、任期の続く間はそれが国から支給される。
魔物を討伐すること自体が既に使命であり、ひいては魔王を倒すことが最終目的に掲げられている。そのため、依頼を受けて討伐を果たしたとしても報酬を求めることはない。
ただし勇者の肩書をもつものは一人と限られている。
当然、毎日のようにあがる被害報告に追いつけるものではなく。魔物討伐において勇者制度に重きを置くパールディアでは、これを補うために登録制度を設けていた。
名を登録したものは「勇者志願者」として登録され、更にそこから魔物の討伐数や功績、様々な試合で実績を積み上げていくことで「勇者候補」として名簿に名を連ねることになる。その候補者の中から次代の勇者や仲間たちが選定される仕組みになっている。
この祝祭の期間に行われているのも、その試合のひとつだ。
「勇者候補選定式」と銘打ってあるが、実際は5代目勇者の帰還に伴う、新たな"勇者の仲間"の選定試合なのだ。
竜を倒すという偉業まで成し遂げた、5代目勇者スノウ・シュネー。その彼と共に戦う栄誉に与れるとあって、選定試合はいつになく白熱し、混戦の様相を見せていた。
これらの試合結果が公表され、新たな仲間たちが正式に任命されるのは、祝祭の最終日。
新たな仲間を迎えた勇者一行が再び旅立つことになるのは、そこから一週間後、つまり、現在から23日後のこととなる。
その日までは、勇者と彼の仲間たちには正式に「休暇」が与えられていた。
彼らは思い思いに羽を伸ばし、束の間の休息を享受していた。
そのはずだった。
☆☆☆☆☆
前日と変わりない、穏やかな朝食の席で、それは唐突に落とされた爆弾だった。
「王都を発つ」
そう簡潔に言い放ったのは、白金の髪を持つ若者だった。
朝陽を受けて輝く白金の髪に、正面をしかと見据える青玉の双眸。
端正な面立ちはともすれば少女のように美しいが、まっすぐに伸ばされた背筋とその堂々とした居住まいは、彼から女性的なものを一切感じさせなかった。
凛としたその姿はあたかも彼が一国の王子、或いは王そのひとであるかのように錯覚させる。
身に纏うのは質素な庶民の衣服。それでも、どこかただ人ではないと思わせる雰囲気を漂わせた彼こそ、パールディアが誇る稀代の勇者スノウ・シュネーである。
彼が件の魔物を討伐し、王都に到着してから早半月が経過していた。
王都は現在、祝祭に浮かれ騒いでいる状況だ。
これは王国軍と勇者が魔物を倒したことに起因する、いわば戦勝祝賀である。
伝説の存在であった『竜』の討伐と、王国軍の勝利。更には戦死と思われていた勇者の生還。すべてが奇跡的で、まるで英雄譚のようですらある。
真偽を疑った者は少なくなかっただろう。
けれど結果として、国王がそれを認め讃えた以上、公に異を唱える者はいなかった。幾ら証拠品が怪しかろうが、当事者たちの見解や発言に齟齬が見られようが、全ては瑣末事として片付けられた。王の決定は絶対であり、何より声高に異論を述べるにはあまりにも決定打に欠けた。
水を差すより、損失と低迷した空気を思えば、勢いに乗ってしまったほうが利になると読んだ面々もあった。
損失は少なかったとはいえ、犠牲は出ているのだ。頻発する魔物の被害に国民も疲弊している。隣国との国境もなにやら危うくなりつつある上に、周辺諸国との友好関係もいつひっくり返るかわからない状況である。
国内のガス抜きも必要だろう――そう誰かが冗談交じりに言ったとおり、一月という長い祝祭を大半の国民は歓迎した。
だが、勿論あまり歓迎できない人々も存在した。
そのひとりが、残念なことに当事者でもある勇者スノウ・シュネーである。
「正直疲れたんだ。ちょっと息抜きがしたい」
淡く色づいた唇から重い溜息が零れる。
それもそうだろう。
祝祭の一か月と、その後の三週間。
スノウと彼の仲間たちには正式に休暇が与えられている。休暇なのでどこに行くも何をするも完全に自由ではあるのだが、その実、彼らは王宮に軟禁状態だった。
なぜなら彼らの面はことごとく割れている。
