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1.元勇者と魔物

 悪、と呼ばれる存在がある。

 街を焼き殺戮を繰り返し、世界を破壊する。心と呼べる感情はなく、ひたすらに血と破壊を求める生き物。

 人々はそれらを『悪』とみなし『魔物』と名をつけた。

 魔物はありとあらゆる場所に現れ、人の世界は常に脅かされていた。

 そこで人々は、人の世界を守るために『正義』を生み出した。

 それが、『勇者』と呼ばれる存在だ。



 "西の真珠"と例えられる王国、パールディア。

 大陸の北側に位置し、魔物が多く棲息する「銀の森(プラータ・セルバ)」が国土のおよそ半分を占めている。ゆえに魔物による被害は多い方であり、この国もまた、勇者を擁する国のひとつである。

 この国で、第5代目勇者として擁立されたのは18歳の若者だった。

 名をスノウ・シュネー。

 白金の髪に青い目、優し気な容姿とは裏腹に、勇猛さと冷静さを併せ持つ成熟した人格を備えていた。任命直後から頭角を現し『稀代の勇者』と称されたが、彼の最大の功績は伝説化していた竜を討伐したことであった。

 魔物の不穏な動向を察知した王は、王国軍を派遣し大規模な魔物討伐を行った。

 これを率いていたのは6代目勇者クロス・エセルである。当時生死不明となっていた5代目勇者の報を受けての任命だった。

 王国軍は激しい抵抗にあい、多数の犠牲を出したものの、勝利を勝ち取ることができた。そしてその際に、魔物の長たる竜を倒したのが5代目勇者スノウ・シュネーだったのである。記録によれば、死を偽装したスノウ・シュネーは魔物の城内に潜伏し、精鋭部隊と共に乗り込んできたクロス・エセルと協力して長の討伐を成し遂げたとなっている。

 長の死骸は聖剣の威力で融け崩れ、無事に形をとどめていた一部を首級がわりに王都に帰還した。

 こうして、5代目勇者スノウ・シュネー及び、6代目勇者クロス・エセルの名は、その偉業と共に王国の歴史に刻まれることとなった。



★★★



「だからさ、ここはどこなんだよ。まじで」


 罅割ひびわれた声は、森の静寂の中に吸い込まれるようにして消えた。

 鬱蒼とした森の中。見上げれば、生い茂る枝葉が一分の隙もなく敷き詰められ、空の色すら判然としない。足元には苔と落葉が堆積し、木の根を覆い隠している。

 殆ど光の差さない薄暗い森だった。足場は悪く、幾度も足を滑らせ転倒しそうになる。

 どこか見覚えがあるような、けれども全く知らない場所だった。

 手近な木に凭れ掛かり、肩で息をしつつ零すのは亜麻色の髪の青年だ。

 汗に濡れた顔には疲労の色がありありと浮かび、青い双眸は苛立ちに揺れている。その手には、元の鋼の色がわからないほどに赤く染まった長剣が握られていた。

 彼の名はクロス・エセル。王国パールディアの"元"6代目勇者であり、現在は『次期勇者』という地位を授けられている青年だ。

 彼は5代目勇者の存命が確認されたことで、勇者の地位を返還した。

 勇者はひとりと定められている。法的な決定ではなかったが、それが慣例となっていた。

 クロスは一切の躊躇いなく返還した。元々、緊急措置として就任した地位である。正規の手順も踏んでいないこともあり、彼にとって返還するのは当然のことだった。

 しかし"竜討伐"という功績を惜しまれ、表舞台からの退場には待ったがかけられた。一時は勇者を二人とする話も持ち上がったほどだったのだ。結局それはクロス自身が固辞したことで廃案となったが、クロスは『次期勇者』という特例の地位を授けられることになった。

 5代目勇者に不測の事態が起きた場合、すぐさま6代目勇者として任命されるという、文字通り「次期」勇者の道が確定している地位だ。

 そのため、勇者の証ともいえる聖剣は下賜されたままであった。その剣で魔物を討伐する日々は以前と大差なく、彼自身、肩書きが変わっただけのようにも感じていた。

 

