《滅竜ノ剣(ドラゴンスレイヤー)》は斯く踊る
遠い昔、一頭の竜が邪に堕ちた。
彼の邪竜は、同族殺しの禁忌を犯し、平和だった世に大乱を起した。
同族の暴挙に、竜達は憂いた。
だが、邪竜を止めるために、自分達も掟を破る訳にはいかず、一人の男に助力を請うた。
応えた男に与えられたのは、竜達の加護と、決して折れることのない一振りの剣。
それらを以て、男は邪竜を滅したという。
そうして、禁忌を犯す同族へ対抗する為に、竜達は人々と交わり、気に入った者に加護を与えるようになった。
また、男は《滅竜公》の称号を与えられ、人外達への抑止力の象徴となったという。
◆◆◆
「——いーち、にーい、さーん——」
ものを数えるその声は、怪談的な暗さを孕んでいた。
「――はーち、きゅーう、じゅーう……」
二番目に価値の低い銅貨は、丁度十枚で打ち止めだ。
付け足すなら、三番目に価値の高い銀貨は二枚こっきりで、一番価値の低い銭貨は五十七枚。
一ヶ月過ごせるかどうかも、怪しい額だった。
「……イグニス、お金がないよ~」
「いつものことだろう」
崩れ落ちる少女に、肩にのっていた小さな竜は淡々と返した。
彼等がいるのは、王都――にほど近い森の中に造られた塹壕もどきである。
やや急になった斜面を利用して造られたそれは、雨風を凌ぐには支障がないが、年頃の少女が過ごすには、あまりにも不釣合いだ。
だが、少女がそこで過ごす理由は単純なものだった。
家賃節約の為である。
——家賃・水道の使用料・住民税etc.
王都は確かに便利だが、生活していると金がどんどん飛んでいく。
基本的に少女の稼ぎは相場の低い薬草採取が主な為、金がないなら節約するまでと、開き直った結果が森の中の塹壕もどきである。
王都にはもっと割の良い仕事が沢山あるが、見た目のせいで力仕事系は相手にされず、接客業は素養の問題で壊滅的だった。
少女は祖母及び両親から、狩猟生活のやり方を叩き込まれた故に、地元の人間が立ち入らない程の森の奥にいても全く問題ない。
と言うか、少女は身体を動かしていないと、落ち着かない為、寧ろ王都より森の中の生活の方が性に合っている。
小腹がすいた時に、すぐ獲物を狩れるなんて、素晴らしい、と、少女は本気で思っていた。
だって、金がなくても生きていける。
「刃物が、刃物がほし~。 頑丈な剣~」
「……リンデン、人前でそれを言うな。 通報されるからな……」
虚ろな瞳で呟くリンデンに、イグニスが突っ込む。
如何にリンデンの見た目が麗しくても、言っていることは危険人物としか評せない。
「……うう、何で折れたのさ、おばばととーちゃんの形見~っ! 剣があれば、もうちょっと生活水準が上がるのに~っ!!」
「リンデンが手加減出来ないのが悪い」
リンデンが祖母及び両親から叩き込まれたのは、何もサバイバル技術だけではない。
最も力を入れて習得させられたのは、剣術だ。
それも、演武ではなく、殺傷を目的とした超実践的な方の。
他人に聞かせると大概引かれる修行を経て、祖母からは免許皆伝を貰ったが、一つ大問題があった。
剣が、すぐ壊れるのだ。
何が悪いかと言えば、手加減出来ないリンデンが悪い。
元々、リンデンの流派は、折れることのない頑丈な大剣を使用することを前提としたものだ。
が、リンデンの生来の怪力と、流派の想定が、悪い具合にかみ合ってしまったのがまずかった。
下手な数打ち品では、一振りでおじゃん。
そこそこの銘品も、一ヶ月も持たない。
祖母の形見も父の形見も、折れたら鍛冶屋が発狂しかけた銘品だったのだが、リンデンが使い始めたら一年ももたなかった。
馴染みだった鍛冶屋につけられたあだ名は『剣潰し(ソードブレイカー)』。
剣術の免許皆伝を貰った筈なのに、あだ名がそんなんとは、これ如何に。
