2
校舎を出てすぐの美しい花々が先並ぶ中庭。
中庭といっても、隣の校舎は使用頻度の低い特別教室ばかりだし、移るのにも空中か地下の渡り廊下を使う者が多いために人は極端に少ない。
しかし季節の美しい花々の咲き乱れるこの静かな石畳の回路は、ライヒアルトのお気に入りであったので、そこにはささやかなベンチがひとつ置かれている事も知っていた。
普段ならばライヒアルトが読書などをするために使っているその場所に、今日は先客が居た。
紙を手に持ち熱心に内容を読んでいるようであるその人は、だらしない姿勢で左腕を肘かけに預けて深く座り込んでいた。
紙に隠れて顔はハッキリとはわからなかったが、その人には見覚えがある。
急ごしらえの笑顔を浮かべて少し気まずそうにライヒアルトは声をかけた。
「アヒム先輩」
「…んー、実にどうでもいい内容だねぇ…先生達も大変だよね…しかしこんなどうでもいい仕事の手伝いをさせられる君が一番大変だよねぇ」
「先生に比べれば私の苦労など大した事無いですよ」
ライヒアルトがそう言うと、ようやくアヒムは顔をあげて笑った。
「苦労っていうのは否定しないんだ」
「人の一挙手一動を苦労というのであれば。人が動く事を働きと言い、生命活動を動作と言うのならならば苦労は生きるための一つでしかありません」
「さすが名家のお坊ちゃんにして学園一の魔術師にしてクロヴィスに連なる者。屁理屈もご達者でいらっしゃる」
茶化すように皮肉を言ってアヒムを紙をひらひらと風に靡かせた。
ライヒアルトは少しだけ笑ったが、アヒムの皮肉は意にも介さず、断りを入れてから彼の隣に腰かけた。
ライヒアルトにとっては、そのように接してくる者の方が珍しい事だった。
「血筋を褒めて頂き光栄です。私に興味がおありで?アヒム先輩」
「こんな事ぐらいならこの学園の誰もが知っている事だよ。しかし君に僕の事を知っていてもらえるとはこれは光栄だね」
「私なんかよりも先輩の方が有名なんじゃないですか」
「どうかなぁ…例え有名だとしても、君は人徳、僕は悪名。えらい違いだよ…なんせ、神聖学園の崇高なる神子の一人にも関わらず留年して卒業できなかったなんて…何年ぶりの偉業だろうかと教師達が泣いていたよ」
感涙ではないのだろうとライヒアルトは苦笑で返した。
隣に座るアヒムという男は、実はライヒアルトより二歳年上で、本来ならば卒業しているような年齢だ。
だが彼が有名なのはそれだけではなく、実は学園でも屈指の力を持った魔術師であり、成績も悪くは無いという話なのだ。
そんな彼が卒業できなかった理由を他の生徒は知らず、なにやら物凄い悪行を働いたためではないかと実しやかに噂されている。
だが噂は噂。ライヒアルトはそれを信用しているわけではなかった。
「君みたいに優秀で教職員や生徒からの人望も厚いと、僕みたいなのは理解できないな」
「言葉に険が有るように思いますが、あなたこそ私が嫌いですか」
「そうだなぁ…太古の昔より優等生と不良は相容れないものって決まってるじゃない」
「誰が決めたんですか」
「誰かなぁ…。優等生っていうのは否定しないんだね」
「貴方の仰る通り、成績が良くて教職員や生徒からの人望の厚い者を優等生と呼ぶのであれば」
「いちいち理屈っぽい言い方するなぁ」
「すみません。先輩がああ言えばこういうもので」
「それは僕の台詞だと思うんだけどなぁ」
ひとしきり言葉のやり取りを楽しんだ後、アヒムは少し乾いたような笑い声をあげて頭の後ろに手をまわして組んだ。
「そう。決まってるといえば、君は規則って何の為にあると思う?どれだけの価値があると思う?」
突然の問いに理解できず、ライヒアルトは少し首を捻った。
それからアヒムの問いの意味を噛み砕いて考え始める。
「規則は、守るためにあるんじゃないですか」
「おおっこれは予想に反して物凄く優秀すぎるご回答」
「規則を守る、のではなく、規則が守る、のですよ」
