追伸
「え?手紙…ですか?」
「ああ」
卒業まであと少し。
寒い季節になって、風が冷たかったが、澄んだ空気が心地良い。
人気のない中庭だったがこの場所は、相変わらず色とりどりの花々がライヒアルトの目を楽しませてくれた。
隣に座るディータは初めて会った時よりも、幾分か楽しそうな表情に見えて、少し安心した。
もしかして自分は彼を畏縮させてしまっているのではないかと思っていたからだ。
「いっいいんですか…?僕…僕なんかがライヒアルトさんに手紙を書いても」
目に光をたくさん集めて興奮気味に話すディータを見ていると、喜んでくれているのだと思えた。
「もちろんだよ。書いてくれたら嬉しい」
「かっ書きますっ。書きます…!」
「ありがとう」
何度も頷く彼を見ていると、こちらまで嬉しい気分になってくる。
ここまで喜ばれたなら、罪悪感も少しはマシになろうかというもの。
「いっいえ…僕、手紙、送る人…いないから…」
少しだけ目を逸らせて気まずそうに下を向くディータ。
書いていた手紙の事を打ち明けられ、自分が学園を卒業してしまえば、寄る辺をひとつ失ってしまうディータの事が少し心配で気掛かりだった。
できれば学園内に心残りは置いていきたくなかったので、ライヒアルトは学園生活の精算に動いていた。
だからライヒアルトは卒業後、自分に手紙を書いてくれないかとディータに提案したのだ。
「でっ…でも、ライヒアルトさん、フォルトゥナート行かないんですね…」
唐突に首を傾げて少し寂しげにそう言ったディータに、ライヒアルトは苦笑いで返した。
「はは…その言葉、君で何度目かな」
「ごごごめんなさいィ…」
「いや、いいんだ…でも、不思議かい?そんなに」
「だっだってライヒアルトさん凄い人だし…そのうち神聖君子になるって…」
「凄くはないよ」
先祖である始祖と呼ばれるクロヴィス、その血を代々引き継いできた家系、家柄。
それらは確かに誇れるものではあるが、それはライヒアルト自身が受け取って良い称賛では無いと思っている。今は、まだ。
「…すごいです。ライヒアルトさんすごいですゥ。僕、ライヒアルトさんのおかげで、とっても楽になったんです」
「その件なら誤解だよ。あの手紙は本当に私では無いんだ」
「…手紙はどっちでもいいんですゥ。でも、本当に、ライヒアルトさんに会わなかったら僕…エート、とにかく会えてよかったです」
「それは光栄だ。私もそう思っている」
ライヒアルトがそう言いながら笑うと、ディータはぐるぐると視線を巡らせて焦っているように、照れているように手を上下させていた。
その行動を面白く思いながら、ライヒアルトはまた笑った。
※
「さて」
ディータを見送った後、ライヒアルトは夕日を背に人知れず決意を固めていた。
この後、学長に会う約束を取り付けてある。
それは一年前から密かに待ち望んでいた事。
少しだけ手が震えるのは緊張か、恐怖か。
こんな時ばかりは自分も案外不甲斐無いなと、苦笑い。
それでもこれだけ準備を重ねて、やるならば今しかないのだ。
もう一度決意を確認してから、ライヒアルトは一歩踏み出す。
まるで夕日が背中を焼くような心地だったが、振り向くわけにはいかないのだ。
先ほど別れたディータの小さな背中を思い出して、ぐっと拳を握りしめた。
どのような理由があれ、奪ってはならない光がある。
例えちっぽけな存在の、ちっぽけな光でも。
奪ってはならないものがあるのだと。
それがいずれ大きな光の闇となって覆い尽くすのだという事を、思い知らさねばならない相手がいた。
※
「これはライヒアルト君。私に話とは何かな?そういえば卒業は目前だねぇ」
いつもいつもへらへらと媚びるような笑いをライヒアルトに向ける男。
ライヒアルトが入学してしばらくしてから、この学長がその地位についた。
優しいのだが、歴代の学長達と比べても非常に頼りなく、権力に弱いという弱点があった。
だから学園の神子達からは裏ではかなり軽んじられているのだが、それなりに大きな力を持った神聖である。
噂でしかない話だが、クロヴィスの系譜を継ぐライヒアルトが入学したから、学長になったのだという。
クロヴィスの系譜はほぼ即ち神聖君子に直結する。
未来の神聖君子の恩師…そのような立場になりたかったのだと方々から噂されている。
だからかわからなかったが、ライヒアルトには常に胡散臭い笑顔で近づいて来ていた。
普段は相手をするのがたまに煩わしかったが、今となってはこの学長で都合が良かったと言えるかもしれない。
優しすぎてライヒアルトに弱いこの人ならば。
少々酷な事かもしれないが、手を緩めるわけにはいかないのだ。
「そうですね。もうすぐ卒業ですので、心残りは無いようにしたいと思い、今日此処を訪れました」
「うむ?心残りとは?」
