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「そんな怖い顔しなくても別に脅そうとかそういう事を言ってるわけじゃないよ」
「そこまでは思っていませんが」
「そうだねぇ…迷える若者であるライヒアルト君には良い事を教えてあげよう」
それほど歳は変わらないのに、と思いつつもアヒムの次の言葉を待った。
しかしアヒムはライヒアルトの視線など気にも留めない様子で、手に持った封筒を眺めている。
「あは、この子は本当によく手紙を書くなァ。内容見てると先輩としては心配になってきちゃうね」
「それは…」
宛名に書かれた名はアヒムではなかった。
差出人の部分には“Dieter”という名、住所は学園になっている。
書かれた文字から見て、幼い生徒によるものだろう。
つまり学園の誰かが外の誰かに宛てた手紙という事だが、何故それをアヒムが持っているのか。
「どうして僕がこの手紙を持ってるんだろうって顔だね」
「当然の考えかと。間違っていたらすみません、届けられる前の手紙を鳩に持って来させたのですか」
「そういう事だね」
「どうしてそのような事を…?」
学園の生徒にとって、外の世界との唯一の通信手段である手紙のやり取りは重要で大切な事だ。
その手紙を何故、わざわざ鳩に持ってこさせるのか…ライヒアルトにとっては理解に苦しむ事である。
あまり疑いたくはないが、アヒムが手紙を横領し、中身を見ているのではないかと思ってしまう。
ライヒアルトの手紙もそうして見たのであれば、妹がいるという事を知っていてもおかしくは無い。
「もちろん中を見るために」
「他人に手紙を見られて良い気分がしますか」
「先生みたいな怒り方するね…」
「すみません…しかし私は実際気分が悪いです」
「だろうね。僕でも嫌だ。けど、まあ中身なんてあまり覚えていないよ…内容に興味は無いから」
「だったら何故…」
アヒムは堂々と手紙を取り出して中をちらりと見ると、すぐにまた戻した。
「君は知らないかもしれないけど、ここから出される生徒の手紙の大半は届いていないよ」
「…!そんな、まさか…」
「実際に君の手紙に返事はきたかな?他の人はどうかな?頻繁にはこないだろう?」
「それは…」
思い当たる節はあった。
ライヒアルトの手紙も、返事は滅多に来ない。
友人や同級生達の手紙にも返事が届く事など滅多に無かった。
しかしそれは学園が僻地にあるために、地方からは届けにくいのだろうと理解していた。
「しかし学園の力があれば、此処からの手紙はほぼ確実に届けられるはずです」
「その学園が、届けられる手紙を選別していたらどうする?」
「…まさか中を検めていると?」
「理解が早くて助かるよ」
「何のために…」
「それが僕の知りたかった事さ」
「どういう事ですか…」
事実なのかどうかライヒアルトには判別がつかない。
しかしアヒムと、学園と、今は同じくらい疑っている。
今まで信じていたものが揺らぐのは、とても嫌な気分だ。
だがただひとつの疑惑で、これほど揺れる自分の心にも腹が立つ。
「僕が今まで見た内容に依れば、弾かれるのは学園の事や、学園の生活が書かれたものだね。後は重要性の低いものも弾かれる事が多い。だけどたまには届いて返事がこないとおかしいからか、その中でも比較的マシなものが送られてるね。ただ僕の場合、たくさんの手紙の中からのいくつかしか確認できない抽出方式だから、確実とはいえないけど…3年やってて結果に疑問をもった事は無いよ」
「何故弾かれるのでしょうか」
「これは結果からの推測でしかないのだけど…学園や神子の神秘性を守るため、ていうのが第一で、後は何か都合の悪い事を書かれないため、だろうね」
「神秘性ですか…」
異能を操る神子の学ぶ聖地、神聖学園。
神聖教会の権威や信憑性に、確かに大きく関わるかもしれない。
「わざわざ生徒達に隠すような事ではないと思いますが…」
「手紙を出してはいけないとか、何々を書いては駄目とか、自ら後ろめたい事があるって言ってるようなものじゃないか。それに神子といえど所詮は子供。外界から遮断される理不尽に耐えるのは難しいだろう。それを許して抑圧を避ける上手い理由が無いんじゃないかな」
それも彼の独自の研究結果なのだろうか。
言い分は理解できるが、鵜呑みするには弱い理論だ。
「…先輩の言い分は理解できました。しかし…証拠はありますか?」
「残念ながら研究はまだ途中。ただ、検閲は確かだよ…時間をかければ証明は難しくないと思うけど…そうだね。君が送った手紙の中で、返事が届いたものを予測してみようか。春に二度、君の近況と家や妹の様子を問う内容を綴った手紙、そして夏にまた同じものが一度。返事の内容は知らないけど、届くとしたらこれくらいじゃないかな」
言われた手紙の内容を思い出してみれば、確かにそんな旨の手紙を家に送り、そのうち返事がきたのは二通。
返事の内容は家については何も心配する事はない、しっかりと勉強しろ、といつも変わらぬ内容だったが。