「銀の森だとは思うんだけど」


 正直わからない、とクロスの問いに答えて首を振るのは、長い黒髪を背に流した人物だ。

 長さにばらつきのある髪は、大して手入れされている様子はないものの、美しい光沢を放っていた。

 女性が羨むような艶やかな黒髪に、陶器のように白い肌。

 長めに伸ばされた前髪の奥では、髪同様に漆黒の双眸が不安げに揺れている。

 一見すると少女のような印象を与える姿だが、その体つきは男性のそれだ。


「まあ魔物いたしな……」


 先ほどまでの攻防を思い出して、クロスは遠い目をした。

 あれだけの魔物の群れに囲まれたのは久々だとクロスは思考する。とはいえ、四方を魔物に囲まれて戦うという無謀な経験はつい最近もしたばかりなので、そう懐かしむほどでもない。

 単純に当時と先ほどの状況を比べれば、今回の方がずっと楽ではある。敵の強さも数も格段に劣るのだ。ただ問題なのは、戦力がクロスひとりという所だろう。

 クロスの目の前でどこか申し訳なさげに眉を下げている相手は、とてもではないが戦力にはなり得ない。寧ろ、荷物だった。口にはしないが……否、していたかもしれないが、正直邪魔だった。

 魔物の群れに囲まれている間中、クロスは彼を抱えた状態で逃げ回っていたのだから。

 幾らだぼついた服の上からでもわかる程に華奢な体をしていても、相手も一人前の男性である。それなりの重量もあれば、かさばりもする。気合いで肩に担ぎ上げたものの、その状態で剣を揮えるほどクロスは器用ではなかった。

 ひたすら足を動かし、追いすがる魔物を躱して斬りつける。血飛沫を避ける余裕もなかった。魔物が血液に毒作用のある種類でなかったことが救いといえば救いである。

 結果、現在のクロスの姿は散々な有様だった。

 衣服はところどころ破け、返り血に塗れている。髪も肌も、赤黒い血液がべたりと張り付いていた。

 辛うじて無事な色を保つ肩口で、己の頬を拭いながら、クロスは嘆息する。


「とにかく移動するか」


 クロスの視界には、斬り捨てられた魔物の死骸が転がっている。

 不利な状況での交戦を避けたかったクロスは、撒くつもりで疾走した。だが結果として追いすがってくる魔物は決して少なくはなく。時折足を緩めて包囲を切り崩しては再び撒きにかかる、ということを繰り返して逃亡していたのである。それも、ここでようやく打ち止めらしい。

 周囲には新手の気配はない。

 とはいえ、血臭の漂うこの場にいては、いつ他の魔物や肉食獣がかぎつけてくるか知れなかった。再び剣を揮う羽目になる前に、遠く離れるべきだろう。

 抜き身の剣を下げたまま、クロスが歩き出す。

 その後ろから、少し遅れて草を踏む音が続いた。

 足取りに不確かなところがないことを伺って、クロスは内心安堵する。

 事前に『使い物にならなくなるかも』とは本人から申告されていた。ざっくりとした説明は受けたものの、目の当たりにしたことのなかったクロスにはよく意味がわからなかった。己の認識が甘かったと悟ったのは、蹲ったきり返事もままならない相手を前にした時である。相手の事情といえばそうなのだが、こればかりは相手ばかりに非を求めるのも酷だということもわかっている。

 けれど、投げつけた罵倒を撤回する気はなかった。

 優しく気遣うのも労りの言葉をかけるのも、己の非を認めることすらも、しゃくに障るのだ。


 相手は、そもそもが『敵』なのだから。


 長い黒髪に、黒曜石の目。端正な容貌と、男性にしては華奢な体つき。

 十人が十人「弱そう」と判断するだろう外見を持つ相手は、大男が束になっても敵わない程の力を持つ魔物だ。

 名をエル・バルト。

 魔物の中でも最強と言われる竜族、そのひとりである。

 彼本来の色彩である緋色の髪と深紅の瞳は、現在魔法によって隠されている。ただ、恐ろしいことに、彼が偽装しているのは色彩のみだ。少女の如き容貌も折れそうに細い腰も、彼本来のものである。

