サンタクロースとアヒルの子
春にはたくさんの動物や魚たちで賑やかだった湖は、すっかり凍り付いてしまっています。
こんこんと降り積もる雪が、空も、木も、草も、水面さえも白く染めあげ、日は全く照っていないのに、とても眩しい景色です。
動物達も、魚たちも、多分、人間達も、家に篭り、身を寄せ合うような寒さでした。
だというのに、その湖には、たった一羽で寒さに震えるアヒルの子がいました。
灰色で、ところどころ毛が抜け落ちて、酷くみっともないアヒルの子でした。
頭や羽のところどころに雪が積もり、それを払いのける元気もなさそうです。
周りに親アヒルや、兄弟アヒルの姿も見えなく、たった一羽で震えていました。
けれどアヒルは笑っていました。
たった一羽で、震えながら、それでもアヒルは笑っていました。
「こんにちは、今日は随分、寒くないかね?」
そんな笑うアヒルのところに、ひとりの人間がやってきました。
真っ赤な服に、真っ白な髭、大きな袋を抱えてた人でした。
この人は、何がこんなに可笑しいのでしょうか? まるでからかうように、ニヤニヤと笑っています。
この人は、どうしてアヒルに声をかけてきたのでしょうか? まるで馬鹿にするように、ゆっくり話します。
「そうですね」
アヒルの子は、ツン、として、くちばしを背けました。
「おや、虫の居所が悪いようだ」
アヒルの態度が悔しかったのか、人間は口をアヒルのように尖らせ、口を閉じてしまいました。
アヒルの子の真似っこでしょうか? やっぱり馬鹿にしに来たようです。
「馬鹿にして! 向こうに行ってください!」
アヒルの子は、羽をばたつかせ、真っ赤な人間を追い払おうとします。
「馬鹿になどしていないさ」
「じゃあ、なんのようですか?」
「聴きたい事があったのだ」
こんなに寒い日に、こんな湖で、しかも人間がアヒルに、一体、何を聴こうというのでしょう?
それだけで、もうアヒルの子は馬鹿にされているようで、ムカムカしてきました。
「何故、笑っていたのかね?」
真っ赤な人間は、相変わらずニヤニヤした顔で、相変わらずゆっくりした声でアヒルの子に聴きました。
その態度は、その言葉は、やっぱりアヒルの子を馬鹿にしていました。
「私は一羽でいるのが好きだからです! あなたのように、ニヤニヤしながら、あれこれ言ってくる人がいませんからね!」
アヒルの子は精一杯、嫌らしく言ってやりました。
「何故、そんな言い方をするのかね? 私はただ話を聴いていただけじゃないか」
「あなたに早く、ここから去ってもらいたいからです!」
ガア、ガア、と喚きながら、アヒルの子は羽をばたつかせました。
「あなたには解らないでしょうね? 親にも、兄弟にも、みんなに意地悪をされて、『いらない子』って言われたアヒルが、どんな気持ちで、ここにいるか」
「諦めてはいけないよ、君にだっていつか愛してくれる人が出来るはずだ」
「それでどうなるんですか?」
「なんだって?」
真っ赤な人間は、初めて驚いた顔をしました。
「愛してもらえて、どうなるというのですか? だから『いらない』って言われたことを、忘れろと言うのですか?」
アヒルは涙が出てきました。
「それで、また、みにくいアヒルの子が生まれた時、今度は私がその子に『いらない』って言うんですか?」
「君はそんなことを言わないだろう」
「そんなこと解るモンですか。私はお母さんから、そうとしか言われなかったもの。子どもにどう言っていいか解らないもの!」
真っ赤な人間は、みるみるうちに哀しい顔に変わりました。
真っ赤な人間は、涙が出てきました。
「どうして諦めるのだ? そんなこと、君にだって解らないじゃないか。今が辛くても、いつか幸せになるかも知れないじゃないか」
「いつか幸せにですって?」
こんどこそ、アヒルの子は笑いました。大笑いしました。
自分より長くいきていそうな、たくさんの人に愛されていそうな人間が、こんな、こんな、馬鹿げたことを言うのです。
ガア、ガア、ガア、ガア、笑いました。
「いいですか? よく聴いてください、私はね……」
笑って、笑って、大笑いしました。こんな、こんな、簡単なことを知らないのです。
ガア、ガア、ガア、ガア、大笑いしました。
「生きているだけで苦しいんです」
ガア、ガア、ガア、ガア、笑いました。
ガア、ガア、ガア、ガア、大笑いしました。
「いつか私が幸せになれると言ったあなた、あなたがそうしてくれるのですか?」
ガア、ガア、ガア、ガア、笑いました。
ガア、ガア、ガア、ガア、泣きました。
「あなたが幸せをプレゼントしてくれるのですか? あなたが助けてくれるのですか?」
ガア、ガア、ガア、ガア、大笑いしました。
ガア、ガア、ガア、ガア、大泣きしました。
「なら、なら私を食べてください、私のことを、食べてください」
ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア。
ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア。
「さあ、早く、早く、早く、早く!」
ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア。
ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア、ガア。
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春が来て、アヒルの子は湖を泳いでいました。
結局、あの人間は、何もせずにどこかへ行ってしまいました。
けれど、鳥達や、森の動物達は戻ってきています。
こんどこそ、アヒルの子は、自分を食べてもらうために、湖を泳いでいきました。
けれどどうしたことでしょう、湖で一番大きな鳥の、一番綺麗な鳥である白鳥の群れは、醜いはずのアヒルの子を見ても、全然怒りません。
やがてアヒルの子は気付きました。
水面に映る、美しい白鳥の姿になった自分に。
そうすると、いろんな白鳥がアヒルの子に話しかけてきました。誰も『いらない』なんて意地悪を言いませんでした。
湖の、いろんな動物達が、アヒルの子を綺麗だと褒めました。
アヒルの子はどう思ったのでしょう。なにも話しません。
「汚い奴だ、お前なんかいらない!」
湖の影で、灰色の汚らしい羽をした、一匹の雛が他のアヒルの子からいじめられていました。
アヒルの子は、ただそれを見つめ、少しして、そのみにくいアヒルの子に声を掛けたのでした。