落としたものは、
フリーワンライ参加作品です
使用お題「落としたものは」「永遠少年」
設定を生かしきれませんでした…無念!
加筆修正予定です
それはひと夏の、ささやかなお話。
『落としもの さがします』
こんな不思議な看板が目に入ったのは、梅雨も終わりかけの暑さがにじむ頃だった。木の看板に、丁寧に彫られた文字が素朴で心が和む。ずいぶん景色になじんで立て掛けてあるが、はてこんな看板は今まであっただろうか? ここは彼女の通学路で、もう数えきれないほどこの路地は通っているというのに、まったく記憶にない。なんのお店だろうか、そもそもお店はどこにあるのだろうか。疑問ばかりがむくむく湧いて、しまいには看板の前にしゃがみ込んでしまった。だからだろうか、そのすぐ後ろに立った人影に、彼女は声をかけられるまで気が付かなった。
「あの」
控えめで柔らかな物腰の声音に、彼女は過敏なほどに勢いよく振りむいた。そこにいたのは黒髪が太陽に眩しい、ひとりの少年だった。ふわりとした微笑みは、けれども暑さを少しも感じさせなかった。
「あの」
「は、はいっ」
「その看板をご覧になってくださったのですか?」
使い慣れているのか、存外なめらかな綺麗な言葉遣いに彼女は少しばかり驚いた。見た目はおよそ十歳とすこし。しかしそこに年相応の幼さはない。これはこれはと彼女は居住まいを心持ち正した。
「そうです」
「なにか、お探し物でもございますか?」
彼女は返答に詰まった。なんて、答えればいいのだろう。とっさに口にした答えは彼女自身にも意外だった。
「それは、もちろん。むしろいつだって探し物はしているんですよ」
すると少年の瞳が嬉しげに煌めいた。
「そのお手伝いをさせていただけませんか?」
*
少年の商いは看板通り、探し物の手伝いだという。最近開いたばかりだといが、ぽつぽつと依頼は来るらしい。
「探偵みたいなものですけどね、することは探し物だけです。人の喧嘩まで手を出せるほど、僕はたくさんのことが一度にできないんです」
少年はアザミと名乗った。シャツと歯の色が同じ真白だったのが印象的だった。昼下がりの路地裏は、アスファルトの照り返しで暑いのに、ふたりは寄り添うようにして歩いていた。
「まだまだひよっこですれけれど、きちんと頼まれた探し物はみつけています。だから悪い人ではありませんよ」
「自分で言うのね」
くすくす笑っていると、ほんの少しだけ少年の頬が膨らんだ。その横顔はまるで少年のそのままの姿のようだった。
「…なんだ、子供の顔もできるじゃない」
「なんですか?」
いいえ、なんでもない。一瞬の気のゆるみを独り占めしたくて首を振った。少年は不思議そうに首を傾げながら、それでも商人らしくさて、と口を開いた。
「あなたの落としものを探すお手伝いをさせていただく、というのでよろしかったでしょうか」
「ええ、構わないわ」
正直、これは彼のちょっとしたお遊びだと思っていた。だからなるべく彼に合わせられるよう、神妙な顔で頷いた。
「では、落としたものについてお教えください」
「そうねえ…」
そこまで考えていなかったから、口から出まかせに言葉を紡ぐ。
「昔、よく見ていたけれど今はもう忘れてしまったの。だから思い出したくて、その落とした記憶を探しているの」
「どんな記憶か、お分かりになりますか」
「具体的には覚えてない」
これでは少年が困るだろう。もともと出まかせのお話だ。彼女は何も考えずに、頭上を見上げたまま言った。
「太陽にお別れをする、それからお家に帰る寂しい瞬間。そんな記憶だった」
いい感じにまとめられたのだろうか。彼女は不安になって、少年の顔を覗いた。アザミは変わらずに微笑んでいた。
「承知しました。それでは探しましょう」
炎天下とまではいかない夏日。灼熱地獄ではないがじんわりとした汗が噴き出す程度の気温。そのなかで二人はいろいろな場所に赴いた。それは綿密に、しらみつぶしにしていく作業だった。出会った路地裏の角を起点に、児童公園や神社、小学校の校庭、河川敷、細い裏道の数々、かつては空き地だった立ち入り禁止の工事現場、小川を降りていく横道。どれもこれも懐かしいばかりの場所で、少年は無言でそこに彼女を連れていった。彼女はそのたびに、懐かしい、懐かしいと連呼し、話すはずのなかった思い出を溢していった。
そして時は夕刻。
「あなたが落としたものは、これでよろしいですか」
少年が振り返る。いつのまにか二人はこのあたりで一番小高い丘の上に来ていた。そこはちいさな公園となっていたが、すでに子供は一人もいない。逆光で見えないが、やはりアザミは微笑んでいるようだった。そして彼のたたずむ背景、いや夕空に目を奪われた。
「あなたがいつも探しているもの。太陽にさよなら。懐かしい場所。これがヒントでした」
静かに、静かに。太陽が落ちていく速度に少年の声が重なっていく。橙から藍へのグラデーションは見たことのない、けれども幼いころの記憶のままだった。緩やかに色が押し出され、夜が歩み寄ってくる。一番星か、はたまた白い月か、そのどちらかが煌めいたその時から空は夜空になって太陽は束の間の眠りにつくのだ。
確かに私は、この景色を探していた。
「あなたが落としたものは、これでよろしいですか」
「ええ、そうです」
本当はこれを落としたのかわからなかった。それでも彼女はこれに手を伸ばしたかった。落としものとして、探していたのだ。
「みつかったようで、なによりです」
「…ありがとう」
お礼の言葉にすら少年は微笑んだままだった。なんで、と口からこぼれた。
「なんで、探し物をするの?」
「落としもの探しのお手伝いですけどね」
苦笑気味に眉根を垂らして、彼はくれた夕日の方向に顔を向けた。その横顔はどこか寂しげだった。一言だけ、そっと呟いて少年は夜のとばりに紛れるように去って行った。だからその言葉の意味を言及することもできなかったが、きっとそれを忘れることはないだろう。夏の日の不思議な思い出として。
「時間だけはたっぷりあるんですよ。だからせめて有効に使おうと思ったんです」
―――それは永遠の落としもののお話