街へ下りれば人に囲まれ、遠出しようにも近隣の町には似姿が出回っているためそれもままならない。勇者として任についている間は人々も配慮を見せているが、完全な私生活となれば話は変わってくる。
私生活だというのに勇者、或いはそれに準じる人間として振舞わねばならないのは、なかなか心休まらないものだ。
落ち着ける場所となればそのあたりをわきまえている王宮にしか居場所がなく。仕方なしに王宮に滞在していれば、連日慰労と銘打ってのパーティーに呼ばれる始末。
そこには当然ながら王侯貴族の様々な思惑が絡み、魔物とはまた違った敵と対峙しなければならない。下手に選択を誤れば、社会的に命を取られるのである。
元々軍属の身内であるクロスなどは慣れたものだが、一般人の出自である面子にとってはかなりキツイものがある。何しろ、その慣れているはずのクロスですら「魔物の方がマシ」と吐き捨てたほどなのだ。
いくら人格者と言われている稀代の勇者とて、実年齢は18歳の未成年である。大人たちの肴にされて疲労しないはずがない。むしろ10日以上も耐えたことの方が褒められるべきだろう。
「息抜きね……隣町あたりにでも行く?」
唐突なその発言も理解できる、と納得した『彼』はそう穏やかに提案する。
食卓を兼ねたテーブルの前に座しているスノウとは対照的に、彼の居場所は不安定な窓辺である。狭い空間しかないそこに腰を落ち着け、僅かに開いた窓から眼下に広がる王都の街を眺め遣る。
王宮に設けられた来賓用の一室。スノウに与えられたそこは、その中でも街が一望できる、かなり上等な部類の部屋である。些細なことではあるが、いかに『勇者』の肩書きが力を持つかを示しているようで、改めてその双肩にかかる重みを思う。
「まあ隣町くらいじゃ疲れるだけかなあ」
勇者スノウ・シュネーの知名度はそこらの貴族の比ではない。
むしろ、下っ端貴族くらいならばスノウの方が有名だろう。稀代の勇者という触れ込みに竜討伐という箔までついて、庶民にとっては最早英雄扱いである。
面が割れないあたりとなれば、王都からかなり距離をとる必要がある。いっそ国境近くまで行けばマシかもしれない。
「そうだな。こことあまり変わらないはずだし……今、そこで試合してるだろ?」
力なく同意を示したスノウが、静かに席を立って窓辺に寄ってくる。
同じように窓から街を見下ろし、円形の建造物を指差した。
巨大な円形の建物は、国営の闘技場だ。主な用途は勇者選抜に関る諸々の試合開催である。
勇者の選抜はそれこそ先代勇者退位後に行われるが、それまでに幾度となくそれに準じる試合が行われている。
というのも、先代勇者の退位後に行われるトーナメントに出場できるのは、選りすぐりのごく一部でしかないからだ。トーナメント出場を賭けて、それより以前に幾つかの予選会が行われるが、そこも篩をかけられた後だ。予選会の名簿に名を連ねるためには、定期的に行われる試合に出て実績を積み、同時に魔物の討伐数も稼いでおかねばならない。その双方を総合的に判断されて、初めて『勇者候補』と呼ばれるのだ。
とはいえ、名簿は試合ごとに変動する。運よく己の名が記載されている時に次期勇者の選定が始まればトーナメントに出場できるが、タイミングがずれると参加できない。たとえ、それまでの何年間上位にいたとしてもだ。
名簿に名を連ねるだけでも狭き門だが、それだけ勇者を志す人間が多いという表れでもある。
現在、その建物の中では『勇者の仲間』を選ぶための試合が行われていた。
つまりは、この祝祭が明けた後にスノウたちと共に旅立つことになる仲間である。
「ああ、捨て駒を選ぶ試合だね。それとも新たな生贄って言った方が相応しいかな」
からりと笑ってスノウに答える声には、過分に棘が含まれていた。口調が変わらず穏やかな分、その鋭さは際立って感じられる。
「……機嫌悪いな?」
スノウが薄く笑みを浮かべて、首を傾げる。
その青い双眸の見つめる先には、窓辺に腰を落ち着けた小さな影がひとつ。
そこに鎮座しているのは、毛足の長い、赤錆色のネコだ。
