はじまり
お久しぶりです。
このたび、続編を始めることになりました。
相変わらずの亀更新になるかと思いますが、また長い目で見守っていただけると有難いです。
「この……ヘタレが!」
苛立ちを隠すことなく叫ぶのは、剣を構えた青年だ。
簡素な旅装に身を包み、柄の部分に襤褸を巻き付けた剣を手にしている。襤褸の隙間からは黄金の輝きが零れており、それなりに値打ちものの剣であることが伺えた。
青年の青い双眸が鋭く周囲を牽制する。
視線の先には数頭の獣の姿があった。狼に良く似た体躯の、けれども額に角を生やした獣。
その種族を示す名はあるだろうが、青年はそれを知らない。彼が知るのは、目の前にぞろりと雁首をそろえている獣たちが『魔物』と人々から忌避される存在であることだけだ。
かつて『勇者』の称号を得ていた彼が、今もなお倒さねばならない敵である。
木立の間から一頭また一頭と魔物の姿が増えていく。
焚き火の明かりに浮かぶ影は、既に両手では足りない。未だ闇に潜んでいるだろう気配を思えば、背中に冷たい汗が流れた。
とはいえ、彼は曲がりなりにも『勇者』の肩書きを冠していた経歴の持ち主だった。
それなりの技術も経験もあり、相応の修羅場も潜り抜けてきた。それを思えば目の前の魔物など、雑魚でしかない。
だがそれは、彼が一人、或いは「信に足る」仲間がいると想定した場合の話である。
「いい加減、それどうにかしろ!」
青年は叫びざま、足元を一瞥する。そこには蹲る人影がひとつ。両足を折りたたみ、頭は完全に地面に伏していた。いわゆる「ごめん寝」の状態である。
鋭い彼の一喝に、長い髪に覆われた背中がぴくりと震えた。
「……その、どうにかしたいのは、山々なんだけど」
小枝を踏む音すら響くような緊迫した空気の中、か細い声が落とされる。
「ほんと、加勢というか頑張りたい気持ちは……」
すごいあるんですけど、と消え入りそうな声はそのまま地面に吸い込まれていく。
後はなにやら苦しげな呻き声が漏れるだけである。
「いいからとりあえず立て!」
魔物たちがじりじりと距離を縮めて来ることに焦りを覚えて、彼は盛大な舌打ちの後に命令する。
仕舞い込まれていた頭がゆるゆると持ち上がる。次いで、上体が不安定に左右に揺れながら起こされた。緩慢な動作ではあるが、どうやら彼の言葉に従うつもりではいるようだ。
そうと見取って、彼は周囲に視線を走らせる。
既に先ほどよりも多くの魔物が姿を見せ始めていた。
彼一人の奮闘ではギリギリ勝利できるか否かのところだろう。増して、背中に守らねばならない相手がいるの現状では、限りなく怪しい。
「くそっ! 覚えてろよヘタレ!」
この短い間に何度放ったかわからない暴言を再び投げつけ、彼は相手の腕を掴んだ。ようやっと腰をあげ、中腰の姿勢になりかけていた相手はその勢いのまま引っ張り上げられる。
「あ、えっ、ちょ」
そのまま、彼は相手を肩に担ぎ上げた。俵担ぎである。
逆さまにつられた相手が、彼の背中あたりで「下ろして」と弱々しい抵抗を示していたが黙殺する。
そんな場合ではないのだ。
彼は構えた剣をさっと横に凪ぎ、近づこうとしていた魔物の群れを牽制する。
正直、担いだ「荷物」は重い。筋肉らしい筋肉もなさそうな細い相手ではあるが、その分上背はあちらの方がある。
早く片をつける必要があった。
彼は素早く周辺の気配を探り、突如踵を返して駆け出した。
「えっ、クロス!?」
彼の背中あたりで、動揺しきった声が名を呼ぶ。
担がれた相手は、てっきりあの場で魔物と戦うと思っていたのだろう。とてもではないが、あれだけの数を前に一人で戦うなど正気の沙汰ではない。それを難なくこなしてしまうであろう人物に心当たりはあるが、真似などできよう筈もなかった。
こちらは「凡人」なのだから。
そう言い返してやりたい言葉を胸のうちにだけ呟いて、彼は一言だけ唇に乗せる。
「黙れ」
上下左右に揺れる状態で会話などしようものなら舌を噛むし、第一この状況でわざわざ説明するようなことでもない。
なにより今は、無事に逃げ延びることが最優先だ。
背後に追いすがる魔物の荒い息を感じて、クロスは駆けながら剣を握り締めた。
「ほんとごめんね……うっぷ、気持ち悪い、吐きそ……」
嫌な宣言に、背中の冷や汗が増す。
上着の無事は、この際諦める必要がありそうだった。