「生徒を守るだけの為にある、と?」
「守れば守られるだけの意味があるかもしれない、そういう事です」
うーん、と気の抜けたような声を出してアヒムはずるり、と腰を沈めた。
「何から守っているのかな」
「そうですね…たとえば生徒が悪しき道に嵌らない為、たとえば生徒が己が道を逸れ無い為」
「その道は規則が作るのではないのかな」
「いえ、その道は規則を使った者が造ったのです」
「それは…学園で言うなら学長かな?学園の創始者かな?それとも教会の神聖君子?いやいや教祖リーンハルトかな?そもそも教えを創った英雄ヴェンデルベルト?それか…始祖クロヴィス?」
「…彼らが歩んだ道、そのものじゃないですかね」
「ナルホド、意外にロマンチックな事を言うもんだ」
自分で言いながら、それが本当に自分の道であるかはわかっていないと苦笑した。
確かに連ねられた人々の名は、どれもライヒアルトが尊敬する人物である事に変わりは無かったが、果たして自分が彼らのようになりたいのかと問われれば、肯定はしないだろう。
しかしあらゆる規則、取り決めに対し疑問に思う事もあったが、反対も反抗もしてこなかったのは、それはそれで納得し、彼らに逆らうだけの理由が無かったからだ。
「もし、規則に疑問を持ったとして、それを反対する、反抗するだけの理由も私は持ち合わせていません」
「ああ、もしかして。君は規則に逆らうって事はその後ろに見える全てを否定する事だー、とか真面目な事考えちゃってるのかな」
「…うーん、それは否定できませんね」
「できないのか…根っこが真面目なんだね…実に…バカだ」
にやり、と歯を見せて笑いながらアヒムはライヒアルトを見た。
実に見事な嘲り笑いである。
「君は道以外のものを知らない。一本の道しかわからない。永遠に」
「ええ。しかし、良くは無くとも、存外悪くも無いものです。貴方にはわからないかもしれませんが」
相手はわざと自分を挑発している事は理解していたが、何故だか少し感情的になって苛立つような言い方になってしまった。
自分らしくもなかったが、それは彼が自分の触れられたくない部分を見抜いてしまったからだろうか。
その感情の高ぶりが、自分自身その事を肯定しているようでまた苛立ってしまいそうになった。
「ふはは、君は将来、神聖君子様になるお方だ。媚を売る輩も多いだろう。いいね、大切にされてて」
「先輩は何を仰りたいのですか」
「なにも。ただねぇ…見てない道に、何があるのか気になったりはしないのかな」
「…今は、何も」
アヒムとは、自分にはとても測りがたい人物であるようで、挑発するような言い方をわざとするが、苛立ちはしても嫌な気分はしなかった。
今まで出会ったどの人々とも違う型の人間だ。
「ご心配有難うございます、アヒム先輩」
「それは嫌味なのかな」
「とんでもありません」
「おっと、余裕そうな笑い。全然挑発にも乗らないし、さっすが優等生君だ」
「…そう見えますか」
今のは苦笑い。
ただ彼の眼に自分の本性が全て映っているわけでは無いという事か、或いはアヒムの優しさか。
どうにも底知れない。
「またお話しして頂けるとありがたいです」
「そうだね。それまで卒業は待っていよう」
「…そこまではして頂かなくとも結構です」
苦笑いで返すと、アヒムは空を見上げて笑った。
すると白い鳩がくるりと空を舞いながら何か白いものを落とし、それをアヒムが手で取った。
それは白い些細な封筒であるようだ。
「…手紙、ですか?」
「うん、まあねぇ…。そういえば、妹さんはお元気かい」
「………どうしてその事を知ってるんですか」
自分に妹がいるという事は誰にも話していないし、わざわざ誰かが言うとも考えにくい。
教師ですら知らないであろう事を何故、初めて話したこの人が知っているのか。
困惑するライヒアルトの顔を見てか、アヒムはニッと笑った。