朝陽の中に赤い色彩が鮮やかに煌いて、さながら太陽そのもののような明るさを室内にもたらしている。バランスを取るためか時折ゆらりと揺れる尾は、豊かな毛並みを誇る。
その珍しい風貌は、真紅の瞳とも相まってどこか神秘的な威厳すら漂わせていた。
「疲れてるのは人間ばかりじゃないってことだよ」
小さな牙が並ぶ口が開いて、その喉から滑らかな言葉が飛び出す。
スノウは驚く素振りもなく、腕を伸ばして柔らかな毛並みを撫でた。
「じゃあ息抜きに付き合ってくれるか? 俺は、試合の結果が出る前に王都を出たいんだ」
大人しく撫でられるがままになっていたネコは、スノウの言葉に真紅の目を向ける。長めの耳がふるりと震えた。
「結果が出る前に? どういうこと?」
「結果が出たら顔合わせやら任命式やらで忙しくなるだろ? 王都を出にくくなるんじゃないかと思って」
理由を話すスノウの青い目を、ネコの鋭い視線が見つめ返す。
「……本当の理由は言いたくない?」
ややあって牙のある口から漏れたのは、少し不満げな声だった。
それにスノウは苦笑してネコを抱き上げる。
「本当も何も、他にどんな理由があるんだよ」
「さあ。俺は勇者でもスノウでもないからね。わかるわけないよ」
更に機嫌を斜めにしたその言葉に、スノウは喉で笑う。
「そう拗ねるな、エル。別に嘘じゃないぜ。身軽なうちに出たいのは本心だからな」
顔を寄せてスノウが囁くと、エルと呼びかけられたネコはぴくりと耳を揺らした。真紅の目が、間近にあるスノウの顔を見上げた。
「……たかだか数日の外出でしょ?」
身軽なうちに、などと大げさな。言外に滲ませた意味に、スノウは笑みを深める。
「誰が数日だって? 俺は王都を"発つ"と言ったぞ」
真紅の双眸が、大きく瞠られた。針のような瞳孔が一気に広がり、赤い虹彩に黒が広がる。
「…………え? 発つってそういう意味で?」
ぱちりと瞬いたネコ――エルは、暫しの沈黙の後、存外落ち着いた声音でスノウに尋ねた。
「因みに旅の目的は?」
「一応は魔王討伐だな。ついでに魔物を倒していく予定」
「あー。うん、そういう……いや、でもそれって駄目なんじゃないの」
スノウの言う旅は、どうやらこれまでの「任務」に戻ることを指していると悟って、エルは指摘する。
曰く、彼らは公式に『休暇』となっていると。
勿論、だからといって旅を禁止されているわけでもなければ魔物を討伐することを禁じられているわけでもない。ただそれが意味しているのは暗に「動いてくれるな」という上層部の意思である。
新たな仲間と武器を揃え、制度を整えて次への準備をしているのが現状なのだ。
そこで勝手に戦いに身を投じられてしまっては、全てのお膳立てが無駄になる可能性もある。
王の命をうけている『勇者』の立場からすれば、勝手に『休暇』を返上するというのは王命に背いていることになるだろう。
「仕事熱心というか真面目なとこはスノウの美点だとは思うけどさ、ここは普通に羽を伸ばす旅に留めておくのが無難じゃないの?」
淡々と常識的な見解を述べる腕の中のエルに、スノウは曖昧に微笑んでいるだけである。
スノウ・シュネーという人間は頭が良い。エルの述べているようなことが想像できないはずがなく、既に熟考した後なのだろうことが見て取れた。
それはなんとなくエルも気づいていたが、止める気はない。
「大体、旅立つための準備もしてないよね。メリルやフレイたちもそれぞれ予定があるんだから、そう思ったように発てないよ。それに彼らはきっと反対するよ、命令違反なんて」
「エルは常識人だな」
スノウは言って、軽く頷く。
勇者という存在は、良い意味で常識を超えていなければならない存在である。だが、その感性は限りなく常識的であらねばならない。でなければ、人に添う事ができないからだ。
その感性が常識内であるはずのスノウが、エルに向かって常識人だとしみじみ言っている。人間を代表する彼が、人ではないエルに向かって。
エルは赤い目を眇めてスノウを仰ぐ。
「そう思うなら魔物に常識を説かせないでくれる?」