アヒムがライヒアルトの手紙の内容を見たのならば、知っていてもおかしくない。
そして実際、それ以外の手紙には何の反応も無かった。
アヒムがこれだけ具に知っているという事は、アヒムの言う通りであるか、あるいは学園ではなくアヒムが手紙を意図的に選別して手を加えているかだ。
だが、アヒムが学園の手紙全てを自由にするだけの力量があるかと考えれば、馬鹿な事だとも思う。学園の力を侮る事に等しい。
だからこそ状況的にアヒムの言うことの方が信憑性がある。
アヒムがどうにかできるとすれば、大量の手紙のほんの一部だけなのだろう。
それならば“届く手紙”の方が多くてはならないのだ。
「疑うなら君も実験に参加してみればいいよ。簡単な事さ」
「そうかもしれません…しかし、おかしいですよね。先輩が横領したのは、検閲を通らなかった手紙…ですよね。どうしてその返事が届くのですか」
アヒムの話の矛盾点を問うと、彼は急に困ったように眉尻をさげた。
「ああ……それはね…」
今まで饒舌だったのに、突然顔を僅かに顰めて言いにくそうに口ごもった。
「中を見たお詫びに検閲から弾かれたものを、検閲を通った手紙の中に混ぜておいたんだ」
「…それはどうも有り難うございます」
意外な答えに微妙な気分でライヒアルトが礼を言うと、アヒムも微妙な顔で笑った。
「お礼言われる事では無いと思うけどね」
「勝手に中を見ている事については怒っています。しかし手紙を届けてくださった事には感謝します」
「そういう冷静なトコが可愛くない後輩君だね…」
しかしライヒアルトは逆の感想をもった。
「…先輩はもしかして、この事が学校側にバレたのではないですか」
「あはは…はあ、僕も未熟だったってね…」
乾いたような声で笑いながらアヒムは再び鳩に手紙を持たせて空へと放った。
青空には伸ばす白い翼が実に気持ち良さそうだ。
「だけど僕は自分の世界は自分で創る…だから常に僕は“決まりに”如何を問い続けるのさ」
「自分の世界…ですか」
「そう…僕は自分で世界を見、世界を自分で創り、その中でだけ神を名乗って、やりたい事をやるだけさ」
誰かに、ではなく自分自身で創る世界、見える世界。
自分の世界は、自分にしか見えていない。
歴史の英雄でも、古の賢人でもなく、自分が造った自分の決まり。
「なるほど…」
ライヒアルトは立ち上がり、呟いた。
こんなに心が躍るような気分になったのは久しぶりだ。
それは、そうすべきだったのだ、とライヒアルトの苦悩にひとつの示唆を明示した。
「では、私は他人をも巻き込む程の世界を創ってみせましょう」
アヒムは目を大きくさせて数度瞬きをした。
「あっ…はは!これは凄い宣言、さすが未来の神聖君子様!」
「私は神聖君子になる気はありませんよ」
言いながら彼に背を向け、歩き出した。
もうすぐ次の授業の始業のベルが鳴らされる。
「それは残念だ。君が神聖君子になるなら、司祭になってあげても良いって思うのに」
笑いながら言われた言葉を好意として受け止め、軽く手を振ってライヒアルトはその場を去った。
世の中にはいろんな人がいるのだな。
単純にそんな感想を持ったが、ライヒアルトにとって、それはとても新鮮な感情だった。
自分は無意識に、人の悪い面には目を瞑り、そして自分が認めた人やモノにしか目に映していなかったかもしれない。
同じ教室で学ぶ級友らの顔や名前は解っていても、どのような性格であるかまでは自分は全員知っているかと聞かれればきっと解らない。
「そんな都合の良い世界…あるわけないか…」
とっくに始業のベルは鳴らされているが、ライヒアルトは学内で一番高い場所にある庭に居た。
こんな風に黙って授業を欠席すると、皆どのような反応をするだろうか。
少しの好奇心と罪悪感、これもまた新鮮な感情である。
アヒムのように、善と悪では割り切れないような、そんな人や事をライヒアルトは初めて知った気がした。
学園の守りたいものもわかるし、生徒が守りたいものもわかる。
どこで線を引くか、自分は何を基準とするのか。
道が見つからないのなら、存在しないのならば、作れば良いではないか。
「そういえば…マリアンネの事を聞いた手紙の返事は来なかったな…」
妹に伝えてほしいと手紙に託した言葉は、果たして本当に彼女に届いているのだろうか。
今まで少しも疑わなかったわけではないが、実家の屋敷の人々の事を考えれば伝えていなくともおかしくはないだろうと、はっきり思えた。
「…」
どうやって彼らの眼を掻い潜ろうかと考えている自分に、少しだけ笑みがこぼれた。
ああ、なるほど。
自分の悪くどいところも、案外嫌いでないかもしれない。
「さて…」
思わず、とはいえ大口を叩いたからには、どうにかしないといけない。
最初は自分の家からどうにかしてみようか。
それから手紙の事も調べてみよう。
どうすれば彼らを自分の世界へ巻き込めるだろうか。
どうなれば人々の目指す道へと成り得るだろうか。
とりあえず…この長い黒髪を短くすれば、皆どのような顔するだろうか。
風に舞う髪の先を見ながら、ライヒアルトは一人笑った。