 魔物は粗野であり獣のような外見をしている、というのが人間に根付いた「常識」だった。事実、クロスが勇者として剣をとっていた間も被害として報告されていたのは、家畜や作物への被害といった軽度のものから、襲われて負傷ないし死亡、はたまた食われた、といった凄惨なものまで、どれもひとえに「獣害」と呼ぶべきものばかりだった。

 人間にとって魔物は厄介極まりない「獣」のような存在だったのだ。クロスもまたその例にもれず、魔物はそういうものだと思い込んできた歴史がある。

 今でこそこうして後ろを歩く青年が魔物だと知っているが、かつての自分にこの事実を教えたところで、信じるとは思えなかった。自身の目で、腕で、肌で感じたからこそ、にわかに信じがたい現実を受け止められていると思っている。


「クロス……大丈夫? 少し休んでからの方がいいんじゃない?」


 気遣わしげな声が背後からかけられる。

 足を止めて振り返れば、ゆらゆらと揺れる黒曜石の双眸とぶつかった。あからさまなまでに「心配」と書かれた表情を見て、自分が今どれほど酷い状態なのか思い至る。

 衣服はぼろぼろの上に血まみれ、疲労もあって顔色が悪い自覚はある。


「やめとく。長居はよくないだろ。第一、血の臭い酷すぎて気分悪くなりそうだ」


 あながち嘘でもないことを述べれば、相手はへにょりと眉を下げた。


「……ごめんね、役に立てなくて。良かったら、その、おぶろうか?」


 謝罪と共に示された提案に、クロスは呆れ返る。

 その表情から見るに、相手に悪意はないだろう。恐らく純粋な厚意で持って発言している。魔物の厚意など、と以前なら鼻で笑って信じないところだが、今は違う。

 一括りに魔物といっても、外見だけでなくその中身までも様々だ。基本的に好戦的な性質は共通しているらしいが、目の前の「エル」は魔物にしては理性的かつ温和な部類に入るようである。

 害意はないと明言している相手に対し、毛を逆立てても無駄でしかない。

 もちろん、クロスとて常にそう考えているわけではない。害意がないようにみせかけている可能性もゼロではないし、警戒はするに越したことはない。

 ただこれまでの相手の言動から総合的に判断しているにすぎないのだ。


「やめてくれ。そこまで疲れてねえよ」


 ひらひらと手を振ると、相手は困ったように笑った。クロスの返事は予想されていたらしい。

 それも当然だ。魔物と人間の別なく、男であれば男に抱えられるという事態は避けたいに違いない。最初に問答無用で抱えたクロスが言えることではないが、相手にとって屈辱的ではあっただろう。

 とはいえ、クロスひとりを抱えたところでさほど負担にはならないだろうとも思う。

 見た目こそクロスよりも華奢に見えるが、相手は人ではない。

 クロスがこれまでに倒してきた魔物よりも、更にずっと格上の存在だ。その気になればクロスを抱えての立ち回りも可能な筈だ。

 何しろ、初めて対峙したときは、クロスの剣の倍はあろうかという大剣を片手で振り回していたのだから。


「……そっちはもういいのか?」

「え?」

「体調。吐きそうだったんだろ」

「あ、うん。大丈夫、落ち着いた。……ありがとう」


 一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、穏やかに笑う。

 つい気遣うような言葉を吐いた自身に苛立ちつつも「そうか」と相槌を返す。

 クロスは剣を持たない手で髪を掻き上げ、軽く頭を振った後、再び歩き始める。

 後ろから付いてくる足音を聞きながら、とりあえずの話題を続けた。


「どうにかなんねえのか、それ。戻るたびにあれじゃ、話にならねぇだろ」

「どうにかできたらいいんだけどなあ。そもそもの原因がわからないからどうしていいやら」


 言葉の後に深いため息が続いた。

 結構参っているようだ。

 魔物が獣に近い形態のものばかりだという認識は、ここ最近になってようやく改められようとしている。それでも、それは国の上層部や勇者に近い立場の者、魔物と関わる必要性がある人間に限られていた。多くの人々の認識はいまだかつてのままであり、獣でないどころか人型の魔物が存在するという認識すら怪しい。