不機嫌な色を隠そうともせずに、エルは淡々と言い放った。
エル・バルト。
それが彼の名である。
パールディアの東部、カディス付近に聳える岩山がエルの住処であり、彼が魔物の長として君臨する『城』だ。
公式には、その『城』とそこに集っていた魔物は瓦解したことになっているが、事実は異なる。岩山は依然として『城』の機能を果たし、エルの配下である魔物も変わりなく生活していた。
ただ、そこに城主であるエルの姿はない。
遠く離れた王都、バルカイトにて勇者の供をしているのだから、当然と言えば当然だ。
魔物であるエルが天敵とも呼べる勇者と共に行動している現実は、端から見れば非常にきな臭い。双方どちらから見ても裏切り行為と取られかねず、互いにデメリットしかない。
それを理解できない両者ではなかったが、せざるを得ない事情があった。
魔法である。
エルの本性は竜であり、本来ならば普段は人型を取って生活している。間違ってもネコではない。そもそも、魔物は本能的にネコを忌避する傾向があるのだ。魔物として「変わり者」扱いをされるエルとはいえ、魔物は魔物。ネコは苦手であり、酔狂でも変化しようとは思わない。
そんなエルであったが、魔法によってネコの姿を半ば強制されていた。
原因も切欠も不明。更に言えば発動条件もよくわかっていない。
大抵の場合、何の前触れもなくネコの姿に変じてしまう。とはいえ、時間をおかずに人型に戻ることは可能なのだが、数日と持たずしてネコになってしまうのだ。
解決策も法則性も見いだせない現状に、エルは渋々勇者と行動するという選択に至った。
その理由は、最初に発動した際にスノウがその場にいたことと、かつてスノウにかけられていた魔法が、何かしら関係していると踏んだ為だった。
「まあまあ、苛々するなよ」
エルの苛立ちの元凶であるスノウが、どこか食えない笑みを浮かべてエルの首元を撫でる。
「……ちょっと、何してんの」
「いや、ご機嫌を取ろうかと思って」
スノウは楽しげに目を細めて、エルの喉を優しく撫でる。その指が通るたびに、首輪に付けられた装飾が涼やかな音色を奏でた。
「ご機嫌になるわけないでしょ。前と違って、今はネコの習性はないんだから」
赤い目が剣呑な光を帯びる。
ネコの形態を取っているからといって、習性までネコに近づくわけではない。自己がきちんと確立されていれば尚更である。
「そうか。残念だな……前は可愛かったのに」
スノウの声は限りなく本気だった。心底残念がっている。スノウのネコ好きは今に始まったことではないので、エルは溜息ひとつであしらった。
エルがこんな状況に陥るのは、実は二度目だ。
その時は、エルは記憶喪失になっていた。自己の認識があやふやなところにネコに変じる魔法をかけられたため、一時はネコの習性に負けて"ややネコ"のような生活を送っていたのだ。魔力や記憶の一部が戻るにつれてネコらしさは減ったが、今となっては黒歴史である。
そして、その魔法をかけたのが、今エルを撫でているスノウであった。当時から謎のネコ好きっぷりを発揮して、捕虜として捕らえたエルに魔法をかけたのである。
「そう心配要らないさ」
「心配とかじゃなくて。反対されるよって言ってるの」
喉を撫でてくる手からさりげなく逃れてエルが言う。
王命に縛られ、使命に縛られているのは勇者であるスノウだ。背いたときに代償を払うのは彼であり、それ故に彼の仲間達は口をそろえて反対するだろう。今のエルのように。
ただ、エルが彼らと違うのは、人の法に縛られないという点だ。
王命も人の法も、魔物である身には何の意味もない。そもそも人の王など恐れる対象にすらならないのだから、それも仕方ないといえる。
だからエルの言葉は、あくまでも『人間の常識』に則ったものだ。そうでなければ、好きなようにすればいい、と軽く背中を押すだろう。エルとしては息詰まる王宮などより、外の方がよっぽど過ごしやすい。
「だろうな。まあ、知らせるつもりはないけど」
「はっ?」
不穏な言葉が聞こえて、エルは勢いよくスノウを見つめた。
知らせるつもりがない?