……剣に限らず、刃物と言うのは、それなりに想定される使用期間が長く、原価も高い。
よって、ほいほい買える価格では無いし、一振りでおじゃんになる安物を買っても意味が無い。
ついでにいえば、祖母や父の形見の様な剣は、それこそ目玉が飛び出る額だ。
このまま薬草採取生活が続けば、一生お目にかかれまい。
「……伝説の剣がそこら辺に刺さってないかな~」
「——伝説の剣はそこら辺には刺さってないだろうが、そうそう折れない剣が手に入るかもしれないと聞いた」
「えっ?! 何その美味しすぎる話っ!!」
イグニスの話に、リンデンは飛びついた。
基本彼女は脳筋の為、自分に身についた技術が発揮できないのはしんどいのである。
リンデンの採取袋から、イグニスは突っ込んでいた紙を取り出し、ガサゴソと広げた。
「《滅竜公》が、先祖伝来の剣を扱いこなせた者に与えるそうだ」
「へー、太っ腹だねっ!」
《滅竜公》とは、嘗て邪竜を討ち取った男の末裔だ。
《滅竜公》の竜と渡り合う戦闘能力は、国の切り札として重宝されているという。
その《滅竜公》の先祖伝来の剣が、ただの剣であるはずがないのだ。
「イグニス、これでまた、剣の修行が出来るよっ!」
明らかに何か裏がありそうな話だったが、リンデンは特に考えず、思う存分剣を振り回す素敵な未来に思いを馳せた。
◆◆◆
詩人は語る。
愛は、与えるもの。
恋は、奪うもの、と。
——そう、確かにその恋は、奪うものでしかなかった。
祖母の肖像画の前に立ち、青年は軽く溜息を吐いた。
白金の髪の、儚げな祖母の美貌は、青年の妹に継承されていた。
「ライジェル、——いいのか?」
「いいんだ、カエルム」
肩に乗る小さな白竜に、青年は薄く微笑む。
《滅竜公》の末裔は、その証である《滅竜剣》を手放そうとしていた。
「竜を滅してこその《滅竜公》だ。 《滅竜剣》も、死蔵されずに、遣い手の元にあるべきだ」
そう言って、青年は己の右肘を撫でた。
幼い頃の怪我がもとで満足に動かない腕では、代々継承してきた巨大な《滅竜剣》を振るうことは不可能だ。
「《滅竜剣》を振るえぬ者が、《滅竜公》を名乗ることこそが、おかしかったんだよ」
達観した青年の言葉に、白竜は是とも否とも言わなかった。
――もとより、青年には何も非は無いのだ。
元凶である愚かな女の肖像画を、白竜は睨み付ける。
昔々、《滅竜公》の元に、二人の姉妹が生まれた。
傾国とも謳われた美貌の姉と、《滅竜公》の才を受け継いだ妹。
《滅竜公》の特殊性故に、次代の《滅竜公》となるのは、妹の方であった。
ある時、二人は恋をした。
男は、剣の才を持たない文官だった。
冴えない容姿の男であったが、二人はその優しさに心惹かれた。
最終的に、男の心を得たのは妹だった。
世の貴婦人像からかけ離れた妹は、積極的に男へ接触し、その心へ己を刻み付けることに成功した。
その美貌故、それまで多くの男達に愛を囁かれてきた姉は、結果に愕然とし、そして、妹に対して激しい嫉妬を抱く。
姉がしたのは、恋心を昇華するのではなく、妹を貶めることだった。
密かに妹を嫌悪していた貴族に協力を乞い願い、男と妹に嘘偽りを吹き込み、少しずつ楔を打ち込んでいった。
そして、不安になった妹に別の男を遣わし、不義密通の罪で妹を放逐することに成功したのだ。
誰にも無実を信じてもらえなかった妹は、代々《滅竜公》に加護を与えてきた火竜と共に姿を消した。
――だが、めでたし、めでたし、と言う、都合の良い結末は、姉には用意されてはいなかった。
初恋の人と婚姻をあげることが出来た姉は、すぐに喪服を纏うこととなる。
《滅竜公》は、武門の家系。
当然、その当主には、軍人としての義務が課せられる。