 そんな中で、人と変わらない姿を持ち、かつどう頑張っても強くは見えない「エル」は、ほんの少しの偽装で人間に紛れ込めてしまう。その容姿から違う意味で人目を惹きそうではあるが、とりあえずは問題ない。

 だというのに、彼は普段はネコの姿で過ごしている。

 その上で、5代目勇者スノウ・シュネーと行動を共にしていた。

 天敵とも呼べる関係の者同士が、そうして共にあるということ。それはなんらかの陰謀や裏を匂わせるものだ。クロスとて、全く何も知らない状態ならば真っ先に疑うだろう。裏にある思惑を読み取ろうと必死になるはずだ。

 だが、様々な思惑が絡み合っていそうな彼らの関係は、実際は酷くシンプルなものだ。

 否、現状に至る過程は複雑怪奇ではあるのだ。ただ、その当事者同士がそれを複雑と思っていない節があるだけで。

 クロスも詳しい事情は知らない。クロスが知るのは経緯と結果、そして目の前の魔物――エルが自ら望んでこの状態になっている訳ではないということだ。


「難儀なことで……魔法なんだよな?」


 隣に並んできた拍子に問いかけると、エルは考える様子を見せたあと答えた。


「多分。まあこうして元に戻ること自体は可能だから、そう強制力のある魔法じゃあないんだろうけれど」


 よくわからないんだ、とエルは困ったように笑う。

 その様はまるで、ごく普通の青年のように映る。穏やかな口調と落ち着いた声音。纏う雰囲気は緩やかで、どこか麗らかな陽気を思わせた。

 クロスは再び「大変だな」と同情的な言葉を吐いて、少し昔に思いを馳せた。

 かつて、パールディアの東部カディスの近くに"あった"魔物の城。

 先の大規模な魔物討伐において、王国軍が制圧し5代目勇者とクロスが長を倒したとされる場所だ。

 現在は城ごと魔法で封じられており、そこに棲息していた魔物は殆どが討伐されたか散り散りになったと聞く。長の死による魔力の暴発でかなりの数の魔物が死亡したとも言われている。

 王国の公式記録と人々の記憶にはそう記されているが、実際は大分異なる。

 何より、倒したはずの長は傷ひとつない姿で今日も元気に歩いている。

 そう、今まさにクロスの隣を。

 勇者と王国軍による魔物討伐は、実際は完全な敗北だった。

 それを『勝利』に書き換えたのは、クロス自身が魔物の長と取引をしたためだ。

 魔物討伐が『完了』したと報告することを条件に、己を含めた捕虜の身柄を解放する。

 長が提示した条件に、クロスは躊躇いつつも頷いた。

 魔物と人との戦力差は歴然としていた。人が魔物を侮りすぎていたのが敗因のひとつだとクロスは分析している。戦利品として竜の一部を受け取り、勝者と敗者としての口裏を合わせた。

 当然ながらこの真実を知るのは、その場に居合わせたごく一部のみである。

 当時のことを思い出す度に、クロスの胸の中は激しく波立つ。様々な罪悪感や後悔はあれど、それ以上に思い出されるのは煮え湯を飲まされた長の姿であり、それは強烈な苛立ちとなってクロスの記憶に焼き付いている。

 だが、今隣を歩く彼からは、かつての姿はすっかりなりを潜めていた。

 むしろ同一人物なのかと疑いたくなるほどに、その雰囲気は様変わりしている。

 実際、別人ではあるのだからそれも当然なのだが。


「まあ別に命が脅かされるわけじゃないから、まだいいんだけど……」


 そう返してくるエルは、どこまでも呑気で穏やかだ。


「そうかもしれねえけどな……お前もっと危機感持ったほうがいいぜ。あの様子じゃ無抵抗に近いだろ。敵のど真ん中に放り出されたら詰みじゃねぇか」


 エルの場合、むしろ日常的に敵に囲まれている状態である。

 普段はネコの姿で、勇者をはじめとした人間たちと共に生活しているのだ。そこだけ見れば一瞬の油断も命取りになりそうな、ギリギリの綱渡りにも見える。

 そういう意味も込めたクロスの忠告を、エルは困ったような笑みで流した。どこまで真剣に理解しているのか、危機意識が薄そうな様子は見ていて歯痒い。

 クロスとしてはその身がどうなろうと関係はない。複雑な事情がある為、こうして肩を並べているが、逆に言えばそれさえなければ今すぐ剣を向けても構わないとも思う。ただ、足手まといの御守は御免だという気持ちからの忠告だった。