「止められると分っててわざわざ問答しに行くほど暇じゃないぞ、俺は。それにもし、一緒に、なんて言われたら断りきれる自信がない」
いや暇だろう、とエルは内心思ったが口にはしなかった。
むしろ暇を持て余しているせいでやたらパーティの誘いをかけられている節もある。いっそのこと休暇の初日あたりから故郷に里帰りでもしていれば、今頃気疲れする事態にはならなかったのではないだろうか。
既に後の祭りなので、今更言っても詮無いことではあるのだが。
「……ひとりで発つってこと?」
替わりに別の問いかけを口にした。
どうやらスノウは、最初からメリルたちを誘うつもりはなかったようだ。休暇中に発つ、と決めた時からそのつもりだったのだろう。
メリルたちを誘って共に旅立てば、彼らもまた王命に背くことになる。ならば彼らは初めから「知らない」方がいいに決まっている。
「ああ」
スノウは軽く首肯する。その青い双眸は強い輝きを宿し、揺れる気配もない。
彼が心を決めているのだと悟って、エルは長く息を吐く。
「……わかったよ、止めない。そもそも俺には関係ないしね。スノウが王都を出たら、ほとぼりが冷めるまで城に戻っとくよ」
気をつけていってらっしゃい、とエルは豊かな尾を左右に緩く揺らす。
エルが会話可能なネコであり、魔物であることは、一部の人間は知っている。主に、メリルやフレイといった勇者の仲間たちである。なので突然スノウが行方を眩ませたら、真っ先にエルが事情聴取されるのは間違いない。
正直面倒くさい。
スノウの決断を知って咄嗟に弾き出した結論は、初動のどたばたが過ぎるまで自身も姿を眩ませておこう、というものだった。勿論、いずれはスノウに合流するつもりではいる。
すると、スノウが笑う気配がした。
「そうだ、一人旅だ。……ネコは人数に含まれないしな」
「……んん?」
何か聞き捨てならないことを言われた気がして、エルは首を捻る。
「えっと、それはつまり」
「暫く一緒に行動するんだろ?」
その魔法が解明されるまで。
そう、以前口にしたのは確かにエルの方だった。
スノウの存在が関係していると睨んでの行動と発言だったが、スノウにとっては何のメリットもない申し出だったはずだ。事実、魔法が発動したところでスノウには何の変化もないのである。魔物を連れ歩くことの方が余程彼にとっては危険な行為であり、エルの主張を跳ね除けても当然だった。
だが、スノウは容易く首肯した。
恐らくそれは、スノウの中に多少なりともエルに対する罪悪感があるからだろうとエルは考えている。
そもそもの初め、エルにネコの魔法を『かけた』のはスノウなのだ。
否、正しくは、エルの体を借りた『スノウ』だった。
彼らは陰謀とも事故とも呼べる事態により、互いの意識が入れ替わるという現象に陥っていた。しかも記憶まで失っていたために、入れ替わりの事実に長く気付けず、そのままの状態で互いに敵として対峙することになった。
勇者スノウの体には『エル』の意識が。
魔物の長エルの体には『スノウ』の意識が。
互いにそうと知らないまま、体に与えられた役割をこなそうと奮闘していた。結果、魔物の捕虜となった勇者は長の手によってネコに姿を変えられた。
紆余曲折を経て、記憶を取り戻してからその魔法は解いた筈だったのだが、なぜか魔法をかけた側の体であるはずの「エル」がネコに変じるという現状に至っている。
つまり、エルのネコ生活が二度目、の理由である。
「確かにそうは言ったけどさ……別に数日離れたところでどうにもならないよ?」
だから後から合流すればいいだろう、とエル。
それに、スノウは僅かに視線を逸らして考えるような素振りをみせる。
「お前が言うならそうなんだろうな。だが、万一ということもある」
「万一って……あのね、前とは違うよ。俺だって魔法使えるんだから」
ネコの姿では大した魔法は使えないが、人型に戻れば自在に操れるのだ。
「知ってる。魔法は得意なんだろ」
「そうだよ。だから心配いらないって。何かあったとしても、自力で解決できるし」
「ああ、お前が強いことも知ってる。ただ俺が、話し相手もいないとさすがに寂しいんだ。駄目か?」
ふわりと笑ったスノウが、首を傾げてエルに問う。
面倒ごとは御免だというのがエルの本音だ。率先して苦労する側に回る気はない。
ぐう、とエルの喉が鳴る。
「っ、ほんっと、そゆとこ卑怯!」
そんな言い方をされれば、断れない。スノウはそんなエルの心理を理解したうえで、わざと言っているのだ。
相手が確信犯であることをわかっていながらも、エルは断り切れなかった。
「魔法が解けるまでだからね!」
いつものように主張すれば、スノウが嬉しそうに笑うものだから。