碌に剣を使えず、身を守ることもままならなかった男は、それでも義務の為に戦場へ赴き、二度と還ってくることはなかった。
愛する者を喪い、嘆き悲しむ姉は、けれど、その傷が癒える間もなく再婚を強制された。
《滅竜公》に、弱者は要らぬ、と。
剣を振るえぬ文官だった男が、《滅竜公》の本家への婿入が許されたのは、次代の《滅竜公》に値した妹が相手だからだったと、姉は気付けなかったのだ。
絶望に侵された姉は、そのまま壊れ、己が誰であったかを忘れたまま、再婚し子供を産んだ。
——しかし、姉が生んだ子供も、その孫も、分家の者達でさえ、誰も《滅竜剣》を満足に扱うことは出来なかったのだ。
今の《滅竜公》の家に、嘗ての様な輝きは無い。
真実の《滅竜公》は不在のまま、ただ、沈んでいくだけ。
竜を討てる者がいなければ、《滅竜公》の称号も、ただの張りぼてだ。
ライジェルの妹に来た、《滅竜公》の称号目当ての不当な縁談を、断る術すら持ち合わせていなかったのだ。
だから、現当主のライジェルは、《滅竜公》の称号を返上すると共に、《滅竜剣》を託せる相手を探すため、王家の力を借りて触れを出したのであった。
――《滅竜剣》を、振えたのなら。
白竜は、口に広がる苦さに顔を顰めた。
ライジェルは、強い。
だがそれは、《滅竜公》に求められるものとは、別の強さだ。
彼の美徳がライジェル自身にさえ認められないことが、白竜には歯痒くて堪らなかった。
◆◆◆
手にした時に、分かった。
これは、自分の為の剣だと。
柄は、手に吸い付くよう。
適度な重さは、酷く頼もしく。
どんなに振り回しても、壊れてしまいそうな危なげを感じない。
「わ~、イグニス、これ、大丈夫そうっ!」
「それは良かったな」
きらきら笑顔で、身の丈に匹敵する大剣をぶん回すリンデンに、イグニスは生温かい視線を向ける。
固まっている外野など、ガン無視だ。
久方ぶりに思う存分剣を振り回すことができ、リンデンのテンションはだだ上がりであった。
「えへへへへ」
素敵すぎる感触に、リンデンは淡い緑の瞳に、甘やかな色を浮かべる。
生き別れの恋人と巡り会ったかのような、蕩けるような笑顔で、人を殺せる金属塊を振り回す美少女。
……その姿は、色々な意味でアブナかった。
例え、町一番の色男であったとしても、命惜しさに近寄らなかっただろう。
鞘で地面を叩く音に、トリップ状態のリンデンも多少我に還った。
リンデンが手にする大剣を、ただでくれると言う太っ腹な青年は、確かに大剣よりは細剣を持つ方が似合っている。
リンデンとは逆の暗い色合いの髪は、首の後ろで緩く括られていて、眼鏡をかけているうえに、細身なので、何だか青年は文官のようにも見えてくる。
「これにて、《滅竜剣》は正統な主の元へ渡った。 ——彼女が、当代の《滅竜公》であるっ」
青年の言葉に、リンデンは首を傾げた。
「ねー、ねー、イグニス、……《滅竜公》って、何だっけ?」
「……」
リンデンの反応に、イグニスは冷や汗をかいた。
正直、しまった、と思った。
嘗ての契約者であるリンデンの祖母の汚名を雪ぐ為、正当な継承者であるリンデンに《滅竜剣》を持たせてみたが、リンデンが爵位なんて就ける訳がない。
リンデンの見た目は、白金の髪の清楚系美少女だが、中身はがっちがちの脳筋だ。
剣を振り回すだけで幸せになっている人間に、権力を持たせては、、まずかろう……。
爵位なんていらないと、《滅竜剣》ごとぶん投げたリンデンに、投げ捨てた筈の《滅竜剣》がぶっ飛んでいくまで、あと少し。
愚かな姉の小細工で封印状態でなかったならば、《滅竜剣》が主を求めてどこまでも追いかけてくるとは、リンデンの与り知らぬことであった。
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