 ここ最近の出来事により、クロスの中の魔物に対する常識はだいぶ変更されている。魔物のすべてが『悪』だと、クロス自身も断言はできなくなった。心無い、血を求めるだけの生物ではないのだと理解している。

 だがそれでも、魔物が"敵"だという認識は変わらない。

 これまで見てきた惨状が、恐怖が、憎悪が、魔物を許容することが不可能だと告げていた。


「うーん、そのときはそのときかなあ。気合で頑張るよ」


 エルはそんなクロスの胸の内など知らぬげに、ふわふわと笑う。


「気合なあ……」

「それにきっと、そんな事態になんてならないよ」


 クロスは顔を顰める。

 確かにそんな事態は滅多にないだろう。何しろエルはあの城の城主であり、最強を誇る竜族のひとりだ。その気になれば大抵の敵を殲滅できる筈である。


「皆強いからね。俺が窮地になる暇もないんじゃないかなあ」


 楽だから助かるけど、とエルは言う。いっそすがすがしいまでの不戦宣言だ。


「今は?」

「え?」


 エルの言うように、あの城にいた魔物はどれもかなりの強敵だった。エルに辿りつく前に、大抵の敵は欠片も残さず倒されるだろう。

 だが今やエルの周りには誰もいない。影のように付き従っていた二人の側近も、彼の手足となる兵もいないのだ。身を挺して守ってくれる盾はどこにも存在しない。

 勿論、だからといってここでエルに勝負を仕掛けるほど、クロスは馬鹿ではなかった。実力差は理解しているし、何より現状をよくわかっている。

 ただ、ほんの少し相手の反応を見てみたいという、悪戯心が働いた。


「今はどうなんだ? 誰もいないだろ」


 一人と気付いて焦るか、怯えるか。それとも長らしく余裕をみせるのか。

 或いは、言葉の裏に気付いてクロスを警戒するだろうか。

 平静を装った意地悪な問いかけに、エルはぱちりと瞬いた。


「? 何言ってるの? クロスがいるよ?」

「は」


 エルは黒曜石の双眸を不思議そうに瞠り、首を傾げた。

 その表情に何の翳りもないことを見取って、クロスもまた目を瞠る。

 何を言われたのか、一瞬理解できなかった。

 嘘や冗談でないことは、その表情をみれば一目瞭然だ。エルは紛れもない本音で話している。


「そ、れは、そうだけど」


 回らない頭で、必死に言葉を繋ぐ。エルの言葉を咀嚼するのに忙しく、何を言えばいいのかわからない。


「? あ、いざとなったら俺もちゃんと戦うよ。全部任せて逃げたりしないから。後方支援は得意だし、えっと、あ、治癒! あんまり得意じゃないけど一通りは出来るよ!」


 強張ったクロスの表情をどう解釈したのか、エルは慌てたように謎のアピールを始めた。

 魔法系に特化していると自己申告しているだけあって、内容は魔法中心のようだ。


「魔法なら大抵なんとかできるから、頼りにしてくれて大丈夫! ……んん、頼りにはならないかもしれない。けどこれからは足手まといにならないよ。何だったら今度は俺がクロスを抱えて逃げてもいいし」

「それはやめろ」


 にべもなく断ると、エルは不満そうな声を上げる。だが、心底そう感じているわけではないことは、柔らかな表情をみれば明らかだ。

 エルの中では、クロスもまた己を守る盾なのだろう。他人を盾扱いとは、多くの魔物を束ねる長らしい傲慢な考えだ。

 そう、内心で呟いても、少しも苦味を感じない。

 エルが「そんなつもり」でないことなど、わかりきっている。わかってはいたが、認めたくなかった。

 認めてしまったら、どこか自分がぐらつく気がして。

 いつか剣を向けられなくなる気がして。


 まだ、自分は殺せるのだ。

 そう胸のうちに繰り返している、それ自体が既に揺さぶられているのだと、未だ気付かないまま。





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