「実は先日、生徒から学園の隅に小さな焼却炉を見つけたという情報があったんです。その用途について聞いてほしいと、託ってきたのです」
「焼却炉…」
学長からようやく笑みが消えた。
少しの間の後、手で口元を隠しながらもごもごと話しだす。
「ああ…あれは…学園から出た部外秘の書類を…焼却処分するためのものだよ」
「部外秘の書類…というのは、コレの事ですか?」
四つ折が重なった端の部分に、黒い焦げ跡がついた白い紙。
丁寧に開いてみせると、綺麗な黒い文字が並んでいる。
それを目に入れた途端、学長は焦ったように立ちあがり、足を机にぶつけたが、気にすることもなくただそれを凝視した。
「これは手紙ですよね。学園の生徒が外に宛てた」
「それは…」
「本人に確認しました」
こうも簡単に態度に出してくれるとは思わなかった。
あからさまに目が泳いでいるし、腰も浮いたままだ。
しかし焦って追及するとヘマを犯しそうだし、準備と時間の分だけ慎重になるに越したことは無い。
「そ…そう、それは…悪戯だ…誰かの…悪戯に違いない」
「悪戯…ですか…この管理の行き届いた学園でもそのような事が起こるのですね」
「そ、それは…」
それこそ学園の沽券に関わる事だが、だからといって認めるわけにはいかないのだろう。
学長は次の言葉を必死に探しているようだった。
ライヒアルトはそんな学長を少し哀れに思いながらも追及の手は緩めなかった。
「実はこれ一通ではないのですよ。同じような手紙が何通か手元にあるのです。だからこそこうしてお話を聞きに来たのですよ」
「…で、では…犯人を探させよう。焼却炉を見張って…」
「それは生徒達の手でやらせて頂いてもよろしいでしょうか」
「そ、それはならない…これは学園の奉仕係の仕事だ」
す、と目を眇めてライヒアルトは冷たい視線で学長を見た。
「信用なりませんね。私がこの手紙を持っているというのに、学園はこの事実を今把握したと?そんな事も気づかない人々に大事な手紙など託せましょうか」
「う…それは…それは…」
「認めて頂けますね」
学長は何も言わずに腰をおろして、力なく頷くだけだった。
学長室を出た後、ライヒアルトは軽くため息をついた。
検閲された後に焼却炉で燃やされるという、手紙の行方を調べたのはアヒムの力だった。
しかし学園内で自由に魔術を操る事は出来ない為に、アヒムの力でも証拠となるものを回収する事は難しかった。
そんな時にライヒアルトに“ある男”が近づいてきた。
自らを盗賊と名乗るその奇抜な男は、ライヒアルトの家に伝わる“預言”の話を知っている者だった。
どうやって学園内に忍びこんだのかはわからなかったが、その男の実力を知ったライヒアルトは、お互い何かあれば助けあうという盟約を結び、盗賊達に協力を要請した。
彼らは焼かれる前の手紙を奪い、証拠を集めた。
その手紙の行方を探る際に役に立ったのがディータの手紙であった。
宛先の存在しないディータの手紙は必ず検閲で弾かれる為に、追跡するにはうってつけだったのだ。
そんな風に勝手に手紙を利用していた事に罪悪感を感じていた為に、ライヒアルトはディータを放っておくことができなかったのだろう。
しかし会えてよかったというのは紛れもなく本心だ。
「…よし」
学長は次に学園の外で手紙をどうにかする策をとるだろう。
学園内に手紙を置く事も、処理することも今や危険な状況だと悟っただろう。
学園内に出たら学生にはどうにもできない…教師達の大勢はそう思っている。
しかし外に出れば、そこはもう学園では無い。
自由に魔術を使うこともできるし、学外の人々がたくさんいる。
最後の証拠を掴むのはずっと簡単になるはずだ。
「頼んだよ」
首尾を書き綴った手紙を、アヒムに貸してもらった鳩にくくりつけて盗賊の男に送った。
ディータの手紙に返事を書いたのは、その盗賊の男なのではないかとライヒアルトは思っている。
「あの人ならやりそうだしなあ…」
※
数日たって、全ての証拠を揃えたライヒアルトは再び学長と対峙した。
学長は遂には検閲の事実を認め、泣き崩れた。
生徒達を騙す事が心苦しかったが、今までの伝統や権力に逆らう事ができなかったと。
「本当にすまなかった…でも…私は…守りたかったのだ…!」
「守りたかったものとは…なんですか。神聖ですか、権威ですか…それとも神子ですか。このようなモノで守られる権威なんて、いずれ派手に崩れてしまうのですよ。紙きれは刃にもなり得るんです」
「…すまなかった…うう…すまなかった…!」
哀れなまでに唸り泣き続ける男にライヒアルトは背を向けた。
彼ばかりが悪いわけではない、しかし彼の人生は狂ってしまったのだろう。
それでもライヒアルトには守りたいものがあった。
「私には謝らなくとも結構です。でも…手紙に希望を託す者も大勢いるのだと…知ってください」
こうして、ライヒアルトが学園でやり残した事は全て終えたのだった。




